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OMNI  作者: 美味しいパフェ屋


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第三話

 休憩室の片付けがひと段落した頃には、管制室の時計はとっくに昼を回っていた。

 といっても、その時計が正しい時間を示している保証はどこにもない。ただ、ナノたちの「体感スケジュール」の目安になっているだけだ。


「じゃ、そろそろ荷物運ぶよ。田中、ついてきて」


 ナノが工具袋を肩にかけ、ひょいと扉の向こうに消える。

 ニムは無言でそれに続き、背中のラックに工具箱や予備ケーブルを固定していく。


 田中も慌てて安全靴の紐を締め直し、そのあとを追った。



 施設の奥まった通路を抜けた先に、その駐車場はあった。


 コンクリート打ちっぱなしの壁と天井。規則正しく並ぶ柱。ところどころ、塗料のはがれた駐車番号。

 天井に吊られた蛍光灯の半分は死んでいて、残りの半分はちらちらと頼りない光を落としている。


 空は見えない。ここは完全に地下だ。


「……本当に、地の底まで機械だらけなんだな」


 ぽつりと言うと、ナノが振り返らずに答える。


「上に置いとくと、いろいろ盗られるからね。人も物も」


「人も、か」


「仮想に入ってない人たちは、みんな生きるのに必死ってこと」


 ナノはそう言って、駐車枠のひとつに停められた車の側面を軽く叩いた。

 かつては真っ白だったであろう国産バンは、今はくすんだ灰色で、ところどころパネルが潰れてしまってている。


「これが、うちらの足」


「……まだ走れるのか?」


「走れるよ。一応、この施設に来るときも乗ってきたし」


 ナノはバンのボンネットを軽く指で叩いた。


「でも、ここに腰落ち着けてからは燃料節約で、ほとんど眠らせてた。今日は久しぶりのロングランだから、ちゃんと機嫌取っとかないと」


「延命措置は継続中」と、ニムが静かに付け足す。


「定期的にエンジンのみ起動し、最低限の状態維持は行っていた。だが、長距離走行はおよそ3週間ぶり」


「そういうわけ。だから今日は、機嫌うかがいからスタート」


 ナノは運転席側のドアを開け、中を覗き込む。

 運転席周りには、折りたたまれた配線図や絶縁テープ、ペンが数本、メモ用紙、空になったペットボトルがいくつか転がっている。

 それでも、足元だけはしっかり空けてあり、ペダルを踏むスペースがきちんと確保されていた。


 スライドドアの向こう、後部スペースはさらに賑やかだ。

 棚代わりに固定された金属ラックには、工具箱、巻かれたケーブル、コンジットパイプ、ブレーカーの予備、結束バンドの山。床にはポリタンクと、用途不明の部品箱が隙間なく詰め込まれている。

 その中に、ニムが座り込めるだけの細長いスペースが無理やりこじ開けられていた。


 ニムがバンに乗り込むと、頭上には拳一つぶんほどの余裕しかない。立ち上がることはできないが、座っているぶんには問題なさそうだ。


「ニムはいつも通り後ろね。前、入らないから」


「了解」


 ニムは側面のスライドドアを開け、慎重に機体を滑り込ませた。金属同士が擦れ合う音が、車内に短く響く。


「田中は助手席。シートベルト生きてるか、まず確認」


「了解、でいいんだよな」


 田中は助手席のドアを開け、ぎこちなく座り込んだ。

 シートからは古い布と、かすかに油と金属の匂いがした。足元には、巻尺とドライバーが1本転がっている。


 シートベルトを引っ張ると、一瞬つっかえたあと、なんとか伸びる。


「ギリギリセーフだな」


「切れてなきゃ勝ちだから」


 ナノは運転席に乗り込み、慣れた手つきで足元を確認した。クラッチ、ブレーキ、アクセル。

 何度も交換された形跡のあるペダルゴムが、使用頻度を物語っている。


「まずは燃料チェック。ニム」


「了解」


 ニムがバンの後部に回り、積んであったポリタンクをいくつか持ち上げる。中身の揺れる音が、ちゃぷん、と低く響いた。


「有効ガソリン量、およそ60リットル。現在のタンク残量と併せた総走行可能距離は、およそ360キロメートル。想定燃費は1リットルあたり約6キロ。現状の移動計画なら、当面は問題なし」


