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巡礼の子  作者: 日根野 了太
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第三部 巡礼の子 5 聖地ムラピ

5 聖地ムラピ


 三日間休養し、準備を整えたのち、一行はバロンの館をあとにした。


 王子のほか、護衛兵10名、仏僧8名、召使い5名、医師や職人6名、ラーマを含むバロン4名からなる巡礼団は山のふもとの農村ディリ村で盛大な歓迎を受けた。


 ヴィシュヌのまわりには人が群がり、まるで聖人のような扱いだった。赤子を抱いた母親が「どうかご加護を」と言って差し出し、ヴィシュヌが額を撫でる。


 寄贈した仏像が仏寺に飾られると、ひとびとは仕事を放り出して熱心に拝んだ。ヴィシュヌは広場に子供たちを集めて得意げに説法をしている。


「出来が悪いって聞いたが、結構な人気じゃないか」


 ラーマにはヴィシュヌの力が見えた。子供たちの額に手を当てるたびに、ヴィシュヌの体がほんのりと輝くのだ。白い魔奈が彼女を覆っていて、まるで守っているようだ。


「クリシュナ派が恐れているのはこれだ。たしかに王が言われるように政治的な才覚はないかもしれない。だが、人の上に立つお方としての器がある。策謀や計略に長けた腹黒い連中よりもよほど王にふさわしい」


 スパルナは確信じみた声で言う。彼女だけでなく、巡礼団の成員はみなヴィシュヌを心底敬愛しているようだ。それもまた、彼女の白魔奈によるものかもしれない。


「姫を恐れているのはクリシュナ派だけではない……ヴィルシャナ王も」


「どういうことだ」


「先日、ヴィルシャナ王の第五夫人、クリシュナの妹君にお子が生まれたのだ。……男の子だそうだ。王になればクリシュナが摂政として権力を握る。姫との間で継承権争いが起きたとき、第五夫人を溺愛なされている王はクリシュナ派につくだろう」


「おいおい、実の娘だろ……争いの芽を摘もうってことか」

「姫には絶対に言うな」




 その日は村に泊った。寺の大広間に一行は寝床を用意された。ヴィシュヌだけは奥の客間の蚊帳の中で寝た。


 見張り当番のラーマは寺の外の露台で月明かりを浴びていた。ふと、屋根の上にうごめくものがいた。獣かと思って目をこらすと、寝転んで星を眺めているヴィシュヌだった。


「あんたも高いところが好きか」


 音もたてずに屋根に上って、いつの間にか隣に腰を下ろすラーマを見ても、ヴィシュヌは動じず、すぐに目線を夜空に戻し、またまん丸い目で星座を眺めた。


「ボロブドゥールはもっと高いのだ」 


「ふうん。しかし、髪の毛剃って男にまでなって、大変だな」


「ちっとも大変ではない。髪を梳かなくてすむから便利じゃ」


 そう言って額を指でぺしぺしと叩いて見せた。


 ラーマの中の凌太はナティを思い出さずにはいられなかった。雰囲気や顔がそっくりで、髪がないことも巡礼していることも同じなのは歴史改変によるシンクロニシティだろうか。


「おまえはナティという者を愛しているのか」


 唐突な質問に虚を突かれたラーマは屋根から落ちそうになった。


「いいことじゃ。どんなできごとの背後にも存在し、しかしまだ特定されていないもの。この宇宙的な力は愛である。愛のためにわれらは生き、また死ぬ。宇宙の根源には愛がある。これは兄上が教えてくれた言葉だ」


「それとボロブドゥールとなんの関係か?」


「兄上が死んだとき、わらわは泣き続けた。極楽にいったとか、仏さまになって見守ってくれているとか言われても、信じられなかった。仏の世界とか宇宙のことわりというのが理解できなかったのだ」


 普段の子供じみたヴィシュヌとは思えない落ち着いた口調だった。


「けれど、わらわは兄上が連れて行ってくれた偉大な仏塔のことを思い出したのだ。そこで、わらわは世界のあらましと、仏のもつ慈悲と無限の愛を知った。このつらい世界を生きていくには、すぐに壊れてなくなってしまうものばかりの世の中でひとびとが救われるには、大きな、ゆるぎないなにかが必要なのじゃ」


