episode78「Laura’s note-2」
音を立てて、写真立てが床へ落下した。
すぐにキリトは写真立てを拾い上げる。落下の衝撃で、写真立てのガラス部分が砕けており、そのせいでキリトの指に小さな破片が突き刺さっている。キリトの指には、薄らと血が滲んでいた。
写真に写っているのは若き日のキリトと、その隣で赤ん坊を抱いている白髪の美しい女性だった。
家族の、写真。
――――あの子を、チリーを外の世界に出さないで。きっと苦しむことになる。約束して、チリーをこの島で育て続けるって。
それが、死ぬ前にキリトがラウラと交わした約束だった。
結果的に、その約束は破られた。チリーはキリトを倒し、ニシル、ミラルと共に外の世界へと旅立ったのだ。
「チリー、ニシル……」
二人の「息子」の名を呟き、キリトは嘆息する。
嫌な予感が、していた。
地下室を出、チリー達が待ち合わせ場所に到着する頃には、ミラルは既に泣き止んでいた。待ち合わせ場所にはチリー達より早くニシルとトレイズが到着しており、一冊の手帳を真剣な表情で眺めながら待機していた。
「あ、二人共。何か見つかった?」
「ああ……ちょっと、な」
言葉を濁すチリーに、ニシルは訝し気な表情を見せる。
「良いの、チリー。私が説明するから」
思い切り泣いて吹っ切れたのか、ミラルは淡々と地下で発見したハーデンの死体について二人へ説明した。説明しながらミラルは首から下げたペンダント――本物のハーデンが身に着けていたあのペンダントを、しっかりと握りしめていた。
「……なるほど。ということは、現在ゲルビア帝国の王として君臨するハーデンは全くの別人、ということになるな」
「そうだね。それだと、ハーデンが事故以来人が変わっちゃったっていうのも納得がいくね」
うんうんと納得したように頷くニシルへ、ミラルはそうね、と相槌を打った。
「そっちは何か見つかったのか?」
チリーの問いに、ニシルは真剣な表情で頷くと、先程トレイズと共に眺めていた手帳をチリーへ差し出した。
「手帳……?」
「ああ。この研究所の所長室で発見したものだ」
チリーはその手帳をしばらく眺め――そして表情を一変させた。
「おい……何だよこれ……」
「チリー?」
手帳を持つ手をブルブルと震わせながら、驚愕の表情を見せるチリーの後ろから、ミラルはその手帳を覗き込んだ。
「こ、これって……」
ラウラ。
手帳には、そう書かれていた。
「冗談ならこの辺にしとけよ……ッ!」
「冗談なんかじゃないよチリー。その手帳には、最初っからそう書いてあった。僕らは何もしてない」
手帳に書かれているその名前は紛れもなく――チリーの母、ラウラのものだった。
「何でお袋の名前が……こんなとこに……ッ!?」
チリーが幼い頃――まだニシルと出会ってすらない頃に、チリーの母、ラウラは命を落としていた。チリーとキリトが見守る中、ラウラは静かに息を引き取ったのだと、チリーはキリトに聞かされている。
「中は、見たの?」
ミラルの問いに、ニシルは静かに首を左右に振った。
「この手帳が所長室にあったということは、ラウラという女性はこの研究所の所長だったということになる」
「お袋が……ゲルビアの研究者……?」
静かに告げたトレイズへ視線を向け、チリーはそう問うた。
「もしこの研究所がニューピープルと関係あるのなら、チリーの母さんはその研究に携わってたってことになるよね」
「名前が同じだけかも知れねえ!」
そう怒鳴りつけるチリーへ、トレイズは一枚の写真を差し出した。
「所長室で発見した写真だ」
そこに写っているのは、紛れもなくチリーの母、ラウラの姿であった。その隣には、現在より若いキリトの姿がある。
間違いなく、この手帳の持ち主はチリーの母だった。
「嘘……だろ……?」
信じられない、といった表情で、チリーは写真を凝視する。
チリーの心境は、想像に難くなかった。
亡くなっている自分の母親が、現在自分達が敵対しているゲルビアの研究者だった上に、ニューピープルの研究に携わっていた可能性がある。
ショックを受けるのも、当然だった。
「中……見ようぜ」
呟くようにそう言って、チリーはトレイズへ手帳を差し出した。
「わかった。俺が読もう」
ゆっくりと。トレイズは手帳を開いた。
