episode72「Roots-5」
ゆっくりと。ハーデンはミラルへと視線を向けた。
ミラルは母を凝視したまま、ピクリとも動こうとしない。
「まるで別人のよう、か。ふむ……。ミラル、お前もそう思っていたのか?」
大剣をシルフィアの身体へ突き刺したまま、ハーデンはミラルへ問うた。しかし、ミラルは何も答えず、ただひたすらにシルフィアを凝視している。
「ミラ……ル……逃げ、て……」
掠れたシルフィアの声。苦痛で指の一つも動かせないハズなのに、震えるシルフィアの右手は、ミラルへと伸ばされている。
「アルド……ミラル……を」
「ふむ。答えられないか」
ハーデンはミラルへ冷たい視線を向けると、シルフィアから大剣を引き抜いた。
「うっ……!」
「シルフィアッ!」
引き抜くと同時に再び血が溢れ出し、シルフィアはベッドの上に横たわる。シーツを真紅に染め、ゲルビアの王妃は息絶えた。
「お母……様?」
ミラルの言葉に、横たわるシルフィアは何も答えない。ピクリとも動かない。
死という概念に初めて触れた少女は、訳もわからぬまま母の身体を揺さぶる。
「お母様! お母様!」
何度揺さぶってもシルフィアは起き上がらない。ただ、ミラルの手がシルフィアの血で汚れていくばかりだった。
不安、恐怖、悲しみ。ミラルの中でない交ぜになったそれらの感情は、やがて一滴の涙となって目からこぼれ落ち、母の死体を濡らした。
血と混じり合う、涙。
そんなミラルとシルフィアの姿を、アルドは何も言えずに見つめていた。
「ああ、そうか。死んだか」
まるで、何も感じていないかのような口調だった。ハーデンはシルフィアへ一瞥をくれ、微笑する。
「脆い……脆いな人間ッ!」
そう言って、ハーデンは豪快に笑い始めた。
「テメエ……ッ」
アルドはハーデンへ接近すると、その胸ぐらを勢いよく掴んだ。
「自分が何やってんのかわかってんのか!?」
「殺した。シルフィアを。それ以上でも、それ以下でもなかろう」
「テメエは一体……何なんだよッ!? 本物のハーデンはどこだッ!?」
「私か? 私は……」
ハーデンが言いかけた時だった――
「何事ですか!?」
勢いよくドアが開き、数人の兵士が部屋の中へと入る。
そして――驚愕。
目の前で広がる異常な光景に、兵士達は言葉を失った。
泣きじゃくる王女、息絶えた王妃。そして、王の胸ぐらを掴む、アルド。
「この男だ」
静かに、ハーデンが言った。
「我が妻を殺し、今度は私に掴みかかって来たのだ」
「な――――ッ!?」
一瞬で、兵士達の視線がアルドへと集まる。
弁解しようにも、信用されないのは目に見えていた。王が相手では、まず勝ち目が
ない。
「クソッ」
悪態を吐くと同時に、アルドはハーデンを離し、ミラルへと駆けよる。
「ミラルッ! 逃げるぞ!」
――――アルド……ミラル……を。
シルフィアからアルドへの、最後の頼み。何としてでも、ミラルを逃がす。
「えっ……?」
泣きながら戸惑うミラルを抱き上げると同時に、アルドは兵士達を押しのけて部屋を飛び出した。
「他の者達にも伝えろ。あの男――アルドが王妃を殺し、姫を連れ去って逃げたと」
「はい!」
兵士達がそう答えたのを確認し、ハーデンは薄らと笑みを浮かべた。
ミラルを抱きかかえたまま、ひたすらに走っていた。体力はある方だったが、少女とは言え人間を一人抱えたまま、それも後ろから追われているというプレッシャーの中で走り続けるのは心身共に楽ではなかった。
何とか城の外へ出ることは出来たが、どこへ逃げれば良い? アルド自身はともかく、ミラルだけでもどこかへ逃がさなければならない。
国内では、すぐにハーデンに発見されるだろう。ではやはり、国外か?
しかし、その考えにアルドはかぶりを振った。
この時間帯に船が出ているとも思えない。
振り返ると、何人もの追ってがこちらへ来ている。このままでは到底逃げ切れそうにもない。
「クソッ!」
「ねえアルド! どこに行くの!? お母様は……」
言いかけ、ミラルは閉口する。「死」という決定的な言葉を、口にしたくなかったのだろうか。
国外へ逃がす。国外……東国……?
