表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
OMNI  作者: 美味しいパフェ屋


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/19

余談閑話一

 硫黄の匂いが、まだ鼻の奥に残っていた。

 それでも朝は来る。体は重いが、昨日よりは動く。


 ナノは荷物をまとめながら言った。


「今日は移動だけ」

「まずは目的地周辺まで一気に移動する」


 ニムが淡々と返す。


「本日の優先タスク:移動。危険行動の回避を推奨」


 田中は車のドアを開け、冷たい空気を吸った。

 温泉でほどけた筋肉が、また少しずつ固まっていく。けれど、昨日の嫌な臭いは薄まっていく。

 それだけで十分だった。


 エンジンがかかり、道路の継ぎ目がリズムになる。

 山を抜け、街を抜け、海沿いへ出る。


 車内は、妙に静かだった。

 静かすぎて、逆に落ち着かない。田中は口を開く。


「……ナツキとの合流地点は?」


「あとで連絡するって」

 ナノは前を見たまま言う。

「多分、夕方くらい」


「ナツキは連絡の延滞が得意」

 ニムが短く添えた。


 田中は小さく笑いそうになってやめる。

 こういう時に笑う癖は、まだ馴染んでいない。


 しばらく走って、ナノがふいに言った。


「田中、さっきから窓見てる」


「見てるだけだよ」

 田中は返す。

「現実の景色って、情報が多いなって思って」


「情報量、好きじゃん?」

 ナノは少し砕けた声で言った。

 その言い方が、昨日より少しだけ柔らかい。


「好きっていうか……慣れてない」

 田中はハンドルを握り直す。

「全部“本物”だから。処理が追いつかない」


「へえ」

 ナノは短く笑った。

「じゃあ、今日は慣れる日」


 ニムが淡々と結論を補足する。


「移動日は環境学習に適する」


「お前はいつもそれっぽいこと言うな」

 田中が言うと、


「報告は常にそれっぽい」

 ニムは平然と返した。


 車内に、短い笑いが落ちる。

 ナノが、ほんの一瞬だけ肩を揺らした。らしくない。


 田中はその揺れを見て、少しだけ気が軽くなった。

 そして、気軽になった勢いで聞く。


「そういえばさ。ナノって趣味とかあるのか」


 ナノが一拍、黙る。

 考えたというより、“そんな質問されると思ってなかった”間だ。


「趣味……」

 ナノは窓の外を見た。

「孤児院では、アニメ見るのが好きだった」


 田中は思わず声を漏らした。


「……アニメ?」


「なに」

 ナノが横目で見る。

「意外?」


「意外っていうか……」

 田中は言葉を探す。

「ナノはいつも工具とかケーブルとか、仕事しか頭にない感じだったから」


「失礼」

 ナノは即答した。

 でも、口調は硬くない。


「嫌な時さ」

 ナノが続ける。

「画面の中は、ちゃんと話が進む」

「原因があって、解決があって、終わる」

「現実みたいに、放置されない」


 田中は、返す言葉を一度飲み込んだ。

 “孤児院”という単語が、車内で少しだけ重い。


「……どんなのが好きだった?」


「昔のやつ」

 ナノはあっさり言う。

「大昔に流行ったやつ。ロボが出る」


「ロボ?」


 ナノは、そこで珍しく言いにくそうに口をすぼめた。

 そして、ぽつりと言った。


「お願い」

「どうしても行きたいとこがある」


 田中は思わず、横を向いた。


「……行きたいとこ?」


「山口県の下の方」

 ナノは指で地図をなぞるように、空中を軽く叩いた。

「池の近く。でっかい槍が刺さってる」


 田中は一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「……槍が刺さってる?」


「刺さってる」

 ナノは真顔で繰り返す。

「モニュメント」


 ニムが淡々と補足する。


「目的地候補:山口県南部。ランドマーク:大型槍形状構造物。観光モニュメントの可能性」


「ニム、もう分かってるのかよ」

 田中が言うと、


「検索結果は未参照。推定」

 ニムは平然と返した。