「その仏塔って……」


「わからん。夢だったようにも思える。けれど、そこへわらわが兄上とともに行ったのははっきり覚えているし、確かな事実なのじゃ」


 間違いない。ヴィシュヌは書き換え前の記憶を持っている。


「その仏塔の頂上で、兄上は言ったのじゃ。愛は神仏であり神仏は愛だと。この力はあらゆるものを説明し、生命に力を与える。そのことをひとびとが信じられる助けになるなら、という願いをこめて、この仏塔を作ったのだと」


「そのあんたの兄貴、パラン王子が作るはずたった仏塔をかわりに作ろうとしているのか」


「兄さまが死んだ理由は知っている」


 ヴィシュヌは体を丸めるように膝を抱えた。


「世界に愛を信じる力が足りなかったのだ。愛が行き届いていないと、人は間違ったことをするのだ。クリシュナ殿は兄上の親友だった。愛の飢えは美しいものをも蝕むのだ」


 世界を愛で救おうとしている少女。愛が足りないがゆえに親友を謀殺した男、実の娘を抹殺しようとしている国王。ラーマは意識の奥の凌太の記憶に問いかける。史実ではこの不憫な姫はこの先どうなるのだと。しかし、答えはなかった。


 そのとき、遠くで女性の悲鳴が上がった。ざわめきと怒号のような声がつづく。


「なんじゃ?」


「敵襲か?」


 ラーマはヴィシュヌを屋根から下ろした。そこに、部屋から飛び出してきた僧がいた。僧長のクタだった。 


「何があった!」


「暴動のようです。村人たちが襲ってきました!」


 寺の中を覗くと、村人が護衛の僧兵たちともみ合っていた。皆正気を失っている。


「魔奈の術か……!」


 ラーマはヴィシュヌをクタに預けると、奥の寝室から出るなと命じた。


 境内へつづく道には錯乱した村人たちが押し寄せてきている。スパルナたち護衛兵は剣で応戦していて、村人にはすでに死人も出ていた。


「ラーマ、術者を探せ!」と村人たちを殴り倒しながらスラビーが言った。


 ラーマは赤い呪符を取り出す。


「ポウポウロウ」


 強い気配を村の一角に感じた。


 ラーマは術者めがけて走る。襲ってくる村人たちを棍棒で薙ぎ払い、すり抜けていく。


 しかし、用水路の石橋を渡ったところで囲まれてしまった。農具や棒を振り回して襲ってくる村人たちが、ラーマの服を掴み、のしかかって来る。 


「うわあああ」


 シュン、という音とともに、目の前の男の頸動脈から血が噴き出した。


 また、シュンシュンと刃物の振るわれる音がして、人々の腕や首が斬られていく、


「なにやってんの、こんな雑魚相手に」


 死体の山の中に立っていたのは返り血を浴びて孔雀の仮面が赤く染まったバロン・マユラだった。


「お、おまえ……」


「あんた、ラーマじゃないね」


 ラーマはマユラに詰め寄り、胸倉を掴んだ。


「なにやってんだ! 彼らは操られてるだけだぞ!」


「操られてるんじゃない。これは憎悪や攻撃性を解放されてんのさ。あんたこそ、なに言ってんのさ。殺されてもいいの?」


「殺さなくても止められただろ! これ以上無駄な殺しをするなら俺が許さんぞ!」


 マユラはしばらく無表情でラーマを見つめたあと、突然手を目に当てて、大げさに泣いた顔をした。


「びえーん、助けようとしただけなのにー」


 すでにあたりは沈静化していた。術者の気配はもうどこにもなかった。


 建物から出てきたグプタが死体の山を見ると、「まずいな」と言った。




