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第7話:灼熱の憎悪

灼熱の太陽が容赦なく、カラデン大荒原の赤茶けた大地を焼き付けていた。

ギラギラと燃えるその巨大な塊は、大地に対していかなる慈悲も見せず、容赦なくその熱線でカラデン大荒原を焼き焦がしていた。

熱波は息苦しいほどに濃密で、視界のすべてを歪ませ、大気のゆらめきは、まるで油が煮えたぎるように、現実の景色を蜃気楼へと変えていた。


荒原の南西部。

赤く乾いた土地は、生命の気配を極限まで押し殺し、沈黙だけが支配する死の領域と化していた。




奴隷商人ヘルヴァデンの一行は、その過酷な環境を、自らに課せられた罰であるかのように、ただ黙々と進んでいた。


足下で舞い上がる細かい赤砂は、吐き出す息に混じり、喉を焼く。

この荒涼とした風景は、人間の心から優しさや希望といったものを根こそぎ奪い去るようだった。


ラクダたちもまた、限界に達していた。

喉の奥から軋むような苦しげな荒い息を吐き出し、その巨大な四肢は、少しでも気を緩めれば、今すぐにでも灼熱の砂の上に崩れ落ちてしまいそうに見える。


出発から既に一週間。砂漠での追跡行は、ただの行軍ではなく、彼らの体力と精神を削り取る過酷な消耗戦となっていた。


ヘルワデンは一度、足を止めた。

そして、長年の風雨に晒され、端が擦り切れた埃まみれの地図を広げ、方角を確かめる。情報源は獣人の協力者からのものだ。


フォレストエルフの一団がこの南西の方向へ向かったという話だったが、これだけ広大な荒原をさまよっても、フォレストエルフの足跡どころか、わずかな焚き火の痕跡すら発見できていない。


「ちくしょう、本当に空振りなんですかね、ヘルワデンさん。このままいくと、水と食料の方が先に尽きてしまう。この暑さで、いつまで続ければいいんですか」

隣を歩く腹心の部下、トリルが、抑えきれない苛立ちを滲ませて声を上げた。


彼の顔には、この一週間で蓄積された疲労と、獲物を取り逃がすことへの焦りが色濃く刻まれている。

トリルはまだ、ヘルワデンの執着の深さを理解していない。


ヘルワデンはトリルの愚痴には一切答えなかった。

彼はただ、前方の熱せられた荒野を、獲物を狙う猛禽のような静かで冷たい眼差しで睨みつける。


ただ、その乾いた唇から発せられたのは、議論の余地を許さない、絶対的な命令だけだ。

「進め。情報が間違いでなければ、必ずこの先にいる。もしも、奴らがこの荒野で野垂れ死にしているとしても、その死体からでも金を生み出せ」


ヘルワデンにとって、フォレストエルフという種族を追う理由は、市場で高額で取引されるという金銭的な価値だけには留まらない。

それ以上に、ヘルワデンはエルフに対して、彼の人生における最大のトラウマと結びついた、嫉妬と深い嫌悪を抱いている。


それは、彼の魂に焼き付いた呪いの炎だった。

フォレストエルフは、神々の加護を一身に受けている種族だと世間では言われている。

彼らは生まれながらにして高い魔力と身体能力を持ち、何よりも、人間が血反吐を吐くような努力をせずとも、『恵まれた生』を享受している。


ヘルヴァデンたち凡人が、血を吐くような努力を重ね、すべてを犠牲にして初めて手に入れられるかもしれない能力や幸福を、彼らは生まれた瞬間から持っている。


(神に選ばれた者ども。お前らは、何も知らない。俺とは、何もかもが、決定的に違う)


