episode14「Freezing town-5」
「うわああああッ!」
絶叫し、己に向けて発射された氷塊を拒絶するように、目を閉じてニシルは両手を伸ばした。
キリトとの修行のおかげで、ニシルは本来なら的確な判断が出来たハズだ。それ以前に、このような状況に陥らない。
――――恐怖。
目の前にいる男への単純な恐怖が、ニシルから冷静な思考と行動を奪っていたのだ。
氷塊が直撃するまで、後コンマ二秒、一秒…………。
「………………ッ!?」
直撃――――していない。本来なら既にニシルの身体は、あの強大な威力を持つ氷塊により吹き飛ばされ、絶命とはいかずとも瀕死の重傷を負っている――――そんな状態になっているハズだった。が、ニシルの身体に異常はない。
「ァ……ッ」
髪で隠れているため、表情は見えないが、男は戸惑っているようにも見えた。当然だろう。ニシルに直撃するハズだった氷塊は――――いつの間にか姿を消しているのだから。
「これは……一体?」
閉じていた目を開け、ニシルは戸惑いの声を上げると、自分の両手を見つめた。
「何で……?」
ニシルの両手は、何故か大量の水によって濡れていた。
「ァァ……」
「ッ!?」
ニシルが戸惑っている間に、男は再度ニシルに右手を向けていた。あの氷塊を、今度こそニシルに直撃させるつもりなのだろう。
かざされた男の右手の前に、再度数個の氷塊が出現する。
風を切る音と共に氷塊がニシル目掛けて発射される。と同時に、ニシルはそれを横っ跳びに避けた。
氷塊はそのまま真っ直ぐに飛び、その先にあった建物の氷に直撃する。
「訳わかんないけど……少し落ち着いて来たぞ!」
キッと。ニシルは男を睨みつけた。
この男の能力……。氷の力は非常に厄介だ。加えて、強化した状態の青蘭と戦える程に戦闘力が高い。正直な話、ニシルがまともに戦って勝てる相手ではないだろう。
「来い! このロン毛野郎ッ!」
叫び、ニシルは男目掛けて突っ込んだ。
あの氷塊は威力が高い。が、接近戦に持ち込めば、男とて接近戦をせざるを得ない。
「おおおおおッ!」
男の眼前まで近づき、ニシルは男の顔面目掛けて右拳をフック気味に突き出した。
男は身を屈めてニシルの右拳を避けると、ニシルの腹部目掛けて右手を突き出した。拳を握っていないその右手は、ニシルを凍らせるために突き出されたものだった。
ニシルは素早くバックステップでその右手を避け、男の頭部目掛けて右回し蹴りを繰り出した。が、その右足は男の左手によって受けられる。
「――しまったッ!」
ニシルが気付いた時には既に遅く、ニシルの右足は凄まじい速度で冷凍され、凍っていく。青蘭と同じように……。
「ァァ……」
凍りついたニシルの右足に一瞥をくれ、呻き声を上げた――――その時だった。
「――――ッ!?」
ニシル本人ですら、その光景に顔を驚愕で歪めた。
溶けているのだ。
水が蒸発するような音を立てながら、ニシルの右足を覆っていた氷は凄まじい勢いで溶け、水へと変わっていく。
「溶け……た……!?」
ニシルが驚嘆の声を上げた頃には、ニシルの右足を覆っていた氷は完全に溶け、水へと変わってニシルの右足を濡らしていた。
氷が水へ変わる。この現象を、状態変化という。
熱を加えられた氷と言う名の個体は、水――――液体へと変わる。そして更に熱を加えることにより、水は……気体へと変わる。
ニシルの右足を濡らしていた水は、更に状態変化を起こしその形状を気体へと変えていた。
「ァ……ァァッ!?」
流石にこればかりは男も驚愕の色を隠せない。
身体を揺らし、動揺しているのがニシルにもわかった。
「まさか……僕の……能力?」
――――神力。
能力者の体内に宿る未知の遺伝子が生み出す超常現象。自由自在に取り出せる大剣。一定時間内だけ格段に能力値を格段に上げることの出来る身体。
――――熱。
ニシルの能力は、熱。自由自在に肉体から発することの出来る高温の熱。
それが、ニシルの能力。
「熱……か」
