品位のありませんこと
自らの屋敷の外で、レイザは馬車に乗った。御者に軽く会釈した程度。冷徹令嬢と名が知れているだけに、御者もマイペースに馬車を発進させた。
座りながら、外の景色を見るレイザ。銀の瞳が、外の光景を見回している。
どこまでも、緑。美しいといえる、自然の光景。だが、レイザの感想は、マイナスなものだった。
「自然は幸せを享受している……どうして、アルトラン様は、普通の幸せを得られないのかしら。どうして、早死になんて運命を背負わなければならないのかしら」
溜息をつく。アルトランの事を想って。
「御者殿、飛ばしてください。早くコークル侯爵にお会いしたい」
「かしこまりました、レイザ様」
御者は後ろを振り向き頷くと、馬の速度を上げた。馬が、元気の良い鳴き声を上げた。
その元気な声を聞いて、レイザは思う。
平等とは。
馬車はコークル侯爵家の屋敷に辿り着いた。レイザは、ありがとうと御者に礼を言い、即座に下がらせた。つまり、帰りの馬車は無いことになる。勿論、コークル伯爵が返りの手筈を整えてくれるはずだが。
屋敷を見上げるレイザ。見上げる、ということだけあって、屋敷は大きい。とても綺麗な赤色の屋根があって、壁面は白い。窓がいくつも見えて、いかにも換気が効いていそうだった。
正面に大きな茶色い扉。その横には緑の植物が広がっている。
レイザは茶色い扉の前まで近寄り、ドアを開けた。その動き、全てが洗練された、いわば、作為的なもので、冷徹令嬢のモードに入っていた。ゾーンとでも言うべきかもしれない。
扉を開き中に入る。綺麗な内装が広がっている。
「レイザ・ヴァンパです。ご招待に応じ、馳せ参じました」
「おお、これはレイザ嬢」
にこやかに微笑む男性が近寄ってきた。コークル侯爵である。
「お待ちしておりました。いやぁ、相変わらず、評判通りの美しさだ。素晴らしい。今日は楽しんでいってください」
コークルは内心で、夜も、という言葉を飲み込んだ。なんらかの下心がある。
その様子を、鋭い眼が一瞬見たレイザ。しかし、気づかれない。所詮、反応速度など、その程度。
「光栄です。今日はお茶会を楽しませていただきます。聞きたいこともありまして」
「ほう?なんですかな」
「今は、言えません。特段、急ぐ用事でもありませんし。さて、今日はお酒を持ってまいりましたの」
レイザは懐から、酒の入った瓶を取り出した。
当然の流れ。コークル侯爵は酒好きだと聞いている。素面の今、アルトランの事を切り出せば、コークルは、結局はアルトラン目当てか、と情報を隠すだろう。したがって、この酒、一石二鳥なのだ。プレゼントの名目。酔わせる口実。アルトランの情報への最短ルート。それが、瓶の中にすべて詰まっている。
「おお、これは!酒ですか。もしや、私の趣味をご存じなのですかな?いやぁ、流石はレイザ嬢。当然、貴女もお飲みになりますな?」
「あら、いいのかしら。これは貴方様へのプレゼントですのよ」
「構いませんとも。他にも、私の自慢の、酒のコレクションをお見せしましょう。飲んでくださっても構いません」
かかった。レイザは内心で笑った。酔い止めも飲んできている。先読み。
「さあ、レイザ殿。茶会の部屋に行きましょう。これだけの美人だ。さぞ、男が群がるでしょうな」
「光栄です」
淡々。レイザはコークルの後を追い、扉を一つ潜り抜けた。
お茶会の内容。それは、複数の貴族たちが楽しむものだった。白いテーブルがいくつも置かれ、主に酒が振舞われていた。紅茶が二の次である。茶会も何もあったものではないな、とレイザは思った。
酒を振舞っていたのはコークル伯爵。酒に目が無く、自分の味覚を疑わない。確かに、趣味だけあって、その酒の味は美味しかった。
だが、レイザにとって酒の味など二の次。問題なのは、アルトランの情報。
ワインを飲みほしたレイザの姿を見て、コークルが近づいてきた。
「レイザ嬢、素晴らしい飲みっぷりですな。コレクションした甲斐がありましたよ。どうです?調子のほうは」
「素晴らしいお味ですわ。少し、酔ってしまって……ああ、なんでしたっけ、滅多に顔を見せない、国王陛下のご子息の名前」
「アルトラン様ですか?」
「あ、そうです。この事は他言無用でお願いします。名前を忘れた等と噂されれば、非難されてしまいますから」
「はっはっは。わかりましたよ。しかし、彼の名前など、間違えても問題ないと思いますがね」
「と、いうのは?」
鋭い眼でコークルを見つめるレイザ。口調がはっきりしている時点で、実は酔っていないことくらい、見抜けるはずだが。
「彼はですね、重病を患っています。部屋に引きこもりですよ。しかし、国王陛下はそれを発表しようとしない。当然でしょうね。諸外国への影響を考えれば、ここはあくまでご子息は無事だと思わせるべき。後継ぎがいないとなれば、この国は混乱する。その時に諸外国がそれを狙わんとするでしょうから」
「なるほど、そういう事情でしたのね。それは、お気の毒に……」
「気の毒に思う必要などありませんよ。病弱で役目も果たせない王子など、放っておけばいいのです」
朗らかに笑うコークル。それに対して、レイザの一瞬の表情。険しさ。許せない。
だが、レイザはそこまで甘くはない。すぐに、心の中の偽りの仮面を取り出し、作り笑顔を見せた。薄い、作り笑い。
「そうですね……病気は災難だと思いますけれど」
「わかってらっしゃる。どうです、レイザ殿?今日はこの屋敷に泊まっていくというのは。なに、レディの部屋は用意しますよ。後で私も伺いますが、ね」
満面の笑みのコークル。
見え透いている。レイザの内面は、氷と怒りに支配されていた。
病弱で役目も果たせない?
何様のつもりか。論外。許せない。
だが、情報を得るまでは、自分に有利になるまでは、アルトランの為になるまでは、持ち応えざるを得ない。
「ご配慮、感謝します。しかし、このような身分の令嬢を館に招いたとなれば、コークル様の名誉に傷が付きます。私は、嫌われていますので……その代わりに、他のお茶会では、コークル様のお酒のコレクションは素晴らしかったと、言い広める事を約束します。本当に、素晴らしいお酒でした。それに、コークル様の足を引っ張りたくはありませんの……」
「ふふ、やはりわかっておいでだ。そうであれば、御者を呼んでおきましょう。帰りは馬車で帰られるとよろしい。しかし、賢いお方だ……私のコレクションを、どうぞ広めてください」
「当然です」
薄い作り笑いのレイザ。実にたやすい。男は、自分の作り上げた物に弱い物。それを逆手に取り、おだてる。この程度の戦術にひっかかってしまうのでは、おそらくチェスも大したことはないだろう。そんな判断をレイザはしていた。
「では、帰らせていただきます。少し、飲みすぎてしまいました……帰りの馬車の旅が楽しみですわ。コークル様の呼ばれる御者なら、きっと素晴らしい帰りの旅が約束されているでしょう」
「ふふ、どこまでも私を喜ばせる」
自慢げなコークル。冷めた内心のレイザ。
「本日は、ありがとうございました。またお茶会の機会があれば、呼んでくださいませね」