ダンジョンのある日々
「新宿駅はダンジョンだ」
それは昔から誰もが知る事実だった。
東口に行きたいのに西口へ出る。南口を目指したのに気づけば地下。初見殺しの案内板。期間限定で塞がる通路。気づけば別の路線ホーム。
しかし二〇二六年の夏、それは比喩ではなくなった。
ある憂鬱な月曜の朝、通勤ラッシュの真っ最中。新宿駅の地下改札付近で空間がぐにゃりと歪んだ。
最初はテロかと思われた。次にガス爆発や大規模陥没が疑われた。だが監視カメラに映っていたのは、もっと説明しがたいものだった。
床は割れていない。天井も落ちていない。改札の向こう側だけが“別の場所”に繋がっていた。
西洋とも東洋ともつかぬ石造りの回廊、壁には見たことのない発光苔が這う。電波は不安定、気温は一定。奥へ行くほど構造は変わり、そして――異形がいた。
犬みたいに四足で走るくせに関節の数が足りないやつ。人のシルエットなのに顔が渦を巻いているやつ。終電を逃したサラリーマンの幻覚のように輪郭が暗く青く光っている。
避難は迅速だった。ただちに警察が駅を封鎖し、自衛隊が出動した。学者もきて、政治家は連日会議を繰り広げ、省庁は所管を押しつけ合う。けれど当然のことながら現行の法律はこのような異常に対応していなかった。
ダンジョン対策のための基本法なんて、あるわけがない。電車が異形を轢いた時の器物損壊も、異界資源を拾得した時の管轄も、駅構内における軍用機走行の特例も当然ながら条文に書いていない。
だから国はしばらく何も決められなかった。
新宿駅は完全閉鎖。梅田駅も落ちた。東京駅も名古屋駅も横浜駅も、ローカル線の秘境駅まで駅という駅がダンジョンと化していった。
巨大ターミナルほど時空の歪みに飲まれやすいらしいと専門家は言ったが、「らしい」までしか言えなかった。そもそも自分が何の専門家として呼ばれているのかすら分かっていなかった。
人々は困った。駅が閉ざされれば通勤が崩れる。周辺商業が死ぬ。避難圏が広がり、物流は死ぬ。しかもダンジョンの異形は放っておくと時々外へ出ようとする。
では、どうするか。
銃はだめだ。剣はもっとだめだ。民間人が勝手に戦うのは危ないし、かといって対象が『日本全国の駅』ともなれば地元の警察や自衛隊では到底手が足りない。法律も責任もぐちゃぐちゃだ。
だから人々は考えた。これは災害対応である。
そして誰かが言った。重機なら、いけんじゃね?
その一言で世界が少しだけ変わった。
***
間坂道夫、工事現場作業員。スマホの二段階認証が苦手な四十二歳。
朝五時に起きて缶コーヒーを飲み、現場で泥にまみれ、夕方にコンビニで塩むすびを買い、夜は娘に送るスタンプを間違えて無視される。そんなごく普通のおっさんだ。操縦する重機はちょっと普通ではなかった。
「俺はこいつに乗るのか?」
道夫はヘルメットを脇に抱え、仮設ヤードに並ぶ機体を見上げた。ショベルカーをベースにしたその機体は通常の片腕ではなく三つ腕だった。
左右それぞれ形状の違うアーム。右は把持力重視の大型グラップル。左はカッターとシールド展開機構を兼ねた複合の二股アーム。背面に資材ラック、肩の位置に投光器と、コックピット周辺には増設された保護フレーム。
要するに、どう見てもロボだった。建設会社の現場隅に置くには、あまりにも少年の心を刺激しすぎる外見である。
「正式には“鉄道施設周辺危険障害物除去用多目的三腕建機”だ」
そう言った男は眼鏡のブリッジを押し上げた。荒川彬、三十六歳。機械設計技術者として大手機械メーカーに勤め、普段は都市土木向け特殊機の設計をしていたが、駅ダンジョン化騒動以降は人生の歯車がアニメみたいな方向へ噛み合い始めた男である。
「鉄道……何だって? 略してくれよ」
「略称はまだない」
「欲しいな」
「俺もそう思っている」
道夫はため息をついた。
「障害物除去って言うけど、ニュースで見たぞ。あの中なんかいるじゃねえか」
「ああ」
「で、そいつと戦えってのか? 俺は民間人だぞ」
「法律上は戦わない」
「どういう理屈だよ」
