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OMNI  作者: 美味しいパフェ屋


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第十話

 戻る、という感覚はあった。

 光が裏返り、音が戻り、匂いが刺さってくる。


 田中が目を開けたとき、天井の配管と無機質な照明が視界を埋めていた。

 ポッドの蓋が開いたまま、冷たい空気が頬をなでる。現実の空気だ。


「……戻った」


 隣の装置が軋み、ナノが起き上がる気配がした。

 さらにもうひとつ、重いロックが外れる音。ニムが立ち上がる。


「接続解除を確認。生命維持サポート、正常終了」


「うん、よし。で」


 ナノは床に降りるなり、息を吐く暇もなく言った。


「キー。取りに行くよ」


 田中はまだ心臓が速いままだったが、身体を起こして足を床に下ろした。

 安全靴の重みが戻ってくる。現実の重さだ。


「……今すぐ?」


「今すぐ。帰ってきた直後が一番危ないの、分かるでしょ」


「分からない側の人間なんだけどな、俺」


 ぼやく田中を置いて、ナノはもう廊下へ出ている。

 ニムが無言で続き、田中も遅れないように追った。


 管制室までの廊下は、相変わらず白い光で均一に照らされていた。

 ファンの音が低くうねり、ラックの奥から熱がにじむ。生きている施設の音だ。


 扉を開けた瞬間、青白い光が3人の顔を照らした。


「……よし。さっきの端末」


 ナノがコンソールへ近づき、キーボードに指を置く。

 画面は管理者メニューのまま、ログのスクロールも続いている。


 ナノは迷いなく、キー関連の項目へ移動した。


 そして、指が止まった。


「……は?」


 ナノは画面を睨みつけたまま、もう一度だけ操作する。

 確認。再読み込み。ログの照会。キャッシュの参照。


 どれも同じ結果を返してくる。


 表示されているのは、空だった。


 ≪キー断片:九州ブロック上位 状態:未保持≫


「……取れてない? いや、取ったでしょ、私……!」


 声が一段跳ねる。


 ナノは椅子も引かずに身を乗り出し、端末の下段――拡張ポートの列へ手を伸ばした。

 そこだけ、埃の膜が妙に途切れている。擦れた跡。ケーブルが引っかかったような細い線。


 さらに、ポート横の固定用フックがわずかに曲がっていた。

 ケーブルを引っかけたまま力任せに抜いた――そんな癖の悪い扱いをした形だ。


 机の端には、四角いゴム足が押し当てられたような薄い跡が残っている。

 「ここに置いて、抜いて、持っていった」痕跡だけが、やけに生々しい。


「ない。ない! 私たちのキーが、ない!」


 ナノが机の端を叩く。乾いた音が跳ねた。


「……持ってかれた?」

 田中が言うと、ナノは振り向いた。


「持ってかれたに決まってるでしょ!」


 短く爆ぜるみたいな怒りだった。


「やっと取ったのに。九州の上位。やっと、やっと!」


 ナノはコンソールの前で一度だけくるっと回って、それからもう一度、机を叩いた。


「何それ! マジでむかつく!」


 ニムが画面を覗き込み、淡々と告げる。


「侵入者が施設内に侵入した可能性が高い。キー断片の抽出後、物理媒体へのコピー操作と取り外し痕跡を検出」


 ナノは唇を引き結んだまま、擦れたポート周りを指でなぞる。

 なぞって、止めて、またなぞる。落ち着きを作ろうとして、作れない動き。


「こんなの、たまたま偶然じゃない」


 ナノは言葉だけを整えて吐き出す。


「ここに入って、開けて、抜いて、持ってった。手で。わざわざ」


 ニムが短く補足する。


「取り外し痕跡は新しい。作業時間は短いが、手順は慣れている」


「慣れてるのが余計むかつく」


 田中は喉の奥が乾くのを感じながら、ナノに声をかけようとして――迷って、それでも出した。


「ナノ」


 田中は、一歩だけ近づいて、声を落とした。


「……今のうちに、息。1回でいい」


「息してる」


 返事が早い。早すぎる。


「……してるなら、そのまま――」


「田中」


 ナノが、名前だけを切るみたいに呼んだ。


「今、話しかけないで」


「いや、でも――」


「考えが散る」


 ナノは視線を扉から外さない。外さないまま、指先が机の縁を小さく叩く。一定じゃない。


「……ごめん」


 田中が言うと、ナノは一拍だけ黙って、短く息を吐いた。


「謝らなくていい。――静かに、そこ」


 言い方は整えてるのに、語尾だけが鋭い。


 田中は口をつぐんだ。頷くしかない。


 ナノは、もう一度だけ机の縁を叩いてから、低く言った。


「……人の足引っ張るなよ」


 管制室のファンの音が、急にうるさく聞こえる。


 その中に、別の音が混ざった。


 廊下。規則的に近づく、靴底の音。


 コツ、

     コツ、

 コツ。


 ナノは腰を落とし、足元の工具袋へ手を伸ばした。

 指が何かを探る。迷いなく掴む。


 大ぶりの銀色のモンキー。


 柄を握った瞬間、ナノの指がきゅっと締まる。

 そのまま、肩の後ろまで大きく引いた。振りかぶる形。躊躇がない。


 田中の背筋が固まった。


「おい、ナノ――」


「田中、後ろ。邪魔しないで」


 ナノは短く言って、扉の方へ視線を固定した。


「ニム、ドア見て」


「了解。侵入経路を警戒」


 田中は息を止めた。

 ナノはモンキーを構えたまま、肩を落として、呼吸を殺す。


 足音が止まる。扉の前。


 ノブが、ゆっくり回る。


 ナノの口元が動いた。声にならない。


 今入ってきたら――本気で振り抜く、という顔だ。


 扉が開く。


 田中の喉が、ひゅっと鳴った。


 ナノの手に力が入る。


 そして、世界が一拍だけ止まったところで。


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