episode83「Revenge-4」
「このままじゃ激情に溺れて冷静な判断を失うね? そしてそのまま負けるのがオチだね? そうだね? ゲイラ?」
対峙する二人を眺めつつ、エトラがゲイラへそう言ったが、聞こえていないのかゲイラはニシルをひたすら睨み続けている。その様子に、エトラは仮面の奥で小さく溜め息を吐いた。
チラリと。縛っている少女へ、エトラは目を向ける。気を失ったままではあるが、縛られて苦しいのか苦悶の表情を浮かべている。
「少年?」
エトラがニシルへ視線を向けると、ニシルはすぐにエトラの方へ顔を向けた。
「大人しく降参した方が良い……そうだね? 少年?」
エトラは仮面の奥でニヤリと笑みを浮かべると、右手の平から伸びる、エルゼを縛っているワイヤーを引っ張った。きつく締め上げられたワイヤーが、エルゼの身体に食い込んだ。
「うっ……!」
「エルゼッ!」
苦しそうな声を上げるエルゼの元へ駆けだしたニシルの目の前に、素早くゲイラが降り立った。
「どこへ行くつもりだ」
「退けよナルシスト」
キッとゲイラを睨みつけるニシルをよそに、ゲイラはエトラへ視線を向けた。
「余計なことはするなエトラ」
「僕達の目的はあくまでチリーであって、その少年ではない……そうだね? ゲイラ?」
「それはそうだが……!」
口惜しそうな表情を浮かべ、ゲイラは舌打ちすると再びニシルへと視線を向けた。
「僕としては不本意だが……彼女のためにも、君は人質になるべきだ」
やや口惜しそうな表情を浮かべたまま、ゲイラはニシルへそう言った。
――――僕は君とそういうのはなしで戦うつもりだ。
口惜しそうなゲイラの表情と、戦う前にゲイラが言った言葉から察するに、現在の状況はゲイラとしても不本意なのだろう。エトラはともかく、ゲイラにはエルゼを傷つけるつもりがないと、断言は出来ないがそう推察することが出来た。ニシルは縛られたエルゼを見、もう一度ゲイラへ視線を移す。自分が実行しているわけではないとはいえ、卑怯な手を使ってしまっていることが心苦しい、といった様子でゲイラはうつむいていた。
「おい仮面野郎! エルゼは関係ないだろ!」
「僕達には関係なくても君には関係ある……そうだね? 利用する条件としては十分だと思うよ? そうだよね? 少年?」
「く……ッ」
疑問符を繰り返し、仮面の奥で笑みを浮かべているであろうエトラの顔面に、ニシルは拳を叩き込みたいと心底感じた。しかし、下手に動けばエルゼはあのまま締め上げられて……途中まで想像して、ニシルはかぶりを振った。
「わかっ……たよ。わかった、僕が人質になれば良いんだろッ! クソ! 言う通りにしてやるからエルゼを――」
そう、ニシルが言いかけた時だった。
「諦めてンじゃねェよ」
まるで吐き捨てるかのように、ニシルの隣でそんな言葉が聞こえた。
「え――」
ニシルが声の主へ視線を向けるよりも先に、その少年は颯爽と駆け抜け、エトラの眼前まで迫った。
「お出ましだね? そうだね!?」
「相変わらずうるッせェんだよクソがッ!」
アッパー気味に繰り出された少年の右拳が、エトラの腹部へ直撃する。のけ反ったエトラの顔面へ、少年は続けざまに左拳を叩き込む。
メキメキと音を立てて仮面は砕け、エトラはそのまま後方へ吹っ飛んだ。
「チリー……ッ!」
憎々しげなゲイラの言葉に、少年は振り返らぬまま笑みを浮かべた。
「ようニシル。大丈夫か?」
ニシルの方へ振り返り、チリーはニッと笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ、問題ない……ってお前抜け出してきたのか!?」
「おう、ちょっとなー」
ニヤリと再び笑みを浮かべると、チリーは右手を突き出した。すると、チリーの手の中に剣の柄が形成されていく。やがてそれは伸びていくようにして、大剣の形を形成していく。一秒と経たない内に、チリーの右手には彼の身の丈程もある大剣が握られていた。
「そォらよッ!」
掛け声と共に、チリーはエルゼを縛るワイヤー目がけて大剣を振り下ろす。すると、エルゼを縛っていたワイヤーはいとも容易く切り裂かれ、解放されたエルゼはその場へドサリと倒れた。
「エルゼ!」
チリーはすぐにエルゼを抱き起こすと、木の幹に寄り掛からせるようにして座らせた。
「これで心配ねーな?」
チリーの言葉に、ニシルはおう、とだけ短く答えた。
「おーい仮面野郎、生きてるかー?」
チリーの言葉に、エトラは答えなかった。
「ンだよ、もう倒れちまったのか……」
見れば、エトラは気絶していた。チリーに仮面ごと顔面を殴りつけられて吹っ飛ばされ、そのまま気絶してしまったのだろう。
「んじゃ、後はテメエだな」
