episode81「Revenge-2」
ローブ購入後、チリー達は大図書館の宿泊施設に泊まることになった。館内での争いごとは禁止されている上にセキュリティが万全なため、最も安全だと判断したからだった。しかし、いくらローブで顔を隠しているとは言え、万が一の襲撃を避けるためにチリーは事実上の外出禁止。常にミラルかトレイズがチリーを監視している状態となった。ちなみにカンバーは、出発が決まるまではひたすら図書館で本を読み続けることにしているらしく、少しの睡眠時間と食事時間以外は常に読書しているという、常人には理解し難い状態になっている。
部屋から逃げ出そうとするチリーを、ミラルとトレイズが監視している間、ニシルは暇潰しにアルケスタ内を散歩していた。大した理由も目的もなく、ただ散歩するだけ。
そんな時だった、ニシルが彼女を目にしたのは。
儚げな、少女だった。ニシルよりも背の低いその少女は、雑貨店の入り口前でどうすれば良いのかわからない、といった様子で財布を片手に周囲をキョロキョロと見回していた。
「あの子って……」
先日、ニシルが見かけたあの少女だった。
「……ねえ」
近寄り、後ろから声をかけると少女は肩をびくつかせた。
「は、はい……」
やや怯えた様子で、少女はニシルの方を振り返り、ニシルの姿を見ると少しだけホッとしたような表情を見せた。ニシルが同年代くらいに見えたからだろう。
「どうかしたの?」
ニシルの問いに、少女は雑貨店を指差した。
「あの店で買い物……してみたいんですけど……やり方がわかんなくて……」
悲壮な表情でそう言った彼女を見、ニシルは思わず吹き出した。そんなニシルの様子に、少女は訝しげな表情を見せる。
「な、何で笑うんですか……?」
「いや、ごめんごめん。良いよ、教えてあげるから中に入ろう?」
そう言ってニシルが微笑むと、少女は少しムッとした表情のままコクリと頷いた。
少女が雑貨店で購入したのは、小さなロケットペンダントだった。あんまり値段の高くないもので、銀色の――卵型のペンダントだった。同じものを二つ買った少女は、店を出た後嬉しそうにペンダントを眺めている。
「……はい」
不意に、少女は持っていたペンダントの内一つをニシルへ差し出した。どういうことかわからず、ニシルはキョトンとした表情でそのペンダントを見つめる。
「これ、お礼です」
「え、いいよ。他の人のために買ったんじゃないの?」
「いえ、二つ買ったのは貴方にあげるためでしたから」
ニコリと笑った少女の表情を見、ニシルは照れ臭そうに笑うとそのペンダントを受け取った。
「そういえば名前、言ってなかったよね。僕はニシル、君は?」
「私は……エルゼです」
エルゼと名乗った少女は、そう言って屈託なく笑った。
「敬語で喋らなくて良いよ。僕ら、そんなに歳違わなそうだし」
ニシルがそう言うと、エルゼはそれもそうだね、と微笑んだ。
「それにしても、買い物の仕方も知らないなんて……どこかのお嬢様?」
ニシルが少し茶化すように問うと、エルゼは首を小さく左右に振った。
「私、物心ついた時からほとんど入院生活だったから……。世間のこととか、全然知らなくて……」
「そうだったんだ……。ごめんね、笑ったりして」
「うん、ちょっとショックだった」
エルゼは冗談っぽく笑うと、持っているペンダントへ視線を向けた。
「これと同じようなペンダント、他の患者さんが持ってて……。これに写真入れてたら、一人でいてもちょっとは寂しくないかなぁって」
「それで、そのペンダントが欲しかったんだね」
コクリと。エルゼは頷いた。
「それで……写真ってどうやって撮るの?」
小首を傾げて問うてくるエルゼに、ニシルはそんなことだろうと思った、と笑みをこぼした。
その後ニシルとエルゼが向かったのは写真屋だった。ペンダントのロケットへ入れるための写真を、ニシルはエルゼと二人で撮影した。
「……僕で良かったの?」
写真屋を出、店の前でニシルが問うと、エルゼは小さく頷いた。
「お母さんがいるけど、お母さんを連れてくるわけにはいかなかったから……」
「何で?」
