第3話:初期目標達成
広場の片隅。
土の上に、冥川 悠夜は文字通り大の字になっていた。
「ふう……やっと一区切りだ」
巨大なクモ魔獣を解体する『第一段階』。
内臓を取り出し、価値ある器官を選別し、毒腺を初期処理する。
それは、まるで外科手術のように細かく、そして重労働だった。
数時間、集中力と体力を削り続けた結果、全身が鉛のように重い。
彼が冷たい地面の感触に安堵していると。
「おい、死体屋」
すぐに、皮肉が混じった声が上から降ってきた。
マカカチだ。
彼女は腕を組み、不満そうに悠夜を見下ろしている。
「随分時間がかかったじゃねぇか。これで精一杯か?」
「もうとっくに期日を過ぎてるんだぜ?」
悠夜は目を開けることなく、小さく息を吐いた。
「馬鹿言うなよ、マカカチ」
彼はゆっくりと体を起こし、軽やかに伸びをする。
骨が鳴る。
「終わった?」
「いや、やっと準備が整ったところだ」
「は? 何を言ってんだ?」
マカカチは心底訝しげな表情で、眉をひそめた。
「残った肉や骨なんて、どう見てもゴミだろ。もう他に金になる部位はねぇはずだ」
悠夜はニヤリと笑い、手のひらを叩いた。
「ゴミだと? それを最高の金に変えるのが、俺たち商売人の役目だろうが。ここからが、本番なんだよ」
マカカチは挑発的な笑みを浮かべ、挑戦的な視線を向けた。
「ふん。相変わらず、口だけは達者だな。どうせ、期日までに必要な350ドルなんて、用意できてないんだろ?」
「さっきも言ったはずだぜ?」
「代わりに私が立て替えてやってもいいんだ。ただし、条件がある」
マカカチは恍惚とした表情で言った。
「今日からお前は、このマカカチ様の奴隷だ。永久にお抱えの死体解体屋として雇ってやる」
悠夜は心底退屈そうに、肩をすくめた。
「悪いが、遠慮させてもらうよ」
「はぁ!? 私の奴隷だぞ! 悪くない話だろ!」
「俺は誰にも縛られねぇ自由な商人だ。マカカチさんの趣味に付き合うつもりはないね」
そう言い放ち、悠夜はマカカチの返事を待たず、ヒナエルの元へと歩き出した。
「ヒナエル様」
悠夜は丁寧な態度で、フォレストエルフのリーダーに頭を下げた。
「お言葉ですが、俺にはこの魔獣を高値で買ってくれる、上顧客がいます」
「彼らをここへ招待したいのです」
ヒナエルは怪訝な顔を崩さない。
「招待だと? 異種族の有力者たちが、お前のような人間の呼びかけで、この奥地の村まで来るというのか?」
「一体、お前の裏には何がある?」
悠夜はヒナエルの疑惑の視線にも動じず、確信をもって頷いた。
「ご心配なく。裏なんてありません。俺は純粋な商人です」
「彼らは遠方におられます。ですから、招待状を送り、こちらにお呼びしたい、えーと、料金としてお一人様10ドルを、俺が前払いします」
「どうか、エルフを伝令として使い、この手紙を届けていただけないでしょうか?」
そう言って、悠夜は丁寧に畳まれた三枚の羊皮紙の招待状を取り出した。
リストアップされた名前は、このカラデン大荒原では誰もが知る大物ばかり。
•ハーフリング、ドートリア
•ドワーフ、レインドルフ
•リザードマン、レプリアン
「な、何だと……!? ドワーフの鉱山長、ハーフリングの集落長、そしてあのリザードマンの戦士長……」
「お前、そんなにも多くの権力者と繋がりがあるのか!」
この人間が、ただの流浪の者ではないことは明白だった。
だが、ヒナエルはすぐに冷静を取り戻す。もしかしたら、悠夜のハッタリかもしれない。
「……よかろう」
彼女は重々しく頷いた。
「お前が嘘をついていないか、すぐに確認させてもらう」
「もし、本当に彼らが来るのなら、ここでの取引を許可しよう。ただし、変な真似は許さん」
