episode70「Roots-3」
新人類計画。それがゲルビア帝国立遺伝子研究所で秘密裏に進められているプロジェクトの名前だった。
世界には、神力と呼ばれる常人では持ち得ぬ稀有な能力が存在する。「赤い雨」と呼ばれる、数百年前に起きた異常現象。その際の赤い雫は超常的な力を持ち、それを浴びた者に神力が与えられた。
新人類計画とは、神力を持つ稀有な人間を一から創り出す計画。
神に背く行為だと、誰かが言った。
神の領域に、我々人間が辿り着くことは冒涜でしかない。
理屈はわかる。しかしそれでも、好奇心には逆らえない。王でさえ――ハーデンでさえもがそのことをわかりながらもこの計画を研究所に決行させたのだ。
所詮人間は好奇心の塊だ。例え禁忌と知りつつも、好奇心の赴くままに研究を続ける。それが人間だ。
そしてパチリと、カプセルの中の男は目を開けた。
ゆっくりと。研究所内の、自室の椅子に腰掛ける。ここ最近眠っていないせいか、驚く程に眠たい。
後ろでまとめていた白く長い髪を解き、その女性は深く溜息を吐いた。
「ニューピープル……」
ボソリと女性が呟くと同時に、トントンとドアがノックされる。
「ラウラ、俺だ」
ドアの向こうから聞こえる男の声にピクリと反応し、ラウラと呼ばれた白髪の女性は入って、と短く答えた。
中に入って来たのは、背の高い男性だった。長く伸ばした神を、後ろで一つにし合っている。彼の手には、小さな赤ん坊が抱かれていた。
「キリト……」
ラウラは男を見てそう呟き、次に彼の手の中にある赤ん坊へ視線を向ける。
「お前の子だ」
「違うわ」
「違う……?」
「私のDNAを持っているだけよ」
そう言ったラウラを、キリトと呼ばれた男は切なげな表情で見つめる。
ラウラが静かにキリトへ歩み寄ると、キリトはそっと赤ん坊をラウラへ差し出した。ラウラは赤ん坊を受け取り、優しく抱いた。
ラウラと同じ、白髪の赤ん坊は、ただ静かにラウラの腕の中で眠っていた。
「陛下は?」
「下にいるわ。完成したニューピープルと話がしたいんだそうよ」
「出来るのかよ、会話なんて」
「出来るわ。彼は陛下そのものと言っても過言ではないわ。陛下と同じレベルの知識や能力は備えている」
「加えて、神力か」
キリトの言葉に、ラウラは小さく頷いた。
「体内に小赤石を宿しているから、ただの神力ではないハズ」
「……そんな重てえモンが、この子の中にも……か?」
キリトはそう言って、赤ん坊の頭をなでた。
その小さな身体の中に、小赤石などという神力の塊が入っているかと思うと、キリトはどうにもやるせない気分になるのだった。
巨大なカプセルの置かれた地下室に、ハーデンは来ていた。そこには、ラウラを除く全ての研究員がそろっていた。
ハーデンはカプセルを真剣に見つめ、その後ろでは研究員がカプセルの解放を今か今かと待っている。
「さあ目覚めろ! 我が兄弟!」
ハーデンの言葉と共に、カプセルの中の男はパチリと両目を開いた。研究員達からすれば、それは二度目の目覚めであった。
「…………」
目を開けた男は何も言わず、ただハーデンを見つめている。
「どうした? 何か喋ってみてくれ」
「……お前か」
ボソリと。呟くように、カプセルの中から男は言った。
「私を創ったのは、お前か?」
「いや、創ったのは私ではない。しかし、私と同じ遺伝子を持ち、同じ姿をした君は私の兄弟だ」
「そうか」
どうでも良い、とでも言わんばかりの表情で男は呟き――
「同じ姿は世界に二ついらんだろう」
破壊音と共に、カプセルの中から腕を出した男は、いつの間にか手にしていた剣で、ハーデンの身体を貫いた。
「か……ッ……は……ッッ……! 何をッ……ッ!?」
破壊された部分から、ドボドボとカプセル内を満たしていた液体が流れて行く。