神に唾棄され、世界に嫌悪された、ただの逃亡者。

今の地位も富も、奇跡でも偶然でもなく、すべては地獄の底を這いずり回り、自らの血と肉を削り、魂を汚すことで掴み取ったものだ。


一歩、また一歩と、靴底を灼熱の砂に沈めるたびに、ヘルヴァデンの意識は、まるで古傷を抉るかのように、二十年前の、痛ましい記憶へと引きずり込まれた。




あのとき、彼はまだ十三歳。 戦火を逃れた両親と妹と共に、フランド帝国下の辺境の村に身を寄せた。


彼らに与えられた生活は、希望に満ちた新しい人生などではなく、別の形で鎖につながれた地獄の始まりだった。

領主の土地を借りて農夫として生きる

——それは、すべてが精密に計算され尽くした、鎖のない奴隷生活だ。


一年の収穫は、領主への法外な地代と、帝国の厳格な重税によって、一粒残らず削り取られる。

最後に残るのは、家族四人がぎりぎり飢え死にしない程度の、わずかな食糧だけ。


それ以上でも、それ以下でもない。


自由な貯蓄や、未来への投資など、許されない。

フランド帝国の経済体制は、「自由人という名の奴隷」を安定的に供給するための、完璧なシステムだった。



その年の夏は、まさに地獄だった。


記憶の中のあの夏は、今の体で感じる物理的な熱気よりも、さらに苛烈で、彼の魂を焼いた。

干ばつが始まったのだ。


井戸はたちまち底を突き、水は完全に枯渇し、土地はひび割れていた。

畑の幼い苗は、緑の生気を失い、わずか一週間のうちに、毒々しい黄色へ、そしてパリパリと音を立てる枯れ葉へと変わり果てた。


両親は、幼いヘルワデンと妹の手を引き、神の像に向かって祈りを捧げた。

「神さま、どうか私たちを憐れんでください。どうか、恵みの雨を……!このままでは、今年の収穫は絶望的になり、私たちは皆、飢え死にします。どうか、お慈悲を」


熱に浮かされ、両親と妹の隣で、無意識に手を組む自分の体を、ヘルヴァデンはどこか遠い場所から見ているような感覚だった。


(神への祈りなんて、領主に情けを乞うのと同じだ。何の力も持たない。無力だ)