悠夜は快活に笑い、招待状の裏に署名を添える。
招待状が伝令に託され、村を出た。
悠夜は再び、広場のクモの死体へと戻った。
「さて、第二段階のスタートだ」
彼の合図とともに、配下のスケルトンたちがまるで精密機械のように動き出す。
ガシャン、ガシャン、という音を立てて、アンデッドが大きな鍋を火の上に設置した。黙々と薪をくべ、火力を一定に保つ。
悠夜は自前のアイテムボックスから、多種多様な食材を取り出した。
乾燥したキノコ、薬草のような葉っぱ、香りの強いナッツ、甘酸っぱい赤い実のスライス。
それは数十種類にも及び、さらに手のひらほどの大きな塩の塊も取り出した。
それらを惜しげもなく鍋に投入し、そして、残しておいたクモ魔獣の砕き肉と、使い道の無さそうな骨格も、鍋に放り込んだ。
悠夜は煮込みを開始したが、手が空くことはなかった。
彼は解剖で取り出した毒腺を、まるで宝石細工のように丁寧に扱う。
魔力の流れを集中させ、スキル『分解』を発動させる。
ジジジ……という、低い電気的な音とともに、毒腺の細胞組織が分解され、高純度の毒の液体が抽出される。
それは、貴重なクモ毒液として、小さなガラス瓶に丁寧に集められた。
さらに、その毒液の深層にある魔力的な成分を抽出する。
その後、彼は残された魔獣の分厚い皮と、鋭利な毒歯の加工に移る。
皮には死体魔術をかけ、硬度を保ったまま軽量化し、様々な形に変形できるように装甲として仕上げていく。
毒歯は、彼の愛用する強化液に漬け込み、死体魔術で硬度と、毒の持続時間を極限まで高め、黒光りする双剣へと昇華させた。
最後に、全ての内臓を集めて一つにまとめ、事前に購入していた小塊の魔晶を加えて練り上げる。
「よっしゃ、これで『極上回復薬』の原液完成っと」
作業は、夜通し続き、太陽が天頂を越える翌日の昼まで休むことなく続いた。
全ての作業が完了した瞬間、悠夜の体力と魔力は完全に底をついた。
彼はその場に倒れ込み、意識を失って深い眠りについた。
翌日の午後。
約束の時間が過ぎ、針葉樹の林の外に、三つの巨大で威圧的な影が到着した。
「おい、人間! 起きろ! お前の呼んだ客が来たぞ!」
フォレストエルフの少女が、広場で眠る悠夜を揺さぶる。
彼女は悠夜を起こす。
「あんなの三人も……ヒナエルが本気を出しても、危ないんじゃないか……」
少女は真剣な顔で悠夜の胸ぐらを掴んだ。
「いいか、人間! 変な真似はするんじゃないぞ!」
「もし、お前があの三人と結託して、私たちを攻撃しようとしたら……真っ先に、お前をあの世に送るからな! 絶対に許さない!」
悠夜は寝ぼけ眼をこすり、少女の怯えた瞳を見つめながら、優しく答えた。
「大丈夫だよ。俺はただの商人だ」
「商売以外で、命を危険に晒すような、道徳に反する無駄なことはしないさ」
少女はプイと顔を背けた。
「へっ。死体を売りさばいて、金を稼ぐのが道徳に反しない商人なんて、初めて見たわ!」
「悪趣味にも程があるだろ!」
悠夜は微笑み、ポケットから美しいサファイアのネックレスを取り出した。
それは、彼が以前、別の場所で手に入れた宝石だ。
「お礼だよ。わざわざ起こしてくれてありがとう」
太
陽の光を浴びて、ネックレスの青い宝石が眩いばかりに輝いた。
少女は明らかにその宝石に目を奪われたが、すぐにそれを拒絶した。
「い、いらない! こんな高価なもの、受け取れるわけないだろ!」
「……いつか、ちゃんと自分でドルを稼いで、対価としてお前から買うからな!」
そう言い残し、少女は顔を赤くして、駆け足で広場から去っていった。
悠夜は、加工した商品と、大鍋で二日煮込んだ『特製シチュー』をアンデッドに運ばせ、針葉樹の林へと向かった。
