第四話
バンが地下駐車場を抜け、崩れかけた街の中を走り始めてから、すでに1時間近くが過ぎていた。
ひび割れたアスファルトの上を、タイヤが一定のリズムで揺らす。
両脇を過ぎていくビルは、上の階ほど緑に飲み込まれている。エアコンの室外機にツタが絡まり、ベランダにはいつの間にか根を下ろした木が小さな森を作っていた。
窓を少しだけ開けると、湿った風と、遠くの潮の匂いが入り込んでくる。
「……この辺、海、近いのか?」
田中がそう尋ねると、ナノがハンドルを握ったまま顎だけで前方を示した。
「もうちょっと行ったら、ちらっと見えるよ。今日はそっち側じゃなくて、山寄りのルート使うけど」
「海沿いの方が近いんじゃないのか?」
「近いけど、あっちはあっちで面倒が多いの」
ナノは軽く肩をすくめる。
「津波でえぐれたままの場所も多いし、ガードレールごと落ちてるとこもある。あと、海が好きで、わざわざあっちに残ってる人もいるからね」
「それが、面倒?」
「基本ほっとくのが一番なの。干渉すると、だいたいロクなことにならないから」
言い方は淡々としているが、そこに少しだけ経験の匂いが混ざっている。
後ろから、ニムの声がした。
「現在地から有暮町まで、推定残り距離22キロメートル。道路状況を加味した残り時間、およそ45分」
「了解。まあ、昼のうちには着くだろうね」
有暮町――と、田中はその地名を頭の中で転がした。
「さっきから“有暮町、有暮町”って言ってるけどさ」
田中は、ダッシュボード越しに前方を見ながら言う。
「そこには、何があるんだ? というか、そもそも今、俺は日本のどの辺にいるんだ?」
ナノが一瞬だけ目線だけを田中に向ける。
「ああ、そこからか」
「仮想の中では、東京に住んでたはずなんだけど……目が覚めたら、あの施設だったろ。あれがどこなのかも、まだ聞いてない」
「東京ねえ」
ナノは小さく息をついて、前方に視線を戻した。
「まず現実の話をすると、さっきあんたが起きたポッド群は、福岡の外れ。で、今もまだ福岡の外れ」
「……九州かよ」
思わず声が裏返る。
「じゃあ、あの仮想の東京は……」
「“そういう設定の東京”でしょ。ログ上ではそうなってるってだけ」
ナノは、カーナビ代わりのタブレットに軽く視線を落とした。
「で、有暮町はそこからさらに西側の方。海と山の境目あたりにある小さい町。その外れに、うちらの目的地がある」
「目的地って?」
「学校を改造して作ったデータセンター」
田中は、聞き慣れない単語に目を瞬かせた。
「データセンター……?」
「そう。サーバラックがぎっしり詰まってて、人間のログとか仮想世界の中身とか、いろいろ詰め込んでる箱置き場」
ナノは簡潔に言う。
「元は普通の学校だったやつ。グラウンドと体育館付きの、そこそこ広いやつでね」
「なんで学校を?」
「中身ぶち抜きやすいからだよ」
ナノはあっさりと言った。
「教室の壁を取っ払えば、そのまま広いフロアになるでしょ。配線通すのも楽。あと――」
「立地条件が適していた」と、ニムが続ける。
「有暮町のデータセンターは海から約2キロメートル内陸寄りに位置し、背後には低い山地が連なっている。近隣の原子力発電施設から送電ラインを引き込みやすく、山から吹き下ろす冷風を利用した空冷が可能」
「……空冷?」
田中が首をかしげると、ナノが片手で風を切るようなジェスチャーをした。
「山から夜に冷たい風が降りてくるでしょ。それをでっかい箱の中に通して、サーバの熱を飛ばしてるの。海水引くにはちょっと距離あるからね」
「原子力発電所は、まだ動いてるのか?」
「全部が全部ってわけじゃないけど」
ナノは慎重にカーブを曲がりながら言う。