 多くの村人は記憶がなく、突然錯乱して巡礼団に襲い掛かったというスパルナの言葉を多くの者は信じなかった。


 死者は十五人で、半数以上がマユラの手によるものだった。嘆き悲しむ者たちの嗚咽があちこちから聞こえた。


 それ以上滞在できる雰囲気ではなく、ヴィシュヌ一行は葬儀が済むと、村長に慰謝料を払い、そうそうに次の村へ旅立った。


 ヴィシュヌはずっとふさぎ込んでいて、移動中、馬の背に揺られながら悲しそうに頭を垂れていた。


「変な噂が立てば、俺たちは賊扱いだ。巡礼どころじゃなくなるぞ」


 河原の野営地で昼食の焼き魚をかじりながらグプタが言った。


「バロン・ティティーラの幻術に似ているが、錯乱しているのは村人だけだった。前から水かなにかに黒魔奈が仕込まれていて、術者の術式によって発動するんだ」


「グルルだな」とスパルナが言った。「ガルーダ軍の隠密で、呪術者だ。姿を見たことはないが、薬物や魔術で敵を錯乱させる戦術を使うと聞いた」


 黒魔奈使いのマユラなら何か知っているかとラーマは思ったが、彼女はすぐ戻ると言って別行動しており、昨日から姿がなかった。


 スパルナは卓上に地図を広げる。


「巡礼の経路を変えよう。噂が立つ前に、比較的大きな町や村から訪れて労働者を募るんだ。交易商人たちを買収して巡礼団のいい噂を流させるのも手だ」


「それもいいが、このグノン村には必ず七日以内に着かないとな」


 グプタは地図の中の、大きな山のふもとにある村を指さす。


「この村には聖なる山ムラピを祀る祠があって、七日後に祭りが開かれる。そこで姫には聖人になっていただく。支持が得られれば、石工職人が大勢いるから、造営の戦力になる」


 水際にしゃがんで力なく石を投げているヴィシュヌの姿を見て、ラーマはこの旅の行く末に不穏な影が付きまとっているように思えてならなかった。




 次の日、立ち寄った村で一泊した。虐殺の噂はまだ及んでおらず、ひとびとは巡礼団を歓迎した。グノン村へ行くという商人がいて、道案内を買って出てくれた。


 その夜もラーマは夢の中で船のなかにいた。


 安南からシュリーヴィジャヤへ来ても、まだ心はあの頃の狭い船室中に囚われている。そのことに自覚はあったが、どうしようもなかった。


 青姫にもう会えないことはわかっていた。それでも足掻こうと決めた。でもそれは、彼女が死んだあとも一人で旅を続け、海龍剣を探し求めた頃と変わっていない。


 なにも進歩していない。


 話したいときに限って凌太はいなかった。彼の現世に帰ったのだろう。


 そのとき、甲板に人の気配がした。ラーマはランプを持って外へ出た。


 船べりで、欄干に乗り出して暗い海を眺めていたのは幼い少年だった。


 ランプの灯りを近づけると、髪は金色で、横顔だけでその美しがわかった。


「おまえ、どこから乗ったんだ」


 少年はとなりに来たラーマを見上げた。


「ラーマ、君は僕らのような歴史の異物を排除するために生まれてきた」


 青い目はどこまでも澄んでいて、どこかで見た気がした。


「けれど、君たちの巡礼の先には破滅が待っている。レオがまた秘術を使った。今度はとても強力だ。僕たちは生贄となり、ヴァルナの称号はシャシャンカが引き継ぐそうだ」


「何の話だ?」


「私も必死で抵抗してみたが、だめだった。もし、私の姿を見たら、すぐに逃げるんだ。私ではなくなっている。レオでもなく、ただ崑崙王の命令に従う傀儡の鬼だ。逃げれば死の回避はできなくても、延命ぐらいならできるかもしれない」


