episode2「Opening-2」
まどろみの中で、思い返すのは潮の香りとおぼろげな記憶。
ユラユラ揺れる小舟の中、少女は一人横たわる。
ここがどこかもわからぬまま、自分が誰なのかもわからぬまま。ただ、横たわる。
揺れる小舟の中、心の安息を求めた少女は、己の記憶に蓋をした。
辛い記憶に、蓋をした。
「う……ん……」
まだ視界がぼやけている。ぼやけたままでもわかるのは、目の前にあるのが床だと言うことだ。どうやらうつ伏せに倒れているらしい。
「……あれ?」
手が動かせない。右手首と左手首が、自分の背中の辺りで縛られているのが、感覚でわかった。足も同じように、縄で縛られているようだ。全く身動きがとれない。
「気がついたかな……?」
聞き覚えのない声だ。つい先程(とは言っても意識を失ってからどれくらい経っているのかわからないため、先程とは言えないのだが)揉めた兵士の男の声とも違う。
「誰よ……?」
静かに問う。ここでパニックになって騒いだところで何の意味もない。まずは状況判断だ。この男から何とかして自分の置かれている立場を把握しなくてはならない。
「私か? 私はゲルビア陸軍フェキタス部隊隊長の……」
コツコツと歩く音が聞こえる。男はミラルの元へ近づいて来ているらしい。
足音が止まる時には、ミラルの目の前に男の足があった。男が屈むと、ミラルにも男の顔が見えた。角刈りで、筋肉質な顔をした中年男性だった。
「エルピスだ。今君がいるのは、ゲルビア陸軍基地フェキタス支部の隊長室、つまり私の部屋だ」
エルピスと名乗った男はふふんと鼻を鳴らした。
相手の素性、現在地等が判明したのは良いのだが、身動きが取れないのではどうしようもない。中々帰ってこないのを不審に思ったチリー達が助けに来るのを期待することしか、今のミラルには出来なかった。
何にしても、町の外ではなくて良かった。
「何で軍がこんなことすんのよ……! 私が何したって言うのよ!!」
縄を何とかしようともぞもぞ動くが、どうにも縄は解けない。やはり助けを待つしかないようだ。
「君を連れて来た兵士の話によると、君は我らがゲルビア帝国を侮辱したそうじゃないか。いかんなぁそういうのはぁ……」
あの程度で侮辱だと言うのか。否、侮辱などしていない。どうやらここの隊長は、あの兵士の無茶苦茶な話を鵜呑みにしているらしい。それとも、同じ考え方なのか。どちらにせよ、ロクな連中でないのは確かだった。
「私をどうしようってのよ……?」
ミラルの言葉に、エルピスはニヤリと笑った。その笑みに嫌悪感を覚え、ミラルは背筋に寒気が走るのを感じた。
「そうだね……我が隊の慰安婦なんかどうかね?」
「慰安……婦……?」
ミラルが怪訝そうに問うと、エルピスはミラルの耳元でボソボソと何かを囁いた。
エルピスが囁き終わる頃には、ミラルの顔は青ざめていた。
「ふ、ふざけないでっ! 誰がそんなことするもんですかっ!」
「良いねえ。そういう気の強い子も、需要があって悪くないよ」
エルピスのその言葉に、ミラルは更なる悪寒を覚えた。
「あぁ、あの娘ね。ちょっと前にランプを買ってったよ」
ミラルがランプを買った雑貨店。チリー達がそこの店員に栗色の髪で釣り目の女の子がランプを買わなかったか、と問うと、店員は快く答えてくれた。
どうやら、ミラルがランプを買ったのはこの店らしい。
チリーとニシルが宿に戻ってから数十分、明らかに帰りの遅いミラルを心配した二人は宿を出てこの雑貨店まで捜しにきていたのだが、既にここにはいないらしかった。
「ランプを買えてるのに帰って来ないってことは、やっぱり何かあったんだよ」
「だな……。まさか誘拐されたとかじゃないよな……」
「でも、ミラルを誘拐するメリットが性的なこと以外に思いつかないよ……」
「……お前ミラルを何だと思ってんだよ」
呆れ顔でそう言ったチリーへ、ニシルは冗談だよ、と笑って見せた。
「とりあえず周辺を探してみようぜ」
チリーの提案に、ニシルはコクリと頷き、二人で店の外へ出て行った。
「ミラルー! ミラルー!」
二人でミラルの名前を呼びながら、周囲を捜してみたが一向に見つかる気配はなかった。
「ったく……何で王様捜さなきゃいけないのにミラルまで捜さなきゃなんねーんだよ!」
「どこ行っちゃったんだろ……」
ニシルが呟き、二人共が「ミラル誘拐説」を真剣に考えようとしていた時だった。
「チリー、アレ!」
ニシルが指差した路地裏には、泣きそうな顔で小さな男の子が立っていた。
チリー達は路地裏に入ると、男の子の元へ駆けよった。男の子の傍には、ミラルが落としたのであろうランプの入った袋が転がっていた。
「これ、ミラルが落としたんじゃない!?」
「だろうな……。おい、どうした? 何があったんだ?」
チリーが問うと、男の子はついに泣きだし、嗚咽混じりに説明し始めた。
「あのね……っ! お姉ちゃんが……っ! 僕を助けてくれて……! それが原因でっ……! お姉ちゃん、ゲルビアの兵士って人に連れていかれて……」
ゲルビアの兵士は名前ではないと思うが、子供の言うことなので一々つっこまない。それに、この男の子のおかげで、ミラルが誘拐されたのだと確信することが出来た。
「連れて行かれたって……。ミラル、ホントに誘拐されたっぽいね……」
「だな……。面倒なことに巻き込まれやがって……」
