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OMNI  作者: 美味しいパフェ屋


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第十三話

 扉に背中を預けた田中は、もう一度だけ押した。

 硬い膜が手のひらを返す。金属の冷たさじゃない。押し返してくる“ルール”だ。


「……閉じてる」


 ナノの低い声が、倉庫の空気を切った。


 倉庫は倉庫のまま。壁も床も形は変わらない。

 ただ、表面を走る白い薄線が、視界の端で微かに脈打っている。目の錯覚みたいに。けれど錯覚じゃない。


 川上が笑って、一歩踏み出した。


 その足音が、やけに近い。

 距離は同じはずなのに、詰められた感じだけが先に来る。


 ナツキが舌打ちをした。


「……気持ち悪い。空気が張ってる」


 ニムが淡々と報告する。


「境界内の応答特性、変化。運動に対する補正の可能性」


 川上は軽く肩を回した。

 さっき床に転がっていた体とは思えないほど、滑らかだった。


「いい顔だ。そう、その顔が見たかった」


 川上はただ息を吐いた。

 それだけで倉庫の静けさが一段落ちる。波音はさらに遠のき、空気が薄い膜に包まれたみたいに感じる。


 田中は、ごくりと唾を飲んだ。

 視界が澄みすぎている。焦点が合うのが早い。体が軽い気がする。――いや、軽く“感じさせられている”。


 川上がナノへ向けて言った。


「上位キーってのは便利だ。場を作れる。ルールも敷ける。あとは――」


 川上が口角を上げる。


「自分の想像の範囲で、好きに動ける」


 次の瞬間、川上が消えた。


 違う。消えたように見えただけだ。

 床を蹴る音が遅れて届く。視界が追いつく前に、川上の拳がナノの腹へ沈んだ。


 鈍い音。


「ごふっ……!」


 ナノの体がくの字に折れた。

 呼吸が途切れる。足が滑り、膝が床へ落ちる。


「ナノ!」


 田中が叫ぶより早く、ニムが前へ出た。


「防衛行動を実行」


 ニムの腕が川上の次の一撃を受け止める。金属がぶつかる硬い音。

 だが川上の動きは止まらない。ニムのガードの外へ回り込む速度が、変だ。角度が変だ。人間の動きじゃない。


 ナツキが突っ込んだ。

 踏み込みが深い。拳がまっすぐ伸びる。


「おい、調子乗んな!」


 川上が、笑いながら受け流した。


 受け流しが“軽い”。

 ナツキの拳が当たる直前で、ほんの数センチだけ位置がずれる。風が抜ける。ナツキの体が前へ持っていかれる。


「っ……!」


 ナツキが踏みとどまった瞬間、川上の肘が襲う。

 ナツキは腕で受ける。受けたのに、足が半歩滑った。


「なにそれ……!」


 ナツキが歯を見せる。強いのに、上回れない。

 ニムも同じだった。前に出るほど、防戦になる。


 ナノは床に片手をついたまま、動けずにいる。

 腹を押さえ、息を取り戻そうとしているのに、空気がうまく入らない。


 田中は自分の心臓の音を聞いた。

 速い。怖い。けれど、その怖さの中に――ひとつだけ、妙な既視感が混じった。


 川上の踏み込み。

 距離の詰め方。

 回り込みの角度。

 そして、攻撃の“当たり判定”みたいな不自然な正確さ。


 田中の頭の奥で、疑問が形を持つ。


(……似てる)


 田中が長い時間を過ごしてきた場所。

 現実の身体の制約が薄く、自分の想像が動きになる場所。仮想の格闘ゲーム。


(バーチャルファイターズ……)


 田中の息が、少しだけ整った。

 あのゲームは、奇妙な自由があった。現実の筋力じゃない。自分が思い描ける範囲で、動きを“変える”ことができた。速さも重さも、踏み込みの深さも。


 そして――上手いやつは、それを“当たり前の呼吸”でやる。


 田中の疑問が、確信に変わる。


(ここは、バーチャルファイターズを模倣したフィールドだ)


