episode3「East surviver-1」
東に、国があった。
独自の文化を持つ、あまり大きくはない島国だった。小さいながらも発展していたその国は、ある秘密を抱えていた。
その秘密を原因に、国は滅びた。
焦土だけを、残して。
「やっと着いたか……。かなり退屈だったぜ」
駅に到着した汽車から降りると、チリーは持っていたトランクケースをその場に置き、グッとのびをした。フェキタスからエリニアに到着するまで、汽車で二時間。チリーを退屈させるには十分過ぎる時間と空間であった。
「僕は、最初のボートの旅よりは何十倍も快適だったと思うよ」
チリーに続いてニシルも汽車から降りて来る。
「退屈って……アンタらほとんど寝てたじゃないの……。私の方がよっぽど退屈だったわよ」
呆れた顔で降りて来たのはミラルだった。如何にも気だるそうに車輪の付いたトランクケースを引きずっている。
「まあとにかく。エリニアに到着だ」
フェキタスを出たチリー達は、その更に西へ向かうため、ここエリニアまで汽車に乗って来た。エリニアはフェキタスよりは大き目の町で、アギエナ国の首都でもある。
「ここの名産って何かな……」
「何だっけなぁ……町で調べてみようぜ」
「名産より先に、王様でしょ」
呑気な会話をしているチリーとニシルに、呆れ顔でミラルはそう言った。
「この町にいるかなぁ」
「どうだろうな……。まあ、とりあえず捜すか」
チリーとニシルが、そんな会話をしていた時だった。
汽車の中から中年くらいの男が降り、そろそろとチリーのトランクケースに近づいている。
チリーとニシルは会話に夢中で、ミラルは気付かずに地図を眺めている。男はトランクケースをそっと抱えると、すぐに全速力で駆けだした。
「――――ッ!? 俺の荷物ッ!」
男が駆け出してやっと気付いたのだろう。チリーは逃げる男を指差して叫ぶ。
「荷物盗られるなんて……ダサいよチリー」
そう言ってニシルはチリーを指差してケラケラと笑っている。呑気なものだ。
「うるっせえ! 笑ってる場合かッ!」
「そうよ! 追いかけなきゃ!」
チリーとミラルは(ニシルはまだケラケラと笑っている)急いでトランクケースを抱えた男を追いかけた。しかし、二人が男に追いつく前に、鈍い音がして男はその場に尻餅をついた。
「ッ!?」
男の目の前に一人の青年が立ちはだかったからだ。
端正な顔立ちの、長身の青年であった。年齢は、二十代のようにも、十代後半のようにも見える。短く切り揃えられた髪型からは、清潔な印象を受ける。
「な、何だお前! そこをどけッ!」
男が怒声を上げるが、青年は腰に両手を当て、仁王立ちのまま動こうとしない。
「そのトランクケースは貴方の物ではないハズだ。今なら見逃す、ちゃんと持ち主に返すんだ」
真摯な眼差しで、青年は言い放った。チリーとミラルは、その状況に呆気に取られ、ただ立ち尽くして青年を見ていた。先程までケラケラと笑っていたニシルでさえ、笑うのをやめて青年の方へ視線を向けている。
「うるせえッ! お、お前には関係ないだろ!!」
男の言葉を聞き、青年は残念そうに溜息を吐いた。
「そうか……。なら仕方がないな」
「ハァ!? 何が仕方な――――」
男が言い終わらない内に、男の腹部に青年の膝が食い込んでいた。
「か……はァ……ッ」
口から胃液を吐きだしながら、男はその場にドサリと倒れた。
「一応加減はしてある。これに懲りたらもう盗みなんてするなよ」
青年はそう言うと、男が抱えているチリーのトランクケースを強引に奪い、チリー達の方へ歩み寄る。
「このトランクケース……君のだろ?」
「あ、ああ……。ありがとう……」
丁寧に青年から差し出されたトランクケースを、チリーは頭を下げながら受け取る。
「困った時はお互い様だよ」
青年はニコリと、爽やかに微笑んだ。が、不意にピタリと表情が固まった。
青年と、ミラルの目が合う。
「あの、何か……?」
ミラルが問うと、青年は何か考え込むような表情を見せた。
「君は……」
「……?」
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
何かを言いかけたが、青年は気のせいか、と呟き、首を左右に振った。
「それじゃ、俺はこれで」
もう一度微笑み、そう言い残すと、どこかへと去ってしまった。
「あの人……」
怪訝そうな表情で、ミラルは青年の背中を見つめていた。
追われている。そんな意識が、青年の中にはずっとあった。移動中は勿論、宿での寝食の際すら誰かに監視されているような気がしている。否、監視されている。
故にここしばらく安眠など一度も出来ていない。ベッドの中ですら常に意識を研ぎ澄まし、いつ襲われても対抗出来るようにしている。
