episode57「Under ground-3」
言葉もなく、ただ淡々と洞窟の奥へ進んで行く。
麗の不在が、青蘭達に精神的な負担を与えているのだろう。伊織は不安げに辺りを見回し、光秀はガックリと肩を落としている。そして青蘭は、麗がいないことを忘れ去ろうとしているかの如く、必死に平静を装った状態で奥へと突き進んでいる。
「俺が……」
ボソリと呟き、光秀は沈黙を破った。
「俺が、もう少し慎重に行動していれば……」
ギュッと拳を握り締め、口惜しげにそう言った光秀の方を、青蘭は静かに振り返る。
「もしこのまま……麗が死んだりしたら……ッ!」
「そう、悲観的にならないで下さい」
「悲観的になるなって……お前、なんでそんな冷静――――」
光秀が言いかけた時だった。
勢いよく青蘭は右腕を振り、岩石の壁を砕く。その光景に、光秀は呆気に取られていた。
「これが冷静に……見えますか……?」
抑制していた感情が、抑え切れずに溢れ出した。そんな様子だった。
麗の安否が心配で、どうしようもなく不安なのは、なにも光秀と伊織だけではない。しかし全員が動揺していては、先には進めないのだ。
青蘭は再び前を向き、洞窟の奥へと一歩踏み出す。
「……行きましょう」
コクリと。その後ろで二人は頷いた。
伸ばされた髪の束を、ニシルは右腕でガッシリと掴み、一気に焼き切る。すると、すぐさま左から別の束がニシル目掛けて伸ばされる。バックステップでそれを避けるが、髪の束は更にニシル目掛けて伸ばされる。
「しつっこい!」
悪態を吐きつつ、ニシルはその束を左手で掴んだ――――その時だった。
「うわッ!」
シュルリと。ニシルの右足にダニエラの髪が巻き付いた。
「髪は女の命……。焼いた代償、払ってもらうからねえ!」
ダニエラの髪に引っ張られ、ニシルはズルリとバランスを崩す。
「ニシルさん!」
カンバーが声を上げた時には、ニシルは髪によって上空へ逆さまに吊り上げられていた。
「釣れた釣れたァ」
ニヤリと。ダニエラが笑みを浮かべる。
「クソッ! 降ろせババア!」
罵倒するニシルの口元へ、ダニエラの髪が巻き付く。
「黙りなクソガキ!」
髪に阻まれ、ニシルの言葉はくぐもった呻き声にしかならなかった。
せめて口だけでも自由にしようと、ニシルは右手を伸ばすが、その右手にもダニエラの髪が巻き付き、動きを止める。
「よし、次はそこのヒョロいのの番だねえ……。アンタの場合、アタシと一緒に来るってんなら……」
「謹んでお断りさせていただきます」
ペコリと頭を下げると、すぐにカンバーはダニエラ目掛けて駆ける。
「――――ッ!?」
そして、ニシルの右足へ巻き付いている髪目掛けて、右手で手刀を叩き込む――――が、カンバーの手刀は容易く弾かれる。
「やはり、これくらいでは無理……ですか」
呟き、カンバーは素早くダニエラから距離を取る。
「どうしてもアタシとやるってのかい……。残念だねえ」
嘆息し、ダニエラはカンバーの足目掛けて素早く髪を伸ばす。カンバーがバックステップで髪を避けると、髪は更に伸び、カンバーを追尾する。
「切りがない……ですね」
舌打ちしつつ、周囲を走り回ってカンバーは髪を回避する。
「もう一束ァ!」
背後より迫り来る髪から逃げるカンバーの進行方向へ、もう一束の髪がカンバー目掛けて伸ばされる。カンバーは横っ跳びにそれを避けるが、髪は二束共カンバー目掛けて伸びて行く。
「ナイフでもあれば……ッ」
口惜しげにそう言ったカンバーの左足へ、髪がシュルリと巻き付く。
「しまっ……たッ!」
次の瞬間には、カンバーもニシルと同様に、逆さの状態で吊るし上げられていた。
「かわいいねえ……」
釣り上げられたカンバーを、恍惚とした表情でダニエラは見つめている。それを一瞥し、カンバーは表情に嫌悪の色を見せたが、ダニエラはカンバーの表情など意に介さぬ様子だった。
「タップリとかわいがってあげるよォ……」
ダニエラがそう言った瞬間、カンバーは身の毛がよだつような感情に襲われた。
ニシルは口を塞がれたまま、モゴモゴと何か口を動かしているが、声にはならない。ジタバタと身体を動かしても、ダニエラの髪にキツく縛られているため、全く身動きが取れない状態だった。
「殺すつもり……ですか?」
カンバーの問いに、ダニエラは首を左右に振った。
「そこのクソガキはともかく、アンタを殺すようなことはしないよ。アンタはアタシの……」
最後の方は小声だったため聞こえなかったが、何かロクでもないことを口走ったのは明白だった。
状況は絶望的だった。
拘束されたニシル、吊り上げられてほぼ何も出来ない状態のカンバー。やろうと思えば、ダニエラは今すぐにでもカンバーを拘束することが出来るだろう。この状況を打開する方法は、今のところ思いつかない。
――――昔のように、ナイフでも持ち歩いていれば……!
