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第8話:狩る者と狩られる者

悠夜とシルファンは、ヒナエルたちが待つ合流地点へと急いでいた。

勝利の予感と、ささやかな収穫への期待に胸を膨らませた。


今日の夕食は、ウィルードチキンの串焼きだろうか。

それとも、じっくり煮込んだスープだろうか。 そんな他愛もない想像が、自然と笑みを誘う。


「ねえ、悠夜。これで当分、美味しいご飯には困らないよね! あのチキン、焼いても煮ても最高なんだから!」

シルファンは弾むような声で訊ねた。彼女の頬は期待で少し赤らんでいる。


「ふふっ、ヒナエルたち、きっと喜ぶよね」

シルファンが弾んだ声で言う。


「うん、間違いない。あれだけの数を追い込めたんだ。みんな、お腹いっぱい食べられるさ」

悠夜も頷きながら返す。


穏やかな時間だった。 ついさっきまでの喧騒が嘘のように、静けさを取り戻している。


「――ん? 悠夜、あれ、何だろ? おかしいよ」

シルファンの軽快な声が急にトーンを落とし、わずかに不安を含んだものに変わる。


彼女の淡い青色の瞳が、進路の先、蠢く黒い点々を捉えた。

最初は、陽炎かげろうのせいで見間違えたのかと思った。


しかし、その動きはあまりに統率が取れており、人であるとこを明らかになった。

「……待って。悠夜、あれ、なに?」

シルファンの声から、先ほどまでの陽気さが消え失せていた。 その声に含まれた緊張に、悠夜も即座に足を止める。


「どうした?」

シルファンが指差す方向へと視線を向けるが、悠夜の肉眼では、揺れる陽炎かげろうとを区別することは難しい。


悠夜はアイテムボックスから自作の望遠鏡を取り出した。

レンズに目を当て、慎重に焦点を合わせていく。


視界がクリアになり、黒い点々の正体が映し出された瞬間、悠夜は息を呑んだ。

革鎧に身を固め、弓や剣で武装した人たち。


その顔には、獲物を前にした狩人のような、冷酷で貪欲な光が浮かんでいる。

動きには一切の無駄がなく、明らかに戦闘に手慣れた集団だった。


「……人間だ。それも、完全な武装をしている。奴ら、何でここに……」

「奴隷商人……ってところか。数はざっと見て50人は超えてる……!」


「そんな……!」

シルファンの顔からサッと血の気が引いていくのが、隣にいても分かった。


「嘘でしょ!? なんで……なんでこんなところに奴隷商人がいるの!? しかも、あんな大人数でヒナエルたちを囲んでるなんて……」

彼女の声は恐怖と心配で微かに震え、か細くなっていく。


「どうすれば……どうすればいいの……!」

パニックに陥り、今にも飛び出していきそうなシルファンの肩を、悠夜は強く掴んだ。


「落ち着け、シルファン! 今、飛び出したって犬死にするだけだ!」

悠夜自身も内心では激しく焦っていた。


心臓が警鐘のようにドクドクと脈打ち、冷や汗が背中を伝う。

だが、ここで自分が冷静さを失えば、二人とも終わりだ。 努めて冷静な声で、彼女を諭す。

「……大丈夫だ。方法は、きっとある」

その言葉が、自分自身に言い聞かせているものであることを、悠夜は自覚していた。


***************************


時を少し遡る。

フォレストエルフたちがウイルードチキンの獲物を確認し、喜びに満ちていた、まさにその瞬間。

ヘルワデンが放った矢は、 風を切り裂き、まっすぐヒナエルの頭部へと吸い込まれるように飛んでいった。


「チッ、しくじったか」

ヘルワデンは、短く舌打ちした。


フォレストエルフの女の頭を狙ったはずの一矢。

完璧なタイミング、完璧な軌道だったはずだ。

それがまるで、目に見えない神の悪戯な手に弾かれたかのように、僅かに軌道を逸れ、女の頬を掠めていった。


「くそっ、何だ今の軌道は! まるで、神が手で払いのけたみたいじゃねえか!」

ヘルワデンはそう思った。


ヘルワデンの矢を皮切りに、伏せていた他の者たちも一斉に行動を開始する。


数十本の矢が弦を離れ、空を切り裂いてフォレストエルフたちへと殺到した。

同時に、隊列の後方に控えていた魔術師たちが、詠唱を完了させる。

「――燃え盛る業火よ、敵を焼き尽くせ!『ファイアボール』!」

いくつもの火の玉が、 一団となっているフォレストエルフたちへと、容赦なく殺到する。