「危険存在によって占有された鉄道設備への接近を可能にするため、通路確保および救助導線を構築する作業だ」
「長え!」
そこで後ろから、ひょいと手が挙がった。
「つまりバトルじゃなくてギミック解除っすね」
声の主は細身の青年だった。大学生くらいに見えるが、実際には二十三歳。パーカーに廉価ゲーミングデバイスのロゴ入りバッグ。水上湊、フリーター兼配信者兼ガチゲーマーのいかにも現代的な若者だ。
駅構造の変質パターンと異形の行動規則にいち早く気づき、匿名掲示板と動画投稿で一躍有名になった「駅ダンRTA考察勢」の第一人者である。
「駅って、行きたい場所に最短で行くための構造じゃないすか。それがダンジョン化すると逆に、迷わせて選ばせる構造になる。だから攻略は火力じゃなくてルート理解ってこと」
「分かるようで分からん」
「分かんなくても大丈夫です。IGLやるんで」
「もっと分からんことを言うな」
さらに湊の横で目を輝かせる少女がいた。
「でも生身だと危ないから建機を合法範囲で改造してダンジョン攻略って、かなり文脈として正しいですよね」
年の頃は十六、十七だろうか。制服の上に作業ベストとヘルメットという工場見学会のような格好だ。名は火野陽奈。筋金入りのアニメオタクで、駅ダン騒動後は「やっと現実が追いついた」と真剣な顔で語って親を困らせた少女である。
「文脈として正しいってなんだよ」
「人類が未知の脅威に対して既存産業機械を転用し法制度と倫理の調整を経ながら対抗手段を獲得していく王道展開です」
「お、おう。何?」
「それにこのASTACOをさらにロマンで加速させたような複合アームは最高です。片腕だと単純作業しかできませんけどこれで保持しながら排除、支えながら搬送、盾を構えながら接近もできます。まさに主役級のかっこよさです」
「最後で急に怪しくなったな」
これらが自分のチームかと思うと道夫はとても大丈夫じゃない気がした。しかし彬までも真顔で陽奈の言葉に頷く。
「彼女の分析は概ね正しい。腕は多いほどかっこいい」
「設計士までアニメのノリになるな」
仮設ヤードの向こうに封鎖された駅入口へ延びる防護壁が聳える。警察、消防、鉄道会社、国交省の職員、よく分からない有識者らしき人たち。みんな疲れた顔をしている。
その疲れた世界の中で、目の前の三腕重機だけがやけに未来を向いて見えた。
「間坂さん。あなたに頼みたい。繊細な操縦技術が必要だ。あの中は足場が不定形で、階段が変形し、路面強度も安定しない。普通の車両は無理だ。建機を身体みたいに扱える人間じゃないと進めない」
「それで現場作業員の俺?」
「あなたの現場で怪我人が出たことがない。逃げる判断がうまい」
「褒めてんのか?」
「現場で一番重要な能力だ」
それは確かに、そうだった。現場で事故を起こさないのは勇敢なやつじゃない。危なくなる前に一歩引けるやつだ。
ゲームだかアニメだか知らないが、日常の中にファンタジーという異常が侵食してきた。にもかかわらず人々は剣も魔法も持っていない。あくまでも合法で、危険物を所持せず、危険に対処しなければならないのだ。少なくとも法が整うまでは。そして往々にして、法はなかなか動かない。
油圧シリンダー、保護ケージ、補助カメラ。見慣れた鉄の延長線上にあるのに、その先だけが知らない世界へ伸びている。げんなりする道夫の肩を湊がぽんと叩いて笑った。
「熱いっしょ。世界がバグった時、現場が一番つえーやつ」
「そういう青臭いのは若いがやるもんじゃないか?」
「若いのはナビでーす」
「オタクもナビでーす」
「お前らが現場行けよ!」
「俺はコントローラー担当なんで。現場とか死ぬんで」
「私も見るの担当です。現場とか死にます」
これが自分の守るべき若者たちなのだろうかと思うと頭痛がしたが、その日、間坂道夫は新宿駅ダンジョン第一層への進入承諾書にサインした。
備考欄にはこうあった。
“本作業は災害対応および公共設備保全の範囲内で実施されるものであり、戦闘行為を目的としない。”
――目的としないだけで、起きないとは書いていない。行政のやることは言い訳ばかり柔軟なのである。
