episode42「Hallucination-4」
「青蘭君! 待って!」
後ろから伊織の声が聞こえる。しかし、青蘭は振り返りもせずにそのまま走った。
――――本物のハズがないでしょう。
脳裏を過る、先程の麗の言葉。
白蘭が……兄が、偽物。そんなハズはない、そう信じていたい。しかし、あの白蘭が本物である証拠はどこにもない。あるのは、偽物だという証拠のみ……。
――――もうあれから何年経ったと思っているの? 彼が昔と同じ姿のハズがないじゃない。
麗の言う通りだ。もう、あれから何年も経っている。なのに、白蘭の姿が変わっていないハズがない。
何も変わらない物などない。青蘭自身も、勿論伊織も、あの日から随分と変わった。外見だけではない、内面もそれに伴って変わっている。だと言うのに、白蘭だけが、何も変わっていないハズがないのだ。
「兄さんが……偽物……」
思い出すのは兄の顔。優しく微笑んだ、当時と変わらぬ表情。そう、当時と変わっていないのだ。
「青蘭君!」
伊織はまだ追いかけてきている。だが青蘭は、振り向かなかった。振り向く余裕があるような、そんな精神状態ではなかった。
――――直接会って、確かめる。
もう一度、もう一度白蘭に会えばわかる。偽物かどうか……確認することが出来る。
どこにいるのかはわからない。しかし、居ても立ってもいられず、宿を飛び出し、そのまま走った。
「うおッ!?」
不意に進行方向へ立ち塞がった男に、青蘭は勢いよくぶつかった。男はそのまま後ろへ尻餅を付き、青蘭も同じようにして後ろへ尻餅を付いた。
「青蘭君!」
青蘭の後ろを追いかけていた伊織が、やっとのことで追いつき、青蘭の元へ駆け寄る。
「なんだ、青蘭じゃないか」
青蘭がぶつかった相手は、白蘭だった。
「兄さん!」
「どうした? 何血相変えてんだよ?」
微笑し、白蘭は言う。
「何かあったのか?」
「……いや」
青蘭はかぶりを振り、ゆっくりと立ち上がる。すると、白蘭も同じようにして立ち上がる。
「兄さん、さっきはどうして急にどこかへ行ったんだ?」
「ああ、ちょっと急用を思い出してな……」
申し訳なさそうな表情で、白蘭は後ろ頭をポリポリとかいた。
「兄さんを捜してたんだ。さ、麗さんの所へ行こう」
「ああ、そうだったな」
そう言って微笑み、白蘭は小さく頷いた。
「……伊織、行こうか」
「あ、うん」
後ろに白蘭を連れ、青蘭はゆっくりと歩き出す。その青蘭の隣を、付き添うようにして伊織が歩く。
「なあ青蘭、麗は……綺麗になってるか?」
そう問いつつ、白蘭は青蘭との距離を数歩縮めると、ポケットの中へと手を伸ばす。
「ん、ああ。綺麗だよ」
「そっか。アイツ昔から結構美人だったからなぁ……」
笑い混じりにそう答え、ゆっくりとポケットの中から鋭いナイフを、白蘭は取り出した。それを右手で逆手に持ち、また一歩、青蘭へ近づく。
「成長した麗か……楽しみだな……」
音も立てず、ゆっくりと、ひっそりと、そのナイフを青蘭の――――首筋へと……。
「兄さん」
ピタリと。白蘭はその手を止めた。
「そのナイフで……俺の首に何をするつもりだ?」
低く、そう青蘭は問うた。
問いには答えず、白蘭は数刻停止していたが、バックステップで青蘭から距離を取る。
「……浅はかだったかな」
そう言い、白蘭は肩をすくめてみせる。
「ああ。俺も、アンタもな」
振り返りもせず、青蘭はそう答えた。
「白蘭……さん」
悲痛な声で、伊織は呟いた。しかしその表情に、驚愕の色はなかった。
「兄さん、あえて質問させてくれ」
青蘭の言葉に、白蘭は答えなかった。しかしそれでも、青蘭は言葉を続けた。
「兄さんは、本当に『兄さん』なのか?」
しばしの、沈黙。
白蘭は黙ったまま、何も答えようとはしなかった。
「彼は偽物……という訳ではありませんよ。青蘭さん」
背後から、白蘭のものではない男の声が聞こえる。
「――――ッ!?」
素早く、青蘭と伊織が背後を振り返ると、そこには薄らと笑いを浮かべたバルターの姿があった。
「……どういうことだ?」
「確かに、お察しの通り本物ではありません。ですが、偽物という訳でもありません」
「お前の戯言に付き合っている程、俺は暇じゃない」
怒気の込められた青蘭の言葉に、バルターは肩をすくめて見せた。
「彼、白蘭は……貴方が生み出したのですよ?」
「な――――ッ!?」
驚愕する青蘭を見、バルターはクスリと笑った。