「私、病院抜け出して来たから……」
「……アクティブだね」
そう言って、ニシルは苦笑した。
写真の現像には一日かかるらしく、写真の受け取りは翌日となった。ニシルとエルゼは明日もう一度会う約束をして、その日は別れた。
そんなニシルとエルゼの姿を、とある建物の上から双眼鏡で観察する者達がいた。先日、チリー達を見つめていた二人組の男――エトラとゲイラであった。
ゲイラは風になびく美しい金髪を悩ましげな表情でかきあげつつ、目から双眼鏡を話すと隣の仮面の男――エトラへと視線を向けた。
「あの少女……美しいな。美しい僕に相応しい少女だと思わないか?」
「そうかな? そんなことよりも、その傍にいる少年のことを気にするべきだよね? そうだね? ゲイラ?」
エトラに言われて初めて気づいた、といった様子でゲイラは少女の傍にいる少年へと視線を向ける。
「……彼がどうかしたのかい?」
「知らないんだね? そうだね? ゲイラ?」
「……勿体ぶってないで説明しろよ」
言葉に怒気を込めたゲイラに、エトラは仮面の下でニヤリと笑みを作る。
「彼は、チリーと一緒にいる少年だよ? チリーを誘き寄せるのに使えるかも知れないね? そうだね? ゲイラ?」
なるほどな、とゲイラは呟くと再び双眼鏡を覗き込み、少女へと視線を向けた。少年と親しそうに話すその少女を見た後、ゲイラは双眼鏡を目から離してもう一度エトラへ視線を向けた。
「そんな面倒なことをするより、直接チリーを誘き出す作戦を考えた方が早いと僕は思うんだが……」
「彼を人質にとって、チリーをなぶる方が面白いよね? そうだね? ゲイラ?」
エトラの言葉に、ゲイラはそれもそうだ、と答え、小さく笑みを浮かべた。
宿へ戻ると、チリーが縛られていた。
「おうニシル、お帰りー」
縛られて手足が動かせない状態でベッドに転がされているというのに、チリーは平然とした表情でそう言った。
縛られているチリーの隣には、ミラルが座っている。
チリーとミラルを交互に見、ニシルは一つの答えに辿り着く。
「邪魔してごめん。僕、二人とは結構長い付き合いだったけど、そういう趣味があったなんて知らなくて……」
「ニシルそれ誤解だから!」
「ミラルもチリーもそういうのが好きだったんだね……」
慌てて弁解するミラルの隣では、チリーがそういうのって何だ? と間の抜けた表情でキョトンとしている。
「……チリーが脱走しようとするから縛っているだけだ」
静かにそう言ったのは、ベッドに腰かけていたトレイズだった。
「だってよー……」
不満げに声を洩らすチリーへ近寄ると、トレイズはゆっくりと縄を解き始める。
「別にミラルに嗜虐趣味があるわけでも、チリーに被虐趣味があるわけでもない」
さりげなく二人をフォローし、トレイズは小さく嘆息した。
「良かった……」
安堵の表情を浮かべるニシルを見つつ、ミラルは呆れたような表情を浮かべ、もう、と一言呟いた。
「……もう脱走しねーから縛るのはもう勘弁してくれ」
縄へ視線を向け、心底嫌そうな顔をするチリーを見て、ニシルはチリーとミラルに変な趣味がなかったことを再確認し、安堵の溜息を吐いた。
「そういやお前、どこ行ってたんだ?」
「ん? ああ、ちょっとね。大した用じゃないというか、用はなかったんだ……。まあ、散歩だよ散歩」
「散歩かー」
良いなぁ、と羨ましそうに呟いて、チリーは自由になった手足をいっぱいに広げてベッドの上へ倒れ込む。手足を自由に動かせるのが相当嬉しいのか、そのまましばらくベッドの上でチリーはジタバタと暴れ始めた。それを止めることもなく、ミラルはチリーを微笑ましそうに見つめていた。
「……お前の顔も向こうに知られているだろう。チリーのように殺害命令が出ていないにしても、あまり出歩かない方が良い」
「……そだね」
短く答えてニシルは微笑むと、ゆっくりと自分のベッドへ寝転んだ。そしてチリー達に背を向け、彼らに見えないようにポケットからエルゼにもらったロケットペンダントを取り出して見つめつつ、エルゼの顔を思い出す。
「エルゼ、かぁ」
チリー達に聞こえない程小さな声で、ニシルは呟いた。