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第二話 「港町の王子様」④


 呼吸が上手く出来ない。体が硬直しているのがよく分かる。アニカは目を回してしまいそうな感覚の中、必死に自分の意識をつなぎとめていた。


「本当にいい所なんですよ。今度いらしたら是非店に遊びに来てください。あ、先にご連絡いただければ、よければ時間を空けておきますよ」


「そそ、そうですね。じゃ、じゃあ今度お言葉に甘えようかし、かしら」


 柔らかな笑みを浮かべるクルトの隣に腰掛けたアニカは、真っ赤な顔でたどたどしく会話を続ける。必死に言葉を紡ぐ反面、何故こんな事態になっているのかとアニカは内心で混乱していた。


 日が明けてお仕事禁止令が解除され、いつも通りにギルドに出勤したアニカにまずもたらされたのは、ヴァッサーフォーゲルの誘拐事件が進展した、という情報である。しかも悪い方に、だ。


 前々から少女たちの消息不明は騒がれていたが、実は五人を超えるまで大事になっていなかった。それというのも、対象となる少女たちが庶民の、あまり素行のよくない娘たちであったため。「家出」という可能性が捨てきれずどこかなあなあになっていたのだ。


 しかしもはやそのようなことは言っていられない。明日よりヴァッサーフォーゲルでは漁獲祭という海への感謝を表す初夏祭りが開かれる。南西の端とはいえ観光地としては有名であるため、この時期のヴァッサーフォーゲルは国内はもちろん諸外国からの客も多い。隣町であるここヴァインシュトックにも多くの観光客が通り過ぎたり宿を取ったりしている。


 少女たちの安全、リエレット地方が誇るハンターギルドの威信、その他諸々全てにおいて、万が一そんな者たちに売られてしまったら事だ。何としても防ぐため、ハンターギルド本部は上級猟師を中心に十数人の猟師の派遣を決定。A級以上の猟師が多く在籍するヴァインシュトックであるが、今回はアニカがその第一陣に選ばれた。


 そしてそのための前準備として、レギナルトに誘拐事件についてクルトに話を聞きたいと持ちかけたのはアニカであった。又聞きであるには変わらないが、見張る側の視線と一般住民による視線というのは違ってくる。折角多くの人間と関わることが出来る者がいるなら話は聞いておきたい、というのがアニカの考えであった。


 だが、いざ話し始めると何故か会話はアニカについてやクルトの仕事についてに代わり、ヴァッサーフォーゲルがいかに良い所であるかということに流れ、今に至る。肝心のことを訊きたくともあの王子のような優しい笑顔を前にアニカの意識はあっさりと流されてしまっていた。


「あ、あの、それでですね、そのお話はそのお話で覚えていて欲しいのですけど、今はヴァッサーフォーゲルで起こっている事件について……」


「ああ、失礼。アニカさんを口説くことばかり考えてしまっていましたよ」


 社交辞令だ、と頭では分かっているものの、穏やかな笑顔と柔らかな口調にプラスして「口説く」などと言われてアニカは反射のように赤くなる。


「あ、あはは。嫌だクルトさんってば、お上手なんですから。あ――でも、その、嬉しいです。あたしこんなチビで子供っぽいし、男の子みたいだから、そういうこと言ってもらったことないんで」


 照れた様子で笑って見せると、クルトはくすりと微笑み、細いが男らしい手をアニカの頬に伸ばしてきた。


「そうですか? 俺は、アニカさん凄く可愛らしい方だと思っていますよ。確かに小柄でいらっしゃいますけど、とてもしっかりなさっている。意志の強そうな眼差しには惹かれるし、ショートヘアも似合っていますよ。それに何よりご姉妹思いの優しい方だ」


 そっと、まるで宝物に触れるかのような丁寧さで頬に触れられる。さらりと金の髪が撫でられるとくすぐったさと恥ずかしさで、アニカは僅かに俯き満面を赤く染めた。


 これは社交辞令、これは社交辞令。何度も何度も頭の中で繰り返すのに、それを嘲笑うかのように動悸が早くなっていく。慣れていないのがあからさまに分かってしまうような反応を見せるアニカを見て、クルトはまた頬を緩めた。


