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第13話:涙と鉄の心

フランド帝国の都市、ブロドスキー。

その先には、悠夜たちが見てきた光景とは全く異なる世界が広がっていた。


石畳で舗装された道。

整然と立ち並ぶ美しい街並み。

そして、そこにいる人々は誰もが清潔で、立派な衣服を身にまとっている。


つい先ほどまで見てきた、泥と汗にまみれた農民たちの姿はどこにもない。

両者はまるで、異なる世界に住む生き物のようだった。


城門を通ったばかりの、農民らしき男がいた。

彼はあまりの光景の違いに戸惑い、近くを歩いていた身なりの良い男に何かを尋ねた。

しかし、返ってきたのは侮蔑に満ちた冷たい一瞥だけ。

農民はそれだけで萎縮し、小さくなって道の端へと消えていく。


これがフランド帝国。


都市と農村。

税を納める者と、税を取り立てる者。

生産者と、生産しない者。

消費しない者と、消費者。


その二つのグループによって、この国は成り立っている。


生きるために搾り取られる者たちと、生きるために搾り取る者たち。


その断絶は、あまりにも深く、そして暗い。




「こっちよ」

マカカチの軽快な声が、悠夜とシルファンを現実へと引き戻した。


彼女はこの街に詳しいようで、慣れた足取りで人混みの中を進んでいく。

「すごい……これが人間の町……」

シルファンが、フォレストエルフの里では考えられないほどの人の数に圧倒され、感嘆の声を漏らす。


彼女の大きな瞳は、好奇心と少しの不安に揺れていた。


しばらく歩いていると、シルファンが意を決したように口を開いた。

「ねえ、二人とも……お願いがあるんだけど」

「どうしたんだ?」

「奴隷市場……っていう場所に行ってみたいの」

その言葉に、悠夜とマカカチは少しだけ驚いた顔を見せた。


「どうして急にそんな場所に?」

マカカチが訝しげに尋ねる。


「もしかしたら……他のフォレストエルフがいるかもしれないから……」

シルファンの声には、仲間を案じる切実な響きが込められていた。


「わかった。行ってみよう」

「マカカチ、案内できるか?」

マカカチは少しだけ考える素振りを見せたが、すぐに肩をすくめた。


「まあ、いいけど。あまり気分の良い場所じゃないわよ」

「ありがとう、マカカチ!」


マカカチは少しだけぶっきらぼうに先を歩き出す。

三人で向かったのは、街の中心部に位置する賑やかな大通りだった。

道行く人々は皆、高価な飾りを身につけている。


その一角に、ひときわ大きく、そして威圧的な建物があった。

『ブロドスキーランド中央奴隷商会』

大きな看板が、そう掲げられている。


「ここよ」

人波をかき分け、三人は建物の中へと足を踏み入れる。


内部は広く、多くの人々でごった返していた。

香水の甘ったるい匂いと、人々の熱気が混じり合い、むっとするような空気が漂っている。


そして、何よりも目を引いたのは、商品として陳列されている『人々』だった。

まるで本屋の書棚のように、奴隷たちはカテゴリーごとに分けられ、檻に入れられていた。


『戦闘用』『観賞用』『労働用』……。

それぞれのサインボードが、彼らの価値を無慈悲に定義している。


そこにいる買い手――おそらくは貴族や富裕層だろう――は、品定めをするように檻の前を歩き回り、時折、商人と下品な笑い声を上げていた。


人間もいれば、獣人も、魔族もいる。

彼らの瞳からは、光が失われていた。


「ひどい……」

シルファンが小さな声で呟く。

「感傷に浸ってる暇はないわよ。さっさと見て、さっさと出るわよ」

マカカチは冷たく言い放ち、先へと進んだ。


三人は、フォレストエルフがいないか確認しながら、ゆっくりと店内を見て回った。


屈強な戦士。

