第14話:飢餓計画
街の喧騒から少し離れた、郊外の一角。
そこに、その屋敷はひっそりと佇んでいた。
高い塀が周囲の視線を遮り、その上には蔦がびっしりと絡みついている。
「……ここか?」
悠夜の問いに、マカカチは無言で頷いた。 そして、少し複雑な手順で門を開けると、三人(と、意識のないセルリン)を中に招き入れた。
屋敷の敷地に入った途端、マカカチは深く被っていた帽子を脱いだ。
ぴょこん、と。
緊張から解放されたように、猫耳が姿を現し、軽く揺れた。
「ようこそ、マカカチ商会へ!」
彼女はくるりと振り返り、悪戯っぽく笑う。
「私の、商会へ」
その言葉と同時に、屋敷の扉が内側から開かれ、数人のメイド服を着た少女たちが姿を見せた。
彼女たちの頭にもまた、可愛らしい猫の耳が生えている。
「お帰りなさいませ!」
出迎えたメイドたちに、マカカチの表情が一瞬で『商人』から『主』へと切り替わる。
「この子をお願い! すぐに医務室へ。汚れているから、身体を綺麗に拭いて、怪我の治療しろ」
メイドたちは一糸乱れぬ動きで頷くと、シルファンが抱えていたセルリンを慎重に受け取り、屋敷の奥へと運んでいった。
その背中を、シルファンは不安そうな目で見送る。
「セルリンは……大丈夫でしょうか」
「ああ、マカカチに任せておけば大丈夫だ。心配いらない」
悠夜はシルファンの肩を軽く叩き、慰めるように言った。
セルリンの処置が一段落するのを待つ間、マカカチは悠夜とシルファンに屋敷の中を案内して回った。
「ここは応接間。大事な商談はここで行うわ」 「こっちが倉庫。商品はカテゴリー別に、完璧に管理されてる」 「台所はこっち」
マカカチが胸を張って紹介する屋敷の内部は、どこもかしこも塵一つなく、整理整頓が行き届いている。
彼女の有能さが、この場所そのものから伝わってくるようだった。
廊下を歩いていると、時折他のネコ族の者たちとすれ違う。
皆、マカカチを見ると恭しく頭を下げ、すぐに自分の仕事へと戻っていく。
その中には、片腕を失った老人や、足を引きずる若い娘の姿もあった。
それでも彼らは、決して不幸そうには見えなかった。
むしろ、自分の居場所があることに誇りを持っているかのように、その表情は生き生きとしていた。
悠夜は内心の感嘆を隠さずに口にした。
「大したものだな。これだけの……ネコ族を救ったのか」
百年前に終結した、人間と獣人の大戦。
その敗戦以来、ネコ族は人間社会の片隅で、息を潜めるように生きてきた。
幸い、その姿形が人間に近かったため、多くは商人として社会に溶け込み、独自のネットワークを築き上げてきた。
マカカチのように、奴隷市場に売られた同胞を買い戻し、保護する者がいる一方で。 同胞を騙し、人間に売り渡すことで富を得る者も、残念ながら存在した。
それが、ネコ族の置かれた厳しい現実だった。
「一人で支えていけるのか?」
悠夜の問いに、マカカチは肩をすくめた。
「私が直接助けた子もいれば、実家から連れてきた人もいるわ。それに、助けたからってタダ飯を食わせるつもりはない。生きたいと願い、努力する者だけが、救われる価値があるのよ」
「実家……?」
悠夜はニヤリと口の端を吊り上げる。
「なんだ、お前。そのふてぶてしい態度で、まさかどこぞのお嬢様だったりするのか? この性悪雌ネコが」
グッ、と。
マカカチの人差し指が、悠夜の脇腹にめり込んだ。
「……っ!?」
「誰が性悪ですって? 口の利き方には気をつけなさいよね」
その耳は、不満を隠さずにピンと後ろを向いていた。
悠夜は痛む脇腹をさすりながら問いかける。
「それにしても、人間の街でこれだけの規模で同族を匿うのは……危険じゃないのか?」
戦争が終わって百年。 しかし、互いの種族への憎悪の炎は、未だにくすぶり続けている。
「危険よ。毎日が綱渡りみたいなものだわ」
マカカチはあっさりと認めた。
「でも、それが商売をする上での『妥協』ってもの。危険を冒さなければ、得られるものも得られない」
その横顔に、一瞬だけ、彼女が背負う重圧の影が差したのを、悠夜は見逃さなかった。
「だが、こちらにしか無い『独占商品』があれば話は別だ」
悠夜は言った。
「客の方から頭を下げて、売ってくださいとやってくる状況を作ればいい。そうすれば、危険な妥協をする必要もなくなる」
その言葉に、マカカチの猫耳がピクリと反応した。
場所は変わり、屋敷の書斎。
ここからが、本題だった。
「これからブロドスキーで行う作戦について、具体的に説明する」
悠夜は落ち着いた声で切り出した。
その口調は、まるで戦場の指揮官のように、冷静で、揺るぎない。
「作戦は三段階。そして、それぞれを同時に進行させる」
「まず第一段階は、マカカチ、君の役目だ」
「ええ、わかっているわ」
マカカチは落ち着いて頷く。
