第11話:死体調達
ヒナエルに耳を掴まれていたネコ族の商人、マカカチは全身砂まみれで、まるで何日も土の中で寝ていたかのような、ひどく狼狽した様子だった。
しかし、そんなみすぼらしい格好をしていても、マカカチの態度は尊大そのものだった。
彼女は悠夜を見ると、ふんと鼻を鳴らし、挑発的に口の端を吊り上げた。
「あら、なかなかやるじゃない、あたしの奴隷」
「……」
「ほんの数日でここまで形にするなんて。てっきり、ここで飢え死にしてるかと思ってたわよ?」
その言葉に、悠夜は呆れたように深いため息をついた。
「誰がお前の奴隷だ。いい加減なことを言うな」
「あらあら、奴隷に限って自分は奴隷じゃないって否定するのよねぇ」
マカカチはクスクスと笑いながら、悠夜を指さす。
「そう、あんたのことよ、ユウヤ」
「……っ!」
悠夜は少し苛立ち、不機嫌な表情を隠そうともしない。
「好きに言わせておくが、俺はお前の奴隷じゃない」
「はいはい」
マカカチは全く意に介さない様子で、悪戯っぽく笑うと、不意につま先立ちになった。
そして、悠夜の頭に手を伸ばし、優しく撫でる。
「そんなに怒らないでよ、あたしの奴隷クン?」
「……!」
悠夜は反射的に頭を振ってその手を振り払った。
「マカカチ、あなたこそどうしたの? そんなに酷い有様で。こんな夜更けにこんな場所で何を?」
ヒナエルの問いに、マカカチは先程までのからかうような態度を消し、げんなりとした表情で肩を落とした。
「それがさ……ちょっとね、たちの悪い盗賊に絡まれちゃって」
「盗賊?」
「ええ。なんとか逃げ切ったはいいけど、すっかり道に迷っちゃって……そしたら、遠くに明かりが見えたから、こっそり様子を見に来たのよ。まさかあんたたちだったなんてね」
その話を聞いた悠夜は、鼻で笑った。
「はっ、盗賊だぁ? どうせまたどこかで悪徳商売でもして、追われてただけだろ」
「なんですって!?」
マカカチはカチンときたのか、素早く悠夜の脛を蹴り上げた。
「ごっ……!?」
不意打ちを食らった悠夜は、バランスを崩してよろめく。
「あんたみたいに、人をすぐ詐欺師扱いしないでくれる!?」
悠夜は体勢を立て直すと、怒りに任せてマカカチの頭上にある猫耳を両手で鷲掴みにした。
「いっだぁ!? 何すんのよ!」
「お前こそな!」
マカカチも負けじと、悠夜の頬の肉を力一杯つねり返す。
「ぐににに……!」
「離しなさいよ!」
「お前が離せ!」
子供の喧嘩のように、二人は互いの耳と頬を引っ張り合い始めた。
その光景に、ヒナエルとシルファンは顔を見合わせ、深いため息をつく。
「もう、二人ともやめなさい!」
「ユウヤもマカカチも、いい加減に!」
二人がかりで、なんとか悠夜とマカカチを引き離した。
シルファンは心配そうな顔でマカカチに尋ねる。
「マカカチ、ご飯は食べたの? 残り物だけど、まだ少しあるわよ」
その言葉を聞いた瞬間、マカカチの雰囲気が一変した。
「食べる! 食べるわ! もうお腹ペコペコで死にそうだったのよ!」
彼女はくんくんと鼻を鳴らし、目を輝かせた。
「さっきからすっごくいい匂いがすると思ってたのよ! さすがシルファンのご飯ね!」
「ううん、これ、ユウヤが作ったのよ」
「……え?」
シルファンの言葉に、マカカチはぴたりと動きを止めて、悠夜の方を向いた。
悠夜はまだつねられた頬をさすりながら、ぷいっとそっぽを向いてぶっきらぼうに言った。
「……食ってもいいが、金はもらうぞ。一人前、1000ドルだ」
「はぁ!? あんたの作った飯なんて、逆に1000ドルくれても食べたくないわよ!」
またしても睨み合う二人を見て、ヒナエルはこめかみを押さえた。
「はいはい、もういいから。喧嘩はそこまで」
ヒナエルが厨房から残りの食べ物を持ってくると、マカカチはそれに飛びついた。
よほどお腹が空いていたのだろう。