 川上が笑って、ニムをいなす。

 ナツキが追いすがる。

 なのに届かない。


 田中は前へ出た。


「田中、下がって!」


 ナツキが叫ぶ。

 ニムも、無機質な声で止める。


「非戦闘員。後退を推奨」


 ナノも床から顔を上げ、かすれた声で言った。


「……来ないで。大丈夫だから……!」


 田中は答えなかった。

 代わりに、息を吸う。胸の中で、あのゲームの距離感を思い出す。


 川上が田中を見て、目を細めた。


「ほう。君が来るのか。――いい。弱いのが前に出る瞬間が、一番好きだ」


 川上が飛んだ。

 さっきナノを沈めたのと同じ踏み込み。


 田中は――避けた。


 避けたというより、最初からそこにいなかった。

 半歩、斜め。バーチャルファイターズの“基本”の角度。


 川上の拳が空を切る。

 田中の体は勝手に動いているんじゃない。動かしている。頭の中の枠組みで。


(当たり判定は、ここだ)


 田中の拳が、川上の脇腹へ入った。

 手応えが薄い。でも、川上の肩が跳ねた。


 川上の表情が変わる。笑いが消える。


「……おかしいな」


 田中は言った。


「これ、バーチャルファイターズだろ」


 川上の目が、ほんの少しだけ見開かれた。


「……知っているのか」


「好きだった」


 田中は自分でも驚くほど冷静に続けた。


「ダイヤモンドにいた」


 “上の下”。胸を張れるほどじゃない。天才でもない。

 ただ、長い時間そこで殴られて、殴り返して、負け方と勝ち方だけは体に染みてる。


 川上が舌打ちした。


「面倒だな。仮想帰りの人間がいたとは」


 川上の動きがさらに速くなる。

 速い。だが、速さの“理屈”が見える。


 田中は下がらない。

 足を置く場所、距離、角度。先に“枠”を作って、そこに現実を押し込む。


 田中の回し蹴りが、川上の腕に当たった。

 川上が一歩引く。そこで初めて、ナツキが信じられない顔をした。


「……田中、なにそれ」


 ニムも報告する。


「田中の運動最適化を確認。フィールド適応、上昇」


 ナノは床から、呼吸を取り戻しながら見ている。

 驚きと困惑が混じった顔だ。


「……なんで、動けるの」


 田中は答えない。答えている暇がない。


 川上が焦り始めたのが分かった。

 攻撃が荒くなる。間合いが短くなる。詰めすぎる。


(……焦ってる)


 田中はその焦りに合わせない。

 合わせたら負ける。相手のリズムに乗った瞬間に崩れる。


 田中は一度だけ、わざと遅れた。

 川上が勝ちを確信して踏み込む。


(来る)


 田中は、その一撃を受け流す。

 そして、川上の体が前へ出た“ほんの隙”を作る。


「今!」


 田中の声に反応したのは、ナツキだった。


 ナツキは、理屈じゃなく体で動く。

 川上の背後へ回り込み、ためらいなく拳を叩き込んだ。


 乾いた音。


 川上の体が前へ投げ出される。

 田中はそこへ、もう一撃を重ねた。踏み込みは浅く、確実に。


 川上が床に膝をついた。


「……くそ」


 笑いが、完全に消えていた。


 倉庫の空気が、少しだけ戻る。

 薄い膜の圧が緩む。白い線が弱くなる。


 ナツキが肩で息をして、笑った。


「やった……やったじゃん。田中」


 ニムが淡々と告げる。


「対象、行動停止に近い。確保可能」


 ナノは腹を押さえたまま、ゆっくり立ち上がろうとする。

 目が田中を捉え、短く言った。


「……ありがとう」


 田中は頷いた。

 勝った感覚は薄い。ギリギリだった。

 けれど――終わったのは殴り合いだけだ。上位キーも装置も、まだここにある。


 川上が顔だけを上げ、唇を歪めた。


「……やっぱり、強いやつを頭で殴るのは楽しい」


 その言葉が、倉庫の膜の中で妙に響いた。


 田中は落ちたケースへ視線を移した。


 息を整え、次に何をするか――それを考えられるだけの静けさが、ようやく戻ってきた。


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