episode74「Roots-7」
聖杯、と呼ばれる杯が存在する。それは赤石と呼ばれる神力の塊を受け入れ、自在に変質させることでその力を利用するために存在する。しかし、杯とは名ばかりで、実際にどのような形状をしているのかを知っている者はいないと言っても過言ではない。
聖杯は、東国の神力使いによって生成された物だ。聖杯の力――赤石を受け入れ、変質させる力を利用するには、人体に宿す必要がある。その聖杯を人体に宿し、代々受け継いでいるのが、東国の王族だった。
そして現聖杯保持者は――白蘭である。
「聖杯保持者は、外的要因では絶対死なない……いや、死ねないの方が正しいか」
そんなことを呟き、自室の布団の中でうつぶせの状態で寝転んだまま、白蘭は持っている本のページを開く。
簡素な部屋だった。布団を入れておく押し入れ、何か書き物をする時のための机、他に目に着くものと言えば、掛け軸くらいのものだろうか。
既に日は落ち、屋敷の中の者もほとんど寝てしまっている今、部屋の中で行燈(東国で使われている明かり、東国には電気が通っていない)を点けて本を読んでいるのは白蘭くらいのものだろう。
白蘭が読んでいたのは、聖杯に関する書物だった。
東国の王族として、己が背負った聖杯という運命。何故か再確認したくなったのである。
赤石も聖杯も、東国が所持し、保護している。
赤石は存在こそ世界中で知れ渡っているものの、その在処だけは極秘とされており、東国内でも王族の一部の者しか知らない。東国の地下に、赤石が隠されているという事実を……。
そこまで考え、白蘭は嘆息すると行燈の火を消した。
本を閉じ、枕元へそっと置き、仰向けになって眠りについた。
翌朝、白蘭は青蘭によって起こされた。ユサユサと身体を揺らされて目覚めた白蘭は、眠そうな顔のまま青蘭へ視線を向ける。
「……どした?」
「どしたじゃないよ兄さん! 今日は俺達の作った船、見てくれるって約束だろ?」
青蘭の言葉を聞き、白蘭は頭をポリポリとかきながら、あー、と間の抜けた声を上げる。
「そういやそうだったな」
「ミラルも、見に行くって」
「ほぅ……」
青蘭の後ろには、すっかり元気になっているミラルの姿があった。
ゲルビアから連れて来た当初は、死んだような目をしていた彼女も、いつの間にやら回復しているらしい。青蘭や、その友達の伊織とも打ち解けたらしく、引きこもっていた彼女も最近は外に出るようになっている。
「船……ねえ」
「船が完成したら、食料積んで持って行って、外の世界を見てくる」
青蘭がそんなことを言い始めたのは、もう数ヵ月も前のことだった。ミラルが屋敷に来たことで、外の世界への興味が沸いたのだろう。神力による怪力を活かし、青蘭は自らの手で一艘の木船を作り上げたというのだ。所々職人に手伝ってもらったらしいが……。
その船で、外の世界を見るというのだ。
「しかしまあ、木船一艘作るたぁ、中々やるじゃねーの」
「違うよ、三艘だ」
「三艘……?」
「俺と、伊織と、ミラルの分」
指を降りつつ、青蘭は誇らしげにそう言う。
「おい……俺のは……」
「兄さんは神力で行けるだろ」
「あー……」
確かにそうだった。
「とにかく、見に来てよ」
「しょうがねえな」
そう呟き、白蘭は起き上がった。その段階で、白蘭の能力は一度行ったことのある場所でなければ、ランダムに移動するため大変厄介なことを思い出すが、とりあえず今は気にしないことにした。
その後朝食を済ませ、着替えた白蘭は、渋々青蘭達に着いて行くことにした。面倒ではあったが、興味が全くない訳ではない。弟の作った物だ、少し楽しみでもある。
屋敷の者に一声かけ、玄関の戸を開いた時だった――