十三歳の少年の心は、すでに世界の冷酷さを知り、信仰を捨てていた。


そして、地代の支払い期限が来た日。


領主の屋敷から送られてきたのは、武装し、全身から暴力的な空気を放つ何人もの用心棒たちだった。

彼らは情け容赦なく扉を蹴破り、土足で家に踏み込んできた。


母親が、父親が、涙と鼻水を流しながら必死に懇願の言葉を並べる。

しかし、用心棒たちはその悲痛な声を聞き入れることなく、手に持った太い棍棒で両親の身体を容赦なく打ち据え始めた。

乾いた打撃音と、両親の抑えきれないうめき声が、狭い家の中に絶望的に響き渡る。


「金を出せ。隠しているのは分かっているぞ。一銭も残さず出すまで止まらない」

用心棒の一人が凄んで命令を下すと、部下たちは家具をひっくり返し、床板を剥がす勢いで家財道具を手荒く捜索し始めた。


それは、法の名の下に行われる、「正義という名の、公然たる略奪」に他ならなかった。

当然、金など一文も見つからない。


用心棒の視線が、母親の背後に隠れ、恐怖で身動きできないヘルヴァデンと、彼の妹に向けられた。


「金がないなら、子どもを連れて行くぞ」

その言葉が、熱風の中で、鋼のように冷たく、恐ろしく響いた。


母親は恐怖に顔を歪ませ、咽び泣きながら悲鳴のような声で叫んだ。

「やめて!この子たちだけは!お願いだから、どうか命だけは!」

だが、用心棒たちは母親を力任せに突き飛ばし、ヘルヴァデンと妹を捕らえようと、


その汚れた手を伸ばしてきた。


恐怖のあまり、その場に縫い付けられたように呆然としていた二人に、母親は最後の力を振り絞って、その全てを賭けた声で叫んだ。

「早く逃げて!そして、生きるのよ!奴隷のように、這いつくばってでも、生き残るんだ!」


その後の記憶は、熱と混乱、そして血の匂いでひどく曖昧だ。

ただ、妹の手を強く握り、がむしゃらに砂利道を走ったことだけ。

どれだけ走ったのだろうか。


肺が破裂しそうなほど呼吸を繰り返し、もはや一歩も動けなくなり、ヘルヴァデンは地面に倒れ込んだ。

そこでようやく、彼は気づいた。

握っていたはずの妹の、小さな手が、隣にないことに…


「……過去に囚われるな。仕事だ。仕事に集中しろ」

ヘルヴァデンは、無理やりその忌まわしい記憶の奔流を喉の奥に押しとどめ、過去の光景が頭の中でループするのを強制的に停止させた。

仕事に集中しなければならない。

苦痛が入り込む隙を与えれば、即座に命を落とすのが、この非情な商売だ。


母親の最期の言葉。 「奴隷のように、生き残るんだ!」

それは、彼の行動原理となり、彼が自らに課した呪印となった。


誰もが嫌がる汚い仕事を引き受け、獣のエサのような食事を取り、まともな人間の住まない汚物にまみれた場所に身を潜めた。

奴隷以下の生活。自らも奴隷以下の存在だと認識することで、彼はただ、生き延びた。


「とっくに死ぬべきだった、無様な逃亡者」

——それが、ヘルヴァデンの真の自己認識だった。


そうした日々の中で、彼は弱々しかった過去の自分を完全に殺し、誰にも抵抗させることができない強大なメンタルを手に入れた。

もし彼が望めば、都会で平穏な生活を送ることさえ可能になっていただろう。


しかし、十年経っても、妹の手がかりは見つからなかった。

彼の理性的な判断が告げていた。

妹が捕まっていたのなら、奴隷として売られた可能性が高い。

奴隷商人の闇のルートを使えば、妹を見つけ出す可能性が、他のどんな方法よりも残されている。


そして、もう一つの、ヘルワデン自身も認めたくない動機。


それは、自分を不幸にした『何か』、すなわち神に庇護され、苦労を知らない幸福な者たちへの復讐だった。

なぜ、彼らはあんなにも簡単に幸福と喜びを享受できるのか。

なぜ自分は、全てを永遠に奪われなければならなかったのか。


この理不尽な世界の構図そのものへの憎悪。


彼の復讐の快感は、奴隷にされるはずのない、笑って生きている人間たちの生活を破壊し、彼らを地獄に突き落とす瞬間に訪れる。

それは、自分を救わなかった『神』という超越的な存在に対し、わずかでも一矢報いるような錯覚を与えた。


どんなに成功し、どれほど大金を手に入れても、ヘルワデンの内なる声は常に母親のあの叫びを反芻する。

『奴隷のように、生き残るんだ!』

奴隷以下の自己認識を持つ男が、他人を奴隷に変えるという行為でしか、過去の傷と、妹を失った虚無感を埋められない。


それが、奴隷商人ヘルヴァデンという男の、深く歪んだ本質だった。


「フォレストエルフを発見しました!」

先頭を歩いていた部下が、乾ききった喉で、抑えきれない興奮を含んだ声が上がった。

ヘルヴァデンは即座に、過去の重い鎖を断ち切り、冷酷無比な奴隷商人の顔に戻った。


彼は愛用の狩猟弓を手に取り、部隊の最前線へと、砂を蹴って駆ける。

岩陰の隙間から覗き込むと、彼の情報通り、フォレストエルフたちがいた。


どうやら、彼らは共同で何らかの狩りの罠を仕掛けている最中のようだ。


ヘルワデンは、その場で即座に指示を出した。

その声は、渇いた空気の中で不気味なほど冷徹に、そして静かに響き渡った。

「エルフどもを包囲しろ!総員、散開!一人たりとも逃がすな!誰にも、一瞬の隙も与えるな!」


命令を受けた隊列の総勢五十三人は、砂埃を立てながら迅速に展開し、エルフたちを取り囲むための完璧な包囲網を築き上げた。


ヘルワデンは更に詳しく観察を続けた。

エルフたちの作業は完了したようだ。

彼らの静かな動きには、一切の無駄がない。

その時、ウイルードチキンが、エルフたちが仕掛けた罠の場所へと誘い込まれ、飛び出してきた。


エルフたちは設置した罠と、連携した魔法によって、ウイルードチキンをあっさりと捕獲した。




ヘルワデンの視界の端に、一人のフォレストエルフが、他の仲間たちと顔を見合わせ、心底から喜びを分かち合うかのように、顔を上げて笑った。

その顔に浮かんだのは、純粋で、悪意のない、この世のすべてを肯定するような、幸福に満ちた笑顔。


それが、引き金だった。


ヘルヴァデンの脳内は、瞬時に赤黒い憎悪と激しい嫉妬の炎に焼かれた。

彼がこの世で最も憎み、最も存在を許せず、最も壊したいと願う表情が、何の苦労もなく、そこに存在している。


過去の記憶の破片が脳内で炸裂し、理性は一瞬で崩壊し、純粋な破壊衝動だけが身体を支配する。


「……許さねぇ。ふざけるな」


彼は腰に下げていた弓を抜き取り、憎悪で震える手で、最も鋭利な矢をつがえた。 迷いなく、その幸福な笑顔を浮かべたフォレストエルフの、わずかな隙間から見える頭を狙う。


ギチリ、ギチリと、弓の弦を軋ませながら、限界まで引き絞る。

――お前たちの幸福は、俺がすべて壊す。

――神に愛されただけの、無垢な存在どもめ。お前たちを、この地獄に引きずり下ろしてやる。


ヘルヴァデンの内なる叫びと共に、放たれた矢は、灼熱の空気を切り裂き、目標である幸福な笑顔に向かって一直線に飛翔した。




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