***
プレハブ会議室のホワイトボードには新宿駅地下の旧図面とダンジョン化後の観測データが並んでいる。後者はほとんど落書き同然だった。内部は梅田駅の工事よりも頻繁に変化しているのだ。
「ここが一日前の通路。で、今朝のドローン映像では壁になってました。こっちは逆に壁だったのがホームになってる。意味分かんねっす」
意味が分からないで済ませていい現象ではないのだが、もうみんな大概麻痺していた。陽奈がタブレットを操作して別ウィンドウを映す。
「異形の行動ですが完全なランダムではありません。生体に反応する個体もいますが光や振動や音声それぞれに反応するもの複数に反応するものもいて案内表示に引かれるタイプもいます。特に通行管理を模した個体は導線に執着する傾向があります」
「通行管理を模した個体?」
「改札っぽい顔のやつです」
「そんなもんまでいるのかよ……」
無人機でどうにかしてくれよと心底思いながらも、現場経験の長さからもう無人機で手に負える時期は過ぎたのだと分かってしまうことが悲しかった。
「我々がやるのは三つ。第一に取り残されている設備点検班の捜索。第二に通路の確保と維持。第三に外へ出ようとする異形の押し戻し」
「押し戻しって、だいぶ戦ってないか?」
「物理的接触を伴う通路管理の範疇だ」
日本語は便利なものである。
現に法解釈班は徹夜で頑張っていた。銃刀法に引っかかる武装は禁止。火薬類も原則不可。対人兵器に転用され得る装備もダメ。しかし建機用アタッチメントは、用途が切断・把持・破砕・防護・救助なら認められる余地がある。
つまり。剣はダメだが鉄骨カッターはいい。槍はダメだが測量用伸縮ポールはいい。盾は怪しいが落下物防護板ならいい。
「大人ってずるいですねー」
陽奈が感心した顔で言うと、彬は「褒めてるのか?」と真顔で問う。
「ものすごく褒めてます。オタク的に言うと“運用思想の勝利”です」
「ちょっと変わった褒め方だな」
会議室の隅では、鉄道会社の人がげっそりした顔で俯いていた。
「駅施設は守りたいんです……壊すにしても、なるべく限定的に……」
「ああ、そこは任せてくれ。解体作業は慣れてる」
そこで湊が、ぱんと手を打った。
「ロール分担決めましょ。間坂さんが前衛機。荒川さんがメカニック兼サブ操縦。俺がマップ読みと進行判断。陽奈ちゃんが解析と機体オペね」
「指示に手慣れてんなあ」
「レイドリーダー経験豊富なんで」
「レイド……?」
「アニメではよくあります!」
「お嬢ちゃんはその一言で全部押し切ろうとするな」
作戦名は会議の末、非常に真面目な名称がつけられた。
“第一次・駅施設内危険領域限定保全作業”
そして陽奈がそこにルビをつけた。
『ファースト・ダイブ』
第二次がある前提にまた頭を抱える道夫である。
***
新宿駅西口、封鎖ゲート前。
三腕重機壱号が警告灯を回しながら前進する。結局略称が決まらず、湊と陽奈がやけに熱い激論を交わし決めた名であった。
道夫はコックピットの中で操縦レバーを握る。いつもの建機と感触は似ている。けれどカメラの向こうに見える景色が、まるで違った。
封鎖ゲートを越えた瞬間に空気が変わる。
駅の案内板は途中で古い石板に変わり、自販機の並んでいた場所に燭台があり、床の点字ブロックが淡く光っている。遠くで改札音に似た電子音が鳴った。
『間坂さん、止まって。前方三十メートルに敵』
ヘッドセットから湊の指示が飛ぶ。
『左壁沿い。四足、反射光三つ。ハウンド系。速いけど直線で詰めてくるから片腕で往なせるっす』
「なんで分かるんだよ」
『ゲームで見たやつなんで』
「お前もそれ万能ワードだな?」
ライトを向けると、それはいた。大型犬くらいのサイズで背中に電光掲示板めいた模様が走り、脚は妙に長い。顔の位置には黒い穴があって、その内側で赤と緑が点滅していた。正直めちゃくちゃ嫌だった。
『右腕で牽制、左の防護板を展開』
道夫は指示に集中し、操縦桿を倒した。左腕の防護板が展開する。右腕のグラップルを開くと、油圧の唸りがコックピットの床から伝わった。
ハウンドが走ってくる。速い。人間なら息切れする間合いを一瞬で詰めた。