ここに、新人類計画に関するレポートを書いていきたいと思う。レポートとは名ばかりの雑記だが、個人用なので問題ない。
新人類計画とは、ゲルビア帝国が所持する小赤石を利用し、膨大な神力を持った新たな人類を創り出す計画である。
小赤石とは、数世紀前の「赤い雨」により生成された小さな赤石であり、赤石程ではないが内に膨大な神力を秘めている。
研究の結果、小赤石及び赤石は人体に宿すことで効力を発揮することが判明しているが、通常の肉体では拒絶反応を起こすことが判明している。恐らく、聖杯と呼ばれる赤石を利用するための杯は、人体に宿された物だと推察出来る。
拒絶反応は小赤石、及び赤石に限った物ではなく、神力そのものが人体とは相容れない力であることも研究でわかっている。神力の力が強ければ強い程、その力は肉体と拒絶反応を起こし、身体機能を奪う可能性があり、最悪の場合死に至る場合すらある。
この新人類計画では、小赤石の膨大な神力に耐え、拒絶反応を起こさない肉体を一から創り出す計画とも言える。この研究の成果次第では、小赤石を使わずとも強力な力を持った人間を一から創り出すことも可能になると考えられる。
二体のニューピープルの創造が決定された。一体は陛下の要望により、陛下と同じ姿をした成人男性のニューピープル。もう一体は、所長である私の遺伝子を使い、赤ん坊のニューピープル。どちらも体内に小赤石を宿している。
研究は滞りなく進行。
この研究の終了後、恐らく我々は小赤石を宿さないニューピープルの研究に取りかかるだろう。ニューピープルの身体スペックは常軌を逸しており、人類を超越した存在となるだろう。特に小赤石を宿したこの二体は、「究極のニューピープル」となり得る。
我々は彼らを、髪の色にちなんで陛下の姿をしたニューピープルを「黒き超越者」、赤ん坊のニューピープルを「白き超越者」と呼ぶ。
二体のニューピープルから膨大な神力の反応。どうやら小赤石の拒絶反応に耐えることが出来たようだ。この段階で既に彼らは完成したと言える。
近々、陛下が視察にいらっしゃるようだ。
「黒き超越者」をご覧になった陛下は随分とご満悦だった。陛下は、この研究を我々にさせている理由を「好奇心」だと仰った。
考えてみれば、我々研究者は全員その「好奇心」の塊のようなものだった。
二体のニューピープルが完成する。
明日、陛下が完成したニューピープルをご覧になるためにこの研究所を訪れることになっている。
「黒き超越者」は、陛下の元へ。そして「白き超越者」は私の元で預かることになっている。
キリトと、「白き超越者」の人間としての名前について話し合ったが、良い案は浮かばなかった。
記述は、そこで止まっていた。恐らくこの後、例の事件が起きたのだと考えられる。
しばらく、静寂が訪れた。
手帳に記された真実に、誰もが驚きを隠せなかった。
白き超越者。
聞き覚えのある言葉に、チリーは表情を歪めた。
――――「白き超越者」、やはり赤子から育てたのは失敗でしたか……。
あの時、赤石の眠る東国の地下洞窟で聞いた、ニコラスの言葉がチリーの脳裏を鮮明に過った。
あの時確かに、ニコラスはチリーのことを「白き超越者」と呼んだ。そのことをミラルも覚えているのか、チリーを見つめたまま驚愕の表情を浮かべている。
「何だよ……『黒き超越者』と『白き超越者』って……!」
吐き捨てるように、ニシルが言った。
「体内に……小赤石……それって、テイテスの『核』レベルの力を体内に宿してるってことじゃないか……! それも、こないだのニューピープルより強いんだろ……? そいつら二体って……ッ」
ギュッと。ニシルは拳を握り締めた。
「化け物じゃないか……ッ!」
――――化け物。
その一言がチリーに、まるで鋭い剣のように突き刺さった。
「化け……物……?」
――――確かに、チリーさんの身体能力は全体的に異常な気もしますね……。
東国で、カンバーに言われた言葉がチリーの脳裏を過る。
常軌を逸した身体能力を持つ、究極のニューピープル。ラウラの遺伝子によって生まれた赤ん坊――白き超越者。チリーの、異常な程に高い身体能力……。バラバラだったピースが、まるでパズルのように重なり合い、一つの結論へと辿り着く。
「そっか……俺……」
チリーの身体が、ブルブルと震えた。
「化け物だったんだ」
自嘲めいた言葉が、チリーの口から漏れた。