これで少なくとも数人は仕留め、残りを混乱に陥れることができる。

ヘルワデンはそう確信していた。


しかし、 ヘルワデンの矢を紙一重で避けたあのフォレストエルフが、即座に魔法を発動させるのが見えた。


彼女が地面に手を突くと同時に、魔力の光が奔る。

次の瞬間、地面が轟音と共に盛り上がり、瞬く間に土の壁となって、降り注ぐ矢と魔法から仲間たちを守った。


ドガガガガッ! 矢が突き刺さり、炎の塊が炸裂する鈍い音が、連続して響き渡った。


「クソがっ……!」

静かに接近し、奇襲で一網打尽にするはずだった。


無意味な先制攻撃で、こちらの存在を完全に知らせてしまった。


何より、あの土壁を操るエルフ……。

あれほどの魔法を即座に発動させるなど、並大抵の術者ではない。


厄介な獲物だ。


***************************


最初の矢が熱と共に頬を掠めた瞬間、ヒナエルは全身の神経が逆立つような殺気に気づいた。


反射的に身を屈めながら、仲間たちへと叫ぶ。

「いけない! みんな、伏せて!」

叫ぶと同時に、地面に強く手を突いた。

体内の魔力をありったけ練り上げ、大地へと流し込む。


「――母なる大地の護りよ、我らを包め!『アースウォール』!」

地面が振動し、目の前に分厚い土の壁がせり上がった。


フォレストエルフたちはヒナエルの声に導かれ、即座にその遮蔽物へと身を寄せた。


直後、無数の矢と灼熱の魔法が壁に叩きつけられる。

凄まじい衝撃が壁を揺らし、土の破片がパラパラと降り注いだ。


先ほどまでの収穫の喜びは一瞬で消え去り、フォレストエルフたちの間には、死の匂いをまとった緊張と恐怖が、冷たい霧のように広がった。


「くっ……奴隷商人め。いつの間にか、完全に包囲されてたなんて……」

ヒナエルは、土の壁に隠れて、苦々しく唇を噛んだ。

また、奴隷商人…


故郷の森を追われてからの逃亡の旅路で、最も多く、最も憎むべき存在だ。

金のためならば、倫理も道徳も捨て去り、他人の自由を奪うことに、喜びすら見出す卑劣な、まさに悪意の塊だ。


ヒナエルは、奴隷商人に初めて会った時の、あの悪夢のような出来事が蘇る。


まだ外の世界に疎く、世間知らずだった。

逃亡の途中で出会った一人の奴隷商人の言葉を信じた。


『この先には、人目に触れない隠された森があります。 私が馬車で、あなたたちを秘密裏にそこまで運びましょう。費用はわずかで結構』と、救いの神のような顔で約束した。


長く森で暮らし、人を疑うことを知らなかったヒナエルたちは、その言葉を藁にもすがる思いで信じてしまったのだ。


……それが、地獄の始まりだった。


数台の幌馬車に分乗して走り出した後、いつの間にかそれぞれの馬車が別々のルートを進んでいることに気づいた。


不審に思った時にはもう遅かった。


床下の隠し戸から、甘い香りのする催眠ガスが噴き出し、抗う間もなく意識を奪われていく。


激しい戦闘の末、ヒナエルたちはなんとか逃げ出せたものの、 別の二台の馬車に乗っていたフォレストエルフたちは、 そのまま二度と、姿を現さなかった。


彼らが今頃どこで、どんな目に遭っているのか……想像するだけで、腸が煮えくり返る思いだった。


ようやく見つけた、安寧の地。

目の前にぶら下がった、慎ましくも幸せな生活。

それを、またしても奴隷商人たちが、土足で踏み荒らし、地獄に引きずり戻そうとしている。


「……ふざけないでっ!」

こみ上げる怒りと悔しさに、ヒナエルは拳を強く、硬い地面に叩きつけた。


***************************


その状況を作り出したヘルワデンは、 土の掩体から動かないフォレストエルフたちを見て、冷静に状況を分析していた。


「……面倒なことになったな」


相手は経験豊富なフォレストエルフ。

あの見事な土壁を見る限り、中には腕利きの魔法使もいる。

遮蔽物に隠れられた今、下手に強攻すれば、こちらの被害も甚大になるだろう。


ここにいる部下たちは、ヘルワデンが自らスラムや孤児院を回り、拾い集めた者たちだ。

彼らの多くは、奴隷ではないが、 奴隷と大差ない、希望のない生活を送っていた。 ヘルワデンは彼らに、この危険な仕事の報酬で、 「過去の記憶に縛られずに、新しい人生を始める」機会を約束したのだ。


(彼らを、無駄な犠牲として散らせるわけにはいかない。 彼らは、もっとマシな人生を送る価値があるんだ)