マカカチはテーブルマナーも忘れて、がむしゃらに料理を口に運んでいく。
その食べっぷりは、見ていて清々しいほどだった。
あっという間に皿を空にしたマカカチは、少し喉を詰まらせて咳き込んだ。
「……っ、けほっ」
それを見た悠夜は、何も言わずに水の入ったカップを彼女の前にすっと置いた。
マカカチは一瞬、悠夜の方をちらりと見たが、すぐにカップをひったくるように手に取り、水を一気に飲み干した。
シルファンがマカカチのために客室を用意し、彼女を部屋へ案内しようとした。
その背中に向かって、マカカチがふと思い出したように声をかけた。
「あ、そうだ。さっきここに来る時、アンデッドを何体か殴り倒しといたわよ」
「……なんだと?」
「頭が取れただけだから、まだ使えるでしょ? 感謝しなさいよね」
ようやく収まったはずの怒りが、いとも簡単に再燃させられたのだ。
「……この性悪猫め……!」
翌朝。
悠夜は、建物の外から聞こえてくる騒がしい声で目を覚ました。
何事かと思い、気怠い体を引きずって部屋のドアを開ける。
すると、そこには数人のフォレストエルフに囲まれ、得意げに何かを語っているマカカチの姿があった。
「……でね、ユウヤのやつ、実は夜になると淫魔に変身するのよ!」
「ええっ!?」
「まさか……ユウヤ様が……」
フォレストエルフたちは、マカカチの話を真に受けて、驚きの声を上げている。
「見た目はまともそうなのに、裏ではそんなことを……」
「……おい」
地を這うような低い声に、フォレストエルフたちがびくりと肩を震わせた。
声の主である悠夜は、額に青筋を浮かべている。
「マカカチ……てめぇ、朝っぱらからデタラメ吹き込んでんじゃねぇぞ!」
「きゃあ! 淫魔様が怒ったわ!」
「みんな、騙されるな! こいつが言ってることは全部嘘だ!」
悠夜はマカカチに向かって駆け寄り、その耳を掴もうと手を上げた。
その瞬間、マカカチはわざとらしく叫んだ。
「あ、あああっ! ごめんなさい! 淫魔様、あたしにそんな手を差し伸べないで!」
「誰が淫魔だ!」
悠夜は怒りのままに、マカカチの頭にげんこつを落とした。
ゴツン、と鈍い音が響く。
「うっ……ひっく……」
マカカチはすぐに頭を抱え、大げさにしくしくと泣き真似を始めた。
そこに、ちょうどヒナエルとシルファンが通りかかった。
ヒナエルは呆れたようにマカカチを見つめる。
「マカカチ、あまりユウヤをからかうのはやめなさい。これ以上、彼の名誉を傷つけるようなら……」
ヒナエルが静かに、しかし有無を言わせぬ圧力で告げる。
「ここから追い出すことになるわよ」
その言葉に、マカカチはピタリと泣き真似をやめ、唇を尖らせた。
ようやく騒動が収まり、落ち着きを取り戻した頃。
マカカチは悠夜の隣にちょこんと座り、探るような目で彼を見つめた。
「ねぇ、ユウヤ」
「なんだ」
「ここも随分と立派になったじゃない。あんた、これから先もずっとここにいるつもり?」
その問いかけには、いつものからかうような響きはなく、どこか試すような、そして少しだけ甘えるような響きが混じっていた。
悠夜は少しの間、遠くの地平線を見つめていたが、やがて静かに首を横に振った。
「いや」
「……え?」
「数日休んだら、また旅に出る」
「旅に……どこへ?」
「フランド帝国だ」
悠夜は、決意を秘めた目で答える。
「安定した死体の供給源を確保する必要がある。」
悠夜は少し考え込んだ後、ふとマカカチの方を向いた。
「……そうだ。マカカチ、お前も一緒に来るか?」
「へっ?」
「色々と、お前の商才が必要になる場面が出てくるはずだ」
突然の誘いに、マカカチは目をぱちくりさせた。
そして次の瞬間、彼女はぷいっと顔をそむけ、ツンとした態度で言い放った。
「な、何よ急に……! あたしは高いわよ?」
「ああ、知ってる」
「この旅でお前は間違いなく大儲けできる。俺が保証する」