三人の異種族のリーダーが、悠夜を待っていた。
「よお、ドートリアの姐さん、ドワーフのレインドルフの親父さん、リザードマンのレプリアン殿」
悠夜は親しみを込めて、彼らに挨拶をした。
「遠路はるばる、こんな奥地までわざわざお越しいただき、恐縮の極みです」
その様子を、林の木陰から見ていたマカカチは、目を丸くしすぎて、まるで皿のようだった。
「まじかよ……本当に、こんな大物たちを呼べるなんて……!」
「しかも、あの三人、金持ちで有名な奴らじゃねぇか。私の計算が全て狂った……!」
悠夜は湯気を立てる鍋を指差した。
「まずは、長旅のお詫びです。これを召し上がってください。今日の料理は俺からの『無料のサービス』だ」
しかし、客たちは顔を見合わせ、楽しそうに笑う。
半身人の首領ドートリアが、小柄ながらも存在感のある声で、にやりと口を開いた。
「おいおい、悠夜。まさか、お前がタダで済ませるつもりじゃないだろうな?」
「私たちとのお付き合いで、『いつものルール』を忘れたとは言わせないぜ」
ドートリアはそう言って、懐からドルを取り出した。
ドワーフのレインドルフも分厚い胸板を叩き、豪快に頷いた。
「そうだ。俺たちはな、悠夜の最高の品にありつくために、予約金を払うって、決まってるんだよ」
「いつもの通り、一人50ドル。三人で150ドルで決まりだ。な、レプリアン!」
蜥蜴人のレプリアンは、感情の読めない顔つきで、悠夜に向かってドルの入った袋を差し出した。
「そうだな。分かったよ、いつものことだ」
悠夜は笑って、差し出された150ドルを、丁重に受け取った。
「三名様で合計150ドル。優先取引権として確かに頂戴いたします」
マカカチは、隠れて見ていた木の裏で、頭を抱えて唸った。
(なんだ、この悪知恵は……! 鍋の料理を食わせただけで、予約金として逆に150ドルを巻き上げやがった! 普通、客が金をもらうだろうが!? こいつ、マジで悪魔か!?)
客たちは、大鍋のシチューを豪快に食べ始めた。
ドワーフのレインドルフが、大きなスプーンでシチューをすすりながら、唸り声を上げる。
「うむ! 相変わらず、お前が作る料理は最高だな! この魔獣の肉の扱い方は、神業としか言えねぇ!」
「この独特な香りと、濃厚な肉の旨味……これが無料でいただけるなら、150ドルなんて安いもんだ!」
三人がシチューを堪能している間に、悠夜は本命の商談を開始した。
「さて、お腹が満たされたところで、本日のメインディッシュに入りましょうか」
悠夜は、まず一つ目の目玉商品を差し出した。
「これは、スパイダーモンスターの毒歯を加工した『ポイズンファング)』です」
「俺の魔法で鍛え上げ、硬度と耐久性を極限まで強化し、さらに毒による持続ダメージ効果を付与してあります」
黒光りする双剣は、短いがシャープで、その輝きは並の鋼鉄とは一線を画している。
「長さも、ドートリア様のようなハーフリングには最適なサイズに調整しました。もちろん、250ドルでどうでしょうか?」
ドートリアは双剣を手に取り、試しに数回、空気を斬る動作をした。
その軽さと、指先に伝わる毒の微弱な魔力の波動に、彼女の目はギラリと輝いた。
「いいな! これなら、狭い洞窟でも取り回しが楽だ! 毒も、ちょっとしたお守りになる!」
「悠夜、もらった!」
ドートリアは即座に250ドルを支払い、双剣を腰に収めた。
マカカチは、その光景を見て、全身に電流が走るのを感じた。
(嘘だろ……あの双剣、町の最高級の鍛冶屋が数ヶ月かけて作るものと、遜色ねぇぞ!? まさか、この人間、武器の錬成までできるのか!?)