チリーとニシルの視線が、一斉にゲイラへと集まった。すると、ゲイラはすぐに空高く飛翔し、チリーとニシルを上空から睨みつけた。
「エトラがやられたところで、僕には関係ない……! 僕の美しい身体を傷つけたお前ら二人には、どちらにしろ死んでもらうッ!」
そう、ゲイラが叫ぶと同時に、ゲイラの身体はゴキゴキと音を立てて骨格ごと変形していく。
「マジかよ……」
ニシルが驚嘆の声を上げた頃には、既にゲイラは巨大な鷹へと変化を遂げていた。
「おいニシル、跳べるか?」
「は? 何言ってんだよ」
「アイツんとこまで跳べるかって訊いてんだよ」
チリーの言葉にニシルは首を左右に振った。
「お前じゃあるまいし、僕はあんなとこまで跳べない」
「んじゃ跳ばしてやるよ」
ニッと笑みを浮かべたチリーへ、ニシルは首を傾げて見せた。
「何でだよ。わざわざ僕が行かなくても、チリーが自分で跳んで行けば良いだろ!」
ニシルの言葉に答えず、チリーはチラリとエルゼの方へ視線を向けた。エルゼは既に目を覚ましており、状況がわからないままに辺りをキョロキョロと見回している。
「そうもいかねえだろ。お前が始めた戦いだ。お前が決着着けろ」
それは、ニシルの活躍をエルゼに見せたかったのか、それとも言葉そのままの意味なのか、ニシルにはすぐに判断出来なかった。しかしそれでも、ニシルは小さく頷いた。
「おっし行くぜ」
身を屈め、両腕を前へ突き出したチリーの両腕に、ニシルはすぐに両足を乗せて身を屈めた。
「「せー! のッ!」」
掛け声と共に、チリーは勢いよく両腕を振り上げた――と同時に、ニシルはゲイラ目がけて高く跳躍する。
『――ッ!?』
突如として自分と同じ高さまで跳躍したニシルを見、鷹は驚愕の表情を浮かべる。
「おおおッ!」
ニシルはゲイラの両翼へ両手で跳び付くと、そのまま一気に両手から熱を放出した。両腕に激痛が走ったが、それでもニシルは構わず放出し続ける。
『ああああァァァァッ!』
苦悶の表情を浮かべ、空中でのたうち回るようにしてゲイラは地面へと急降下していき、やがて音を立てて地面へ落下した。
「ニシル!」
チリーが近寄ると、そこには焼け焦げて翼が使い物にならなくなったまま気絶しているゲイラと、満足げな表情を浮かべているニシルの姿があった。
ゲイラの身体をクッション代わりにしたのか、ニシルはほぼ無傷だった。そのことに、チリーは安堵の溜め息を吐いた。
「ニシル君……!」
すぐに駆け寄ってくるエルゼの姿を見、チリーは微笑すると、何も言わず静かにその場を去っていった。
「チリーの奴……」
その背中を眺めつつ、まるで悪態を吐くかのようにニシルはそう呟いたが、その表情は晴れやかだった。
「ホントに良かったの? そのエルゼって子に何も言わなくて」
ミラルの言葉に、ニシルは小さく頷いた。
「うん。言い辛いしね」
そう言ってクスリと笑うと、ニシルは首にかけたロケットペンダントを開いた。中の写真に写っているのは、嬉しそうに笑うエルゼと、どこか表情の硬いニシルの二人だった。ニシルは感慨深げにそれをしばらく眺めた後、静かにそのロケットペンダントを閉じた。
「チリーさんの顔が知られている以上、顔を隠しているとは言え汽車は使えませんね……」
「歩きか……」
そう言ってうなだれるチリーへ、カンバーは仕方ないですよ、と苦笑しつつ答えた。
「飛行船が戻らない以上は、俺達だけで行くしかない。野宿の覚悟は、出来てるな?」
トレイズの問いに、ミラル以外の三人はすぐに頷いた。ミラルは躊躇していたが、しばらくして渋々頷いて見せた。
「じゃ、行こうか。目指す場所は――」
言いかけ、何かを期待するような視線でニシルがチリーへ視線を向けると、チリーはニッと笑った。
「――ゲルビアの首都、パンドラだ!」
豪奢なドレスに身を包んだ少女が、城のテラスから城下を眺めていた。月光に照らされる街並みを眺め、少女は小さく微笑んだ。
栗色の髪をした、かわいらしい少女だった。釣り気味の目からは強気そうな印象を受けるが、彼女の纏う雰囲気は淑やかだった。肩の辺りで切り揃えられている髪は夜風になびき、一層美しく見えた。
「あらお父様、いつからいらしたんですの?」
少女の問いに、後ろにいた初老の男はさっきからだ、と答えた。
「ミラル、街並みはどうだ?」
「美しいですわ……これが、私とお父様の街……」
「そうか。それは良かった」
そう言って微笑した男の方を振り返り、少女は少しだけ顔をしかめた。
「お父様、私とお父様が二人切りの時はミラルだなんて呼ばないで下さいまし」
「おお、そうだったな……」
男は微笑むと、少女の隣へと歩み寄った。
「私の娘――――ミレイユ」
男の言葉に、ミレイユと呼ばれた少女は小さく笑みを浮かべた。