剣で突き刺されたハーデンの身体から血が流れ、床へ流れる液体と混ざり合う。
「陛下ッ!」
研究員達が叫んだ頃には、既に男はカプセルを破壊して外へ出ていた。
「ふむ……」
首を左右に曲げ、ゴキゴキと音を鳴らすとニヤリと笑みを浮かべた。
「うわああああ!」
研究員達は悲鳴を上げ、ドアの方へと駆け出す。が、ドアへ近づいた研究員の身体へ、何かが巻き付いた。
「こんなことも出来るのか」
それは、髪だった。
長く伸びた男の黒い髪が、研究員の身体へ巻き付いているのだ。一人だけではない、全員の身体へ、男の髪が巻き付いている。
「た、助け――」
研究員が言い終わらない内に、男は巻き付けている髪で研究員達を同時に絞め上げた。ゴキゴキと厭な音がして、先程まで逃れようと暴れていた研究員達が一斉にぐったりと動きを止める。
「何故……こん……な……ッ!?」
男の足元で、呻きながらハーデンが問うた。
「合理的に考えて、目撃者は全員消しておくべきだろう」
「そうじゃ……ッない……ッ」
「ああ、お前のことか。さっきも言ったろう? 同じ姿は世界に二つもいらんと」
それにな、と付け足し、男は言葉を続けた。
「お前はぬるい。お前の望む世界は、お前のやり方では生まれない」
男が髪を元に戻すと同時に、巻き付かれていた研究員達は一斉にドサドサと床へ落下していく。
そして男は先程の剣を出現させ、ゆっくりと倒れているハーデンへその刃先を向けた。
「お前の思う共存は不可能だ。私は、全人類を統一する」
全人類の共存。それがハーデンの望みだった。不可能だなんてことは、ハーデン自身にもわかっている。しかしそれでも、夢見ずにはいられなかった。無意味な争いの存在しない世界。全人類が共存出来る、そんな世界。
「さらばだ我が兄弟。これからは私が――」
ザクリと。剣はハーデンの身体を貫いた。しばらく痙攣するかのように動いていたが、やがてハーデンは完全に動きを止める。
「私が、ゲルビア帝国国王、ハーデンだ」
「何だこの音……?」
突如、研究所全体に響き渡り始めた不快な音に、キリトは首を傾げる。
「警報音……!? どうしてっ」
ラウラがそう言うと同時に、白衣のポケットに入れていた小型の無線機がノイズ混じりの音を発し始める。すぐに、ラウラは無線機をポケットから取り出した。
『博士、逃げて下さい!』
「モーリッツ……? その声は、モーリッツね!? 何があったの!?」
『逃げて下さい! 陛下が……陛下がッ』
というモーリッツの言葉と同時に、無線機の向こうからザクリと何かが突き刺さる音が聞こえる。
「モーリッツ!?」
彼からの返事はなかった。
聞こえたのは無線機の転がり落ちる音と、何者かの足音。ラウラは、すぐに状況を理解した。
「まさか……あのニューピープルが……?」
「どうなっているのかわからんが、逃げるぞラウラ!」
「え、ええ……!」
キリトに手を引かれ、ラウラは赤ん坊を抱いたまま、すぐに研究所から逃亡した。
その日以来、ラウラ博士とキリトの姿を見た者はいなかった。
人造生命暴走事件。それがあの日、ゲルビア帝国立遺伝子研究所で起きた研究員死亡事件の呼び名だった。
秘密裏に造られていた人造生命体が暴走し、研究員達を殺害。研究の進行状況を確認しに来ていたゲルビア帝国国王ハーデンは、人造生命を殺害することで無事一命を取り留める。
研究所でチーフをやっていたラウラ博士はもう一体の人造生命と共に消息不明。帝国兵の一人であるキリトと共に走っている姿を見かけたとの情報もあるが、真実か否かは定かではない。
研究所で行われていた研究は、ゲルビア帝国首都パンドラで別の研究所を設立することで再開され、ゲルビア帝国立遺伝子研究所は封鎖された。
そしてあの日以来、ゲルビア帝国国王ハーデンは、まるで人が変わったかのように性格が変わってしまったという。