「青蘭君が……生み出した……?」
青蘭の隣で、同じように驚愕に表情を歪めた伊織が、バルターへ問う。
「ええ、その通りです。青蘭さんが生み出した物であると同時に、貴女が生み出した物でもある」
そう言ったバルターの視線は、ハッキリと伊織を捉えていた。
「神力使い……! しかし何故気付けなかったんだ……?」
「当然ですよ。貴方が見ている幻覚から、私の神力が感じ取れる訳ないじゃないですか」
「幻覚……ッ!?」
白蘭を一瞥する。白蘭は先程までと変わらず、ナイフを持ったままこちらをジッと見ている。睨んでいる訳ではない、見ているだけだ。
触れられた時の感覚もある、一緒にいて違和感もない。到底幻覚とは思えない……。が、幻覚とはそういうものだ。周囲から見れば違和感の塊、本人から見れば現実。幻覚とは、そういうものなのだ。
伊織にも白蘭が見えているということは、恐らく伊織も青蘭と同じようにバルターの能力に影響を受けているのだろう。
「一体……いつ……!」
思索し、すぐに気が付いた。
――――ああ、すいません。驚かせてしまいましたか。
――――これは失敬。美しいお嬢さんがいたものでして、ついつい肩に手を……。
「……あの時かッ!」
ニヤリと。バルターが笑みを浮かべる。
「もしかして、時計塔の所で……触られた時……?」
肩を抱きつつ伊織が呟くと、バルターはええ、と答えた。
「あの時既に……俺はバルターの能力を受けていたということか……!」
夜、散歩に出かけた青蘭の肩へ触れたバルター。時計塔で、伊織の肩へ突然触れたバルター。この男、バルターは相手の体に触れることで、相手に幻覚を見せることが出来る能力……なのだろうか。
「それにしてもその幻覚……貴方の兄でしたか」
「それがどうした……ッ!」
「別に。ただ、貴方が今最も会いたい人間は、兄だったんですね」
そう言い、バルターはニヤリと笑んだ。
「目標の人間に、その人間が最も会いたい人間の幻覚を見せる。油断しているところを殺させる予定だったのですが……。意外に早く気が付きましたね。まあ、そこのお嬢さんは都合が良いので、彼と同じ幻覚を見せましたが……」
ククッと笑い、バルターは動きを止めたままでいる白蘭の傍へ歩み寄り、その肩へ手を置いた。
「……酷過ぎるよ……。私も青蘭君も、ホントに嬉しかったんだよ!」
「なら感謝していただきたいですね。幻覚とは言え、会いたい人間に出会うことが出来たんですから」
その場に膝を付き、目を両手で覆って伊織は嗚咽し始める。そんな伊織を一瞥し、青蘭はバルターをギロリと睨みつける。
「ふざ……けるな……ッ」
強く拳を握り締め、更に強くバルターを睨みつけると、早足でバルターへ歩み寄ると、その胸ぐらを思い切り左手で掴んだ。
「感謝していただきたいだと……? ふざけるなッ! 俺達を弄びやがって……ッ!!」
「弄んだ……? そんなつもりはありませんよ。私は、貴方達を効率良く殺そうと思っただけです」
そう言ってニヤリと笑ったバルターの顔面を、青蘭は渾身の力で殴りつけた。その際にバルターの胸ぐらを離したため、そのままバルターは後方へ吹っ飛んで行く。
「おや……神力は使わなかったんですね……」
よろめきつつも、バルターは立ち上がる。
「一つ……質問をします。赤石の在処を……知りませんか?」
「赤石の……在処?」
コクリと。バルターは頷く。
「東国の王族である貴方なら……知っているのではないですか?」
麗も、青蘭へ赤石の在処について問うた。勿論青蘭は赤石の在処など知らない。白蘭は知っていたらしいが……。この男と言い、麗と言い、まるで赤石が東国と関係あるかのような口振りである。
「知らない。知っていたとしても、お前には教えない」
「でしょうね……」
「言いたいことはそれだけか?」
「ええ、これだけです」
そう答え、バルターは微笑する。
――――顔面に一撃入れられておきながら、この男の余裕は何なのだろう。
何か勝算があるのだろうか……。だが――――関係ない。この男だけは、許すわけにはいかない。
神力を発動させ、素早くバルター目掛けて青蘭が駆けた――――その時だった。
「おっと」
青蘭の前に、白蘭が立ち塞がる。反射的に、青蘭は動きを止めた。
「――――ッ!?」
「悪いが、お前の相手は俺らしいぜ」
そう言って、白蘭はナイフを構えた。
「青蘭さん……戦えますか? 自分の、兄と」
邪悪に、バルターが微笑んだ。