「白蘭だ!」
すぐにアルドは方向を変え、白蘭の別荘へと向かった。
白蘭の能力なら、瞬時に東国へ移動することが可能なハズだ。白蘭の話では、明日には東国へ帰ると言っていた。恐らく、移動出来る程能力が回復したということだ。
東国へ、ミラルを連れて行ってもらうしかない。
「あ、ヤベエ……土産買ってねーじゃん俺」
ボソリと。荷物をまとめながら白蘭は呟いた。
木造の、小さな別荘だった。比較的少ない荷物をソファの上にどっかりと乗せ、その隣に白蘭も座りこむ。
「買って来るって約束しちまったもんなぁ……」
そう呟き、白蘭は物憂げに嘆息する。
ゲルビアへ行く前日、一緒に行きたいと駄々をこねる弟に、お土産を買って来る約束で引き下がってもらったというのに、白蘭はお土産のことなどすっかり忘れていた。
「アイツ、怒るかな……」
弟の怒る姿を想像し、白蘭がクスリと笑みをこぼした時だった。
勢いよく、玄関のドアが叩かれた。
城下町から少し離れた場所に、白蘭の別荘はあった。何とかここまで走ってこれたが、流石にこれ以上は厳しい。
アルドは、すぐに玄関のドアを激しく叩いた。
「クソ! 早く出ろよッ!」
振り返れば、既に兵士達は近くまで追って来ている。
「おい、俺だ! アルドだッ!」
「何だ、アルドか?」
叫ぶと同時に、ドアの向こうから声が聞こえる。
「白蘭! 開けてくれ!」
「緊急事態か!?」
すぐに、白蘭はドアを開けた。しかしその頃には既に、すぐ傍まで兵士達が迫って来ていた。
「白蘭! ミラルを頼む!」
「ミラルって……姫様!? ってかお前、何で兵士に追われてんだよ!?」
「説明する暇はねえ! 今すぐミラルを逃がせ! 東国へ連れて行くんだ!」
「逃がせって……アルドは!?」
白蘭の問いに言葉では答えず、アルドは後ろの兵士へチラリと目をやる。その動作で、白蘭はアルドの意思を理解する。
「ふざけんな! お前も中に入れ!」
白蘭がそう叫んだ時には既に遅く、兵士達はアルドを取り囲んでいた。
素早く、兵士達はアルドへ銃を向けた。
「白蘭!」
アルドは叫ぶと同時に、ミラルを白蘭へ渡す。
「姫様ッ!」
兵士達が駆け寄ろうとするが、それを止めるかのようにアルドは両手を広げた。
「白蘭、ミラルを頼む」
「……ああッ!」
アルドの背中に、彼の決意を感じた。
白蘭はすぐに、ドアを閉める。
「貴様……王妃様だけでなく、姫様にまで……ッ!」
「うるッせえんだよ犬共が」
ボソリと。呟くようにアルドは悪態を吐いた。
後ろでは、ミラルの声と共に何度もドアが叩かれる音がしている。
「アルド! アルド!」
必死なミラルの声を、あえて聞かぬよう、アルドは目の前の兵士達へ集中する。
「そこを退け! 退かねば――」
「撃てよ糞共。もう悔いはねえ」
いや、悔いはあるかな、と小さく付け足し、アルドは自嘲気味に笑みを浮かべた。
「アルドー!」
「じゃあな。姫様」
銃声が、鳴り響いた。
「アルドっ! アルドっ!」
勢いよくドアを叩き続けるが、ドアの向こうから返事はない。
「姫様!」
白蘭の止める声も聞かず、ミラルは必死にドアを叩き続けた。
脳裏を過るのは、横たわるシルフィアの姿。ミラルは直感的に理解していた。
アルドが、これから死のうとしていることを。
ミラルを、助けるために。
「アルドー!」
何度も何度も、ドアを叩き続ける。やがて、ミラルの手には薄らと血が滲み始めた。痛みに耐えながらも、何度もミラルはドアを叩き続けた。
やがて、銃声が鳴り響いた。
ドサリと。ドアに何かがもたれかかる音。
「アル……ド……」
ペタリと、その場にミラルは膝をついた。
「姫様!」
荷物を背負った白蘭が、ミラルを抱きかかえる。それとほぼ同時に、白蘭の身体は光に包まれる。
「姫様ァ!」
ドアが開き、中へ兵士達が入って来る頃には、既にミラルと白蘭は姿を消していた。