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第9話:アンデッドは幽霊姫の夢を見るか?

焼けるような日差しが照りつけるカラデン大荒原。

陽炎が立ち上る乾いた大地には、生命の気配がほとんど感じられない。


そんな殺風景な世界を、一人の男がゆっくりとした、あまりにも場違いなほど悠然とした足取りで歩いていた。

悠夜、彼の目的地は、少し先にいるはずのヒナエルたちが身を隠している岩陰だ。


その姿は、岩陰に潜むトリルたちの目に、すぐさま捉えられた。

「……ん? 人影?」

「一人のようですね」

「罠か…?」

「いや、見てください、あののんびりした歩き方。まるで散歩でもしているかのようです」

トリルは舌なめずりをした。


「よし、武器を隠せ。無警戒に近づき、一気に取り押さえるぞ」

トリルの命令一下、屈強な奴隷商人たちは物陰に弓を隠し、人の好い笑顔を顔に貼り付けて悠夜へと近づいていく。

彼らにとって、これは手慣れた「作業」の一つに過ぎなかった。


その頃、シルファンは悠夜の進む道の側面にある反斜面を、息を殺して駆け抜けていた。

風のように、誰にも気づかれずに。


「よう、あんた。こんなところで何してるんだ?」

トリルの部下が声をかける。

互いの表情がかろうじて見えるくらいの距離。


全てが、計画通りだった。


その瞬間。

悠夜は突如として踵を返し、まるで驚いた兎のように、来た方向へと全力で駆け出したのだ。


「なっ…!?」

「しまった! こっちの意図に気づかれたか!」

トリルは即座に叫ぶ。

「追え! 弓を構えろ! 撃て!」


命令と同時に、男たちは隠していた弓を手に取り、矢を番える。


ヒュンッ、ヒュンッ、ヒュンッ!


乾いた空気を切り裂き、十数本の矢が殺意の雨となって悠夜に殺到する。

そのうちの一本が、的確に悠夜の背中に突き刺さったように見えた。


「ぐはっ…!」

悠夜はもんどりうって地面に倒れ伏し、動かなくなった。


「よし、やったか!」

「仕留めたぞ!」

部下たちが安堵と興奮の入り混じった声を上げる。


トリルは慎重に、倒れた悠夜へと近づいていく。

「…油断するな。」

トリルは慎重に、倒れた悠夜へと一歩、また一歩と近づいていく。


そして、悠夜の体を裏返そうと、手を伸ばした、まさにその時。

ビュオッ!!!