上げていた右足を降ろし、数歩後退すると、自分の右手を見つめてニヤリとニシルは笑った。
「ァァァッ!」
男が叫び、右手をかざす。瞬時にその右手の前には氷塊が数個、出現する。
風を切る音と共に、氷塊はニシル目掛けて発射された。が、ニシルは避けようとせず、自分目掛けて飛来する氷塊を弾くように右手を振った。
水が蒸発するような音と共に、氷塊は一瞬で気化していく。
「もう氷は、効かない」
グッと。ニシルは拳を握りしめ、男目掛けて殴りかかる。
男は右手でニシルの拳を受ける。だが、ニシルの拳は凍らない。ただ湯気を上げるだけだった。
鈍い音と共に、拳を防いでいた右手ごとニシルの拳が男に直撃する。
よろめいた男の顔面に、続け様にニシルのフック気味に突き出された左拳が直撃し、男はそのまま派手に吹っ飛ぶ。
「青蘭を……町を……元に戻せッ!」
よろよろと起き上がろうとする男を睨みつけ、ニシルは叫んだ。しかし、その叫びに反応を見せず、男は立ち上がるとニシルへ右手をかざした。
「……ッ!? コイツ、やっぱり何かおかしい……!」
ニシルの能力は熱。それは男から見ても明らかなハズだ。故に、男にも氷を使うのは無意味だとわかるハズなのだ。しかしそれでも、男はそれでもニシルへ右手をかざした。氷塊を出現させる構えだ。
――――実験体。という言葉が、ニシルの脳裏を過る。
青蘭もこの男を見た時、「実験体……ということか」と呟いていた。もしかするとこの男、青蘭の言っていた通り、神力を研究しているゲルビアによって実験台にされた能力者なのかも知れない。それ故に、この男の知能は著しく低下しているのだろう。町一つ氷漬けに出来る程の力と引き換えに。
氷塊が、ニシル目掛けて飛来する。ニシルは右手で氷塊を払い、気化させると男目掛けて駆け出した。
「目を……ッ」
男の眼前まで迫り、ギュッと右拳を握る。
「覚ませッッッ!」
男の顔面にニシルの右拳が直撃し、男はその場に仰向けに倒れた。
祈るように、マテューは氷と化した両親を見つめていた。
火の付いた暖炉の前に置き、少しでも早く溶けるようにと色々試したが、両親を覆う氷は一向に溶け切らない。
一生、このままかも知れない。
そう考えていた矢先、彼らがマテューの前に現れ、そして言った。
「絶対に俺達がお前の両親と、この町を元に戻す。だから、ちゃんとお父さんに謝るんだぞ」
チリーと名乗ったその少年の言葉を信じ、マテューはジッと待ち続けていた。
「やっぱり駄目……かな」
どこか心許ない。よくよく考えれば彼らは大人という訳ではない。大人でも解決出来なさそうなこの氷を、彼らが解決出来るとは考えにくい。そもそも、出会って間もない彼らが、果たしてマテューとした約束を守るだろうか?
そんな不安に駆られている時だった。
「――――ッ!?」
とろりと。両親の氷が流れる。
凝視していると、両親の氷はドロドロと溶け、水へと変わっていくではないか。
慌てて外を見ると、外の景色を覆っていた氷も同じように、水へと変わっていく様子が見えた。
「まさか……ホントに……!」
信じられない。といった様子でマテューが両親の方へ視線を移した――――その時だった。
「マテュー」
懐かしい声。その声は、ほんの数日間聞いていなかっただけだと言うのに、まるで何十年も聞いていなかったかのように懐かしく聞こえた。
「お父……さん?」
コクリと。目の前に男性が頷く。
「お母……さん?」
コクリと。目の前にいる女性が頷いた。
「マテュー!」
ガバリと。女性が……マテューの母がその小さな身体を抱き締めた。
「お母さん!」
しばらく抱き合い、マテューは目から大粒の涙を流した。母も同じように、涙を流し、抱き締められているマテューの髪を濡らした。
母がマテューを離すと、マテューは父へと視線を移した。
父はマテューを見、ニコリと微笑んだ。
「お父さん……ごめんなさい」
涙声で謝るマテューの頭の上に、父はそっと右手を乗せた。
彼らは守ったのだ。マテューとの、約束を。