「ね? ここにしばらく滞在してた意味あるでしょ」


 ナノが田中の方をちらりと見る。


「この辺一帯の、使えそうな燃料はだいたい回収した。あとは向こうのコミュニティに渡す分、ちょっとだけ残してるけどね」


「コミュニティ?」


「さっきのフロアの管理してる連中とか、その周りの住人とか。完全にバラバラだけど、最低限のルールはある」


 ナノはそう言いながら、キーを差し込んだ。


「がっつり奪い合うと、結局自分の首締まるからさ。だから、“見つけた分の何割かは共有”とか、“電気回線直してくれた奴には優先で分ける”とか、そういう取り決め。ちゃんと守るかどうかは、その場次第だけど」


「……法とか、じゃなくて?」


「そういうのは、だいたいOMNI側の帳簿の中にあるでしょ」


 ナノは肩をすくめる。


「こっちはこっちで、自分らで決めて、自分らでどうにかしてるだけ」


 キーが回される。

 少し間をおいてから、エンジンがかろうじて目を覚ました。最初の数秒は不安定な振動が続き、そのうち回転が落ち着いていく。


「……動くんだな」


「ちゃんと整備してるからね、誰かさんのおかげで」


 ナノはにやりと笑う。


「電気もそうだけどさ。ここらで“何もしないで食っていける人”なんて、ほとんどいないよ。何か直したり、運んだり、作ったり、守ったり。何かしないと、電気も水も飯も手に入らない」


「じゃあ、“何もしなくていい人”は?」


「だいたい仮想の中で寝てる」


 言い切り方は、妙にさっぱりしていた。


 田中は、ハンドルを握るナノの横顔をちらりと見る。

その目は前方のスロープをまっすぐ見ていて、そこに迷いは見えなかった。


「ニム、後部ドア閉める。荷物固定の再確認を」


「了解。固定用バンド、再緊結……完了。走行中の荷崩れリスク、許容範囲内」


「よし。じゃ、行きますか」


 ナノは軽くアクセルを踏み、ゆっくりとハンドルを切る。

 バンはきしむような音を立てながら駐車スペースを抜け、出口表示のある通路へと進んでいく。



 地下駐車場の空気は、ひんやりと湿っていた。

 柱の間を抜けるたび、蛍光灯の明かりが前方の床を押し出すように移動していく。


「この車、どこで手に入れたんだ?」


 田中がそう尋ねると、ナノはミラーを確認しながら答える。


「元々は別の人の。ここの近くのコミュニティにいた人が乗ってたらしいけど、だいぶ前に“向こうに行く”って決めて、自分から仮想に入ったって話」


「自分から、か」


「生活回らなくなって、仮想の保護枠に入れてもらうしかなかったって感じらしいけどね。よくある話」


 ナノは少しだけ唇をゆがめる。


「持ち主が戻ってくるなら返すよ。戻ってこないなら、動かせる人間が動かした方がマシ」


「勝手に使って、大丈夫なのか?」


「動かない車は、ここじゃただの置物だから。置物は飯にならない」


「シビアだな……」


「世界がそうだからね」


 ゆるやかなカーブの先に、「出口」と書かれた案内板が現れる。

 ナノはギアを落とし、スロープに鼻先を向けた。


「ニム、上の状況」


「確認中……」


 少しの間をおいてから、ニムの声が返る。


「地上出入口付近、熱源反応少数。大型個体なし。移動経路上に危険な障害物は検出されていない」


「了解。じゃ、そのまま出る」


 バンは低い唸り声を上げながら、暗いスロープを登っていく。

 天井の蛍光灯が少しずつ後ろへ流れ、やがて、その先にわずかな明るさが見えてきた。


 それは蛍光灯の白ではない。

もっと柔らかい、少し黄味がかった光――本物の、外の光だ。


 スロープの頂点を越えた瞬間、視界が一気に開けた。


 コンクリートの縁を抜けたバンのフロントガラス越しに、夏の空と街の輪郭が飛び込んでくる。

 雲の多い空は、仮想世界のように鮮やかではない。どこか白っぽく霞んでいて、じっとりとした熱気がフロントガラス越しにも伝わってくる。


 高層ビル群の側面には、使われなくなった階層からツタや雑草があふれ出していた。

 割れた窓からは樹木の枝が顔を出し、屋上には勝手に生えた緑がこんもりと盛り上がっている。逆に、今でも人が出入りしているらしいフロアだけ、窓ガラスが生きていて、外壁のツタが途中で切り払われていた。