四十二歳の身体能力は年相応に衰えているが、トラベラーの反応は現場で鍛えた予測と重量物を扱う時の間合いの読みを時差なく再現した。飛び込んでくる位置を先読みし、右腕を掬い上げる。
異形は防護板に激突し、弾かれて横転した。そこへ右グラップルが壁に押しつけて固定する。
「お、おい、これどうすんだ!? 潰しゃいいのか!?」
『キル数稼いでも意味ないんで、通路外に排除してください』
道夫は呻きつつグラップルで異形をつまみ上げると、脇の崩れた売店跡へ放り込んだ。異形はしばらくじたばたした後に起き上がり、石壁の奥へ消えていく。
「……戦ってないか、これ?」
『エンカウント回避ですよ。アニメだと異形を殺したせいで異次元との戦争に発展することもよくありますからね』
「これはアニメじゃねえんだよ」
『解釈の問題っすね。倒してもドロップ品があるわけでもないし、いいじゃないすか』
「お前らほんと現代っ子だな」
閉じた防火シャッターの裏に大広間があった。駅コンコースを模したような空間で、床に古い線路が走り、天井からはシャンデリアみたいに吊り革がぶら下がっている。まるっきり見覚えのない場所よりもかえって不気味だ。
『これ、ドローンで視察した時に見たパターンっす。たぶん中央を通ると囲まれます』
『左右に分岐があるので片方はループでもう片方が正解ですね。たぶん人の流れを読む構造です』
「たぶんばっかじゃねえか」
『最初のダンジョン攻略はそんなもんっす』
「そんな雑な仕事が許されると思ってんのか!」
だが実際、彼らの読みは当たった。
湊はダンジョン内の異形の残留サインを見て彼らの導線を逆算した。陽奈はモニター越しの異形の動きを見て視線誘導パターンを解析する。彬は機体負荷を計算し、道夫はそれを身体で実行した。
ゲーム脳とオタク知識、設計理論、そして現場勘。性格はともかくとして一つのチームとして噛み合いつつある。
『間坂さん、前方右の倒壊区画に設備点検班のビーコン反応あります!』
陽奈の言葉と同時に、駅ホームの残骸と石壁がねじれて塞いだ奥に小さな光が見えた。駅ダンジョンに取り残された点検員たちだ。
「待ってろ!」
道夫は左腕で梁を支えながら右腕で崩れた床材を慎重に取り除いていった。本職の動き。怪物を相手にするよりずっと落ち着く。相手が鉄とコンクリートなら、まだ話が通じる気がするのだった。
すぐに隙間ができた。中から顔を出した中年の点検員が、見慣れない三腕の重機を見上げてぽかんとした。
「た、助かった……」
「これ何……建機?」
「なんでショベルカーが助けにきたんだ……?」
「安心してくれ、俺も似たような気持ちだよ」
ダンジョンも異形も、まだ法的に“何”なのかが決まっていない。だから国は対処できないのだ、とは言えない道夫である。
その瞬間、広場ほうから警鐘に似た音が鳴り響く。嫌な音だった。ヘッドセットから聞こえてきた湊の声が妙にはりきっている。
『増援きます! たぶんボス戦すよ、これ!』
『水上くん、その言い方は。あくまでも緊急避難だ』
『どんなデザインでしょうね! 楽しみー!』
「くそ、気楽なもんだぜ」
石壁が割れ、出てきたのは――駅員帽を被った漆黒の巨人だった。正確には駅員帽に見える部位を頭に載せた異形である。身長は三メートル超。制服のような外皮を持つ腕はだらりと長く垂れ、その先が無数の紙束状になっている。胸元には発光文字が明滅していた。判読不可能だが、行先案内に似ていた。
巨人は低い電子音を鳴らし、こちらへ歩いてくる。それだけで床が揺れた。点検員たちが悲鳴をあげる。
『間坂さん、安全確保が第一だ!』
『右の柱使って支えに!』
『あの天井の吊り革落としたら視界阻害になりますよ!』
情報が一気に飛び、道夫は思わず舌打ちした。
「三人いっぺんに喋るな!」
だが手は動き続ける。柱を背にし、防護板で鞭のようにしなる腕を受け止める。すかさず右腕で天井支持材を引っかけ、大量の吊り革が巨人の頭部に絡まった。陽奈が言った通り、一瞬だけ相手の動きが鈍る。
