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第20話:破壊者たち

ミスリル湖。

その名は、湖面がミスリルのように輝くことから名付けられたと伝えられている。

湖の周辺は自然の風景が清らかで美しいで、貴族たちのリゾート地として知られていた。


同時に、この湖はフランド帝国南東部の広大な畑を潤す主要な水源でもある。

ここから幾筋もの支流が伸び、大地を巡り、人々の命を支えているのだ。


一台の馬車が、都市の喧騒を離れて湖畔の静かな小道へと入っていく。

馬をあつかうのはフィーナ。

その後ろの荷台では、シルファンが珍しそうに窓の外の景色を眺めていた。

森とは全く違う、人間の手によって整えられた自然。

その美しさに、彼女はつい見とれてしまう。


「ふぁ……」

一方、エルザは馬車に乗るや否や、座席に横になって眠りこけていた。

揺れる馬車は、彼女にとって最高の揺りかごのようだ。


「着いたわよ」

フィーナの声が、穏やかな空気を破る。


その声に、エルザは気だるそうに身を起こした。

「ん……もう? 早いじゃないの」

「仕事、仕事っと……」

大きなあくびをしながら、エルザは凝り固まった体を伸ばす。


フィーナは馬車を降りると、手早く地図を広げ、現在地と目的地を確認した。

「シルファン、ここでいいわ。この支流はブロドスキーの領地へまっすぐ繋がってる」


フィーナが指し示したのは、湖から分かれて緩やかに流れる小川だった。

その流れの先にある運命を、シルファンはまだ想像できずにいた。


「……本当に、いいの? これを汚したら、たくさんの畑が……」

シルファンの声には、わずかな躊躇いが滲んでいた。

森で育ったエルフにとって、大地を汚すことは本能的な禁忌に近い。


「ウダウダ言ってんじゃないわよ、フォレストエルフ」

エルザが、シルファンの言葉を遮るように言った。

「時間は有限なの!他の支流も回らなきゃいけないんだから、さっさとやっちゃって」

その口調には、一切の同情も配慮もなかった。

ただ、任務を遂行するための効率だけが求められている。


フィーナもまた、黙ってシルファンを見つめている。

その視線は、有無を言わさぬ圧力を持っていた。


シルファンは、二人の視線に射抜かれ、小さく息を吐いた。

彼女は覚悟を決め、川辺に膝をつくと、呪文の詠唱を始めた。


シルファンの両手から、黒く、そして不気味な紫色の瘴気が立ち上る。

それはまるで、生きているかのように蠢きながら、清らかな水の流れへと溶け込んでいった。

瘴気が触れた水は、一瞬その色を失い、淀んだ灰色へと変わる。


「……これで」

詠唱を終えたシルファンが、額の汗を拭う。


フィーナは川面を一瞥し、眉をひそめた。

「足りないわ。もっとよ」

「え……?」

「毒の濃度が薄すぎる。これじゃあ、作物が枯れる前に浄化されてしまうわ。もっと濃く、深く。根絶やしにするつもりでやりなさい」


シルファンは反論しようとしたが、エルザの視線に気づき、口を噤んだ。

彼女は再び精神を集中させ、魔法を放つ。


瘴気は先ほどよりも濃く、禍々しい輝きを放ちながら川を汚染していく。

やがて、その支流は完全に死の色に染まった。


「……次よ」

フィーナはそれだけ言うと、さっさと馬車に戻ってしまう。


一本、また一本と、ミスリル湖から伸びる支流が毒に侵されていく。

シルファンは何度も魔力を使い果たし、そのたびに地面に倒れ込んだ。

魔力が枯渇になった。

全身から力が抜けになる。


そのたびに、エルザがやってきた。

彼女は倒れたシルファンの体を抱え上げると、懐から取り出した魔力回復薬の瓶を、その口に突っ込む。


「んぐっ……!」

シルファンの抵抗などお構いなしに、苦い液体が喉の奥へと流し込まれていく。

回復薬は即効性だが、その効果は荒々しい。

魔力が強制的に体内で生成され、血管が内側から焼かれるような錯覚に陥る。


「ほら、次行くわよ。いつまで寝てる気?」

エルザはシルファンを地面から引きずり起こすと、次の目的地へと歩き出す。


数日後、彼女たちの最初の任務は完了した。

ミスリル湖からブロドスキー領へ流れる全ての支流は、今や死の川と化している。


馬車の中で、フィーナが新たな地図を広げた。

「これでブロドスキーの今年の米は、その大分が収穫でき無くなるはずよ」

彼女の声には、わずかな満足感が含まれていた。


「次はこの地図に記された備蓄米の保管倉庫を、一つ残らず焼き払う」