これまでとは比較にならない、凄まじい風切り音がトリルの鼓膜を揺らした。

それは風の魔法で加速され、凄まじい威力を秘めていた一本の矢が、空間を歪ませるかのような勢いで飛来したのだ。


それはトリルの思考が追い付くよりも早く、彼の眉間を寸分違わず貫通し、勢いを全く失うことなく、背後にいたもう一人の隊員の胸をも射抜いた。


一石二鳥。

完璧な狙撃だった。


「な、なんだと…!?」

「トリルが…! 一撃で…!?」

小隊が致命的な混乱に陥る中、死んだはずの悠夜が、まるで何事もなかったかのようにむくりと起き上がる。


「さて、茶番は終わりだ。」

悠夜はアイテムボックスから、骨と肉の塊をいくつか取り出し、無造作に地面に放り投げた。


そして、呪文を唱える。


乾いた大地から黒い魔力が湧き上がり、骨肉の塊へと蛇のように集束していく。

それはまるで、おぞましい生命が強制的に吹き込まれていくかのようだった。

肉塊が脈打ち、蠢き、血肉が芋虫のように盛り上がりながら、急速に歪な人型を形成していく。


「ひっ…! な、なんだあれは…!?」

「悪魔の所業だ…!」

隊員たちの目に映るのは、悪夢そのものだった。


数秒後、二体のアンデッドが、そのおぞましい姿を完全に現した。

アンデッドは、すぐそばで恐怖に腰を抜かしていた隊員の首を、無感情に両手で掴むと、

ゴキッ、と湿った鈍い音を立てて、いとも容易く頭と胴体を泣き別れさせた。


悠夜は自身の背中に刺さった矢を無造作に引き抜く。

矢じりは骨の鎧の隙間に引っかかっていただけで、傷一つない。


「さて、もっと仲間を増やしてやろう」

悠夜は、殺された三人と、トリルの死体にもアンデッドとして蘇らせた。


目の前で、さっきまで共に戦っていた仲間が、操り人形のように、機械的に立ち上がる。

その光景を目の当たりにして、残った隊員たちの脳裏から、「戦う」という選択肢は完全に消え失せていた。


彼らの心を支配するのは、ただ純粋で、根源的な恐怖だけ。


一方的だったはずの戦力差は、瞬く間に逆転した。

シルファンの放つ矢と、アンデッドたちの容赦ない蹂躙。 それはもはや戦闘ではなく、ただの殺戮だった。

最後に逃げようとした一人の背中を、シルファンの矢が射抜くまで、そう時間はかからなかった。


「悠夜、本当に大丈夫だったの? 心臓が止まるかと思ったわ」

シルファンが悠夜の元へ駆け寄る。

その声には、隠しきれない安堵が滲んでいた。

「ああ、問題ない。お前の腕を信じていたからな。」

「もう…無茶ばかりするんだから」

悠夜はアンデッドと化した死体の群れを見回して、ふっと息を吐いた。


「しかし、思ったより脆かったな。奴隷商人なんてやってるから、もっと命知らずの連中かと思ったが」

「ええ、本当に。」

シルファンも同意する。


悠夜は残りの死体すべてにアンデッド化魔法を施した。

十五体のアンデッド。


「よし、ヒナエルのところへ急ぐぞ」

アンデッドの軍勢を引き連れて、悠夜とシルファンはヒナエルの待つところへと前進した。


***


その頃、ヘルワデンとその部下たちは、円形の塹壕を必死に掘り進めていた。

まさか、トリルたちが、既に全滅したことなど、知る由もない。


「よし、もう少しだ! この塹壕が完成すれば、奴らは袋のネズミだ!」

ヘルワデンが部下を鼓舞した、その時だった。


「うわあああああ!」

後方から、部下の一人の絶叫が響き渡った。


全員が振り返ると、そこには信じがたい光景が広がっていた。

塹壕の一点から、大量のアンデッドがなだれ込んできていた。

恐怖という感情を持たないアンデッドたちは、躊躇なく塹壕へ飛び込み、手近な人間へと無慈悲に襲いかかる。


なんと皮肉なことか。

フォレストエルフを包囲し、狩るための砦となるはずだった塹壕が、今や自分たちの動きを制限する物と化している。

狭く、入り組んだ塹壕の中では、数の有利も、武器の性能も、ほとんど意味をなさない。 アンデッドとの、一対一の戦闘を強いられる。


このような極限状況で、勝敗を分けるのは、もはや戦略ではなく、己の勇気だけだ。 だが、昨日まで同じ釜の飯を食った知人が、血みどろで腐臭を放つ動く死体となって襲いかかってくる光景を前にして、平常心を保ち、勇気を奮い立たせることなど、ただの贅沢でしかない。


狩る者と狩られる者が入れ替わる。 攻撃のための砦は、死の墓となった。


「どけぇ!」

ヘルワデンはうろたえる部下を突き飛ばし、自ら剣を抜いて最前線へと躍り出た。


そして彼の目に飛び込んできたのは、今、最も見たくない男の顔だった。

トリル。

最も信頼していた部下。

その額には、矢が貫いた穴が生々しく開いている。


ヘルワデンが呆然と立ち尽くすより早く、アンデッド化のトリルの剣が、感情のこもらない軌道で振り下ろされる。


ガキンッ!

横から割って入った部下の一人が、その非情な一撃を必死に剣で受け止めた。


「しっかりしてください! どうします!?」

部下の叫び声で、ヘルワデンは我に返った。


彼は剣を構え直し、この絶望的な状況を打開するため、必死に思考を巡らせる。

だが、塹壕の向こうからは絶え間なくシルファンの矢が飛来し、彼らを塹壕の底に釘付けにし、身動きを取ることすら許さない。


その状況の変化を、包囲されていたヒナエルたちも見逃さなかった。

悠夜とシルファンが、計画通りに、いや、計画以上に事を進めてくれたのだ。


「…今だ! 風の魔法を! 砂を巻き上げなさい!」

ヒナエルの指示で、一人のフォレストエルフが風の魔法を発動する。

巻き上げられた砂が、戦場全体を覆い隠す巨大なカーテンとなる。


「今よ! 全員、攻撃開始!」

フォレストエルフたちは砂煙に紛れて塹壕の外側へと素早く回り込み、塹壕の中で混乱する奴隷商人たちへと、次々に矢を放ち始めた。


戦況は、完全に、そして残酷に覆った。

ヘルワデンは、ついに心を鬼にして、最も信頼し、最も付き合いの長かった部下だった「モノ」を、その剣で斬り伏せた。


剣を通して伝わる、かつては血の通っていた肉を断つ感触に、奥歯を噛みしめる。

そして振り返った時、彼は見た。

仲間は、もう誰もいない。

生き残っているのは、自分一人だけ。


ヒュッと、糸が切れたように、彼は塹壕の中に倒れ込んだ。

ただ、天に向けた剣だけが、彼の最後の抵抗を示している。


(ああ…終わったのか…)