道夫の目は地面の弱いところを見ていた。機体ごとそこへ踏み込み、腕を差し入れる。現場で土留めを崩すのと同じ動きだ。支えるのではなく、足場を奪う。
床板が割れ、巨人の片脚が沈む。体勢が崩れかけたところへ左腕の防護板を叩き込んだ。
「異物は排除だァッ!」
巨人はホーム下に広がる奈落へと転がり落ち、回送列車のような反響音を残して消えた。
『GG!』
『やったあ!』
『素晴らしい。今のは設計想定以上だ』
思い思いに喜んでいるらしいナビゲーターたちの声を聞きながら、道夫は大きく息を吐いた。
「仕事って、めちゃくちゃ疲れるよな」
「それはそうでしょうね……」
現場の呟きに救出された作業員もしみじみと頷くのであった。
***
第一回進入作業は成功した。取り残された点検員五名を救出、異形を総計三体通路外へ排除。駅施設の一部を仮復旧。そして何より、「生身では近づけない危険地帯に重機なら入れる」という事実が証明された。
世間の反応は速かった。テレビとネットが騒がしくなり、全国各地の駅ダンジョンに対して“前例”をもとに攻略班が結成される。
梅田では解体屋と測量士が組んだ。名古屋ではクレーンオペと設備会社が名乗りを上げた。池袋では地下工事業者が独自のケージマシンを作った。
国は相変わらず慎重だった。新制度は検討中。有識者会議が継続し、省庁間調整は難航。責任の所在は未だ曖昧。なので現場は今日も自力で何とかするほかない。
建設会社、鉄道会社、ビル管理会社、警備会社。彼らは合法の範囲内で装備を整えた。そして「戦闘ではなく保全作業」で押し切った。
誰かが彼らをこう呼んだ。
――冒険者。
最初はほとんど冗談だった。だが、駅ダンジョンに入り、人を助け、通路を切り拓き、時に未知の素材を持ち帰り、危険と日常の境目で働く者たちを指すには、その言葉は妙にしっくりきた。
「いやいやいや。俺は現場作業員だぞ」
「でもダンジョン潜ってるじゃないすか」
「重機で異形と戦ってるし」
「素材も持ち帰ってるしな」
持ち帰られた“素材”というのもまた厄介だった。ダンジョン由来の謎の鉱物や異形の残した外殻片、異界植物の繊維はどれも不思議な性質を持っていた。軽いのに頑丈で、電流を変なふうに通したり、振動を吸ったり。彬はその素材を活かしてさらに重機の改良を重ねていた。
ただし法律上はゴミなのか資源なのか危険物なのか、まだ決まっていない。
「ギリギリ合法というところだな」
「グレーっすねえ」
「現代社会はグレーに弱いですもんね」
陽奈の言葉に彬はただ遠い目をした。
だから彼らはまた、法の隙間を探した。危険物として厳重保管しつつ、各種研究機関へ貸与する。民間利用ではなく試験施工扱いだ。武器転用不可の基準を先に設定してから駅施設保全材として利用申請。安全という名目があれば国も許可をしやすかった。
「世界が急に変わった時に大事なのは、ルールが追いつくまでの空白をどう埋めるかですよね」
「勢いで戦うだけじゃ攻略にはなんないっすからね」
案外いいチームなのかもしれないと道夫は思う。道夫と彬は重機に強いが、ファンタジーのことは分からない。オタクとゲーマーの“世界観補強力”が実際の行動を確かに支えているのだ。
世界は変わった。だから日常のほうを、新しい現実に合わせて作り変える。
それは現場の仕事に似ていた。地盤が違えば工法を変える。図面通りにいかなければ、法と安全の範囲で手順を組み替える。
世界にダンジョンが生まれたなら、異常のある世界でも暮らせるよう、現場を回せばいい。
***
国はようやく本気で腰を上げた。ただし急速かつ大胆な改革はできない。それが国というものだ。いきなり剣と魔法の国家資格が生えるわけではないのだ。
なので、まずできたのは許可制だった。
正式名称は長すぎてたぶん誰も全部を覚えていない。要するに、政府が発行するライセンスを持つ者だけが、指定建機を用いてダンジョン危険区域へ進入し、保全・救助・排除・調査活動を行えるという制度である。
「冗談だろ……」
道夫は新しくできた看板を見上げた。東京都新宿区、旧駅前合同庁舎を改装した施設。一階に受付、二階は講習視聴覚室、三階に整備ドック。エントランスには注意書きが山ほどあり、玄関を出たところに角ゴシック体で大きく書かれている。
