episode73「Roots-6」
空虚な日々を送っていた。
あの日以来、与えられた一室にただ閉じこもっているだけの生活を続けていた。食事もほとんど取らず、人と会話することもなく、ただ虚ろな表情のまま日々を過ごしていた。
楽しかった日々は、美しかった日々は、もう戻らない。そう理解して、ミラルは何かを考えるのをやめた。何かを思い出すのを、止めた。
思い出せば辛くなるだけ。
優しかった父と母も、アルドも、もういない。
畳と呼ばれる独特の臭いを持った床の上、ミラルは膝を抱えて座ったまま、動かない。ただ虚ろな目をしたまま、目の前の障子を見つめ続けている。
「お母様……」
ボソリと呟く。
もう考えないと、思い出さないと決めたのに、ミラルの頭の中で何度も蘇る母の姿、そして――最期。
漆黒の剣に貫かれ、大量の血を流しながら、最後まで自分の身を案じて死んだ母。
「アルド……」
ミラルを助けるため、自身の命を代償にしたアルド。
そして――父。諸悪の根源とも呼べる父は、ミラルの知る父ではなかった。
「おーい昼飯ですよーっと」
ガラリと。障子が開いた。
「…………」
「姫様、どうぞ」
中に入って来た白蘭が持っていたのは、お盆の上に乗せられた食事だった。
この国――東国の料理は、ゲルビアの物とは全く違う物だったが、口に合わない物ではなかった。もっとも、今のミラルには味を楽しむ余裕などないのだが。
「姫様、この部屋から一度も出て――」
「やめて」
ピシャリと。ミラルは言い放った。
「私はもう、姫様なんかじゃない。敬語も嫌、姫様って呼ばれるのも――嫌」
思い出してしまうから。
あの日々を思い出して、涙が溢れるから。
「……そーかい。んじゃミラル、お前この部屋から一度も出てないだろ?」
コクリと。ミラルは頷いた。
「厠に行ってるとこくらいしか知らねえし……風呂くらい入れっての」
「いい……もう、いい。出てってよ……一人にして」
「いや、そりゃ無理だ」
白蘭は肩をすくめてみせると、お盆をミラルの前に置いて後ろの障子を指差した。見れば、障子の向こうに人影が見える。
「客だ。お前に会いたいってよ」
「会いたくない。ご飯だけで、十分だから」
「まあそう言うなよ。俺の弟だ」
「白蘭……の?」
おう、と頷き、白蘭は微笑んだ。
「入って良いぞー」
白蘭がそう言うと、障子がガラリと空き、中へ一人の少年が入って来る。背の高い、穏やかそうな少年だった。白蘭に似た顔立ちで、やや戸惑い気味の表情をしてミラルの方を見つめている。
「お前が話してみたいっていうから頼んだんだぞ。ほら」
白蘭はそう言うと、少年の後ろに回ってトンと背中を押した。
「そんじゃ、俺はこれで」
そう言って、白蘭は部屋の外へ出て行ってしまった。
「……」
しばしの、沈黙。
やがて、少年はえらくかしこまった動作で、ミラルの前に正座をする。ミラルは料理にも手を付けず、少年の方をジッと見つめた。
「あ、あの……青蘭、です」
ペコリと。青蘭と名乗った少年は頭を下げた。
「敬語は、やめて」
静かにミラルがそう言うと、青蘭はごめん、と申し訳なさそうにうつむいた。
「えっと……」
「ミラル。ミラルで良い」
口籠る青蘭へ、ミラルはそう告げると、箸を手に取り、お盆の上の料理を食べ始めた。
最初は上手く使えなかった箸だが、白蘭に教わることでミラルは、ある程度は使えるようになっていた。ややぎこちない動作で、焼き魚や米を口に運んで行く。
ミラルに取って、楽しかった食事は、今は作業でしかない。
「あ、ちょっと食べるの待って」
青蘭がそう言うと、ミラルはピタリと箸を止める。それを確認すると、青蘭は部屋の外へ慌しく出て行った。
しばらく待っていると、ミラルと同じようにお盆の上に料理を乗せて青蘭は部屋の中へやって来た。
「一緒に、食べよう」
どこか恥ずかしそうにそう言った青蘭に、ミラルは返事をしなかった。
