episode25「Awakening blade-1」
数百年前、「赤い雨」と呼ばれる現象が、アルモニア大陸ほぼ全土で起こった。
大陸全土に降り注いだ「赤い雨」、もしくは「神の雨」と呼ばれる謎の赤い液体は、幾つもの不可思議な現象を引き起こした。
そして、「赤い雨」を浴びた者の内大半が、不可思議な能力を手にした。
人はその能力を神の力――――「神力」と呼んだ。
研究所での戦闘から数日……。ヘルテュラのとある宿で、彼らは傷を癒すため滞在していた。
青蘭はベッドに腰掛け、ギプスで固められている右腕をしげしげと眺め、ニシルは包帯の巻かれた両手の平をつついては痛い! と呻いている。そしてトレイズは、右腕全体に巻かれた包帯には目もくれず、険しい顔で何か考え事をしている。
「三人共怪我してるんだから……しばらくはここに滞在して、傷を癒しましょう」
腰に手を当て、ミラルが心配そうに言う。すると、頭をポリポリとかきながら隣でチリーが仕方ねえなと呟いた。
「流石にこの怪我じゃ、このまま旅を続けるのは無理だよね」
そう言って、ニシルは嘆息する。
「……そうだな。今は休んで、全員完治してから出発しよう。それで良いよな? トレイズ」
そう言って、青蘭はトレイズの方へ視線を移す。
青蘭の言葉に、トレイズは何も言わずに頷いた。
「そういえば、トレイズは私達と来るの?」
コクリと。小さくトレイズは頷く。
「ああ。一人で動くよりは良い。それに、お前達なら足手まといにはならなさそうだ」
そう言って、トレイズは腕を組んだ。
「意外だな。お前がそんなこと言うなんて」
そう言ってチリーが笑むと、トレイズは微笑し、見たままに判断しただけだ、と呟いた。
「そうかい」
そう言い、チリーはゆっくりと歩み寄るとトレイズへ右手を差し出し、ニッと笑った。
「とにかく、これからよろしくな」
「……ああ」
左手で、しっかりとトレイズは差し出されたチリーの右手を握った。そして互いに目を合わせ、微笑する。見れば、他の三人もトレイズへと視線を向け、微笑んでいた。
トレイズを、全員が受け入れた証拠である。
「それにしても、トレイズみたいに強い人が仲間になってくれるなら、チリーみたいに弱いのはいらないよねー」
クスクスと。チリーを見ながらニシルが笑う。それを見、チリーは何だと!? と怒りを露にしながら拳を振り上げ、ニシルの方へ早足で近づく。が、「弱い」という言葉に反応し、チリーの脳裏をある映像が過る。
鳴り響く凄まじい破壊音。目の前で砕けていく――――己の剣。
圧倒的なまでに己へと叩きつけられた――――敗北。
――――やっぱり、気持ち良いよね……何かが爆ぜると。
生々しく蘇る、ライアスの言葉。
ゆっくりと。振り上げていた拳を、チリーは降ろした。それを見、ニシルは不思議そうに小首を傾げる。
「そう……だよな」
呟き、チリーはニシルへ背を向けた。
「チリー……どうしたの?」
心配そうにミラルが問うたが、チリーはその問いには答えず、部屋のドアへ歩み寄ると、ノブへと手をかけた。
「……どこに行くんだ?」
青蘭が問うと、チリーは振り返って青蘭へと視線を移す。
「悪い。ちょっと外の風に当たってくる」
そう言って微笑すると、チリーは部屋の外へと出て行った。
バタンと音がし、ドアが閉まったのを確認すると、一斉に一同の視線はニシルへと写される。状況が把握出来ず、え? え? と三人の顔をニシルは交互に見ている。
「もしかして……僕のせい?」
自分の顔を指差し、ニシルが問うと、三人はほぼ同時に頷いた。
「でも変だな……。いつものチリーなら、あそこはニシルと小突き合いを始めるところなんだが……」
そうよね。と、ミラルは青蘭の言葉に頷く。
「アイツの剣は、砕かれた」
呟くように、トレイズが言う。砕かれた? と問うたミラルにコクリと頷き、トレイズは言葉を続ける。
「お前は気絶していて見ていないようだが、あのライアスとか言う奴との戦いで、チリーの能力――――あの大剣は砕かれた。恐らくだが、あれがアイツにとって初めての……圧倒的な敗北だったのだろうな」
そう言って、トレイズは嘆息する。
圧倒的な、敗北。よくよく思い出してみれば、今までチリーがキリト以外の人間に負けたことなどあっただろうか。それも、圧倒的にだ。
今まで負け知らずだったハズが、ある日突然圧倒的な敗北を喫した時の気分は、一体どのようなものなのか……。ミラルには想像も出来ない。しかしそれでも、チリーの心に何か大きな穴のような物が空いたのではないか、それくらいは容易に想像出来た。
「……私、チリーの所へ行って来る」
そう言い残すと、ミラルは駆け足で部屋の外へと出て行った。
そんな彼女の後ろ姿を見、ニシルは青蘭達の方へと視線を移す。
「……やっぱり、僕のせい?」
気まずそうに苦笑するニシルに、青蘭とトレイズは静かに頷いた。
部屋を出て階段を降りると、ミラルは宿の広間へ向かった。
規模の小さな宿故、ロビーに人は少なかった。チリーは外の風に当たってくる、と言っていたので、ロビーにいる可能性は低かったが、ミラルはチリーの姿を捜し、辺りをキョロキョロと見回す。