「やるじゃないの、フォレストエルフ。なかなか使えるわね」

エルザが、ニヤニヤしながらシルファンの肩を叩いた。

その手は、やけに重かった。


「……シルファンよ」

シルファンは、力なく呟くように自分の名前を告げた。

もう何度目になるか分からない訂正だったが、エルザがそれを覚える気配は一向にない。


「はいはい、分かったから。で、次の作戦はどうするのよ、フィーナ?」

エルザがフィーナに視線を向ける。


フィーナは地図を指さしながら、淡々と説明を始めた。

「保管倉庫の場所は、すでに特定済みよ。まずは警備の状況を確認する。脅威があれば排除し、安全が確保できたら、三人で合流。最後はシルファン、あなたが魔法で保管倉庫を燃やして」

「また私なの……?」

シルファンの口から、不満の声が漏れた。


「毒を流すのも私、火を放つのも私。どうして、一番厄介なことばっかり……」

「あら、能力が一番高いんだから当然じゃない」

エルザが、さも当たり前のように言った。

「適材適所ってやつよ。私やフィーナには、広範囲を一瞬で焼き払うなんて真似できないもの」

「そうよ」とフィーナも続く。


「魔法が使えるのは、あなただけ。だから、あなたにしかできない仕事なの。これは信頼の証だわ」

二人にそう言われてしまえば、シルファンはもう何も言えなかった。


ここ数日で酷使した体は、鉛のように重い。

回復薬で魔力は補えても、精神的な疲労は蓄積される一方だった。

だが、彼女にはこの任務を断るという選択肢はなかった。

これは悠夜のために必要なことなのだと、自分に言い聞かせる。




こうして、三人組の仕事は、次の段階へと移行した。

彼女たちの旅は、驚くほど順調に進んだ。


帝国の保管倉庫は、名目上は衛兵による厳重な警備が敷かれているはずだった。

しかし、現実は全く違った。

ほとんどの保管倉庫は、給料だけを受け取って姿を見せない『決算レポートの衛兵』によって守られているだけ。


たまに警備がいると思えば、それは杖が無ければ歩くこともままならないような老人たちだった。

そんな彼らは、フィーナとエルザにとっては赤子の手をひねるよりも簡単な相手だ。


三人は、まるで観光でもするかのように、次々と村の保管倉庫を灰に変えていった。

一日で四つ、五つと、燃え上がる保管倉庫の数は増えていく。


『保管倉庫を狙う凶悪な盗賊団』

そんな噂が広まるのに、時間はかからなかった。


だが、それでも帝国官僚たちの動きは鈍かった。

所詮、保管倉庫の中身は平民と国家のもの。

それを守るために、自分たちが危険な目に遭うのはごめんだ。

誰もがそう考えていた。

帝国という巨大な壁に穿たれた、無数の小さな穴。

その穴から、国そのものが腐り落ちていこうとしている。


アレクシディム村に、たどり着くまでは。

その村は、今まで通り過ぎてきたどの村とも、どこか空気が違った。

三人は少し離れた丘の上から、村の保管倉庫を観察していた。


「……少し、厄介ね」

保管倉庫の周囲には、数台の馬車が停まっている。

どうやら、これから食料を運び出すところらしい。


そして、その周りを男たち数人の姿があった。

そして、その中心にいる二人の人物。

一人は、背の高い役人風の男。

もう一人は、剣士の出で立ちをした、若い少女だった。


「へーきへーき。シルファンがいるんだから、あんなのちょちょいのちょいでしょ」

エルザは、相変わらずおべっかを言った。

「いつもみたいに、こっそり近づいて一人ずつ始末すればいいじゃない」

「いいえ、慎重にいくわ」

フィーナは、エルザをぴしゃりと否定した。


「あの役人と剣士……今まで見てきた連中とは違う」

「そう……?」

「ええ。まずは周りの農民たちから片付けるわ。残った二人を最後に仕留める」

フィーナの提案に、シルファンも静かに頷いた。



視点が切り替わる。

食料庫の前では、行政官と剣士の少女ジョルジアーナが真剣な面持ちで警備にあたっていた。

その瞳には、このフランド帝国に生きる多くの人々がとうに失ってしまった、強い意志の光が宿っている。

彼らは、ただそこに立っているだけで、周囲の淀んだ空気とは明らかに異質だった。


だが、彼らはまだ知らない。

丘の上の木陰から、三つの視線が自分たちに注がれていることを。

死が、静かに、そして確実に、その歩みを近づけていることを。


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