不意に聞こえる、耳をつんざくような轟音と、爆風。
その正体が何なのか考える暇もなく、白蘭達は吹き飛ばされ――意識を失った。
次に意識を取り戻した時、聞こえたのは金属同士が勢いよくぶつかり合う音だった。刀による戦闘。白蘭にはそう聞こえた。
「どうなってんだ……!」
呟きつつ、目を開いて身体を起こす。目を開けた瞬間、広がっている光景に白蘭は驚愕した。
「これ……は……ッ!?」
薄暗く曇る空の下、建物の木片が散乱していた。見れば、周囲には倒れている人間が何人もいる。手遅れの者や、気絶しているだけの者。
そして各地で、他国の兵士思しき人間と、東国の男達が刀で戦っていた。銃を所持している者もいるらしく、銃声もどこからか聞こえて来る。
すぐに、戦争なのだと理解した。
だとすれば、先程の轟音と爆風は爆弾による物……。
「クソッ! どうなって――」
青蘭と、ミラル。
白蘭は聖杯を保持しているため、外的要因では死なない。故に、爆弾の直撃で聖杯ごと身体を粉々にでもされない限り、死ぬことはない。だが、青蘭とミラルは違う。二人は生身の人間だ。
「青蘭! ミラルーッ!」
呼びかけるが、返事はない。
「クソッ!」
悪態を吐き、周囲を歩き回る。
「――ッ」
目の前で戦闘を繰り広げていた東国の男が、槍に突き刺された。目の前でドサリと倒れた男の顔を確認する暇もなく、槍を持った兵士は白蘭目掛けて槍を突き出す。
白蘭は素早く槍を回避すると、兵士との距離を詰める。腹部へ右拳を叩き込もうと考えたが、鎧ごしでは効果がなさそうだ。
故に、顔面へ叩き込む。
「かは……ッ!」
呻き声を上げ、兵士はその場へ倒れ込む。
「クソ……! 二人はどこへ……?」
そう呟いた時だった。
「うぅ……」
不意に聞こえる呻き声、見れば、傍でミラルが倒れていた。木片の下敷きとなり、頭から血を大量に流している。
「ミラルッ!」
すぐに駆け寄り、木片を強引に退かせて声をかける。が、返事はない。呼吸はしているようだが、出血量が尋常ではない。命が後数分と持たないのは、明白だった。
「クソ……! 何でこんな……ッ!」
母の死、父の裏切り、そして信頼していたアルドの死……。自国を出、東国へ来てやっと落ち着いていたというのに、今度はこんな理不尽な形で命を失う……。あまりにも、残酷で、無惨。
「なんとかならねえのかよ……!」
苦しむミラルを見、白蘭は歯噛みする。アルドが、命を張って助けたこの少女を、悲惨な目にばかりあっているこの少女を――何とかして助けたい。
「……聖杯」
ボソリと呟き、自分の胸に手を当てる。
保持者を死なせないため、全ての傷を自動で癒すこの聖杯。この聖杯を、何とかミラルへ移せないだろうか。
本来、聖杯の移動は保持者が寿命で死んだ際に行われる。その聖杯を、白蘭が生きたまま移動させることは――可能だ。
白蘭の体内にある聖杯を、能力でミラルの中へ移す。
体内の物体の移動は、まだ試したことはない。だが、なりふり構っていられない。ミラルを救うためにも、やらなければならい。
例え、二度とこの能力が使えなくなっても良い、それ程までの覚悟だった。
「行くぞ……!」
胸に手をかざし、意識を集中させる。この聖杯を、ミラルへ――
「ぐ……ッ!」
苦痛。本来なら無理に等しい行為だ。負荷がかかるのは当然とも言える。
「おおおおおおッ!」
痛みを誤魔化すかのように咆哮する。すると、白蘭の手から光が発せられる。その光は徐々に強くなって行く。
「ハァッ……ハァッ……」
光が収まると同時に、ミラルの傷がみるみる内に回復して行く。
「やった……か……ッ」
どうやら成功したらしい。激しい疲労感の中、白蘭は安堵の溜息を吐いた。