“冒険者ギルド・新宿支部”
もちろんその名で法案に書かれたわけではない。最初は「指定危険領域民間対応支援機構」だとか、いかにもお役所っぽい名前だった。
だが現場も世論もメディアもそんな長い名前を使うことはなく、揃ってギルドと呼び始めたせいで、最終的に愛称として公認されてしまったのだ。
「でも正式名称だと長いし、分かりやすくていいじゃないですか。かっこいいし」
「お嬢ちゃんはそればっかだな」
「支持を得やすいというのは重要ですよ」
湊は壁の未処理作業案件掲示板を吟味している。地下二層南通路の安全確認、通行導線再構築、設備班護衛。湊と陽奈はそれを「クエストボード」と呼んでいた。
非日常は消えない。だから人々は、少しずつそれを生活に組み込み始めたのだ。
***
金属光沢のある薄いカードはICチップ入り。氏名、認定区分、搭乗可能機種。ライセンスに貼付された間坂道夫の写真はやたらと真面目な顔をしていた。もっと自然にと言われたが無理だった。運転免許の更新ですら毎回ちょっと犯罪者みたいな顔になる男である。
取得に際して実技試験も行われた。指定重機による障害物除去、搬送、誘導、撤退判断。試験とは言っても所詮はダンジョン攻略を追認するための儀式に過ぎない。
「……ほんとになっちまった、冒険者」
「鉄道施設周辺危険障害物除去用多目的三腕建機が正式運用されるとは思わなかった」
「長えんだよ」
「私は思ってましたよ。利用者の少ない無人駅なんて、林業の人がトラック突っ込ませて対処してたんですって。ちゃんとした汎用機が必要なんですよ」
ちょうどその時、受付でアラームが鳴った。新規依頼の通知だ。
案件番号:SHJ-204
旧新宿駅地下三層・仮設搬送路の再確保
付随:異形群による通行妨害の排除
報酬:規定額+危険手当
「よっしゃ、間坂さん、初仕事っす!」
「べつに初じゃねえだろ、今まで何してきたってんだよ」
「今までは無認可時代なんで」
「言い方が最悪だな……」
陽奈は目を輝かせてタブレットを開いた。
「荒川さん、トラベラー二号機の塗装案があります!」
「塗装案は今いらん!」
「あとギルド所属機ならエンブレムが必要ですよね!?」
「……それはちょっと必要かもな」
「おいオタクに染まるな、設計士!」
駅はダンジョンと化したまま。異形は消えず、法律は相変わらず遅い。日常は勝手に守られてはくれない。だったら、こちらで改造するのだ。
法を折らず、でも法の隙間は見逃さず。無茶はしても無法はしない。剣が持てないならグラップルで行く。魔法がないなら油圧で押し切る。英雄じゃないなら、現場の知恵で戦う。
そして道夫はヘルメットを被る。
「んじゃ、現場行ってくるわ」
新宿支部の自動ドアが開く。封鎖線の向こうで唸る街。防護壁に囲まれた巨大な駅。かつて大いなる交通拠点だった場所、今では異界に繋がる深きダンジョン。
それでも人はそこに道を作る。何度塞がれても、何度ねじ曲がっても、帰る場所が日常の側にある限り。
たぶん冒険者ってのは、特別な力を持ってるやつのことじゃない。昨日までの常識が通じない場所へ、それでも仕事で入っていくやつらのことだ。
そして冒険者ギルドってのは、夢見物語の看板じゃない。無茶を無茶のままにせず、暮らしへ接続するための現実的な仕組みの名前だ。
***
異常は日常に勝てなかった。いや、少し違う。異常は日常に飲み込まれ、日常は異常を抱え込んだまま、前より少し逞しくなったのだ。だからこの物語の結末は世界が元に戻る話ではない。ダンジョンのある世界で、人がちゃんと生活していく話だ。
仕事帰りの道夫はギルド前の自販機で缶コーヒーを買った。夕暮れの街に防災無線が流れている。
――本日の歪み警戒情報。西側連絡路は迂回推奨。ギルド登録員は第三待機レベル。一般市民は慌てず、案内に従って行動してください。
知り、備え、働き、暮らす。そうやって人間は大抵のものに慣れていく。たとえそれが、駅の奥に口を開けるダンジョンであっても。