 話しながら、少年の姿は薄れていく。


「そうか、知らせるために来てくれたのか。ありがとうよ」


 最後はおぼろげな光となって、風に乗って消えた。


「……よくわからんが、大丈夫だよ。俺がなんとかする」


 誰もいない夜の海原にむかって、ラーマはつぶやいた。


 瞬妃、いや、青姫親分なら、こんなとき、そう言うと思ったのだ。


「しかし、困ったな。バロン・ガネーシャを殺してトゥミたちを助けるつもりが、助ける相手がまた増えちまった。青姫、あんたならどうする?」


 答えなどなく、昏い海原の黒がただごうごうと波打っているだけだった。



 ※



「悪いな、これも任務だ」


 キリク・ソーマと特務警察官たちは執務机を取り囲んだ。


 机上には博物館から取り寄せた古い武具がある。王家に伝わるヴァジュラだ。変色して黒ずんでいるが、その美しい対称形はバロンが使用していた当時のままだ。


「まあ、魔奈ハザードの危険レベルがマックスになったしな。無理もない」


「クンビーラが死んだ。なぜかビルから落ちてな」


 レオはキリクの語気に確かな怒りを感じた。


「事故死だろう。私は関係ない。それより、この命令は国王陛下か」


「一回目は王子を溺愛していたソヴァカの暴走ということにできたが、今回ばかりは見逃せないとな。このまま過去改変が続けば歴史が崩壊する」


「残念だ。海龍剣のありかがやったとわかったっていうのにな」


 レオはキリクを見る。老兵はロボットのような目で王子を見下ろしていた。


「私もだ。できれば最後までミッションをやり遂げたかったが」


「そこは心配するな。あんたの仕事は彼女が引き継ぐ」


 窓から刺す夕日が床に警官たちの影を落としている。その黒の中から、刃を持ったさらに黒い影――女の形をしたものがにょきりと浮かび上がり、彼らの背後に迫る。


「ネオバロン・クトット。ティティーラが消え、彼女が生まれた。あんたの言う通り、大化けしたよ」


 キリクが気づいたとき、闇隠形術師はすでに暗殺シークエンスに入っていた。


「すまないが、もう引き返せない。消えるか、消すかだ」



  ※



 気付けば、凌太は机に突っ伏していた。ジーメイの作業場だった。雨はやんでいるが、昼なのか夜なのかよくわからない。


「どうだった」


 窓際の安楽椅子に腰かけたジーメイが言った。エグニとアムーラもいて、のどかに茶を飲んでいた。


 凌太は今見てきたことが鮮明に頭に残っているのが不思議だった。夢ではない。


「紙とペンを。すぐネームにする。……いや、その前に、町で人を探したい」


「仲間集めは大事だけど、まずはラーマを導くのが先じゃないかな」


「いや、探したいのは崑崙王と戦う仲間じゃないんだ」


 ラーマに憑依する前後に感じた気配。おそらく千里眼の能力の一種が、凌太にある情報を伝えていた。


「そうだ、それと、これは相談というか、意見が欲しいんだけど」


「なんだい? こう見えて僕は台北で占い師っていう名のコンサル業もやっていた」


「ラーマのことだけど、彼は青姫の幻影に縛られている。誰かを助けるために命知らずな行動をとるのは、青姫の影を追いかけているせいだと思うんだ。無理な呪符術も心配だ。確実に体を蝕んでいるし、このままじゃ、いつか破滅する」


 ジーメイはすこし考えて、言った。


「青姫は初めてラーマと会った夜、おそらくトウシャバンライを使っていた。それがまだ効いているのかもしれない。逃亡が完了しないということは、無限に追われ続けるということだ」


「どうすればいいんだろう」


「呪符を打ち消す呪符もあるけど、リスクもある。それより、本人の心の問題が大きい。青姫に追いつくんじゃなくて、すでに彼女を追い越していることに気づいたら、きっと呪いは解ける」


「追い越す……か」


「逃げ足や呪符術なんかの能力じゃなく、彼女にはない自分の価値に気づくことだ」 


 考えながら、凌太は志明館を出た。


 ラーマを破滅に向かわせているのは自分たちではないか。その気持ちがいつまでもぬぐえなかった。


 町は相変わらず混とんとしていた。様々な時代の様々な場所からここへ来た人々の文化や思想がごっちゃになってイメージを形作っているのだ。


 感覚の導くままに路地を進む。自分が探しているのが誰だかはわからない。竜星やナティではない。もしいたらジーメイがとっくに見つけているだろう。でも、誰かが自分が来るのを待っている気がする。


 石畳の路地を抜け、短いトンネルをくぐり、用水路沿いの階段を昇ったり下りたりする。


 無数の小さな仏塔が立ち並ぶ見たことのない街区に入ったとき、人ごみの中に、見覚えのある後ろ姿を見つける。


 ノートパソコンを小脇に抱えた金髪の男。


 凌太は彼を追った。角を曲がり、掘っ立て小屋の並ぶ通りを過ぎると、タイ語の看板が並び、チャーンビールやシンハビールを売る屋台、Tシャツやタンクトップを売る店が現れた。