異国の衣装をまとった美しい踊り子。

様々な人種が、商品として並べられている。


しかし、シルファンの探しているフォレストエルフの姿は、どこにも見当たらなかった。

香水の匂いをぷんぷんさせた貴族を避けながら、三人は店の奥へ、最後の列へとたどり着いた。


そこは『その他』や『訳あり品』と書かれたサインボード掲げられた区画だった。

他の区画よりも薄暗く、澱んだ空気が漂っている。


やはり、ここにもいない。

悠夜とマカカチは、シルファンに声をかけ、もう店を出ようとした。


その時。

「あっ……!」

シルファンが、悠夜の腕を強く掴んだ。


彼女の視線は、一番奥の、最も汚れた檻に釘付けになっている。

「どうした?」

「あそこ……」

シルファンの指さす先。


そこには、泥と乾いた血にまみれた誰かが、ぐったりと横たわっていた。

ひどく衰弱しており、息をしているのかどうかさえ分からない。

種族は……リスのミミとシッポを持つ、スクウィレル族の獣人だった。


「セルリン……」

シルファンが、震える声でその名を呼んだ。

すると、ぴくりと。

横たわっていた獣人が、微かに反応した。

薄っすらと目を開け、虚ろな瞳でこちらを見ている。


その瞬間、三人の背後から、ぬっとした声がかけられた。

「おやお客さん。そこの汚いリス人に何かご用で?」


太った、人の良さそうな笑みを浮かべた男。


この店の店員だろう。

だが、その目は全く笑っていなかった。


悠夜は咄嗟に、前に出ようとするシルファンの肩を強く掴み、制止した。

喋るな、と目で合図する。


シルファンは、涙が溢れそうになるのを必死で堪え、俯いた。


マカカチが一歩前に出た。

彼女の表情は、いつもの商人の顔に戻っていた。


「別に。ただ、狩りに使う餌を探してるだけよ」

「餌、でございますか?」

「ええ。ファルコンを狩るのに、生きた餌が必要でね。こいつ、ちょうどいいかと思って」

「へえ、お客さん、通ですな。ファルコンは、こういう手負いの獲物を嬲り殺しにするのが大好きでしてねぇ」

「そうみたいね。でも、これは流石に弱りすぎじゃない? もう死にかけてるように見えるけど。ファルコンは死体には興味ないのよ」


店員は、その言葉を聞いて、手に持っていた木の棒で檻を力任せに叩いた。


ガァンッ!と、不快な音が響く。

「ひっ……!」

中にいたリス人――セルリンが、反射的に身を縮こまらせる。


だが、棒は無情にも彼の背中に叩きつけられた。

「この通り、まだまだ元気ですよ。ただちょっと汚れてるだけです」


店員はそう言って、下卑た笑みを浮かべた。


シルファンが、息を呑む音が聞こえた。

悠夜は、彼女の肩を掴む手にさらに力を込めた。


「ふーん。まあ、いいわ。で、いくら?」

マカカチはあくまでも興味なさそうに尋ねる。


「150ドルでどうです? スクウィレル族なんて、今じゃ珍しいですぜ」


その値段を聞いて、シルファンが焦ったようにマカカチの服の袖を引いた。

早く買って、と彼女の目が訴えている。


だが、マカカチはそれを完全に無視した。


「はっ、冗談でしょ。50ドルよ。こんな病気の塊みたいなのに、それ以上の価値はないわ。ファルコンの餌なんて、別にリス人じゃなくてもいいんだから」

「50ドルはあんまりだ! こっちも商売なんでね、元が取れなきゃ話にならねえ!」

「あらそう。じゃあ、いらないわ。他を当たるから」

マカカチはそう言うと、踵を返し、本当に店を出ていこうとした。


その背中に、店員が慌てて声をかける。

「ま、待ってくださいよ、お客さん!」

「……何?」

「わかりやした! 50ドルで結構! ただし、その値段じゃあ、無料の隷属化魔法は付けてやれませんぜ?」

「別にいらないわ。どうせすぐに死ぬんだし、抵抗する元気も残ってないでしょ」