すると、幾つかある席の一つに、白く長いボサボサの髪に包まれた頭を見つけた。どこにいても目立ってしまいそうなその後ろ姿は、紛れもなくチリーの物だった。
ミラルは、その後ろ姿にゆっくりと歩み寄ると、隣の席に座った。
隣にミラルが座ったことに気付き、ピクリと頭を動かすと、チリーは隣のミラルへ視線を移した。
「外の風に当たってくるんじゃなかったの?」
微笑し、ミラルが問いかける。
「……気が変わったんだよ」
呟くようにそう言うと、チリーはミラルから目線を逸らした。
何かあったの? と。そう問いかけたかったのだが、ミラルから目を逸らしたことから察するに、チリーはこのことに関して触れられたくないのだろう。
昔からそうだった。チリーは、触れられたくないことに関して問われると、必ず相手から目を逸らす。昔、ミラルがチリーの母親について問うた時もそうだった。チリーのお母さんって、見たことないけどどんな人? というミラルの問いに、チリーは視線を逸らして関係ないだろと、ぶっきらぼうに答えた。その時はあまりにぶっきらぼうな答えに多少腹を立てたものだが、あの後キリトから、チリーの母親が既に亡くなっていることを聞き、何だかチリーに申し訳なくなって謝りに行ったのをミラルは覚えている。
変わってないなぁ。そう思い、ミラルは再度微笑した。もう、あの質問をした時から何年も経っている。キリトとの修行で随分と強くなったし、身体も大きくなった。なのに、変わってない。それがミラルには嬉しく感じた。
「王様のこと、聞いたよ」
ミラルがそう言うと、チリーはミラルへ視線を戻し、表情を驚愕に歪めた。
「聞いたのか!?」
コクリと。ミラルは頷く。
「青蘭から、私が聞いたの。チリーは、『ミラルには黙ってろ』って皆に口止めしてたみたいだけど……。青蘭は、『やっぱり事実を知っておくべきだ』って」
ミラルの言葉に、チリーは口籠る。
「心配、してくれたんだよね?」
そう言って、ミラルは微笑んだ。
「そんなんじゃねえよ……。お前に、また気絶されちゃ困るからな」
ぶっきらぼうに答え、チリーはミラルから目を背けた。
その様子を、ミラルの言葉に対する肯定だと受け取り、ミラルはクスリと笑った。
「確かにすごく怖かったし、信じられなかった。だけど、それでも私は……受け入れなくちゃいけない」
「……。島に戻っても、良いんだぞ」
目を背けたままチリーが言うと、ミラルは首を振り、嫌と答えた。
「私が、自分で決めたことだから」
ミラルのその言葉に、チリーはゆっくりと視線をミラルへと戻した。真っ直ぐで、真摯な目が、チリーをしっかりと見据えていた。
「チリー達と、外の世界を見るって……王様を捜すって、私が決めたことだから。最後まで、私は一緒にいる」
駄目? 不安気な表情で、ミラルはチリーへ問うた。
「強いな。お前は」
「え?」
ニッと。チリーはミラルに微笑んだ。
「変なこと言って、悪かったな。島に戻っても良いだなんて……」
チリーの言葉に、ミラルは静かに首を横に振った。
「ううん。心配して言ってくれてるのは、わかってるから」
そう言って、ミラルが微笑んだその時だった。
ガチャリと音がして、玄関のドアが開き、数人の男達がロビーの中へと入ってくる。
サングラスをかけ、厳しい恰好をした男達の中に、背の低い……まるで少年のような風貌の男がいた。その男は、カウンターまで歩み寄ると、従業員の男性におい、と声をかけた。
「ゲルビアのレオールだ。少し、聞いても良いか?」
ゲルビアという単語にピクリと反応し、チリーとミラルはほぼ同時にカウンターの方へと視線を移す。
「は、はい……。どうぞ……」
相手はまるで少年のような人物だというのに、ゲルビアという単語を聞いたせいか、男性は完全に委縮している様子だった。
「五人組が、ここに泊まっていないか?」
「五人組……と言いますと?」
「ガキを数人を含んだ五人組だ。そうだな……白い、ロン毛の奴がその中にいる」
レオールと名乗った男が、そう言うと同時に、従業員とミラルの視線がチリーの方へと移される。それに気付き、レオールもチリーの方へ視線を移した。
「……お前か」
呟き、レオールは微笑した。チリーは席から立ち上がると、レオールをギロリと睨みつけた。
「だったらどうなんだよ……?」
チリーが問うと同時に、レオールの両腕が、刃へと変わる。両腕で弧を描くように曲がった刀身が天上の電球に照らされ、キラリと光った。
一目で、神力使いだと判断出来た。
「研究所を壊滅させた五人組の一人……との報告が入っている。大人しく俺と来てもらおうか」
「はいそうですか、ってついて行くとでも思ってんのか?」
嘲るように、チリーが微笑すると、レオールは右腕の刃を構え、チリー目掛けて突っ込んで来た。
「行くぜ……ッ!」
チリーが身構え、大剣を出現させようとした――――その時だった。
「――――え?」
短く、チリーが驚愕の声を漏らす。その隣でミラルも、状況が把握出来ずに表情を驚愕に歪めている。
その間にもレオールはチリーとの距離を詰め、チリー目掛けて右腕の刃を突き出した。
素早く、チリーは身をかわすが、その表情は驚愕に歪んだままだった。
「どういう……ことだよ……?」
本来なら、大剣が握られているハズの自分の右手をチリーは見つめる。
「剣が……出ねえ」