「ここは、カオサンロード……?」


 突如舞い込んだのは、異界の中の現世。バンコクのストリートだった。


「ここは魔奈による仮想世界。住人の意識が反映されるのさ」


 声に振り返る。


 パラソル付きの丸テーブルについてストローでコーラを飲んでいたのは、金髪の眼鏡をかけた若い男だった。 


「バイユ……」


「バイユでありバイユでない。僕はリアム・ヤン。初めましてだね」


 顔は同じだが、服装は旅人のそれではなく、上等そうなシャツを着て、滑らかな素材のスラックスを履いていた。


「生きたままここに来られるなんて、すごい逸材を晴明は見つけたなあ」


 凌太は向かいの席に座る。唐風の着物を着た胡妃が注文を取りに来て、オレンジジュースを注文する。


「バイユはどうなったんだ」


「僕はバイユでもある。レオの改変のせいでセレブから負け犬人生に書き換わった。しかし、魔奈の力でリアムの存在した世界線の可能性を存続させ、そこからバイユの人生を覗き見ていた。レオが術式を使っている間だけ存在する並行世界のシンガポールで生きていた。バイユが死ぬことで魂が統合され、不死の術が発動してここに収容された。まあ、いつかそうするつもりだったけどね。だからモニカのことは恨まないでほしい」


「不死の術を使えばガルバダートに収容されると聞いた。どうやってここに来たんだ」


「たとえて言うと、同じ不死の術でも、別のアプリを使ったからガルバダートでなくヴァジュラダートという別サーバーに来られた。魔奈大師候補だった僕にとってそんな改造(プラグイン)はお手のものさ」


「頼みがある」


 凌太は頭を下げる。


「ナティを助けるのを手伝ってくれ。ウルラガやバロンなんてどうだっていい」


「へえ、君らネオランダは歴史を修復するのが目的だと思っていたけど」


「俺がヴィッキーたちと手を組んだのはナティを助けるためだ。そのためにここにいる」


「いいよ」


 リアムは優雅に椅子に深くもたれた。口は微笑んでいるが目は笑っていない。


「僕も君らの仲間だったときの記憶はある。元ウルラガ人として、晴明側に協力するのは癪だけどね。まあ、僕の目的は、リアムでもバイユでもなくていいから、まっとうな人生に書き換えたいことだしね。ウルラガが消えたって別に困らない」


「あ、ありがとう」


「むしろ、レオのせいでみんな迷惑している。ウー監督って知ってる? 彼も機密情報を知ったために消された。レオのまわりが次々粛清されているようだ。レオは僕の復活を約束しているが、君たちに乗り換えるほうが賢明かもしれない」


 リアムの真意は測れなかった。彼は微笑みを絶やさないが、その実、その態度はどこまでもポーカーフェイスだった。


「ただ、ひとつ条件がある。海龍剣を一時的に僕に預けてくれ。必ず返す」


「それは……」


「無理ならいい。話はここまでだ」


「理由を聞きたい」


「それは言えないが、ただひとつ言えるのは、君を試しているってことだ」


 凌太の知っているバイユではなかった。彼は交渉に慣れた成功者だった。勝ち目があるようには思えなかった。


「ちょっとだけ、考えさせてくれ」


「いいよ。唐突に条件を突き付けるのはフェアじゃない。いい返事を待ってる」


 交渉が終わると、あたりがもとの古い町並みに代わり、目の前のリアムも消えていた。




 志明館に戻り、ジャワ島編の下書きを描きながら凌太はウー・シューヤン監督の『建国神話』のことを思い出していた。

 

 あのアニメ映画が描く歴史は、つまりレオが確定させたい歴史だ。ジーメイの話では、ウー監督は交通事故で死んだそうだが、それは表向きで、機密情報を掴んでしまったために、ジーメイと同じくレオに消されたという。