マカカチは懐からドルを取り出すと、それをカウンターに叩きつけた。

悠夜とまだ涙を堪えているシルファンを促して店の外へと向かった。


マカカチは、檻の中で動けないでいるセルリンに向かって、冷たく言い放った。

「おい、起きろ。行くぞ」


セルリンは必死に身を起こそうとするが、力が入らず、再び倒れ込んでしまう。


マカカチは、ちっと舌打ちをすると、セルリンの首につながれた鎖を掴んだ。

そして、まるで荷物でも運ぶかのように、彼を乱暴に引きずり始めた。


店の外へ。

店員の視界から、完全に消えるまで。


外で待っていたシルファンは、その光景を見て、ついに感情を爆発させた。

引きずられていたセルリンを抱きかかえた。

「セルリン! セルリン! ……!」

堰を切ったように、彼女の瞳から大粒の涙が溢れ出した。


悠夜が周囲を警戒しながら二人を急かす。

ようやく人通りの少ない路地裏までたどり着き、三人はひとまず足を止めた。


悠夜はすぐにアイテムボックスから回復薬を取り出し、セルリンの口元へと運ぶ。

薬を飲んだセルリンの顔に、少しだけ血の気が戻った。


その様子を見届けたシルファンは、次の瞬間、怒りに満ちた顔でマカカチに向き直った。


そして、


パァン!


乾いた音が、路地裏に響いた。

シルファンの平手が、マカカチの頬を強く打ち据えていた。


「……っ!」

マカカチは、何も言わずにその一撃を受けた。


「どうしてあんなひどいことができるの!? セルリンがどれだけ苦しんでいたか、分からなかったの!?」

シルファンの声が、怒りと悲しみで震えている。


「あなた……奴隷の扱いに詳しすぎるわ……。もしかして、昔は奴隷商人だったんじゃないの!?フォレストエルフも、あなたが売ったことがあるんじゃないの!?」

それは、あまりにも酷い、疑念に満ちた言葉だった。


しかし、マカカチは怒るでもなく、そして、ゆっくりと口を開いた。


「……ああでもしないと、疑われるからよ」

「あの場で、知り合いだとバレていたらどうなっていたと思う? 店員は値段を吊り上げるでしょうね。買えたとしても、後をつけてきて、もっと金をせびるかもしれない。最悪、仲間だと分かれば、もっと多くの『商品』をちらつかせて、私たちを脅迫してくるわ」


「……」


「奴隷市場なんて、そういう連中の巣窟よ。少しでも情を見せたら、骨の髄までしゃぶり尽くされる。だから、私は『ただの買い手』を演じるしかなかったの」

シルファンは、言葉を失っていた。


マカカチは、淡々と続けた。

「私がここに詳しいのは、奴隷商人だったからじゃない。逆よ」

「……逆?」

「ここで……たくさんのネコ族を買い戻してきたから。」


その言葉には、シルファンの知らない、重い時間が込められていた。

「フォレストエルフが故郷を失ったのは、ここ数年の話でしょう?」

「私たち獣人は……百年前に人間との戦争に負けてから、ずっと故郷なんてないのよ」


ずっと、だ。


百年もの間、獣人は人間から虐げられ、差別され、そして商品として売買されてきた。

マカカチの言葉は、シルファンに突きつけていた。


彼女がいつも見せている、あの明るく商人の顔。

その仮面の下で、彼女がどれだけのものを背負い、どれだけの仲間を救うために、この汚れた世界で戦ってきたのか。


シルファンは、ようやくその一端を理解した。

「ごめ……なさい……」

か細い声で、シルファンは謝罪した。


「私、何も知らずに……」

「……この子は、セルリン。森にいた頃の、私の友たちなの。魔族に襲われてから、ずっと会えなくて……」


感動的な再会。


そんな感傷的な空気を、マカカチは一言で断ち切った。

彼女は、ただ冷たく、そして静かに言った。

「……もう、行くわよ」


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