 田中は息を吐いて、笑いを諦めた。


「……それ、なんの槍なんだ?」


 ナノは少しだけ口角を上げた。

 子どもっぽい笑い方じゃない。けれど、隠しきれない“好き”が出ている。


「昔のアニメのやつ」

「なんか、超すごい槍」

「超すごい以外説明できないんだけどね」


「意味わかんなそうなアニメだな」

 田中が言うと、


「分かんないから良いの」

 ナノは即答した。

「嫌な時、あれ見てた」

「分かんないことで頭の中がいっぱいになるのが良かった」


「極端だな」


「極端な方が効く」

 ナノは砕けて言う。

「田中も、やってみたら?」


「今の生活がある意味それだな」


 目的地までの道は、思ったより遠回りだった。

 それでも田中は何も言わなかった。

 ナノが“お願い”と言った時の声が、やけに珍しかったからだ。


---


 山口県の南側。風の音が水面から伝わってくる。

 池の縁に、唐突にそれは立っていた。


 大きな二股の槍。

 空に向かって、まっすぐ。

 地面に“刺さっている”という表現が、冗談じゃなく正しい。


「……ほんとに刺さってるな」

 田中が呟く。


「でしょ」

 ナノの声が、少しだけ弾んだ。


 車を降りたナノは、早足だった。

 いつもなら段取りを確認してから動くのに、今日は違う。

 ニムは少し離れて周囲を見張り、田中はその後ろを歩いた。


 槍の根元には、プレートが埋め込まれている。

 説明文があるが、色褪せて読みにくい。


 ナノは読めない部分を気にする様子もなく、槍を見上げた。

 その目が、わずかに光っている。


「これ」

 ナノが言う。

「見たまんまだ」


 田中は横顔を見た。

 普段は冷静で、作業の判断が早くて、言葉も切れる。

 なのに今は、ただの“見学者”だった。


 ナノは何十分も、何も言わずに槍を見ていた。

 風が髪を揺らしても、視線が動かない。

 その静かさが、子どもの集中に見えた。


 ふいにナノが言う。


「孤児院でさ」

 いつもより少しだけ、言葉が長い。

「嫌な日、あった」

「夜とか。眠れない日とか」


 田中は、黙って聞いた。


「そういう時、あれ見た」

 ナノは槍を指さした。

「画面の中なら、世界が終わりそうでも、ちゃんと次がある」

「……だから、私も次があるって思えた」


 田中は喉の奥で息を止めて、ゆっくり吐いた。


「……そっか」


「田中は?」

 ナノがこちらを見る。

「田中も、なんかある? 落ち着くやつ」


 田中は一瞬、言葉を迷った。

 “仮想で育った”というのは、落ち着く場所そのものが違う。


「俺は……」

 田中は正直に言った。

「落ち着く場所が、最初から仮想だった」

「だから今、こういうのが落ち着くって言えるの、ちょっと羨ましい」


 ナノは少しだけ眉を上げた。

 それから、いつもの調子に戻すように言う。


「じゃあ、これからそういう場所見つけてこ」

「一旦、田中も見ときな。意味わかんないやつ」


「その言い方で見るわけないだろ」

 田中が言うと、ナノは小さく笑った。


 その笑いは、子どもっぽくはない。

 でも“好きなものの前でだけ出る顔”だった。


 田中は思った。

 ナノは大人びて見える。

 けれど、こうして目を輝かせる瞬間がある。ちゃんと、年相応の部分が残っている。


 少しだけ、安心した。


---


 車に戻る前、ナノはもう一度だけ槍を見上げた。

 それから、ぽつりと言う。


「先に進もう」


 田中は頷いた。


「1週間後の現場な」


「うん」

 ナノは短く言って、歩き出す。

 足取りは、さっきより少し軽い。


 ニムが淡々と合流する。


「移動を再開。次目的地:合流地点」


 車が再び走り出す。

 窓の外で、刺さった槍が遠ざかっていく。


 田中はバックミラーを見た。

 小さくなるモニュメントの影を見ながら、胸の中に残るものを確かめる。


 ナノの“好き”の輪郭。


 道はまだ長い。

 でも今日だけは、少しだけ進みやすかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