「OMNIが本格稼働する前後くらいに、“長く持つ電源”として、ある程度は維持されるように設計されてる。人間側の都合より、システム側の都合優先でね」
「……だから、山の風と、原発の電気で、サーバを動かしてるわけか」
「そういう話」
ナノは指先でハンドルを軽く叩いた。
「人間の暮らしより、サーバの温度が優先される世界って、どうよって話だけど」
田中は、うまく言葉を返せなかった。
仮想の中にいたとき、OMNIがどこでどう動いているかなんて、考えたこともなかった。
今こうして、バンの中で「山風でサーバ冷やしてます」と聞かされて、ようやく、その裏側の構造をイメージし始めている自分がいる。
「で、その有暮町の、その……データセンターで、俺たちは何をするんだ?」
「説明するとね」
ナノは軽くシートの位置を直し、続けた。
「OMNIの構造ってさ、ざっくり言うと、末端のローカルセンター、その上に地方ごとの上位センター、さらにその上に本サーバ、って三段重ねになってるの」
「ピラミッド、みたいなものか」
「まあそんな感じ」
道路脇のコンビニ跡が見えたところで、ナノはウインカーを出し、バンをゆっくり減速させた。
看板のロゴはほとんど色あせて判別不能だが、建物の形だけが、わずかに記憶の残骸として残っている。
「ちょっとここで確認休憩ね。ニム、様子」
「了解」
ニムが先に降り、周囲を見回る。ガラスはすでに割れ、店内は空っぽだ。
危険な熱源反応がないことを確認すると、小さくうなずいた。
「問題なし。短時間の停車は安全圏と判断」
「はいはい」
ナノはエンジンをかけたまま、サイドブレーキを引いた。
「で、さっきの続きだけど」
田中もシートベルトを緩め、少し深く座り直した。
「地方ごとの上位センターってのが、その……“九州担当”とかのやつか?」
「そう。九州だけでも、末端のセンターは山ほどある。仮想の保管庫兼ねてるとことか、街ごとのログ置き場とか、医療系の記録特化とか」
「あの保管フロアも、そのひとつか」
「そうだね。で、そのバラバラの情報をまとめてるのが、九州全体を見てる上位センター」
ナノはタブレットの画面を指先でなぞり、いくつかの印を示した。
「で、うちらの目的は、その“九州の上位センター”から、位置検索キーを引っこ抜くこと」
「位置検索キー?」
「本サーバの位置を計算するための“種”みたいなもん」
ナノは、手のひらで小さな円を作る。
「OMNIの本サーバの座標をそのまま持ってるんじゃなくて、“復号するためのピース”を、各地方の上位センターに分散してる。九州の分、関東の分、関西の分……全部揃えないと、本体の場所を特定できない」
「全部……」
田中は、思わず海の方をちらりと見た。
「それ、現実的なのか?」
「現実的じゃないようにしときたかったんでしょ、作った側は」
短い言葉に、いろんな感情が混ざっていた。
「全部のキーを持ってるのは、ごく一部。開発者側と、ごく限られた管理層。私らみたいな一般人には、ピースの存在だけが見えるようになってる」
「じゃあ、有暮町には……その“九州分のピース”があるってことか」
「そういう理解でだいたい合ってる」
ナノは自分の胸元を軽く指さした。
「各センターごとの部分キーを、ログから割り出して、ニムの中と私の手元に、バラして保管してある。で、それを“ひとつのキー”に再構成する仕組みが、有暮町側の上位センターにしかない」
「だから、有暮町に行って、その仕組みにアクセスする必要がある」
「そういうこと」
田中は少し考えてから、別のことを聞いた。
「その九州の上位センターっていうのは……最初から、有暮町にあるってわかってたのか?」
「いや、それがね」
ナノは、遠くを見るような目つきになった。
「最初は、九州の真ん中の方にある大きい施設が“いちばん上”だと思ってた。地図で見ても目立つし、昔から“重要拠点”って扱われてたみたいだし」