「現在の米の市場価格は、販売価格が1トンあたり10ドル、買取価格が9ドル。君にはまず、この買取価格9ドルを『上回る』値段で、領内の米を可能な限り買い占めてもらう」
「……一時的には大赤字になる、博打みたいな話よね。でも、最終的なリターンを考えれば、呑めるリスクだわ」
マカカチは冷静に分析する。
その様子に、シルファンはますますついていけず、頭の上に「?」を浮かべている。
「それだけじゃない」と悠夜は続けた。
「同時に、『他国で米が大豊作となり、今後、米の価格は暴落する』という偽の情報を、大々的に流布させる」
「そして、うちの在庫米を市場価格以下で放出して、買い控えを誘発させるのね。わかってる」
マカカチは悠夜の言葉を継いで、完璧に意図を説明した。
「そ、そうすると、どうなるんですか?」
シルファンがおずおずと尋ねる。
「価格が暴落すると思えば、他の商人は誰も米を買わなくなる。逆に農民は、少しでも高く売れるうちにって、慌てて米を売りに来る。その米を、相場より高く買い取ってくれる私たちの商会だけに、全てが集中する。こうして、今季のブロドスキー領の米市場を、私たちが独占するのよ」
「そ、それなら……!」
シルファンはそこでようやく、計画の一端を理解したらしい。
ぱあっと顔を輝かせる。
「そのあと、米の値段を高くして売れば、すごく儲かりますね!」
そのあまりにも単純な発想に、悠夜とマカカチは思わず顔を見合わせた。
「……違う。むしろ逆だ」
悠夜はきっぱりと否定した。
「マカカチには、独占した米の値段を、市場価格よりさらに『下げて』もらう」
「え……? どうしてですか?」
「ブロドスキー領の税収は、その多くを米に依存している。米価が暴落すれば、領主の税収は激減する。税金で生活している役人、兵士、そして領主そのものが、経済的な危機に陥る。これが第一の目的だ」
悠夜の言葉に、シルファンはただただ混乱するばかりだ。
「ですが、それだけでは足りない。そこで、第二段階だ」
悠夜の視線が、シルファンに向けられる。
「シルファン、君の出番だ」
「は、はい!」
「君がネコ族の数人を率いて、領内の水源地と農村に向かってもらう。そして、農業に使われる水に、毒の魔法をかけてほしい」
「……えっ」
シルファンの顔から、血の気が引いていく。
「ど、毒……ですか?」
「もちろん、作物の成長を阻害する。それを使えば、その水で育つ作物は全て枯れ果てる。さらに、収穫を終えた穀物を保管している倉庫を見つけ出し、焼き払う」
「そ、そんな……!」
「これにより、市場価格の暴落に加え、ブロドスキー領内に存在する米の『絶対量』そのものを減らす。税収の激減と、深刻な食糧不足。二つの危機が同時に領主を襲うことになる」
悠夜は淡々と語り続ける。
「そうなれば、領主は他の収入源を探さざるを得なくなる。……そこで、第三段階。俺の出番だ」
「危機的状況に陥った領主との交渉だ。こちらが主導権を握れるのは間違いない。俺は、死体の買取価格を極限まで引き下げさせ、なおかつ、領民から積極的に死体を供出させるよう、領主に圧力をかける。これで、必要な『素材』は、安定的かつ安価に手に入るようになる」
完璧な作戦。
しかし、シルファンには一つの大きな疑問が残っていた。
「で、でも、そんなことをしたら、マカカチさんが大損してしまいます! 米を高く買って、安く売って……」
「ああ、それか」
悠夜はシルファンの懸念を一笑に付す。
「それは大丈夫だ。マカカチが損をすることは、絶対にない」
「え?」
「いいかい、シルファン。米の価格が暴落する、というのは、我々が市場に流した『嘘』に過ぎない。実際には、君の活躍によって、領内の米は壊滅的な状況になるんだ。その事実に人々が気付くまで、そう時間はかからないだろう」
「……あっ」
「収穫した米を、暴落前にと全て売り払ってしまった農民たちはどうなる? 手元には、わずかな金しか残らない。そして、食べるものが、何もない」
絶望的な状況。
「彼らは、生きていくために、米を買うしかない。どんなに高くても」
悠夜の言葉を引き継いだのは、マカカチだった。
彼女は冷たい笑みを浮かべている。
「その時、領内の米を独占しているのは、私だけ。供給量を絞り、価格を吊り上げる。農民たちが必死に売って手に入れたわずかな金を、根こそぎいただくわ。損なんてするはずないじゃない」
「そん……な……」
シルファンは絶句した。 あまりにも、残酷な計画。
「農民の人たちが……可哀想です! ただでさえ領主に搾り取られて、苦しい生活をしているのに……! さらに私たちまで、彼らを苦しめるなんて……!」
そんなシルファンの訴えを、マカカチは鼻で笑った。
彼女は、冷え切った瞳でシルファンを見据え、言い放つ。
「可哀想? 何がよ」
「……人類は、自業自得」




