episode101「Transcendence-2」
先程右回し蹴りをくらった際に口の中が切れたらしく、チリーの口の中で血の味がしていた。チリーは顔をしかめると、すぐに唾液と一緒に口の中の血を床へ吐き出した。
「品の無い……」
「テメエに品だの何だの言われる筋合いは――」
キッと前方のニコラスを強くにらみつけ、チリーは勢いよく駆け出した。
「ねェッ!」
そして高く跳躍すると、上からニコラスへ殴りかかる――が、ニコラスは何ら表情を浮かべず、殴りかかってきたチリーの右腕をガッシリと掴むと、そのままチリーの身体を床へと思い切り叩きつけた。
「がァッ……!」
ニコラスの痩躯からは考えられないその腕力に驚くよりも先に、チリーの全身へ激痛が走った。
背中から床へ勢いよく叩きつけられたチリーの身体は、その衝撃で少しだけ跳ねる。そこへ容赦なく、ニコラスの前蹴りが叩き込まれた。
「弱過ぎる」
そのまま吹っ飛び、ゴロゴロと床を転がって倒れ伏すチリーへ冷たい視線を向けると、ニコラスはそう呟いた。
「チリー……!」
ミラルの悲痛な声に応えるかのように、チリーはよろめきつつも立ち上がり、ニコラスを睨みつけると、ニコラスへ右手をかざした。
「……貴方の理解力、ゴミ以下のようですね」
「うるせえ、黙ってろ」
ピシャリと言い放ち、チリーは出現させた大剣を、とある形に構えた。
「――っ!」
その構えに、ミラルは表情を変えた。
過去に二度、彼女はチリーがその構えをするのを見ている。レオールとの戦いの時、ライアスとの戦いの時……彼が見せたその構えは――
「その腹の立つ面ァ……歪ませてやる!」
――――刺突の構え。チリーはスッとニコラスへ大剣の刃先を向けると、ぶるりと小さく身震いした。
それは武者震いか、それとも、これすら通用しなければ、勝つ手段はもうないに等しい、ということへの恐怖か……それは、本人にすら定かではなかった。
全身からあふれ出る、滂沱たる神力に、チリーは思わず笑みを浮かべた。
――――負けるハズがねえ。
まるで自分に言い聞かせるかのように心の内でそう呟き、チリーは改めてニコラスへ視線を向けた。曇りのない、澄んだ真っ直ぐな瞳を。
「……ほぅ」
チリーから感じる神力に、ニコラスは柳眉をひそめた。その量が尋常ではないことに気が付いたのだろう。だがその表情に、焦りや恐怖などといった感情は、一切映されなかった。
「行くぜ……ッ」
神力を大剣へ集中させ、チリーはそう呟いた。
思い描くのは、止まることなく突き進む自分。どんな障害があろうとも打ち砕き、突き進む自分の姿。
「だァァァァッらァァァァッ!」
そして次の瞬間には、チリーの大剣の柄から凄まじい量の神力が一気に放出され、その勢いによりチリーは凄まじい速度でニコラスへと突進していく。
それに対してニコラスは避けようともせず、それどころか両手の平をチリーへと突き出し――
「無に帰る」
そう、呟いた。
「帰るかよボケェェェッ!」
チリーが怒号を飛ばしたのと、大剣の刃先がニコラスの手の平へ触れたのはほぼ同時だった。
ニコラスの能力――相手の能力を無効化する能力は、完全にチリーの神力を無効化しはしなかったものの、突進するチリーの大剣を……凄まじい量の神力を、見事にその場で押し止めたのだ。
「勝負はこっからだ……そうだろォォォッ!?」
「勝敗の決まっているものは、『勝負』とは言いません」
惜しみなく神力を放出し、ニコラスへと突き進むチリー。しかしその突進を、ニコラスは己が神力で押し止めている。力が拮抗しているせいか、二人共その場から一歩も動かないまま、神力と神力のぶつかり合う轟音だけが部屋の中に鳴り響いていた。
「おおおおおォォォォッ!」
チリーが咆哮すると同時に、大剣の柄から放出される神力は更に勢いを増した――が、ニコラスは表情を変えないまま、両手の平でチリーの突進を止めている。