いい加減休みたいのだが、姿を見せない追跡者は一向に休ませてはくれない。時折感じる殺意から察するに、追跡者は自分を殺すつもりでいるのだろう。
エリニア……。ゲルビア帝国を目指し、ココまで来たは良いが、地図から考えてゲルビア帝国はまだ遠い。それまでの間ずっと追跡者の影に怯えなければならないのか……。
「ふぅ……」
青年は溜息を吐いた。
「ん、兄ちゃん、どうかしたのかい?」
不意に声をかけられ、慌てて返事をする。
「いえ、何でも……すいません」
市場で買い物の途中であった。青年は買った物(主に服などの生活用品)を受け取り、お金を渡すとその場を離れた。
恐らく、今の自分は相当衰弱しているだろう。なんせここ一週間程まともに眠れていないのだから。自分が追跡者だったとしたら、確実に今を狙う。
そろそろ限界かも知れない。そんなことを考えつつ歩いていると、いつの間にやら大通りに出ていた。沢山の人や馬車が行き交う大通りの中でも、青年を追跡する気配は消えない。いや、むしろ今までより近く感じられた。
「やぁ、青蘭」
「――――ッ!?」
不意に、耳元で囁かれた自分の名前。青年の額を嫌な汗が流れる。
「よく頑張ったけど……そろそろ限界みたいだね? そうだね? 青蘭?」
青蘭と呼ばれた青年はゴクリと唾を飲み込んだ。
間違いない。この声の主こそ、ここしばらく青蘭を狙い続けていた追跡者だ。
「東国が消えて寂しいよね? 仲間がいなくて寂しいよね? ね? そうだね? 青蘭?」
耳元で疑問符を繰り返す声に、青蘭は苛立ちを覚えたが、今はそんなことよりも如何にこの追跡者から逃れるかだ。
衰弱した今の自分では、確実に殺される。
「でも心配しなくて良いよ。すぐに僕が青蘭を仲間の所に連れて行くからね? 仲間の所に行きたいよね? そうだね? 青蘭?」
仲間の所に連れて行く……。やはり追跡者は青蘭を殺すつもりらしい。
一刻も早く追跡者から離れなくては……。
「今逃げようと思ったね? そうだね? 青蘭?」
見透かされている。追跡者は青蘭の耳元から顔を離す。
「逃げてみても良いよ。でも衰弱し切った君が僕から逃げ切れるとは思えない。自分でもわかってるんだよね? そうだね? 青蘭?」
追跡者の言う通りだ。例え逃げ切れても、追跡者は必ず青蘭をもう一度見つけ出すだろう。
「駅での事件が弱った身体に更なる負荷を与え、今青蘭は体力をかなり消耗している。そうだね?」
どうやら何もかもお見通しらしい。だが、こんな所で死ぬ訳にはいかない。
青蘭は追跡者から逃れるため、思い切り駆け出した。
「無駄な消耗を避けるために能力は使わない……。そうだね? 青蘭?」
大通りの真ん中に立っている小柄な男――――追跡者は走っていく青蘭の背中を見つめ、ニヤリと笑うとその背中を全速力で追いかけた。
「ねえ、あの人。さっき駅で助けてくれた人じゃない?」
チリー達が大通りに出ると、不意にミラルが大通りの真ん中辺りを指差す。
ミラルが指差した方向をチリー達が見ると、確かにそこに立っていたのは、先程駅で盗難にあったチリーを助けた青年であった。
その青年の背後を、小柄で、仮面を付けた男がベッタリと張り付くように立っていた。
「だな……。でも後ろに立ってるあの妙な男は何だ?」
「多分、同性愛者なんだよ二人共。チリー、そっとしといてあげて」
怪訝そうな顔をしていたチリーは、ニシルの言葉になるほど、と頷く。
「ば、馬鹿っ! アンタ達何言ってんのよ……! お、男の人同士なんて……っ!」
何故かミラルは頬を赤らめ、頬に両手を当ててきゃーきゃーわめいている。
ミラルが頬を赤らめている理由が、チリーには到底わかるハズもなく(ニシルはわかったらしく、クスクスと笑いを抑えている)、ミラルを眺めつつ首を傾げるばかりだった。
「あ、おい。アイツ走りだしたぞ」
先程まで立っているだけだった青年は、突如として走り始めた。まるで逃げているかのようだ。
青年が逃げるように走りだしてから数秒後、青年の後ろに立っていた男も、後を追うように走り始めた。
「ねえ、あの人逃げてるんじゃないかな?」
「あの変な男からか?」
チリーの問いに、ニシルはコクリと頷く。
「僕達も追ってみようよ。あの人が困ってるなら、チリーは恩返しするべきだしね」
ニシルの言葉に、チリーはだな、と頷いた。
「よし、行くぞ」
「うん」
「男の人同士だなんて……っ!」
コクリと頷いたニシルの隣で、ミラルは未だにきゃーきゃー騒いでいた。
そんなミラルの姿に、チリーは呆れ顔で溜息を吐いた。
「いつまでやってんだ……。ほら、行くぞ」
「え、あ……うん……って、ちょっと待ちなさいよ!」
やっと正気に戻ったらしく、ミラルは慌てて走りだした二人の後を追いかけた。