episode40「Hallucination-2」
アルケスタへと向かうため、麗と光秀は朝早くから出掛ける準備をしていた。汽車の時間の確認や、旅に必要な物で足りない物がないか等、色々と確認しなければならないことがあるらしい。
麗は青蘭と伊織に、しばらくの間ヘルテュラの観光でもしておきなさい、と告げ、光秀は随分と不満そうだったが、麗に急かされて渋々と二人で出掛けて行った。
「観光って言ってもな……」
考え込むような表情をし、青蘭が呟くと、伊織は嬉しそうに良いじゃない、と呟いた。
「行こうよ青蘭君。どうせ私達はしばらく暇なんだし」
ベッドに腰掛け、伊織は足をぶらぶらと揺らしている。
そんな無邪気な様子の彼女を見、青蘭は微笑すると、ベッドから腰を上げた。
「そうだな。行こう。俺も少し息抜きがしたかったしな」
青蘭がそう言うと、伊織は表情をパッと明るくし、勢いよく立ち上がった。
「それじゃ、決定だね! 行こう、青蘭君!」
妙にはしゃいでいる様子の伊織を見、青蘭は再度微笑した。
アギエナ国とゲルビア帝国の境界の町、ヘルテュラ。町自体はそこまで大きくないものの、アギエナと貿易しているゲルビアの商人等が大勢この町を訪れるため、町は随分と賑わっている。人口は多く、アギエナ内の他の町と比べてやや過密気味な程だ。
そんなヘルテュラの名物は、時計塔。
随分と昔に建てられたらしく、歴史的に価値があるらしい。既にこの時計塔は時を刻んでおらず、中の床や壁も脆くなっており、入ることが出来ない。
「で、伊織はその時計塔に行きたいのか?」
歩きつつ、青蘭が問うと伊織はコクリと頷いた。
「うん。中には入れないけど、せめて近くで見てみたいなぁって」
そう言って、伊織は時計塔の方向へ視線を移す。現在地から時計塔までは結構な距離があるが、ここからでも時計塔は十分見える。煉瓦造りの高い時計塔がそびえ立ち、この町の中でかなりの存在感を放っている。
「わかった。時計塔に行こう。多分この町には、もうしばらく来る機会がなさそうだしな」
ヘルテュラにある駅の時刻表の前、麗は立ち止まってそれを眺めている。その後ろでは、光秀が退屈そうな表情でボーっと突っ立っている。
「光秀」
不意に話しかけられ、少し反応が遅れたが、光秀はすぐに麗の方へ視線を移す。
「どうした?」
「青蘭のこと、どう思う?」
「どう思うって……」
腕を組み、光秀は唸りながら考え込むような表情を見せた。
「彼は本当に、赤石の在処を知らないと思う?」
鋭い目つきで、麗は光秀へ問うた。
「……さあな。ハッキリとは言えねえ。だが、俺はアイツが嘘を吐いてるとは思わねえな」
「あら、意外だわ。彼の肩を持つのね」
麗のその言葉に、光秀は肩をすくめて見せる。
「伊織ちゃんと仲の良いアイツは確かに気に入らねえ。だが、アイツが嘘を吐くようなねじ曲がった人間じゃねえってのはわかってるつもりだぜ。あんな真っ直ぐな瞳、そうそう拝めるモンじゃねえよ」
そう言って、光秀は微苦笑する。すると麗も微笑し、そうね、と呟いた。
「麗、何で急にアイツを疑うんだよ?」
「少し、気にかかることがあったのよ。けれど疑うなんて、落ち着いて考えれば我ながら美しくないわ」
そう言い、麗は嘆息する。
「気にかかること?」
光秀が問うと、麗は小さく頷いた。
「彼は、私の記憶が正しければ東国の王族なのよ。勿論その兄、白蘭もね。白蘭だけが知っていて、青蘭が知らないって言うのが府に落ちない……というのがさっきまでの私の考えよ」
「さっきまでの……ってことは、今は違うんだな」
