episode79「Not alone」
「あ、おい、チリー!」
ニシルの呼ぶ声も聞かず、チリーは研究所を飛び出した。ミラルとトレイズの声も聞こえたが、それを振り切るかのように走り出した。
――――俺が、化け物……!
知りたくなかった。知らなければ良かった。
普通だと思っていた。テイテスで生まれ、普通に育てられたただの少年だと思い込んでいた。
しかし、違った。
「俺は……ッ」
体内に小赤石を宿す、究極の存在。人類を超越した新人類。
人間じゃない。
人間を越えた身体能力、体内に秘められた膨大な量の神力。
――――化け物。
「『白き超越者』……ッ!」
それが、チリーの正体だった。
町の中を三人で捜し回ったが、チリーは見つからなかった。
研究所を飛び出したチリーを追いかけていたのだが、町の中に入った途端に見失ってしまったのだ。
「どこ行っちゃったのよ……」
辺りを見回してチリーを探しつつ、不安げな表情でミラルは呟く。
「ごめん、僕のせいだ……」
嘆息し、ニシルはしゅんとうなだれた。
――――化け物じゃないか……ッ!
あの時言った自分の言葉が、チリーを傷付けた。そういう風に、ニシルは考えていた。
チリーが「白き超越者」だとニシルが知ったのは、チリーが飛び出した後だった。ミラルは洞窟でニコラスがチリーに対して「白き超越者」と言っていたことをニシル達に話したのだ。
ニューピープルの研究所の所長だったラウラ、ラウラの息子であるチリー、ニコラスの言葉、チリーの身体能力。チリーが「白き超越者」だと結論を出すには、十分な事実だった。
「一度図書館に戻るぞ」
「何でだよ!? チリーはまだ見つかってないんだぞ!」
静かにそう言ったトレイズに、ニシルは声を荒げた。
「捜索を止めるわけじゃない。カンバーの手を借りるだけだ。人数は多い方が良い」
「あ、そっか……ごめん」
「いや、気にするな」
謝るニシルにそう答え、トレイズは嘆息する。表情の変化こそ乏しいが、彼なりにチリーを心配している証拠だった。目に見えて冷静さを欠いているニシルとは対照的に、トレイズは努めて平静を装っていた。
「チリー……!」
ギュッと。ミラルは拳を握り締めた。
図書館内へ戻ると、カンバーは変わらず本を読み続けていた。午前中より、本棚十本分程先の本棚の本を読んでいたが……。
本へ熱中し続けるカンバーから何とか本を取り上げ、ミラル達はカンバーを連れて宿へと戻った。戻る途中、しばらくカンバーは名残惜しそうな顔をしていたが、チリーが失踪したことを話すと、事の重大さを察したらしく、カンバーは真剣な表情に切り替わった。
「それで、この手帳が研究所の所長であるラウラさんの物なんですね?」
トレイズとカンバーの部屋で、カンバーは自分のベッドへ腰掛けると、ミラル達へそう問うた。
「ああ。そしてラウラは……チリーの母だ」
トレイズのその言葉に、カンバーは表情を一変させた。
「チリーさんの母親が……ゲルビアの研究員……ですか」
そう呟き、カンバーは手帳を開く。そしてそこに書かれた文字を、一字一句逃すことなく真剣に熟読する。
数分の沈黙の末、読み終わったカンバーは手帳をトレイズに手渡し、静かに嘆息する。
「これで、チリーさんの身体能力や、ザハールとの戦闘で見せた打たれ強さにも説明がつきますね……」
カンバーの言葉に、ミラル達はコクリと頷く。
「僕が悪いんだ……。『化け物』だなんて……言うべきじゃなかった……!」
拳を握り締め、歯噛みするニシル。
「とにかく、チリーさんを捜しましょう。町の外には出ていないハズです」
カンバーの言葉に、全員が静かに頷いた。
日は既に落ち始めていた。次第に暗くなっていく景色に、チリーは自分の心情を重ねた。
――――化け物。
その言葉が、チリーの脳内から片時も離れようとはしなかった。思う度に、悲しさとも悔しさとも取れないような感情が溢れ出す。
自分は母から生まれたのではなく、母によって創られたのだ。血など、誰とも繋がっていない。キリトでさえ、義理の父と大差がない。
独りだった。
創られた化け物である自分は、独りきりだった。
「いや、独りじゃねえな……。化け物の、仲間だ」
能力を無効化し、不敵に笑うニコラス。巨大な腕のドリルで地面を掘る、あの大男。そして――元凶である現在のハーデン、「黒き超越者」……。チリーは彼らと同じ、「化け物」だった。「化け物」の中でも、ハーデンと並ぶとびっきりの化け物。それが、自分の正体だった。
もう、皆の元へは戻れない。否、元々いるべきではなかったのだ。
化け物と人間が、相容れるハズがない。強過ぎる力は、やがて周囲を破壊する。最初から、交わるべきではなかったのだ。
自分の全てが人と違って見えた。
顔も、髪も、手も、足も、こうして今思考を続けている脳も……人間じゃない。
いつの間にか辿り着いた路地裏に、チリーは座り込んだ。建物の隙間から、月光が差している。いつの間にか日は完全に落ちてしまっていたらしい。
周囲にはゴミが散らかっており、周囲の壁には様々な落書きがあった。
「この汚い場所で、化け物は化け物らしく静かに死ねば良い」
ボソリと。チリーは静かに呟いた。
「チリー」
声が、聞こえた。
あれからどれ程の時間が経っているのかわからない。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだった。
目を開け、声のした方向へ視線を向ける。
「――ッ!」
「チリー、捜したのよ……」
そう言って微笑んだのは、ミラルだった。
「帰ろう? 皆待って――」