心の内で悪態を吐くが、だからと言ってどうこうなる訳ではない。
だが、ダニエラにカンバーを殺すつもりはないらしい。どう言う訳かカンバーはダニエラに気に入られているようで、ニシルは殺されても、カンバーだけは殺されずに済みそうではある。断言は出来ないが、可能性は高い。
――――ナラ、生キ残レルジャナイカ。絶望的ジャナイ。
「それは……駄目です……ッ!」
呟き、必死に首を横に振ってその考えを否定する。
合理的な、自分の命を優先した考え。それはもう、昔の考え方だ。今の……カンバーの考え方ではない。
――――無理スルナヨ。オ前ハ今スグニデモ、ソイツヲ見捨テテ敵側ニツケバ良イ。
「出来ない……!」
――――合理的ニ考エロヨ。自分ノ命ガ、大事ダロ?
カンバーの中で響くそれは、誰の声だったか。
「黙っていろッ!」
頭の中で響く声へ、一喝するかのようにカンバーは叫ぶ。その声に、ニシルとダニエラは驚いたような表情を見せたが、ダニエラはすぐに、意に介さぬ様子でニシルへと視線を向ける。
「まあ良い。まずは、アタシを馬鹿にしたそこのクソガキ……死んでもらおうかッ!」
ニヤリと。ダニエラが笑みを浮かべた時だった。
「美しくない。全く……美しくないわ貴女」
不意に聞こえる、透き通った女性の声。咄嗟に、その場にいた全員が声のした方向へ視線を向ける。この場所から、洞窟の奥へと続くであろう二つの道の内一つ。そこから、一人の女性がこちらへ歩いて来るのだ。
「貴女は……?」
怪訝そうな表情で問うたカンバーを、大して気にする様子もなく、彼女はこちらへ歩いて来る。
「個人的に気に入らないわ、貴女。美しくない」
ピシャリと。麗はダニエラに言い放った。
嘆息しつつも、洞窟の奥へと進んで行く。幾つかの別れ道を適当に進みつつ、青蘭達は洞窟の奥へとひたすら歩いていた。青蘭を含む全員の表情に、疲労の色が見える。
その上、麗は不在だった。下へと続く道は見当たらず、ただ青蘭達は奥へと進んでいた。疲労と不安のためか、伊織の足取りは徐々に重くなっていく。
「伊織、大丈夫か?」
青蘭の問いに、伊織は小さく頷いた。
「……平気。大丈夫だよ」
無理をしているのは明白だった。だがそれを指摘する者はいなかった。
「…………?」
不意に、青蘭が足を止める。
「どうした?」
「あそこ、誰かいませんか?」
目を凝らしつつ、青蘭が指差す方向へ光秀が目を向けると、確かに誰かの人影が見えた。長い髪をした、後ろ姿である。
「もうちょっと近付いてみましょう」
ゆっくりと、青蘭は人影に近づいていく。徐々に、そのシルエットは明確になっていく。
人影の正体は、少年だった。白く、ボサボサの長い髪をした少年。青蘭にとっては見覚えのある後ろ姿。
「――――ッ!?」
息を飲み、その後ろ姿を青蘭は凝視する。
「おい青蘭。あれって、まさか法然の言ってた……」
コクリと。青蘭は光秀の言葉に頷いた。
まさか、あり得ない。その後ろ姿が、あの少年のものだと確信するのにそう時間はかからなかった。
そして、恐る恐る呟いてみる。
「……チリー?」
ゆっくりと。その少年はこちらを振り返った。
「よう」
「お前……!」
振り返ったその顔は、間違いないくチリーだった。
「久しぶりだな」
ニッと。チリーらしきその人物は、青蘭へ笑って見せた。