「ええ。恐らく、王の後継者は白蘭だったのよ。だから白蘭は知っていて青蘭は知らなかった……。そう考えれば済む話だわ」
「……まるで、東国と赤石が関係あるかのような口振りだな」
真剣な表情で光秀がそう言うと、麗はコクリと頷いた。
「確かゲルビアは、赤石を狙っていたわね」
「ああ。そうらしいな。奴ら、必死になって探してるらしいぜ。理由がわかんねえけどな」
「理由……ね」
そう呟き、麗は右手を口元にやる。
「ゲルビアが赤石を狙ってるってのは、どうもわかんねぇんだよな……。さっきも言ったが、理由がわからねえ」
「……そうね。いくら赤石が強大な神力を秘めているとしても、ゲルビアが必死になって探さなければいけないような物ではないわ。赤石なんて無くても、ゲルビアは十分に富んでいる……。もし理由があるとすれば、他国が赤石の力で、何か行動を起こすのを防ぐため……もしくは研究目的ね。でも、後者はあまり考えられないわね」
「研究目的にしては、大がかりだってか?」
光秀の言葉に、麗はコクリと頷く。
「各地に捜索隊を派遣したり、先住民の地を制圧したり……やり過ぎよ。美しくないわ」
ゲルビアの、黒い噂は絶えない。特に最近は酷いものだった。赤石のために、先住民の地を制圧し、赤石の在処を吐くまで拷問を続けたり、更なる神力研究のため、自国のみならず他国からも神力使いを攫っては実験台にするなど、どれも一概には噂だと断言出来ないものばかりだ。ゲルビアならやりかねない、という意識が麗にも、光秀にもあるのだ。それも無理はない。彼らの故郷、東国を滅ぼしたのは他でもないゲルビア帝国なのだから……。
「東国戦争……。アレが何故起きたのか、何故ゲルビアは東国を滅ぼしたのか……光秀、わかるかしら?」
「わかる……って答えても、お前は自分で言うんだろ?」
そう言って光秀が口元を緩めると、それもそうね、と麗は微笑した。
「東国と赤石は、何らかの関係があるのではないかしら……」
「……それなら、東国戦争に説明が付くな」
ゲルビア帝国が、東国へ襲いかかった理由……そこに、赤石が何らかの形で関わっている可能性があると、麗は考えたのだ。
「それに、白蘭が赤石の在処を知っていた……という事実もあるわ」
「……確かにな。だが、東国に赤石が関わってんなら、ゲルビアはとっくに手に入れてるハズだぜ? なのに、奴らは未だに赤石を探している……訳わかんねえな。東国戦争は、奴らにとっちゃ無駄足だったのか……? だとすりゃ、尚更許せねえな。関係もねえのに滅ぼしやがって……ッ」
「ゲルビアでも見つけられないくらいだから……アルケスタに行った程度じゃ、私達でもわからないでしょうね」
そう言って、麗は嘆息する。
「まあ、何もしないよりはマシだろ。ゲルビアの探し方は大掛かりな分、案外細かい所まで確認してないかもだぜ?」
「……楽観的ね」
「俺の性分だ」
そう言って、光秀は軽く笑った。
「それで、アルケスタ行きの汽車はいつ出るんだ?」
光秀がそう言うと、麗は時刻表へと視線を戻す。
「……」
「どうした?」
「今日は出ないみたいね」
「……」
しばし、沈黙した。
ヘルテュラの時計塔前。観光客が多く集まるその場所に、青蘭と伊織は到着した。
数十人の人間が、時計塔を眺めたり、写真に撮ったりと各々で楽しんでいる。人が集まるのを良いことに、胡散臭そうな物を売りさばいている者もいる。
「近くで見るとすっごいねえ……」
「……そうだな」
時計塔を見上げ、感嘆する伊織に、青蘭はそう答えた。