 レオの周りの人間が次々粛清されているのは、それだけ彼に反対する人間が多いということであり、彼が危険な領域に踏み込んでいることを意味している。 


 そして、粛清を容易にしているのは新たに出現したネオバロンのメンバーだという。その頃にアップされた『ドラゴンジャーニー2』のエピソードを思い出し、凌太は気づく。


 マユラだ。


 タンブラリンガで王女に殺されるはずだったのが、ラーマが命を救ったために歴史が変わった。天才暗殺者の血筋が後世のウルラガに残ったのだ。


 つまりバロン・マユラが子を成す前に死ねば、レオの野望を妨害できるかもしれない。


 ネームを描き終えたころに情報収集に出ていたジーメイが戻ってきた。慌てている様子で、海龍剣はどこだと言った。

「どうしたの?」


「崑崙王が先手を打ってきた。やつの味方についた戦士たちがいて、今、エグニたちが足止めしてる。式神でなければここに侵入できる。逃げるぞ!」 


 凌太は壁に立てかけていた海龍剣を手に取り、バックパックを背負う。


「逃げるって……どこへ?」


「晴明のいる湖しかない。彼がもしいれば、守ってくれる」


「ジーメイ……ずっと気になってたんだけど、ここで死んだらどうなるんだ?」


「現世で生死不明の場合、生存可能性が限りなくゼロに近くなる」


 そのとき、何もない空間から刃が現れ、ジーメイの首筋から血が噴き出した。


 なにが起きたか理解する前に、刃を持つ男の姿がぼんやりと見えたかと思うと、今度はその短剣が自分に向かってきた。


 間一髪、凌太に向けられた隠形術の攻撃を短刀で防いだのはエグニだった。


 バロン・ヴィヤグーラの衣装を着た多胡弥の姿が現れる。凌太を背に刀を構えるエグニの顔が憎悪で強張る。多胡弥は笑う。


「お前らを殺せば好条件の転生が得られるんでな」


 アムーラが部屋に飛び込んできて、エグニのとなりに立つ。負傷して血を流している。


「ここは任せろエグニ。凌太を連れて逃げろ」


 両手に短剣を持ったアムーラが多胡弥に飛びかかると同時に、エグニは凌太の服を掴み、強引に部屋の外に飛び出す。


 転げるように外へ出る。


「エグニ、ジーメイが!」


「自分のことを考えろ!」


 路地で待ち構えていたのは、作中で死んだはずの大伴衆とバロンたちだった。死ななかったかもしれない可能性が崑崙王の魔力で具現化しているのだ。


 大伴衆に囲まれたエグニは、凌太に「剣で戦え!」と叫ぶ。


 震える手で海龍剣を抜こうとするが、火を噴くバロン・ゲッコーの前に立ちすくむ。


 式神の鳶が飛んできてヤモリのバロンを妨害する。


 凌太は剣を持ったまま走り、路地の横道に飛び込んだ。鉾を持ったバロン・クンビーラと戦斧を持ったバロン・ヴァラーハが追ってくる。


 自分にはラーマの技が使えるはずだ。しかし、この身体で戦ったことなどない。


 路地を抜けると、登楼のような小さな仏塔の立ち並ぶ地区に入った。


 凌太は歯を食いしばって走った。仏塔エリアの終わりは袋小路になっていて、高い塀に阻まれた。もう逃げられない。


「助けてやってもいいぞ」


 そばの仏塔にもたれていた男が言った。半裸で、頭に矢が刺さっている。


「その代わり、人を探してる。俺の主なんだが、探すのを手伝ってくれねえか」


 凌太がうなづくと、男はゆっくり立ち上がった。


 シュワンは短剣の二刀流で、仏塔の影から飛び出した。


 飛び込んできたバロン・ヴァラーハの首筋を出会いがしらに一閃すると、その後ろにいたゲッコーの炎を跳躍してかわし、空中で身をひるがえしながら着地ざまにその首を仮面ごと斬り落とす。二人の死体は青い光に包まれて消えた。