チリーへ手を差し伸べ、ミラルが言いかけた時だった。
「来るなッ!」
勢いよく、ミラルはチリーによって弾かれた。
「え……っ?」
弾かれた右手を見つめ、唖然とするミラルをチリーは鋭く睨み付けた。
「余計なお世話なんだよッ! 頼んでもねえのに捜しに来やがって! 何が帰ろうだよ! ふざけんなッ! 俺には……俺には――」
チリーの言葉は、途中から嗚咽混じりになっていた。
拳を握り締め、チリーはミラルから視線を逸らしてうつむいた。
「帰る場所なんて……最初からねえんだよ」
温かな滴が、チリーの目からこぼれ落ちた。
「化け物なんかに構ってねえでどっかに行っちまえよ! 独りにしてくれよ……ッ! どうせ俺は……独りだ……! 親すらいない、創られたただの化け物なんだよ……ッ!!」
しばらく、その場に静寂が訪れた。チリーはうつむいたまま顔を上げず、ミラルは黙ったままチリーを見つめている。
「早く……どっか行けよ……」
沈黙を破り、チリーは静かにそう言った。
「チリー」
ミラルの言葉に、チリーは反応を示さない。うつむいたまま、ただ黙っている。
「チリー、顔上げなさい」
どこか怒ったような口調で、ミラルはそう言った。
「うるせえ。どっか行けってさっきから――」
顔を上げ、チリーが言いかけた時だった。
次の瞬間、チリーの頬へミラルの平手打ちが直撃した。
乾いた音が、路地裏の中で響いた。
「アンタの……アンタのどこが独りなのよっ!?」
ミラルのその言葉に、チリーは怒鳴ろうとした口をつぐんだ。ミラルのその言葉に込められた思いを、感じ取ることが出来たからだ。
母は目の前で殺され、父は化け物になり替わられ、大切にしていた人は自分を逃がすために命を落としている。そんなミラルの言葉だからこそ、チリーは重く受け止めることが出来た。
――――俺なんかより、ミラルの方がよっぽど独りじゃねえか……!
「同情したような顔しないでっ! 私は、独りなんかじゃない!」
「ミラル……」
「おじさんとおばさんもいる! ニシルも、トレイズも、カンバーも、青蘭だって……それに……チリーが、アンタがいるから……っ!」
目に涙を溜め、嗚咽混じりになりながらもミラルは言葉を続ける。
「だから私は、独りなんかじゃない! アンタは……」
アンタは、どうなの? そう問うて、ミラルは泣きじゃくり始めた。溢れ出る涙を拭いながらも、ミラルはチリーを真っ直ぐに見据えていた。
「俺は……」
本当に、独りなのか? 自問すると同時に、何人もの顔がチリーの脳裏を駆け巡る。
キリト。ニシル。トレイズ。カンバー。旅の仲間や、腹が立って仕方がないハズの青蘭。そして――ミラル。
今まで自分を支えてくれた、助けてくれた人々の笑顔が、チリーの心を満たしていく。
――――受け入れたくなかっただけだった。
自分が化け物だと、受け入れたくなかった。だから独りだなんて思いこんで、死のうとして、支えようとしてくれる人達を遠ざけて……。
最初からわかっていたハズだった。
独りでも、一人でもないこと。
「アンタは……チリーよ……」
呟くように、ミラルは涙を拭いながら言った。
「化け物だろうと人間だろうと関係ない……。チリーは、チリーじゃない」
化け物である前に。
人である前に。
チリーだった。
「チリーがチリーだってことに、変わりないじゃないの……!」
それは、存在の肯定だった。
自分が化け物だと、いてはいけない存在だという否定を打ち消す、肯定の言葉だった。
「ミラル……」
辛いのは、誰だ? 自分だけか? 遠ざけられた相手は、辛くないとでも思ったのか?
自問を繰り返し、チリーはかぶりを振った。
「俺は……」
チリーが、言いかけた時だった。
「チリー!」
聞き慣れた声が、チリーの耳に届いた。視線を向けると、そこに立っていたのはニシルだった。その後ろには、トレイズとカンバーも立っている。
三人共が、どこか安心した表情でチリーへ視線を向けていた。
「……捜したぞ」
そう言って、トレイズは安堵の笑みを浮かべる。
「見つかって良かったです……」
カンバーはそう言って、胸をなで下ろした。
「チリー……その……」
言いにくそうにどもった後、ニシルは意を決したかのように表情を変えた。
「ごめん。化け物だなんて」
独りでは、なかった。
心配してくれる人がいる。仲間がいる。それなのに遠ざけて、独りだと思いこんで。
――――俺は、馬鹿だ。
いつも言われるが、今日程自分を馬鹿だと思ったことはない。
「……気にすんなよ」
そう答え、チリーは笑みを浮かべた。
そしてゆっくりと立ち上がる。
「チリー……?」
「ありがとな、ミラル。ありがとな……皆」
ミラルとニシル達へ交互に視線を向け、チリーは大きく息を吸い込んだ。
「俺はッ! ニューピープルでも、『白き超越者』でも、化け物でもねえ! 俺は――」
声高らかに叫ぶ。自分を。己という存在を。
「俺は俺だッ! チリーだッ! 文句あるかこの野郎ッッ!」
チリーの言葉に、その場にいた全員が笑みを浮かべた。
「……ないわよ、馬鹿」
トンと。ミラルは自分の額を、チリーの胸元へ当てた。
ここまでで「The Legend Of Red Stone」第二部完結です。
恐らく第二部で伏線のほとんどが回収されたと思います。(え、何これ意味わかんないだけど? って部分がありましたら是非感想欄へ)
これからしばらく連載を休止し、その後第三部の連載を開始しようと思っています。
これからも、「The Legend Of Red Stone」をよろしくお願いいたしますm(__)m