静かに、青蘭は先程と同じ位置に正座する。
青蘭が食べ始めたのを見て、ミラルは再び箸を動かし始めた。
静かな、食事だった。だが、どこか温かい。
誰かと一緒に食べることが、こんなにも温かいのだということを、ミラルは思い出した。父と、母と、談笑しながらした夕食も、こんな風に温かかった。
やがて食べ終わり、青蘭はお盆を持って立ち上がる。
「それじゃあ、また」
どこか気まずそうな表情でそう言って、青蘭が部屋を出ようとした時だった。
「待って」
不意に後ろから、ミラルの声がする。
「ありがとう」
青蘭が振り返ると、そこには空虚な目をした少女はいなかった。薄らとだがその目に、光が戻っているように見えた。
「また、来て……」
ミラルの言葉に、青蘭は笑顔で頷いた。
「それじゃあ、また夕食で」
「あ、それと……お風呂の場所、教えて」
「うん。付いて来て」
この国の入浴は、ゲルビアとは違った。ミラルが一番驚いたのは、シャワーが存在しないことだった。浴槽は木で出来ており、浴槽から湯を風呂桶ですくい、身体にかけることで汚れを洗い落とす。
身体を洗い終え、ゆっくりとミラルは浴槽へ浸かる。これまでの疲れが、ゆっくりと癒されて行く。温かい湯の中で、ミラルはボンヤリと反芻する。
「うっ……うう……」
浴槽に、何粒もの涙がこぼれ落ちた。
あの日以来、ミラルと青蘭は毎食食事を共にするようになっていた。やがてその中へ白蘭も混じり、三人で食事をするのが日課になっていた。そうして行く内に、冷え切っていたミラルの心は、徐々に温められていく。
白蘭の家の人々に、ミラルは非常に良くしてもらっていた。
着物と呼ばれる東国の服は着辛いだろうということで、わざわざ大陸本土から輸入されたミラルの着やすそうな服を用意してもらっていたり、過去を話したがらないミラルを詮索しようとしなかったり……そんな優しさに触れ、ミラルは心を開くようになっていた。
こんな日々が永遠に続けば良い。ミラルはそう、思い始めていた。
王座に座り、静かに男は杯を傾ける。
「陛下、如何にいたしましょう」
男――ハーデンの前では、一人の男が跪いている。
「赤石の在処を、彼らが知っていると言うのか?」
ハーデンの問いに、男は跪いた状態のままはい、と頷いた。それを見、ハーデンは薄らとだが口元を釣り上げる。
「しかし、誰一人として一向に口を割ろうとしません」
「金では動かぬか」
「はい……」
「ふむ……」
と、ハーデンは考え込むような仕草を見せる。しばらく考え込み、ハーデンはニヤリと笑みを浮かべた。
「何か、お考えが?」
男の言葉に、ハーデンは静かに頷いた。
「攻め込め」
驚く程平坦な声で、ハーデンはそう言った。その言葉を聞いた男は、表情に驚愕の色を隠せずにいた。
「攻め込む……のですか……東国に?」
「ああ。他にどこに攻め込むと言うのだ?」
ハーデンの問いに、男は口籠る。
「しかし東国は平和主義であり、中立国であって――」
「構うものか」
「条約を破ることになります」
男のその言葉に、ハーデンはフン、と鼻をならした。
「他の国まで敵に回すことに……」
「敵に回ったところで、弱小国がどれだけ集まろうと我が帝国には及ばぬわ!」
そう言って、ハーデンは豪快に笑った。
確かに、ハーデンの言う通りだ。東国やその他の国が敵に回ったところで、アルモニア大陸最大の国であるゲルビア帝国には到底及ばない。人員、資源、戦力、国土、その他様々な要素ですら、ゲルビア帝国に勝る国は大陸内に存在しないと言っても過言ではない。
「東国など、足元にも及ばぬ」
「では……」
「兵は少数で良い」
「!?」
男は、表情を驚愕に歪めた。
「最初に小型の爆弾で威嚇し、少数で攻め込ませて重鎮だけ捕えろ。吐かぬなら――LB235を落とせ」
「な――ッ!?」
「そのために少数にするのだ。兵士ごと吹き飛ばしても被害が少ないように、な」
ハーデンの言葉に、男は寒気すら覚えた。