悪態を吐き、チリーは嘆息する。
「でもミラル、何をしたんだろ……」
「さあな。でもこの子の話じゃ、悪い事をした訳じゃなさそうだ……。ニシル、フェキタスには確かゲルビア軍の基地あったよな?」
「うん。でもそれが…………」
ニシルは少し不思議そうな顔をしたが、すぐに胸の前で手を叩き、そういうことか、と呟いた。
「ああ、行くぞ。位置は大体わかるよな?」
フェキタスに来る前、迷ったりしないように道中で地図を念入りに確認しているため、基地のような目立つ建物の場所ならすぐにわかる。ニシルとミラルに限っての話なのだが……。
「うん!」
チリー達は男の子に礼を言い、心配しなくて良いと安心させると、フェキタスにあるゲルビア軍の基地に向かって走り出した。
目を覚ましてから数分、寝返りを繰り返し、何とか自分のいる部屋がどういう部屋なのか確認することが出来た。おかげで服が埃まみれだ。
かなり殺風景な部屋で、灰色の壁と灰色の天井、幾つかの窓と出入り用のドア、後は簡素なベッドと必要最低限の用具と銃だけが置かれた机と椅子だけだった。無論、ドアは閉じられている。
やはり自力で脱出するのは不可能なようだ。
「ふむ……。諦めた様子が見えないね。両親が助けに来るとでも思っているのかい?」
「お生憎様。私には両親なんていないわ。いたとしても、私は顔も覚えていないもの」
エルピスの言葉に、ミラルはすました顔で答える。
「では誰の助けを待っているのかな?」
「……仲間よ。とびっきり信頼出来る仲間」
ミラルがそう言った時だった。
勢いよくドアが倒れ、中に兵士が一人倒れ込んで来る。
「ッ!? 何事だッ!?」
部屋の中に、少年が二人、ゆっくりと入って来る。ミラルにはそれが誰だかわかっていた。必ずここに来るのだと信じてやまなかった。
「チリー! ニシル!」
チリーとニシルである。どうやら二人はこの基地に侵入し、ミラルを助けるためにこの部屋まで来たようだ。
「おぉ悪い。ローププレイの途中だったか」
「馬鹿っ! 何ふざけてんのよっ! どう考えても捕らえられてるだけでしょ私! ローププレイなんかしてないわよ!」
呟き、いそいそと部屋を出ようとするチリーを、ミラルは怒鳴りつけた。
「そこまで元気なら大丈夫そうだな」
チリーはニッと笑うと、エルピスの方を向いた。
「何なんだお前達は……ッ!? 他の兵士達はどうした……!?」
「他の兵士達……あぁ、アイツらね」
そう言ってチリーは部屋の外を指差す。そこには何人かの兵士が廊下に倒れ伏していた。
「あんまり弱いんでボコっちまったよ。な、ニシル」
「だね。訓練が足りないよ訓練が」
そう言って、ニシルはニヤニヤと笑った。
「ふざけるな……ッ! 貴様ら三人共反逆罪だッ!!」
憤慨し、怒号を飛ばしたエルピスは、傍にある机の上の銃を手に取ると、チリー達に向けた。
「死ねェッ!」
エルピスの声と共に銃声が鳴り響き、銃弾が発射される。
「よっと」
次の瞬間、弾丸はチリーに直撃――するハズなのだが、聞こえたのはチリーの叫び声ではなく、金属音だった。
「な、何だ……!? いつの間にソレを……どこから取りだしたんだッ!?」
チリーの身を守っていたのは一本の大剣だった。己の身の丈程ある大剣を盾にし、チリーは弾丸を防いだのだ。
「貴様……能力者……ッ!?」
エルピスの言葉に答えようともせず、チリーはエルピスに向かって駆け出した。
「うわああああッ!!」
エルピスの叫び声が聞こえた時にはチリーの手に大剣は握られていなかった。
「気絶でもして反省してろッ!!」
鈍い音がして、エルピスの顔面にチリーの拳が直撃する。エルピスはそのまま仰向けに倒れ、気を失った。
「よっし。いっちょ上がり」
チリーはエルピスが倒れたのを確認すると、腕を組んで得意げにニッと笑った。
ミラルは無事、チリー達によって救出された。
結果的に、ゲルビア陸軍基地フェキタス支部は、チリーとニシルのたった二人だけでほぼ壊滅状態となってしまった。とは言え、エルピスが兵を集め、独断で勝手に作ったような基地らしく、兵力が弱いのは当然とも言えた。
フェキタス町民達は、基地を壊滅状態にしたチリー達を称賛した。
なんでも、ゲルビアの兵士の横暴さには前から腹が立っていたらしく、壊滅させてくれてスカッとしたとのことだ。
お礼として、町民達の善意で食料等をいくらか分けてもらったため、チリー達は住民達によくお礼を言い、宿で一晩過ごすと、次の町、エリニアへと旅立つことにした。
「まったく……ホント無茶ばっかするんだから」
エリニアへと向かう汽車の中、チリーの正面に座るミラルが溜息を吐く。フェキタスでの事件のことだろう。
「まあそう言うなって。お前も助かってんだから良いだろ」
「うん……それは、まあ……ありがと」
仄かに頬を染めつつ、ミラルは呟いた。
「次は……エリニアだっけ?」
「ああ。フェキタスから更に西っつったら、まずエリニアだろ」
ニシルの問いに答えると、チリーは片手に持っていた地図を広げ、エリニアを指差す。
西。テイテスの占い師が、王の居場所として指定した方角だった。
「とにかく、もう無茶はしないでよ」
「どうだろうな……。まあ」
チリーは真横の窓を開けた。心地よい風が、汽車の中へと吹き込んで来る。
「何とかなるだろ」
そう言って、チリーはニッと笑った。