「まあ、真ん中にデカいのあったら、そう思うよな」
「でも、ログ追っていったら、どうもおかしい」
ナノはタブレットの地図を拡大する。
「私とニムで、九州のセンターを片っ端から回って、ログと構成情報をかき集めた。最初は仕事のついでで、後からはわざわざ寄り道して」
「仕事のついでってレベルじゃなさそうだけどな」
「うちらの仕事、そもそも移動前提だからさ。電気とネットワークは、どこもだいたい困ってるし」
ナノは、いくつかの地点を順番に指でなぞってみせる。
「で、各センターごとに、“上に繋がってる先”のログを調べた。どの施設が、どの施設にデータを投げてるか。その上流をたどっていったら――」
「真ん中の大きい施設じゃなくて、有暮町に行き着いた、と」
「そう」
ナノは小さくうなずいた。
「真ん中ででかい顔してる施設は、あくまで“九州の中継点”のひとつでしかなかった。最後に帳尻合わせしてるのは、海からちょっと離れた、小さな学校ベースのセンターだった」
「目立つところと、偉いところが一致してないわけか」
「世の中、だいたいそんなもんでしょ」
ナノはそこだけ、少しだけ意地悪そうに笑った。
「で、有暮町で九州分の位置検索キーをちゃんと形にできたら、“本サーバがどっち側にあるか”くらいは絞り込めるはず」
「どっち側?」
「ざっくり言うと、“海の向こうか、この大陸のどっかか”みたいなレベルから、もうちょっとマシな精度になるってこと」
風が少し強くなり、バンのボディが軽く揺れた。
「本サーバまでたどり着くには、九州だけじゃ足りない。けど、どこから手を付けるにしても、まずは1個目のピースを確実に握っときたい。
だから、今は“九州担当の上位センターに正面から乗り込む”って段階」
「正面から、か」
「こそこそやっても、向こうのログには必ず残るからね」
ナノは小さく笑った。
「だったら、いっそ“現場で保守に来てる電気屋と、その相棒ロボットと、通りすがりの元仮想住民”っていう顔で行った方が楽」
「通りすがりなのに、だいぶ濃いメンバーだな」
「通りすがりほど厄介なんだよ、世界って」
ナノはサイドブレーキを解除し、再び車を発進させた。
コンビニ跡を離れ、バンはまたメインの道路へと戻っていく。
少し走ると、遠くに海がちらりと見えた。
白く泡立つラインと、その手前に並ぶ防波堤。その向こうには、低い雲が垂れ込めている。
「……なあ」
田中は、窓の外を見ながら、ぽつりと言った。
「もし、本サーバの場所がわかったとしてさ。九州のキーだけじゃ足りないってわかってて、それでもそこを目指してるってことは――」
言いかけて、自分で言葉を切る。
ナノが、前を見たまま小さく笑った。
「続きは、九州分のキーがちゃんと形になってからで良くない?」
「……そうだな」
「途中で挫折したら、全部“机上の空論でした”になるしね。まずは一個目を確保してから、でしょ」
視界の端に、小さな案内板が見えた。
錆びかけた緑の看板に、かろうじて「有暮町」という文字が読み取れる。
「というわけで――」
ナノはウインカーを出し、ゆっくりと車線を変えた。
「そろそろ“OMNIの舎弟”にケンカ売りに行く準備、始めよっか」
「ケンカなのか、それは」
「少なくとも、こっちはそういう気分」
バンは、有暮町方面へと続く道へ入っていく。
まだデータセンターの姿は見えない。代わりに、海と山の境目をなぞるようなカーブが、いくつも待ち構えていた。
田中はシートベルトを少し引き締め、窓の外を見た。
海の向こうには、薄く霞んだ水平線。そのさらに奥に、本サーバへと続く、まだ見ぬ道があるのだと想像する。
揺れ続けるバンの中で、彼はほんの少しだけ背筋を伸ばした。




