episode102「Transcendence-3」
倒れたまま動かなくなったチリーを見下ろし、ニコラスはチリーの生死を確認するかのようにチリーの身体を踏みつける。何度か踏みつけ、チリーが何の反応も示さないことを確認すると、ニコラスは薄らと笑みを浮かべた。
「嘘でしょ……ねえ! チリー!」
ミラルの声に、チリーは反応を示さなかった。
「ねえ、返事してよ! ねえってばぁっ!」
「無駄ですよ。彼はもう終わりました。貴女の声には答えない」
嘲笑するかのような声音で、そんなことを言うニコラスへ視線すら向けず、ミラルはただひたすらにチリーを呼びつづける――が、返ってくるのは静寂と、嘲笑うニコラスの声だけだった。
「起きてよ……起きなさいよ……馬鹿っ!」
既に涙混じりになりつつミラルの声は、叫ぶ度に弱くなっていく。
押し寄せる絶望に、ミラルは自分が押し潰されるかのような錯覚を覚えた。
「さようなら。『白き超越者』……」
別れの言葉を告げ、ニコラスはポケットからトランシーバーに似た携帯端末を取り出し、ボタンを操作するとそれを耳に当てた。
――――どこだよ。ここ。
真っ白な世界に、彼は……チリーは横たわっていた。慌てて立ち上がって辺りを見回すが、あるのは真っ白な空間だけで、他には何も存在しなかった。
まるで、無。
足元を見てみても、地面があるのかどうかすらわからない。首を傾げつつ、チリーはこれまでの出来事を反芻し――表情を一変させた。
「ニコラスッ!」
そう叫び、辺りを再度見回すが、ニコラスの姿はなかった。
能力を無効化され、体力の尽きた状態でニコラスと戦い――いや、あれ程一方的なものを戦いと呼べるのだろうか。成す術なく、ただひたすら攻撃を受け続けるだけの……あの状態が。
歯噛みし、チリーは薄らと理解する。
――――俺、死んだのか。
ミラルを助けることが出来ないまま。
ミレイユの仇を取ることが出来ないまま。
テイテスを救うことが出来ない、まま。
「ンだよ。終わっちまったのかよ」
ゴロリと。チリーはその場へ仰向けに寝転がった。
全て、終わってしまった。そう考えて諦めると、どこか清々しささえ感じられる。
もう、戦わなくて良い。
もうあんな、生きるか死ぬかみたいな状況にならなくてすむ。
もう終わった。もう諦めて良い。やれることは――やった。
「ごめんな、皆」
ニシル。トレイズ。カンバー。青蘭。そして――ミラル。仲間の顔を思い浮かべ、チリーがそんなことを呟いた……その時だった。
「そんな所で、何をしていますの?」
不意に聞こえた少女の声に、チリーは跳ねるようにして身体を起こした。
「お、お前……!」
何もなかったハズの真っ白な空間に、一人の少女が姿を現していた。チリーの目の前にいるその少女――ミレイユは、チリーを見て唇をきつく結んだ。
「何でお前、こんな所に――」
言いかけて、すぐに気が付く。やはり自分は、死んだのだと。既に命を落としているミレイユに再び会うことが出来たのは、自分が死んで……死後の世界に来たからなのだと、チリーはそう理解した。
「あん時は、ありがとな。もう今はこうして死んじまったけど、スゲー感謝してる」
照れ臭そうに笑みを浮かべつつ礼を言うチリーに対して、ミレイユは少しも表情を緩めなかった。
「何だよ。何でそんな顔してんだよ」
チリーの言葉には答えず、ミレイユは小さく溜息を吐いた。
「まったく。こんな男を助けて死んだのかと思うと、やっていられませんわ」
「あァ? どういうことだ!?」
顔をしかめて語気を荒げるチリーに、ミレイユは呆れたような表情をうかべた。
「私が好きになったのは……殉じても良いと思えたのは、すぐに諦めるような……そんな情けない男ではありませんわ」
「ふざけんな! どうしろっつーんだよ! もう死んでんだぞ!?」
「まったく呆れて言葉もありませんわ。その程度の男だったなんて……」