「――確かヴァッサーフォーゲルには今日向かうんでしたよね? 俺も今日帰るんです。もし問題なければ、よければ馬車をご一緒しませんか? まあ、他にもいるのでふたりっきり、というわけにはいきませんけど」


「そ、そうなんですか? あの、私たちも普通の馬車で行くので問題はないです。ぜひご一緒させてください」


 クルトの申し出にアニカは笑顔を咲かせる。馬車についてはアニカの一存ではなく、事実通常の定期便に乗ることになっているので問題はない、というのが彼女の判断だ。ふたりっきりにはなれなくてよかった。今理解したが、心臓がもたない。


「ああそうだ。よければファニーちゃんも連れて行きませんか?」


 重なった申し出。アニカはどきりと一瞬にして心臓を冷やす。脳内でフラッシュバックする過去の失恋の数々が、自然とその身体を硬直させた。だが、気付かないクルトは何の気負いもない笑みをアニカに向ける。


「アニカさんと違ってあまり長居は出来ないかもしれませんが、お祭りは見せてあげたいですしね。アニカさんがお仕事の時はマルクスさんや俺が面倒見ますよ」


 朗らかな笑みを浮かべられ、さらに幼馴染の名前も出されてアニカから身を冷やした汗が引き、代わりに不思議そうな表情が表に出た。


「……え? マルクス?」


「はい。この時期はいつもよりも外国から珍しい材料やアクセサリーが流れてくるから見に行きたいんだそうです。マルクスさんも今日俺と一緒に向こう行くんで、そのついでにでも。幼馴染なんですよね? 彼ならアニカさんも安心じゃないですか?」


 笑顔で問いかけられてアニカは反射のように頷く。マルクスを疑うなんて気はこれっぽっちもないし、彼はああ見えてアニカに負けず劣らずシビアで世間擦れしている。戦う能力は低いがそれに代わる術は心得ているので、確かにファニーを任せることに不安はなかった。


 しかしそんな幼馴染への信頼以上に、今のアニカの胸にはクルトがファニー目当てではないらしいことへの安堵が上回っていた。


「お、いたいた。うおーいアニカー。デトレフ爺さんが任命証出すから来いってよぉ」


 少し離れた所からトミーが声をかけてくる。やましいことをしていたわけではないが、知り合いには決して見られたくない状態だったアニカは一度身体を跳ねさせた。そして深い呼吸を一度するだけで表情を引き締める。恥ずかしい所は見せたくないというA級ハンターとしての、そして年頃の女性としての意地だ。だが何よりも、デトレフの名と、任命証の名称がアニカの気を引き締めさせた。


 デトレフ爺さんことデトレフ・アーレンスはここヴァインシュトックのハンターギルドの長である。つまり、ハンターギルド本部のトップであり現在猟師たちの中で最も高位にいる人物だ。ベルンハルトよりも年上であり、齢82にしてなお言動の機敏な男性である。


 A級ハンターであろうと、〝英雄ベルンハルト〟の孫であろうと、〝英雄〟を継ぐ者であろうと、さすがのアニカも彼に逆らう気など微塵にも起こらなかった。面倒な者の多いハンターギルドを見事まとめあげている有能な人物である。根が真面目なアニカが敬いを忘れるはずがない。


「それじゃあクルトさん、また後ほど。私は移動前の準備に入りますから」


「ええ、また後で。ファニーちゃんの件はマルクスさんに話しておきますね」


 面倒を引き受けて軽く手を振るクルトへ、アニカはにこりと笑顔を返し軽く手を振り返してその場を後にした。


 ひとりになったクルトはその場を離れようとして、そそがれる視線に気付き顔の向きを変える。そこにいたのは、アニカではなく不思議そうな顔をしているトミーであった。クルトはそれににこりと人のよい笑みを返し、改めてその場を後にする。




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