こうなる結末は、この稼業に身を投じた時から、どこかで予感していた。

だが、早すぎる、あまりにも早すぎる。

行方知れずになった妹を、まだ見つけられていないというのに。


二十年前の、母の最期の言葉が、脳裏に蘇る。

『早く逃げて! そして、生きるのよ! 奴隷のように、這いつくばってでも、生き残るんだ!』


(母さん…ごめん。もう、走れないよ。疲れたんだ…)


ヘルワデンは、長すぎた二十年という時間の中で、背負うべきではない責任を背負い込んできた。

そして今、自らの指揮ミスが招いたこの惨状の責任を、取る時間さえ与えられずに、人生の幕を閉じようとしている。


もし、あの時、無謀な矢を放たなければ。

もし、塹壕などという姑息な手段に頼らず、正々堂々と突撃していれば。

もし、トリルたちを分遣せず、全戦力をここに集中させていれば。

たらればを言い出せばきりがない。

だが、もう遅い


「ああ…神よ、なぜこの俺に非情なのだ…なぜ、俺から全てを奪うのだ…」

ヘルワデンは、最後の力を振り絞って、よろめきながら立ち上がった。


そして、眼前に広がるフォレストエルフとアンデッドの群れに向かって、最後の、あまりにも無謀な突撃を敢行する。


だが、その攻撃はあまりにも無力だった。


剣を振り下ろす前に、ふわりと体が浮き上がる不思議な感覚に襲われる。

視界がぐるりと回転し、宙を舞い、 最後に見たのは、見慣れた鎧を纏った、首のない自分の体だった。


白い光が、世界を包み込んでいく。

すべてが浄化されるかのように、白に染まっていく。

その光の向こうで、懐かしい父と母が、そして愛しい妹が、穏やかな笑顔で手を振っているのが見えた。 天国か、死ぬ間際の幻覚か。

もはや、どちらでもよかった。

ヘルワデンは、子供の頃に戻ったかのように、彼らの元へと駆け寄り、強く、強く抱きしめ合った。


***


「やったわ! 私たちの勝利よ! 誰も怪我なく勝てた!」

シルファンの歓声が、静寂を取り戻した荒野に響く。


「ええ、本当に良かった。これも全て、悠夜とシルファンのおかげです。心から感謝します」

ヒナエルの声には安堵の色が隠せない。


他のフォレストエルフたちも、武器を降ろし、互いの無事を喜び合っていた。

悠夜はそんな光景を見つめながら、ヘルワデンの死体に近づき、慣れた手つきでアンデッド化の魔法をかける。


「よし。これで予定外の戦力も手に入った。ワイルドチキンとラクダ、それにこれだけの『死体』も手に入った。大収穫だな」

悠夜はフォレストエルフたちを見てにやりと笑う。


「さあ、帰るぞ。面倒な荷物運びは、こいつらに全部任せればいい」


アンデッドのそのおぞましい姿には、もう慣れたはずだった。

それでも、ヒナエルとシルファンは、目の前でかつての敵が道具へと変えられていく光景に、どこかやるせない、複雑な表情を浮かべていた。


「ねえ、悠夜」

ヒナエルが問いかける。


「このアンデッドたちに、魂はあるのでしょうか? それとも、ただ意思なく動くだけのでしょうか?」

「さあな。俺にも分からん」

悠夜は肩をすくめた。


シルファンがどこか遠くを見るような目で呟いた。

「もし、彼らに魂の欠片でも残っているとしたら…アンデッドも、幽霊姫の夢を見るのかしら…?」

それは、詩的で、あまりにも感傷的な問いだった。


その問いに、悠夜は少しだけ意地の悪い、全てを見透かしたような笑みを浮かべて答えた。

「商品に余計な感情を持つと、弱くなるぜ」


その冷たい言葉に、ヒナエルとシルファンは何も言い返すことができず、ただ黙って、物言わぬアンデッドの群れを見つめることしかできなかった。


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