第十一話
足音が近づく。
ナノは息を殺し、モンキーを振りかぶった。
田中は反射で一歩引き、ニムは扉の蝶番を注視する。
次の瞬間――扉が、外から押し開けられた。
「おっと!」
明るい声が飛んだのと同時に、背の高い影がするりと横へ滑った。
モンキーは空を切り、金属音だけが室内に乾いて響く。
「ちょ、ナノ! 私! ナツキだって! 危なっ!」
背の高い女が大きく手を振った。褐色の肌に、髪はきゅっとまとめたポニーテール。少し筋肉質で、動きがやけに大きいのに切り返しは速い。つなぎ姿で、工具と油の匂いまで連れてきたみたいだった。
笑い声のまま、ずかずかと中へ入ってくる。扉を半開きにしたまま、後ろ手で適当に閉めようとして――閉まらない。
ナノの肩から力が抜ける。モンキーの先が床すれすれで止まった。
「……入ってくるなら、連絡して」
「したかったよ。電波が死んでるんだもん。ここさぁ、ほんと箱の中」
田中は口が半開きのまま、2人を見比べた。
「知り合い……?」
「知り合いどころか、こっちの子らには日頃から世話になってんの」
ナツキが肩をすくめ、ナノの工具袋を顎で指す。
「ケーブルとか部品とか、私が運ぶ。工事の依頼が来たら、面倒そうなのはナノに回す。持ちつ持たれつ。……だから今のは、マジで心臓止まるかと思った」
ニムが淡々と告げる。
「人物識別:ナツキ。関係性:友好」
「うん、味方」
ナノは短く頷いた。警戒の色は消えている。信頼の置き方が早い。
「それで。ナツキ、今ここに来た理由は」
「部品の回収と、ついでに納品」
ナツキは背負っていた細長いバッグを軽く持ち上げる。中で金属が小さく鳴った。
「……あと、これは“ついで”じゃない。盗人の話」
空気が一段冷える。
田中の背中に、さっき端末で≪未保持≫を見たときの嫌な感覚が戻ってきた。胃の奥がきゅっと縮む。
ナツキは扉を閉め切らず、隙間から廊下をちらりと見る。
「ここに来る前、外で変なのとすれ違った。こっちに向かってくる足音、さっきまで1つだった。今は離れてる。……たぶん、私を見て引いた」
「変なのって誰」
ナノが問う。
ナツキは笑いを消して、短く言った。
「川上」
ナノの眉がわずかに動いた。怯えじゃない。ただの確認だ。
「……誰それ」
田中が息を飲む。
「知らないのか?」
「この辺りの名前じゃない」
ナツキは頷いた。
「うん。中国地方じゃ、かなり有名なデータ収集家。現場に来て、手で抜いて持ってくタイプ」
ニムが一拍おいてから言う。
「追加情報を要求。フルネーム、通称、外見特徴」
「川上。通称もそのまま。細身で、硬いケース持ってた。手つきが慣れてる」
ニムの目が一瞬だけ光った。
「照合開始……一致候補、複数。行動傾向:物理的持ち去り。要注意」
ナノの目が細くなる。
「……遠方の厄介が、わざわざ来たってことね」
「私の目で見た。ケース持ってた。硬いやつ。角が擦れてて、持ち方が慣れてる。あと――」
ナツキは指先で、机の端を軽くなぞった。
「ここ、擦れてるでしょ。フック曲がってるって聞いた。たぶんその留め具が当たった。持ち去り方が雑。焦ってた」
田中は思わず机を見る。残っている擦れ跡が、妙に生々しい。
ナノは端末へ視線を戻した。≪未保持≫の表示が、まだこちらを苛立たせる。
「……キーは、川上が持ってる」
「川上はこういうの、遠くまで運ばない。いったん近場で“広げる”。抜いたものを味見する場所が必要だから」
「味見」
田中が嫌な顔をすると、ナツキは頷いた。
「本人がそう言うタイプ。人が手で持ってきた情報は濃い、とか言い出す。遠隔で盗むより、現場で抜く方が楽しいんだって」
ナノは、口の端だけで笑った。笑いというより決定だ。
「奪い返す」
「交換じゃなくて?」
ナツキがわざとらしく聞く。
「交換は主導権を渡す。嫌い」
ナノは工具袋の口を整え、腰の位置を確かめる。動きが無駄なくなっていく。
「川上を探す。今すぐ」
ニムが即座に応じた。
「探索ルート提案:車両痕跡、足跡、周辺の残存ログ抽出」
「それやって」
「了解」
田中は、ついていくのが精一杯だった。
「……でも、どうやって探すんだ? 有名って言っても、顔も知らないし」
「顔は知らなくていい」
ナノは言い切った。
「川上が行きそうな“場所”を探す。機材を広げられる場所に寄る。電気、壁、床、隠れやすさ。そういう条件で絞れる」
ナツキが指を1本立てた。
「心当たりある。港の倉庫街。昔の冷凍庫の建物。床が分厚くて、音が漏れない。人が寄りつかなくて、外から中の様子が分かりにくい」
田中が眉をひそめる。
「中国地方の人間が、なんでそんな場所に?」
ナツキは肩をすくめた。
「川上が知ってるかは知らない。でも“こういうことする奴”は、だいたいこういう箱を選ぶ。で、今日はその匂いが港の方からしてる」
ナノはナツキを見る。
「案内できる?」
「できる。車もある。ついでに言うと、あそこは夜の方が目立たない」
「夜って、もう夜だよ」
田中が小声で言うと、ナツキが軽く笑った。
「そう。だから今がいい」
ナノは一瞬だけ考え、すぐに頷いた。
「行く。取り返す」
田中は言葉を探したが、結局、現実的なことしか出なかった。
「……俺、邪魔にならないようにする」
「それでいい」
ナノは短く返し、扉へ向かう。
ナツキが歩き出しながら、いつもの調子に戻る。
「いやー、でもさ。ナノに回そうと思ってた工事案件、明日までに返事欲しいって言われてて――」
「今それ言う?」
「言う。運び屋は段取りが命」
ナノは扉の隙間から廊下を覗き、耳で気配を拾う。
「あとで。今は川上」
「はいはい。了解、現場監督」
ニムが最後に続き、低い声で告げた。
「外部気配:接近なし。移動可能」
扉の向こうは、夜の匂いがした。
奪われたのはキーだけじゃない。時間も、手番も。
それでもナノは迷わない。
ナツキが先に立ち、田中はその背中を追い、ニムが無音で背後を守る。
川上が“広げて”いるうちに。
奪い返すための捜索が、始まった。