「諦めさせろよッ! もう無理なんだよ! 素手でも勝てねえ、剣も通用しねえ、もうどうにもなんねえんだよ! 俺にこれ以上、どうしろって――――」
チリーが言葉を言い切る前に、ミレイユの平手打ちがチリーの頬を強く叩いた。
「な――」
動揺を隠せずにいるチリーを、ミレイユは薄らと涙を浮かべた瞳で強く睨みつけた。
「ミラルを……助けるんじゃなかったんですの!?」
ミレイユはチリーの胸ぐらを思いり切り掴むと、自分の顔をチリーへ近づけた。
「私が助けた貴方の命は、こんなものでしたの!? こんな所で諦めて、無駄にするような……そんな命でしたの!?」
呆気に取られているチリーへ、ミレイユは更に言葉を畳み掛ける。
「生きて! 私の分までその命で! そして勝って! お父様に――貴方の、運命にっ!」
――――俺の、運命……。
心の内でミレイユの言葉を繰り返し、チリーはミレイユの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「そう、その瞳ですわ」
真っ直ぐな瞳。
一点の曇りのない、その先にある勝利だけを見据えたその瞳。
ミレイユはチリーの胸ぐらから手を放すと、ニコリと微笑んだ。
「後は、任せましたわよ」
「お前――ッ!」
ミレイユの姿が、徐々に薄れていく。真っ白なこの世界へ少しずつ溶けていくミレイユへ、チリーは手を伸ばした。
掴んだのは、空。
「おい、ミレイユ! おいッ!」
――――後は、任せましたわよ。
もう一度だけ同じことを呟いて、ミレイユはその場から姿を消した。
パチリと。閉じられていた瞳は開かれた。
頬に残る、ミレイユに叩かれた時の感触。
――――ミレイユ……。
最後に彼女が見せた笑顔を思い浮かべると、知らず知らずの内にチリーの頬を涙が伝った。
――――生きて! 私の分までその命で!
「ああ、生きてやるさ」
――――そして勝って! お父様に――貴方の、運命にっ!
「勝ってやるよ……絶対になッ!」
ユラリと立ち上がったチリーへ、ミラルとニコラスの視線が一瞬にして集中した。
「チリー……チリーっ!」
歓喜の声を上げるミラルへ、チリーは言葉では答えず薄らと笑みを浮かべることで答えた。
「どこにそんな体力が?」
携帯端末をポケットに仕舞い、そう問うたニコラスに対して、チリーは得意げに笑って見せた。
「こんな所でよォ……やられてたまるかってんだよ……なぁ? そうだろ?」
ミレイユ。
最後にそう付け足し、チリーはニコラスへ右手をかざした。
「馬鹿の一つ覚えですか。ホンットにゴミですねぇ。それは私には意味がない」
しかしチリーは、ニコラスの言葉を無視するかのように、今度は左手をニコラスへかざした。
――――何でもやれそうだ! 馬鹿みたいに力が溢れてくる気がする……身体の奥底にまで沈んでいる何かを、引っ張り出せそうな気がする……!
自然と、笑みがこぼれた。
「テメエにも見せてやるから、よォく見とけ」
そう、チリーが言い放った瞬間だった。
「これは……ッ!」
チリーの全身を、突如として眩い光が包み込んだ。
「これが……これが……ッ!」
チリーの右肘から先が、徐々に大剣の刃先へと変化していく。その様子にミラルとニコラスが呆気に取られている内に、同じような変化がチリーの左腕にも現れた。
「この神力は……!」
胸部と肩を、まるで水晶のように透き通った鎧が包み込み、やがて彼の両足も、同じように透き通った鎧が包み込んだ。
まるで、水晶の鎧で武装した戦士が如き姿。
「チリー……アンタ……!」
凄まじい神力と共にその姿を変えたチリーへ、ミラルは驚きを隠せない。
「厄介ですね」
ボソリと呟き、ニコラスは眉をひそめた。
チリーは確かめるように、剣と化した己が両腕へ視線を向け、再び笑みを浮かべると、その両腕を左右に広げた。
「これが俺の――――超越だァァァァァッッ!」
白き超越者、ここに覚醒す。