第十六話
目的地の周辺で小さな仕事を拾いながら、1週間が過ぎた。
配線の引き直し、発電機の点検、壊れかけたインバータの交換。どれも派手じゃない。けれど、動いている施設が少ない今は、派手じゃない仕事ほど人を生かす。
そして約束の日が来た。
ナツキから届いた短いメッセージは、座標と一言だけ。
「データセンターの復旧!集合!」
ナノは画面を見て、鼻で息を吐いた。
「……データセンターか」
田中が運転席から視線だけ投げる。
「嫌いなんだっけ」
「好きじゃない」
ナノは即答した。
「人を甘やかす。現実から遠ざける」
ニムが淡々と補足する。
「ただし、インフラ面の寄与は大きい」
「……分かってる」
ナノは少しだけ間を置いて続けた。
「高圧の管理、ほとんどあそこがやってる。事故率も限りなくゼロ……それは、認める」
田中は、ハンドルを握り直した。
「嫌いでも、必要ってやつか」
「必要」
ナノは短く言って、窓の外へ目を戻す。
「だから、やる」
⸻
集合地点は山際の平地だった。フェンスの向こうに、低い建屋が並び、太いケーブルが地中へ吸い込まれている。
看板は半分剥げていたが、「DC」の文字だけは辛うじて読めた。
「おーい!」
ナツキが先に気づいて、大きく手を振った。
相変わらず明朗快活で、声が場の空気を軽くする。
「1週間、おつかれ! 顔が“やっと本番だ”って顔してる!」
「ほらほら、入るよ。今日の相手、でかい!」
ナツキの隣には、保守担当らしい男が立っていた。
作業着の袖は擦り切れ、目の下に薄い影がある。睡眠の足りない顔だ。
「頼む」
男は言った。声が乾いている。
「復旧できないと、県全域の保守が間に合わない。周辺の高圧配電、今はギリギリだ」
ナツキが肩を叩く。
「任せときなって。電気屋が2人、ロボが1体、運び屋が1人。最強パーティじゃん」
「最強かは知らない」
ナノがぼそっと言うと、
「そこ、否定しないで」
ナツキは笑った。
ニムがフェンス内を走査する。
「設備状況:外周配電盤に損傷痕。高圧受電系統、復旧未完了。作業計画の策定を推奨」
男が頷いた。
「PASが飛んだ。そこから先は生きてるが、切り離しが効かない。まずは安全側に寄せたい」
「了解」
ナツキが即答した。
「じゃ、分担ね。私とニムでPAS交換。ナノと田中は電気室内、トランス周りの結線やり替え。いける?」
ナノは一拍だけ黙って、頷く。
「いける」
田中も頷いた。
言葉より先に、手順が頭に並ぶ。危険の種類も、逃げ道も。
⸻
フェンスの中は、空気が少し違った。
機械油の匂いと、乾いた金属の匂い。
そして、音が少ない。稼働していない施設特有の、静かな重さ。
ナツキとニムは、外周の柱上に近い設備へ向かった。
PAS――高圧気中開閉器。これが死ねば、高圧側の切り離しができない。
「ニム、支える。私、外す!」
ナツキは軽い声のまま、動きは速い。
「……ほんとさ、こういう時だけ真面目だよね、私」
「常時真面目です」
ニムが淡々と返した。
「それ、言われるとムカつくな!」
ナツキが笑い、ボルトを回す音が乾いた空気に響く。
一方、ナノと田中は電気室へ入った。
中は狭く、床のグレーチングの下にケーブルが走っている。
トランス本体は生きている。だが、焼けた痕が結線部に残り、端子台の絶縁部が傷んでいた。
「交換じゃない」
ナノが言う。
「本体は使える。配線、やり直す」
「焼けたのは端子側か」
田中が覗き込み、焦げた被覆を指で示す。
「うん」
ナノは頷いた。
「ここ、噛んでる。あと締めが甘い。振動でずれたかも」