 バロン・クンビーラが鉾を突いてくる。シュワンは上体をそらして間一髪かわす。


 両者は間合いを取って再び攻撃を繰り出すが、クンビーラの鉾のほうが一手早かった。シュワンの腹をかすめて脇腹をえぐり、血が飛び散る。


「青波!」


 体が勝手に動いていた。凌太の攻撃は反応したクンビーラの鉾にはじかれたが、シュワンへのとどめを阻んだ。


 シュワンはその隙を見逃さなかった。下から斬り上げた一閃はクンビーラの喉から顔にかけて、仮面ごと斬り裂いた。


 巨漢にとどめを刺したのは、背後から首を貫いた一本の矢だった。現世での死を再現され、クンビーラは皮肉めいた笑みを浮かべてその場に倒れた。


 十数歩先の石畳の上に、弓を構えたキキが立っていた。


「やっと父様の仇を討てた」


 キキはそう言いながら次の矢をつがえる。


 狙いの先は凌太だった。キキを覆う黒いオーラが一瞬、炎のように立ち上がった。


「悪いけど、あんたを殺して海龍剣を崑崙王に差し出せば転生できるの」


 言い終わる前に矢は放たれていた。


 だめだ、かわせない。そう思ったとき、シュワンが飛び出してきた。


 凌太をかばって矢を受けたシュワンが短いうめき声とともに倒れる。


「シュワン……なんであんたがここに?」


 駆け寄るキキ。シュワンは胸に矢が刺さり、血を吐いている。


「だめだ、姫さん。あんたは人を殺しちゃいけねえ。殺すなら、これを最後にしろ」


「シュワン……シュワン!」


 キキは倒れたシュワンを抱きかかえる。


「なんで、なんでこんなこと……」


「あんたのおかげで、俺はまた人間にもどれた。生きがいを感じることができた。それだけで、俺は救われていたんだ、ありがとう」


 シュワンは目を閉じ、満足そうに微笑んでいる。そして青い光とともに体が消えた。同時にキキを覆う黒いオーラが消えた。


「いたぞ!」


 路地からハヌマン兵たちが飛び出してきた。


 戦士たちが迫っている。多胡弥も来るだろう。逃げなければならない。


 凌太は仏塔をよじ登り、塀の上に飛び移ると、その裏に続く狭い路地に飛び込んだ。トンネルを抜け、用水路の橋を渡る。


「リアム! リアム、どこだ!」


 走っていると、いつの間にかあたりがカオサンロードになっていた。


「呼んだかい」


 また丸テーブルについて優雅にコーラを飲んでいるリアムがいた。


 凌太はテーブルに海龍剣を置く。


「海龍剣を預ける。崑崙王から守ってくれ!」


「いいのか? 僕も崑崙王につくかもしれないよ」


 うつむきぎみのリアムの表情はわからなかった。


「バイユは俺たちの仲間だ。信じる」


「……そうか」


 リアムは剣を手に取ると、顔を上げて凌太を見た。微笑んでいた。


「ありがとう。必ず返すよ」


 次の瞬間、景色はまたもとの混とんとした路地に戻っていた。戦士たちはまだ近くにはいない。


 湖につづく橋はすぐそこにあった。


 どこまでも続く長い橋を渡り、一つ目の東屋にたどり着く。

 誰もおらず、また次の東屋に続く長い渡り廊下が続いているだけだった。


 鳶が飛んできた。東屋の欄干に止まると、凌太をじっと見つめた。


「無事だったのか」


 気づくと、足元に渦巻きが出来ていた。また誰かの意識につながるポータルだ。


「わかってる。さっきのつづきだろ」


 橋の向こうから迫って来る戦士たちの足音に反応し、鳶が迎撃のために飛び立つ。


 凌太は迷いなくポータルに飛び込んだ。 


 ――。


   ――。


     ――。



 殺した豹の毛皮をはいでいると、子供たちが木陰からずっとこっちを見ている。


 バロン・マユラは舌打ちし、眼力で向こうへいけと伝える。

 結果的に助けた格好になったが、そんなつもりもなかったし、子供は好きではない。


 近くの村の子供のようで、弟や妹を連れてきている。食事をしていても付きまとってくるので、闇隠形で姿を消し、ようやく離れることができた。 


 グルルの住処はそこから近かった。黒魔奈の残り香をたどって、すぐに見つかった。


 山の中の洞窟を一時の隠れ家にして、あの村に呪いを仕込んでいたようだ。あたりは呪術に使った獣の死骸や薬草の匂いで充満していて、マユラは思わず顔をしかめた。


 闇隠形で近づいた。魔奈の使い手なのでさすがに直前に気づかれたが、それでもマユラの敵ではなかった。


 左腕を斬り落とすと、醜い男は悲鳴を上げてのたうち回った。


 マユラは洞窟の入口の焚火でいぶされていた蜥蜴の肉を見つけるとひとかじりし、もぐもぐと咀嚼した。 