「何――ッ」
驚愕の色を隠せないチリーに対して、ニコラスは嘲笑うかのように笑みを浮かべる。
「『究極のニューピープル』、究極とは名ばかりですね……この程度とは」
そんな言葉と共に嘆息するニコラスへチリーが再び咆哮し、それと同時に大剣の柄から放出される神力の勢いは増していく――――しかしそれでも、ニコラスは動くどころか表情すら変えなかった。
「私にかかれば貴方の能力なんて――」
「嘘……でしょ……?」
凄まじい勢いで放出されていたチリーの神力が、徐々に消えていくのがミラルにも理解出来た。チリーの突進からは先程までの勢いが、消えていく。
「ゴミですね」
ニコラスがそう言ったと同時に、大剣から放出されていた神力もろとも、チリーの手に握られていた大剣は姿を消した。
「嘘……だろ……ッ!?」
ドサリと。ニコラスの目の前で倒れるチリーを見下ろし、ニコラスはクスクスと笑みをこぼした。
「この程度ですか」
ニコラスはうつ伏せに倒れるチリーへ歩み寄り――その頭を、右足で思い切り踏みつけた。
「ぐッ!」
苦痛と屈辱、それらを同時に味わいつつも、疲労とダメージで反抗することすらままならない自分に、チリーは歯噛みした。
「この程度で私と戦おうとは……片腹痛いですねぇ」
「テ……メ……ッ」
何か言い返そうとするチリーの頭を右足で踏みつけて固定し、ニコラスは更に左足で蹴りをくらわせると、痛みに呻き声を上げるチリーを、愉悦に満ちた表情で見下ろした。
「やめて……」
呟くようなミラルの声を、まるで無視するかのようにニコラスは、チリーの頭を踏みつける右足へ更に力を込める。
「やめてっ……!」
今にも泣き出しそうなミラルのその声を、ニコラスはまるで楽しむかのように聞き、再び笑みをこぼした。
「もうやめてぇっ!」
そう叫んだミラルへ、ニコラスは待ってましたと言わんばかりに振り向いて視線を向け――
「やめてあげません」
ニタリと嫌らしい笑みを浮かべて、そう答えた。
「ふざけんじゃ――」
立ち上がろうと、床へついたチリーの右手へ、ニコラスはすかさず左足で蹴りを浴びせる。そしてチリーを踏みつけるのをやめると、身を屈めてチリーの長い白髪を右手で掴み、持ち上げるとチリーの顔を自分の顔へ近づけた。
「今、どんな気持ちですかぁ?」
嘲笑するニコラスへ、チリーが唾を吐きかけようと口へ唾液を含んだ瞬間――ニコラスの平手打ちがチリーの頬へ直撃する。
「小汚い。品がない。ゴミですねぇホント」
ニコラスは「ゴミ」でも投げ捨てるかのようにチリーの頭から手を離すと、ドサリと床へ落ちたチリーの腹部へ蹴りを浴びせた。
――――冗談じゃねェ……!
屈辱と苦痛。それに対してチリーは怒りを露にするが、その顔はニコラスの蹴りによって歪められる。
頭部。腹部。脚部。様々な部分に打撃を加えられ、チリーの身体は既にボロボロの状態だった。どこか折れていてもおかしくないような激痛を感じる上、意識までどこかへ飛んでしまいそうな程だった。
口を開く余力すら残されておらず、聞こえるのは楽しそうなニコラスの笑い声と、悲痛なミラルの声だった。
口の中に広がる血の味。吐き出そうにも、そんな力すら残っていない。
成す術なし。ニコラスへ対抗する力は、既にチリーには少しも残っていなかった。
「やめてっ! やめてぇっ!」
既に嗚咽交じりになっているミラルの声に、ニコラスは一言も答えない。高笑いしながら、ただひたすらにチリーへ暴行を加えつづける。
――――折角、助けてもらった命なのによォ。
途切れつつある意識の中で、チリーはミレイユの顔を思い浮かべた。
自分を助けるために、命を落とした少女。
仇を、取るんじゃなかったのか。
ミラルを、助けだすんじゃなかったのか。
己への問いかけに、答えることすら出来ない程にチリーの意識は朦朧とし始め――
「おやぁ、おねん寝ですかぁ?」
チリーは、意識を手放した。