ヘルワデンはフォレストエルフたちが立てこもる土壁を観察し、あることに気づく。

あの慌てようからして、水や食料を、ほとんど携帯していないはずだ。

だとしたら、勝機はある。


荷物運搬用のラクダに積まれた、十分な水と食料。

この灼熱の荒野において、それは何より強力な武器となる。


時間は奴隷商人たちの味方だ。


二日もすれば、飢えと渇きで抵抗する気力すら失うはず。

そうなれば、捕らえるのは赤子の手をひねるよりたやすい。

ヘルワデンは、乾いた唇を舐めながら、冷酷な笑みを浮かべた。


***************************


ヒナエルが土壁の隙間からそっと顔を出すと、奴隷商人たちが手際よく工事を始めているのが見えた。


地面には身を隠すための塹壕を掘っている。

完全に、長期戦の構えだった。

その瞬間、ヒュンッ、と鋭い風切り音がして、一本の矢がヒナエルのすぐ傍の壁に深々と突き刺さる。


「危ない!」

慌てて頭を引っ込めたヒナエルの心臓は、恐怖で激しく高鳴っていた。

敵の弓兵は、僅かな動きも見逃さない。


「みんな、聞いて。敵は長期戦を仕掛けてくるつもりよ。私たちをここで消耗させて、生け捕りにする気だわ」

ヒナエルの絶望的な言葉に、他のエルフたちが息を呑む。


「敵の警戒は厳重で、顔を出しただけで射抜かれそうになる。……今は、この壁を頼りに、ここに留まるしかない」


打つ手がない。 水も食料も、ほとんどない。

このままでは、数日後には……。 唯一の希望は、この包囲の外にいるはずの二人。


(悠夜……シルファン……! お願い、気づいて……!)


ヒナエルは、祈るように固く目を閉じた。


***************************


「……いや、待て」

長期戦の準備が着々と進む中、ヘルワデンは思考の片隅に引っかかった小さな違和感を辿っていた。


「あまりに順調すぎる。あのクソ神が、俺にこんな楽な仕事をさせるはずがない」

何かを手に入れようとすれば、必ず邪魔が入る。


順調に進んでいる時ほど、最悪の事態を想定しなければならない。

それが、ヘルワデンが過酷な世界で生き抜くために身につけた、処世術だった。


彼は、もう一度、状況を頭の中で整理する。

ウィルードチキンの群れ。

フォレストエルフたちの追い込み。

……何かがおかしい。

ハッ、とヘルワデンは気づいた。


そうだ、ウイルードチキンだ! チキンは全て、同じ方向

――つまり、俺たちが今いるこの包囲地点の方向へ、 一斉に逃げてきた!


これは偶然ではない。チキンを追い立てた、別のフォレストエルフが、 必ず外にもう一組いるということだ!


「ちっ、見落とすところだった……!」

「トリル!」

ヘルワデンは最も信頼する部下を呼びつける。

「15人連れて、ウィルードチキンが来た方向の逆を探れ。おそらく、残党がいるはずだ」

トリルと呼ばれた痩身の男は、無言で頷いた。


ヘルワデンは、彼の肩に手を置き、低い声で付け加えた。

「遭遇戦になった場合、数や地形で不利になるかもしれん。無理に生け捕りにする必要はない。殺せ」


***************************


悠夜が、奴隷商人たちの本隊から分かれた分隊の動きを捉えた。

15人ほどの小隊が、隊列を組み、明らかにこちらに向かってきている。


「……どうする」

悠夜は思考を高速で回転させる。


アイテムボックスに残っているのは、アンデッドを召喚できる骨が二つだけ。


これだけでは、15人の相手には、抵抗できない。


だが、奴隷商人を殺せば、その新鮮な死体を使って、新たなアンデッドを生み出せる。

死体を増やせば、戦力も増える。


問題は、どうやって最初の数人を、この見通しのいい荒野で、効率よく、かつ確実に殺すことができるか。


「……よし、わかった。方法はある!」

悠夜は決意の表情を浮かべ、シルファンを真っ直ぐに見つめた。

「シルファン。よく聞け。これから俺が言う計画を、 一言一句違わず、絶対に実行しろ」


悠夜は続ける。

「いいか? 俺の状況は一切気にするな。 俺に何があろうと、お前は指示された行動を最優先するんだ。 たとえ、俺の命が危なくなっても、絶対に立ち止まらず、計画を実行しろ」

その瞳は、これまでにないほど真剣だった。


「そ、そんなこと……できないよ!」

シルファンは反論しようとしたが、悠夜の真剣な眼差しに言葉を呑んだ。

「信じてる。お前なら、できる」

悠夜の言葉に、シルファンは唇をきつく結ぶ。


彼女はゴクリと唾を飲み込み、そして、覚悟を決めたように、力強く頷いた。

「……わかった。悠夜の言う通りにする。……絶対に、傷つかないでよ」


二人は短い時間で、それぞれの役割と行動について、最終確認を終えた。


「行くぞ、シルファン! 作戦開始だ!」

悠夜とシルファンは、互いの目を見合わせ、頷くと、別々の方向に駆け出した。


荒野の静寂を破る、反撃が、今、始まる。


(ヒナエル……みんな……! 絶対に助ける。だから、それまで持ちこたえてくれ……!)


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