続いて、悠夜は10本のガラス瓶を取り出す。
ガラス瓶の中には、ドス黒く、わずかに酸の泡が浮かぶ液体が入っていた。
「お次はこちら。『鉱石溶解液』です」
「これは、スパイダー・デーモンの毒腺の毒と血液を、俺の魔法で調合したものです」
「一瓶で数十トンの一般鉱石を瞬時に溶解し、金や鉄などの高価値な鉱物だけを凝縮して残します」
「大規模な採掘や、攻城戦で壁を溶かす際にも使えます。原料が特殊なため、大変貴重な一品です」
ドワーフの首領レインドルフは、その説明を聞き終わる前に、ガッとテーブルに拳を叩きつけた。
「待て! その溶解液、全部、俺に売れ!」
鉱石採掘こそ、ドワーフの命だ。この溶解液は、彼らにとって宝の山を開く鍵にも等しい。
「ありがとうございます。一瓶45ドル、10本で合計450ドルとなります」
レインドルフは歓喜の声を上げ、大金である350ドルを即座に悠夜に支払った。
(はぁ!? 450ドル!? 魔法の薬まで作れるのか!? こいつのデコンポジション魔法、マジで規格外すぎるだろ!)
マカカチは、もはや悠夜への恐怖すら感じていた。
そして、最後に。
悠夜は、蜘蛛の皮を加工した『アジャスタブル・アーマー』を、五つ差し出した。
「レプリアン殿。これは250ドルで五つ。皮を加工して、着用者の動きに合わせて変形自在な装備にしました」「特に俊敏な動きを重視する蜥蜴人には、最適だと確信しています」
レプリアンは無言で装甲を手に取り、その軽さと、皮が持つ魔力を確認した。
そして、これもまた即座に購入を決めた。
最終的な総収入は、合計1100ドルとなった。
マカカチは、林の中で、地面にひれ伏しそうになった。
(くそっ……! なんで俺は、天才的な商人を、もっと早くから利用しなかったんだ……!)
取引を終えた悠夜は、すぐさま首領ヒナエルの元へと向かった。
「首領ヒナエル様。スパイダー・デーモンの件、精算をお願いします」
悠夜は懐から、先ほど手に入れたばかりのドルを、堂々と提示した。
1100ドルもの大金を手にしたにも関わらず、彼の顔には一切の動揺がない。
「計算書はこちらです」
•魔獣の死体代(元金):350 ドル
•二日間の利息:20 ドル
•旅費(三名分):30 ドル
「合計、きっかり400ドルとなります」
周囲にいたエルフたちも、驚愕のあまり息を飲んでいる。
わずか二日足らずで、彼は巨大な魔獣の死体から、高価値の商品を次々と生み出し、約束の400ドルもの大金を、何の苦もなく用意したのだ。
ヒナエルは、彼の能力に疑いを持ちながらも、目の前の現実と、悠夜の背後にいる三人の大物たちの影を見て、何も言えなかった。
「……確かに受け取った」
彼女は、静かに頷き、ドルを受け取った。
食事を終えたドートリア、レインドルフ、そしてレプリアンの三人は、口々に悠夜の仕事ぶりを褒め称えながら、満足げな顔で自分の部族へと帰ろうとするところ。
「ドートリアさん、レインドルフのさんとレプリアンさん」
悠夜は静かに彼らに声をかけた。その表情には、商談の時とは違う、少しだけ冷徹な光があった。
「せっかくだから、もう一つの精算も済ませていきませんか? ちょうど年末ですから、領地から税金も上がってきた頃でしょう」
「ええ、もちろん。以前、皆さんが掛け売りで持って行かれた商品の件ですよ。期日はとうに過ぎています」
三人は、一瞬、目を見開いて顔を見合わせ、気まずそうに咳払いをした。
「お、おい、悠夜! そんなにすぐに金の話をするなよ!」
「すまなかった。正直、お前の商品は最高だったぜ。あれがあったおかげで、今年の領地運営は大当たりだ!」
「我々も、お前の品には心から感謝している。これがお前への残りの清算だ。」
悠夜は笑顔でその返済金を受け取った。合計2300ドルがある。
悠夜は彼らが完全に視界から消えるのを見届けてから、大きく息を吐き、静かに広場を見渡した。
「ふう……さてと。これで、『初期目標』達成だ」
「ヒナエルへの支払い分を引いても、手元には3000ドル残った計算になる」
悠夜は満足げな笑みを浮かべ、空になった大鍋を片付け始めた。
「よし。次は、いよいよ『第二段階』の準備に移るか」