「白……蘭……?」
ミラルは目を開くと、不思議そうな表情でそう問うた。どうやら状況を理解していないらしい。
「そこら辺に爆弾が落ちて、お前が死にかけて……あー! 説明してる場合じゃねえ! とにかく、死にかけたお前に、聖杯を移したんだ! それでとりあえずお前は一命を取り留めてる!」
「聖杯……?」
それにしても、説明している余裕がある程、兵士の数は少ない。戦闘もごく少数で、隊列を組んだりしている訳でもない。少人数での乱戦、と言った感じだ。
不可解だった。
「兄さん!」
声のした方へ視線を向けると、そこにいたのは青蘭だった。どうやら無事だったらしく、傷だらけではあるがミラルのような目には遭っていないようだ。
その青蘭の様子に、白蘭は安堵の溜息を吐いた。
「逃げよう、兄さん! アイツら、ゲルビアの兵士だ!」
「ゲルビア……?」
ピクリと。ミラルの表情が動いた。
「ゲルビア……? 何だってゲルビアが東国を……?」
「わからない。でも、逃げるしかない! 俺の作った船は無事だ!」
青蘭が飛ばされた場所は、丁度船が置いてある付近だったらしい。その船で、青蘭は逃げようと言うのだ。
「……わかった。行くぞ!」
ゲルビアという言葉に、動揺したままミラルを連れ、青蘭と共に白蘭が走りだそうとした時だった。
「青蘭ッ!」
先頭を走っていた青蘭の前に、槍を構えたゲルビア兵士が現れる。兵士の傍には、殺したのであろう東国の男が倒れている。
「――――ッ!?」
兵士は既に槍を構え、青蘭に突き出さんとしている。
「クソッ!」
勢いよく、白蘭の手によって青蘭は突き飛ばされた。
「兄さ――――」
青蘭が言いかけた時だった。
グサリと白蘭の胸に突き刺さる、兵士の槍。
ドクドクと血は溢れだし、地面へ滴り落ちる。
「白蘭っ!」
辺りに響く、ミラルの悲痛な声。それとほぼ同時に、青蘭はペタリと地面に膝をついた。
「白蘭! 白蘭っ!」
ミラルによって、繰り返し叫ばれる白蘭の名。
「……行け」
グッと槍を掴み、白蘭はミラルへ告げた。
「青蘭と、逃げろ……」
引き抜かせぬよう、青蘭達へ襲いかからぬよう、白蘭は力強く槍を握った。
「くッ!」
槍を引き抜かんと兵士は力を込めるが、白蘭は一向に槍を離さない。
「兄……さん……ッ!」
悲痛な涙声で、青蘭は膝をついたまま白蘭を見つめた。それを一喝するかのように、白蘭は青蘭を睨み付ける。
「行けよッッッ!」
胸部に槍を突き刺され、死にかけている人間とは思えぬ威圧感だった。
「早……く……ッ!」
「……ッッ……ッ!」
青蘭は目に涙をためたまま逡巡するが、やがて意を決して立ち上がる。
「ミラルッ!」
駆け出し、ミラルの手を引いて勢いよく船の置いてある場所へ向かって駆け出した。
「ッ! おい!」
兵士の呼ぶ声など聞かず、青蘭はミラルと共に駆けて行く。
その二人の背中を見、白蘭は薄らと笑みを浮かべる。
血は止まらない。聖杯は既に体内にはない。勢いよく、口から血を吐き出した。
「なるほど……な……」
アルドも、こんな気分だったのだろうか。我が身を犠牲にし、大切な物を守り抜いた満足感。
ゆっくりと。槍が引き抜かれた。
「じゃあな……」
誰に言うでもなく、白蘭は独り、呟いた。
嵐が過ぎ去り、聞こえるのは波の音だけ。傍にいたハズの少年は、嵐に巻き込まれ、どこか遠くへ行ってしまった。
独り、少女は涙した。
ユラユラ揺れる小舟の中、少女は一人横たわる。
ここがどこかもわからぬまま、自分が誰なのかもわからぬまま。ただ、横たわる。
揺れる小舟の中、心の安息を求めた少女は、己の記憶に蓋をした。
辛い記憶に、蓋をした。