田中は小さく息を吐く。
「……知識の無い奴が誰か触ったな」
「今はよくある」
ナノは淡々と答えた。
「努力してるだけ立派。責めない。直すだけ」
作業は淡々と進んだ。
停電確認、接地、検電、短絡、保護具。
端子台を開け、焼けたケーブルを切り戻し、圧着端子を付け直す。
圧着の感電防止カバーを戻し、結線を図面に合わせて組み替える。
「田中、そっち持って」
ナノが言う。
「了解」
田中がケーブルを支え、ナノが締める。
締め付けトルクを確認し、マーキングを入れる。
結線がひと通り終わったところで、ナノが息を吐いた。
「……終わり」
田中は汗をぬぐう。
「思ったより早かったな」
「高圧はスピード命。ノーミスが理想」
ナノは短く言って、工具を収めた。
そして、手元のボルトを1個落とした。
金属音が床に跳ねる。
「……あ」
ナノが小さく止まる。
田中は思わず笑いそうになって、咳払いで誤魔化した。
「今の、見なかったことにしとく」
「見てたんじゃん」
ナノが、少しだけむっとする。
でも、その顔は年相応に見えた。
⸻
全工程が終わり、保守担当の男が点検に入った。
テスターの針が動き、チェックリストにペンが走る。
「……よし」
男が呟いた。
「通る。系統、戻せる」
ナツキが親指を立てる。
「ほらね! 最強パーティ!」
田中は、そこで気が抜けた。
肩の力が落ちる瞬間は、いつも遅れて来る。
足元の土嚢袋。靴底が少し滑った。
次の一歩が、ほんの数センチずれた。
「——っ」
田中の視界が傾く。
手が、反射で壁に伸びる。
そこがどこか分かっているのに、体は勝手に“支え”を求める。
高圧部。
指先が触れる寸前、影が割り込んだ。
ニムが、田中を押し戻した。
金属の腕が、強引に距離を作る。
同時に、乾いた破裂音がした。
ぱん、と。
空気が弾けた音。
田中の腕に、熱の風が当たった。
鼻の奥に、焼けた匂いが刺さる。
ニムの体が、一瞬だけ硬直して止まった。
胸部の青いランプが、沈黙する。
「ニム?」
ナツキの声が、明るさを失う。
それでも取り乱さないでいようとして、失敗した声だった。
ニムは動かない。
返事もない。
「……ニム」
田中は、自分の声が変な高さになるのを自覚した。
「おい、俺、今——」
言葉が続かない。
自分が何を招いたのかを、口にするのが怖い。
「田中!!」
ナノが駆け寄った。
普段の冷静さが剥がれている。声が揺れている。
「なんで手、出したの! そこ、触ったら——」
ナノは途中で言葉を切った。
ニムの沈黙が、現実の重さで迫ってきたからだ。
ナツキが歯を食いしばって、でも声だけは上げないように言う。
「……田中、下がって」
「ナノ、ニムを見て。私、保守さんと遮断確認する」
保守担当の男は青ざめていた。
点検表を落とし、手が震える。
「まさか……」
男が絞り出す。
「まさかじゃない」
ナツキが言う。明朗快活な声じゃない。
「今は、二次災害止める。余計なこと言わない」
ナノはニムの前に膝をついた。
触れる手が少し震えている。
いつもなら、まず状況を整理してから触るのに。今日は順番が崩れている。
「ニム、返事して」
ナノが言った。
「……お願いだから」
返事はない。
沈黙だけが、空気を固める。
田中は、立ち尽くしたまま、指先の冷たさを見つめた。
さっき触れそうになった場所。
ニムが代わりに受けたもの。
背中の奥が、遅れて震え始める。
誰も、次の言葉を見つけられなかった。
データセンターの復旧は終わった。
なのに、終わっていないものが、そこに残った。