間近で見る時計塔は壮観な眺めで、遠くから見るのとは大違いだった。カメラを持っていれば写真を撮れたのだが、生憎二人共そんな高価な物は持ち合わせていない。せめて絵でも描ければ、この凄さを麗達にも伝えることが出来るのだが、残念なことに二人共絵が得意な訳ではない。
「これ、麗さん達にも見せてあげたいね……」
「ああ。けど、午後には出発する予定らしいしな……。カメラでも持っていれば良かったんだが……」
そう言って嘆息する青蘭の肩を、伊織はトントンと叩いた。
「ん?」
「青蘭君! あの人!」
伊織の指差した方向へ視線を移すと、そこには画家らしき男性が画版と筆を持ち、足元に絵の具等を置いて椅子に座っていた。彼の隣には看板があり、「時計塔の絵、描きます」と書いてある。
「値段もお手頃だし、頼んでみない?」
「ちょっと怪しいが……まあ良いか」
そう言って苦笑し、青蘭は伊織と共に画家らしき男性の元へと歩いていく。
「すいません、時計塔の絵、お願い出来ますか?」
伊織がそう言うと、男性はニコリと微笑んだ。
「ああ。任せてくれ。代金は描いた後で構わない。気に入らなければ、払わなくても構わないよ」
そう言うと、男性は早速時計塔の方へ椅子を傾け、絵の具の準備をし始める。
「描き上がるまでに少し時間がかかるから、出来るまで少し待っててくれ」
「わかりました!」
上機嫌に返事をすると、伊織はニコリと微笑んだ。
絵を待ち始めて数分。青蘭と伊織はしばらく時計塔を眺めたり、雑談をしたりと暇を潰していたのだが、次第に話題もなくなり時計塔を眺め続けるのにも飽きてしまっていた。
絶え間なく続いていた会話もやがて途切れ、二人の間に沈黙が訪れていた……その時だった。
ポンと。伊織の肩に背後から手が置かれる。
「――――っ!」
不意のこと故、驚いて伊織が振り返ると、そこに立っていたのはバルターだった。
「これは失敬。美しいお嬢さんがいたものでして、ついつい肩に手を……」
「え……意味わかんない……」
率直な感想だった。
訝しげに、伊織はバルターを見つめている。
「バルターさん……」
「おや、奇遇ですねセイランさん」
そう言って微笑む青蘭とバルターを交互に見、伊織は知り合い? と青蘭へ問うた。
「ああ、昨日の夜散歩している時にちょっとな」
「……ふぅん」
伊織はバルターのことを良く思っていないらしく(先程のことを考えれば当然とも言える)、未だに訝しげな表情でバルターを見ている。
「ああ、これと言って用があった訳ではないので……。では、失礼させていただきます」
ペコリと一礼すると、バルターはゆっくりとその場を去った。二人はしばらくバルターの背中を見つめていたが、数秒で青蘭が嘆息する。
「……少し、休憩しないか?」
「うん。向こうでソフトクリーム売ってるし、それでも食べようよ」
「……そふとくりいむ?」
不思議そうに、青蘭は首を傾げる。
「え、青蘭君ソフトクリーム知らない?」
「ん、ああ……」
皆目見当が付かない。というのが正直な話だった。
「ええとね、ソフトクリームって言うのは――――」
伊織が言いかけた時だった。
「やれやれ、ソフトクリームも知らないとは……。相変わらず、他国の文化に疎いな、青蘭」
「――――ッ!?」
不意に背後から声をかけられ、青蘭は素早く背後を振り返る。
「え……嘘……」
同じようにして振り返った伊織は、背後にいた人物を見、驚愕の声を上げた。青蘭に至っては、驚愕のあまりに声も出ない状態だ。
「久しぶりだな、二人共」
そこに立っていたのは、既に亡くなっているハズの青蘭の兄――――白蘭だった。