 風に揺れる葉の塊が、ひび割れたコンクリートと並んで視界を流れていく。

 遠くで、セミの鳴き声がかすかに聞こえた気がした。


「……これが」


 田中は、思わず言葉を失った。

 仮想世界の空は、いつも程よく青く、雲はバランスよく配置され、光の当たり方も完璧だった。


 目の前の夏の空は、そうではない。

湿った空気は重く、色もくすんでいる。それでも、そこには確かに距離があり、奥行きがあり、熱と風の重さがあった。


「期待外れだった?」と、ナノが聞く。


「……いや」


 田中は首を振る。


「綺麗じゃないけど、ちゃんと“遠い”」


「変な感想」


 ナノは笑い、バンをゆっくりと路面に乗り上げさせた。

 舗装の剥がれた道路の上を、サスペンションが不満げに軋みながら進んでいく。


「ナノ」


 後ろから、ニムの声が飛ぶ。


「現在位置から目的地、北緯33.4729895度・東経129.8731924度まで、およそ44.6キロメートル。道路状況を加味した推定移動時間は1時間30分前後」


「了解。田中、左側見てて。人影とか動くもんいたら教えて」


「ああ、わかった」


 口ではそう言いつつも、田中の内側では、仮想では味わったことのない種類の揺れが、じわじわと効いてきていた。

 微妙な加速、減速。路面の凹凸。タイヤが瓦礫を踏む感触が、シートを通じて腰に伝わってくる。


「なあ、ナノ」


「何」


「さっき、“ここで何もしないでいい人はいない”って言ってたろ」


「言ったね」


「それでも、仮想に入らずに、ここで生きる方を選んだのは、なんでなんだ?」


 ナノは、少しだけハンドルを握る手に力を込めた。


「選んだ、っていうほど、かっこいい話じゃないよ」


 しばらくの沈黙のあと、ナノはフロントガラスの先をじっと見たまま、ぽつりと言う。


「枠がどうこうって話は、まあ、いろいろあったけどさ」


「枠?」


「仮想に入るとか入らないとか、“用意されてる道”ね」


 ナノは、曖昧に笑った。


「どっちが正解とか、考え出すとキリないでしょ。気づいたら、こっち側で電気いじって生きてく前提で動いてただけ。そういう意味では、ちゃんと選んだのかどうかも怪しい」


「選ばなかった、ってことか?」


「かもね」


 ナノは、ハンドルを軽く握り直す。


「父さんがこっちで電気いじって、物直して、その代わりに飯もらっててさ。私は、それが“普通”だと思ってるだけ」


 田中は、その言葉を胸の中で何度か転がした。

 そこには、さっきまでとは少し違う、触れてはいけないような気配が混ざっている。


「田中はどうすんの?」


「俺?」


「うん。こっち側に出てきたってことはさ、“何かする側”に回ったってことになる。

 電気覚えるでもいいし、車の整備でもいいし、他のコミュニティとの交渉役でもいい。何しないで、っていう選択肢は、ほぼないよ」


 即答はできなかった。

 バンの窓の外を、知らない建物の廃墟と、そこに絡みつく緑が次々と流れていく。


「……今はまだ、わからない」


 ようやく出てきた答えは、それだった。


「ただ、仮想にいた時みたいに、“決められた予定をこなしてるだけ”には戻りたくない。

 何かするにしても、できれば自分で選んでやりたい」


「いいじゃん、それで」


 ナノはあっさりと言う。


「今すぐ全部決めなくていいから。とりあえず、今日の仕事は“ここからあそこの目的地まで無事に辿り着くこと”。それが終わったら、また次の仕事決める」


「忙しいな」


「何もしなくていい世界の方が忙しいよ。あれこれ考えないように、自分の頭を黙らせなきゃいけないから」


 その言い方には、少しだけ棘があった。

 けれど、それは田中に向けられたものではなく、もっと大きな何か――OMNIそのものに向いているように聞こえた。


「ニム、前方」


「確認済み。交差する車両なし。路面に大きな障害物なし」


「了解。田中、左側、ちゃんと見ててね」


「見てるよ」


 頼まれて初めて、田中は自分が「何かを任されている」ことを意識した。

 ただ景色を眺めているだけではなく、左側の建物の影、崩れたフェンスの隙間、遠くの交差点を注意して見る。


 仮想世界では、危ないものは最初から排除されていた。

 ここでは、危ないものが普通に転がっている代わりに、それを見つける役目が、自分にも割り振られている。


 その事実が、ほんの少しだけ胸の奥を軽くした。


 ――何もしなくていい世界から、何かをしなきゃいけない世界へ。


 バンは、ひび割れた道路とそこに絡みつく夏草の上を揺れながら、それでも前へと進んでいく。

 その揺れに合わせるように、田中の中で少しずつ、「自分で決めて動く」という感覚が育ち始めていた。


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