episode49「In desert-6」
スッと。カンバーは身構える。その姿を見、ネストルはサングラスをゆっくりと外し、カンバーに対して身構える。
「そのヒョロい身体で、俺と戦おうってのか?」
嘲笑を込めた声で、ネストルは言う。明らかな挑発だったが、カンバーの表情に、それに対する憤りの色は見られない。それどころか、どこか余裕めいたものさえ感じられた。
「見た目で判断すると痛い目を見る……親に習わなかったのですか?」
「悪いな、俺は親の言うことなんて聞かねえからな」
「だからザハールのような悪人の部下に成り下がるのですよ、貴方は」
「俺の勝手だろ」
「そうですね」
そう答え、カンバーは微笑する。
「では……行きますよ」
呟くようにそう告げると、カンバーは素早くネストルとの距離を詰め、ネストルの頭部目掛けて右回し蹴りを繰り出す。ネストルは体勢を低くしてそれを回避すると、カンバーの右足をガッシリと掴む。しかし、ニヤリと微笑んだネストルの顔面に、カンバーの左足が直撃。左足が直撃した際、ネストルの右手が緩む。その隙に、カンバーはネストルの右手から右足を抜き、ネストルの顔面を踏み台にして自由になった右足と共にそのまま跳躍する。そして空中でクルリと回転し、器用に着地する。
「ぐ……ッ」
呻き声を上げるが、ネストルは倒れない。体勢を立て直し、舌打ちするとネストルはカンバーを睨みつける。
「軽業師かよ!」
「さあ、どうでしょう」
カンバーの含み笑いを嘲笑と受け取ったのか、ネストルはカンバー目掛けて駆けると、カンバーの顔面目掛けて右拳を突き出す。しかし、カンバーはそれを軽々と右手で掴み、そのままネストルの右手を捻り上げる。
「ぐあああッ!」
ネストルの上げた悲鳴を、まるで意に介さぬかのように、カンバーはネストルの右手を捻り上げたまま、表情一つ変えない。
冷たい、目だった。まるで、ゴミでも見るかのような……そんな冷めた目で、カンバーはネストルを睨んでいる。少なくとも彼のこんな表情を、チリー達は知らないだろう。
「良いですか、俺の質問に対して真実だけ答えて下さい」
「く……ッ! 誰が……ッ」
ゆっくりと。カンバーの手が、更にネストルの右手を捻り上げる。
「があああッ!」
「いけませんね……。親からもらった右手、大切にしませんと」
そう言ってニコリと微笑む。が、目は笑っていない。カンバーの目は、先程の冷めた目のまま、ネストルを睨み続けている。
「それとも、折っておきますか? 俺は構いませんけど……」
「わ、わかった……! 真実だけを答えるッ!」
ネストルが必死にそう叫ぶと、カンバーは少しだけ捻り上げている右手を緩める。
「では聞きましょう。この町を……ヴィカルドを神力を使って砂漠地帯にしたのは、貴方達で間違いないですね?」
「あ、ああ……」
コクリと。ネストルは頷く。
「しかし、ザハールの神力だけで、町一つ分を砂漠地帯に出来るとは到底思えません……。チリーさんの話によると、ザハールの能力は恐らく『物質を砂へ変える』こと……違いますか?」
「いや、違わない……。ザハールさんの能力はそれで正しい」
「だとしたら、現在のヴィカルドの状況はおかしい……。周囲の土壌を砂に変えたところで、本当に雨の少ない砂漠地帯へ変わるハズがないんですよ」
土壌を砂へと変えたところで、その周囲は乾燥した砂漠地帯となる訳ではない。土壌が砂になるだけで、雨は降るし大気中の水分だって変わらない。だが、現在のヴィカルドは明らかに砂漠地帯と化している。
「俺の……能力だ」
「貴方の?」
コクリと。ネストルは頷きつつポケットへ左手を忍ばせる。既に、ネストルの右手の捻りは随分と緩められている。
「ああ。かなり消耗するが、町一つ分の周囲の天候を操るくらいは出来る……。最初に地面を砂に変えて、あたかもザハールさんが町を砂漠化させたかのように見せているだけだ」
ネストルのポケットから取り出されたのは、一本のナイフだった。そのナイフに、カンバーは気付いていない。
「なるほど……。それで雨が降らないまま数年経ち……」
カンバーが言いかけた時だった。
ドスリと。ネストルが左手首を使って投擲したナイフが、カンバーの腹部に浅く刺さる。
「ぐ……ッ」
呻き声を上げたカンバーの右手は、無意識の内に緩む。すかさずネストルは掴まれていた右手を抜き、素早くカンバーから距離を取る。
「馬鹿が……!」
ニヤリと。ネストルが笑む。そのネストルを、苦痛に歪んだ表情でカンバーは睨みつける。
「ざまァねえな」
