2月10日(金) ★1
「桜田さん、沢木部長がお呼びなので、至急、人事部長室へ向かってください」
金曜の昼下がり、突然、大芝課長から声をかけられる。この日は連日の寒気がようやくゆるみ、天気もとてもよかった。そのため、この時期にしては珍しく、ポカポカとして暖かかった。そのせいか、紫は少しばかりウトウトしていたので、突然課長に声をかけられた時はすごく驚いた。
思わず、寝ていたのか…と少しばかり自分を疑ったほどである。すっかり、目が覚めた紫は、そのまま駆け足で一回奥の人事部長室へと向かった。多分、出向先が決まったのだろう。紫はそう勘ぐる。
「失礼します…」
ドアを叩きながら入って行くと、奥の大きな机に沢木部長が収まっていた。紫が入ると、静かに立ち上がる。そして、ドアの手前にある小さな応接間に座るよう、紫に即した。紫は言われるがまま、ソファーに浅く腰掛ける。
「桜田さん、お忙しい中、ご労足して頂きまして、ありがとうございます。あの面接から早いものでもう三週間が経ちましたね。ようやく、ログポーズがたまって、次の行き先が決まりましたよ」
ログポーズ? 出版界における新しい用語だろうか…。紫の頭の中は謎の言葉のせいで?が一杯になる。ログポーズ? 何それ、おいしいの?…とはさすがに部長相手には聞けない。
「部長、ログポーズって一体何なのですか? 出版界における新しい専門用語ですか?」
「えっ、ログポーズを知らないの? ああ…。まあ、仕方ないですね。じゃあ、ワンピースと言うマンガも知らないですよね…」
「ワンピースは女性が着るものしか知りません。そんな名前のマンガがあるのですか?」
急に部長が笑い出した。何かおかしなことでも言っただろうか? 紫は笑い続ける沢木にあっけを取られていた。出向先を言い渡されるだけと思っていたのに…。
「ああ、申し訳ない。週間少年ジャンプのワンピースですよ。今、テレビアニメもやっているでしょう? 私の孫が好きなんですよ。孫と話を合わせるために読み出したら、すっかりはまってしまってね…。まさか、この歳になって、マンガに熱中するとは思いもしませんでしたよ…」
「ああ、思い出しました。コミックス売り上げ最速一億冊を達成したマンガでした…。そのログボーズって言うのはこのマンガの中で出てくるんですよね…」
大丈夫か? この会社…。人事部長が勤務中、マンガについて熱く語るとか…。おはらいをやたらと進める課長もおかしかったが、この部長もかなり変である。人は見かけによらないな…。
「ログポーズとは、グランドラインと呼ばれる海を進んで行くのに無くてはならない特別な方位磁石のことですよ。せっかくなので、桜田さんもだまされたと思って、読んでみるといいですね…」
「わかりました。ところで沢木部長…、私は大芝課長からすぐにここへ来るように言われましたけど…。まさか、マンガの話をするために呼び出された訳ではないですよね?」