そう言ってクスリと、ネストルは笑う。
カンバーの表情に、微かだが怒りの色が見える。しかし、それはネストルに向けられたものではなく、油断した自分への怒りのようだった。
「俺の腕も……鈍ったものですね……!」
吐き捨てるようにそう言い、カンバーは刺さったナイフを勢いよく抜くと、その場へ投げ捨てた。
ジワリと。腹部に血が滲む。だが傷は浅い。右手を掴まれていたせいと、利き腕ではないであろう左手で投擲されたのが幸いし、致命傷にはならない。
「天候を操作するために、神力は使えない……。が、負傷したお前を倒すくらいは俺にも出来るぜ……!」
そう言ってニヤリと。ネストルは不敵に笑った。
「……くらい…………」
「ん? 何だ?」
ボソボソと呟くカンバーの言葉が聞き取れず、ネストルは聞き返す。しかし、カンバーからの答えはない。苛立ちを感じたネストルが舌打ちした――――その時だった。
素早く、カンバーがネストルの眼前まで迫る。
「な――――ッ!?」
「このくらいの傷、全盛期ではざらにありましたよ」
そう告げ、カンバーはネストルの腹部へ右拳を叩き込み、ニコリと微笑んだ。ただし、目は笑っていない。
「がァ……ッ!」
呻き声を上げたネストルの首筋へ、カンバーは鋭く手刀を喰らわせる。そのままうつ伏せに倒れたネストルの上にまたがり、そのネストルの右手を捻り上げながらガッシリと掴み、先程カンバーへナイフを投擲した左手は左足で強く踏みつけ、動きを止める。
「……やってくれましたね」
冷えた怒り。芯まで冷え切った、冷たい怒りを、カンバーはその瞳に宿していた。不意打ちを喰らったことが、どうにも気に食わないらしい。
「まあ、ブランクのせいで俺の注意力が鈍っていたせいもありますが……」
グッと。カンバーはネストルの左手を更に強く踏みつける。
「ぐァッ!」
「……死にます?」
静かに、カンバーは問うた。
「わ、悪かった……許してくれッ!」
ネストルが助けを請うた――――その瞬間だった。
――――お願い……! もう許して……っ!
不意に、フラッシュバックのように蘇る、過去の映像と音。耳に残る、少女の声。
血溜まり。倒れ伏す人。必死に助けを請う、一人の少女。
まるで頭痛でもしたかのように、カンバーは左手で頭を押さえた。
「……危うく、スイッチが入るところでした……」
呟き、カンバーは嘆息する。
「良いですか、これ以上……無駄な抵抗はしないで、俺の質問にだけ答えて下さい」
「わかった……約束する!」
どの道、この状況では何も出来ないだろう。素直に信頼し、カンバーは問う。
「デニスは、どこにいます? チリーさんが向かった先ですか?」
その問いに、ネストルは首を左右に振った。
「いや……別な場所に監禁してある……」
「別な場所……。他に、隠された入口があるんですね?」
コクリと。ネストルは頷いた。
「案内して下さい。良いですね?」
「……わかった」
渋々、ネストルは頷いた。
チリーが開いたドアの先は、下へと続く階段だった。薄暗く、天井に付けられている電球はチカチカと点滅しており、どうにも心許ない。足元に気を付けつつも、チリーは足早に階段を降りて行く。
しばらく階段を降りていると、その先にドアが見えた。恐らく、奥へと続いているのだろう。チリーは迷わずにそのドアを開いた。
その先は廊下。石の壁に石の床、まるで刑務所の中なのではないかと錯覚してしまうような殺風景さだった。とは言っても、チリーは刑務所の中になど入ったことはないので、単なるイメージなのだが……。
廊下はあまり長くない。左右にドアが二つずつ。青いドア、黄色いドア、オレンジのドア、そして黒いドア。ドアには文字が書いてあるが、チリーはそれを読もうとしなかった。
「……めんどくせえな」
吐き捨てるように呟き、順番にドアを見ていく。
「んー……。適当で良いか」
駄目だろうそれでは。などとツッコミを入れてくれる相手はいない。チリーは本能の赴くままに、黄色いドアを勢いよく開く。
「オラァーッ!」
勢いよくドアが開かれる。
「……ほぅ」
その奥には、豪勢なソファの上へドッシリと座り、火の付いた葉巻を咥えたザハールがいた。どうやら、チリーの勘は当たったらしい。
「よくここまで来たな、小僧。素直に褒めてやろう」
「うるせえ! んなことより、さっさと町を元に戻せッ!」
チリーのその言葉に、ザハールは嘆息して肩をすくめると、ゆっくりと立ち上がる。
「仕方ねえ……。相手してやるよ、小僧」
ザハールの目が、真っ直ぐにチリーを見据えた。