「命だけは助けてやる。ラーマに言われたからな。そこでおとなしくしてれば見逃す」


 グルルは知った顔だった。自らの欲望のままに殺し過ぎて追放されたカラスのバロン、バロン・カカーサナの幻術は同じ黒魔奈使いのマユラには効かなかった。


 苦悶の表情のグルルは口からよだれを垂らしながら呪詛のようなものを呟いている。


「ばか、効かないんだよ」


 立ち去ろうとしたとき、持っていた蜥蜴の肉から黒い何かがにゅいんと伸びていたのに気付いた。


 それは黒い龍の形になり、大口を開けてマユラを飲み込もうとしていた。


「おまえはその呪われた肉を食った! わが魔術は血肉を媒介にする!」 



 ※



 ラーマたちがグノン村に着いたときはすでに日が落ちかけていた。


 火山のふもとで、木造の家々は斜面に立っている。


 交易商人と先遣隊の僧たちによって話がついていて、歓迎されているかどうかはわからなかったが、村人は文句を言わずに巡礼団を受け入れた。村の集会所を寝泊まり場所として提供され、これまでの村から連れてきた労働者たちは村の入口に天蓋を建てて泊った。


 温泉が湧いていて、女たちは久々に沐浴ができると言って喜んでいた。 


 村には石工職人が多くいて、グプタは彼らと交渉した。


 村はずれにあるという祠は山の精霊を鎮めるために作られたと村長は言った。グプタが言っていたような祭りはなく、次の収穫祭は来月だということだった。


 マユラについては、グノン村に来ることは伝わっているはずだからということでグプタらは気にしていなかったが、ラーマは心配になってきた。グルルのことも気になる。凌太の意識は、ラーマに宿る前に垣間見た光景が引っかかっていた。内容ははっきりと思い出せないが、それはおそらくマユラとグルルに関係している。


「巡礼団を二手にわけよう」


 グプタが会議の場で提案した。


 このまま巡礼を続ける本隊と、すでに工事が再開しているボロブドゥールでの現場管理と本隊への連絡役を務める分遣隊に分け、前者にグプタとスパルナら護衛隊が、後者にラーマとスラビーが労働者たちを連れて随行する。これにはスパルナや僧たちも賛成した。


「俺たちは姫の護衛として来てるんだぞ」


 食って掛かるラーマにグプタが答える。


「ディリ村で慰謝料を払ったから、村々での滞在費用が厳しいんだ。寺院建設の現場へ行けば民から寄進された食料や宿泊場所がある。それに、姫に賛同した労働者が移動中に襲われるかもしれん。見せしめになるからな。そのためにあんたら二人の護衛がいる」


 納得はいかなかったが、ここから馬なら二日で行ける距離だし、一度ボロブドゥールの現物を見ておくのもいいさとスラビーが言って、とりあえずその日は解散となった。


 雨が小降りになってきたので、小間使いの少年に駄賃をやり、村の祠があるという場所まで行ってみた。ランプの灯りを頼りに山の斜面に広がる段々畑のあぜ道を歩き、沐浴場を過ぎると、切り立った崖の手前に踊り場のような、崖にむかって張りだした石敷きの広場があった。ひんやりした大理石の通路があり、巨石が積まれた岩の祠に着くと、そこにグプタがいた。


「何をやってるんだ」


「見てのとおり、精霊への祈りさ」


 祠の石壁にうっすらと描かれた色あせた壁画が不気味だった。不吉なにおいがした。


 ラーマはグプタに歩み寄り、睨みつける。


「なにか企んでるな」


「そりゃ企んでるよ。それが俺の役目だ。まあ、明日になればわかるさ」


 怯えている少年の目線に気づき、ラーマはそれ以上グプタを追及しなかった。


 翌朝、静かな地響きの音の中で目が覚めた。地震というほどではないが、かすかな振動があった。火山が近いからこのへんじゃよくあることだと僧のひとりが言った。


 集会所の広間に朝餉が用意された。女性たちが運んでくる蒸し米や川魚の料理を食べた。


 村人は訛りが強く、何を話しているのかよくわからなかった。


 朝餉を終えると、村人たちは慌ただしく身支度をして集団でどこかへ出かける様子だった。怖がって泣く子を抱いてなだめる母親や家財道具を袋に詰めて担いでいる男たちもいた。まさか、彼らを寺院建設に連れて行くのか、と思ったら、そのまさかだった。精霊を信仰しているところを見てもあまり熱心な仏教徒には見えないが、どういう条件で承諾したのだろう。


「ラーマ、あんたらは彼らについていってくれ。クタが道を知っている」


 ラーマはしぶしぶ従い、クタ率いる分遣隊のしんがりについた。


 ラーマの傍を歩くスラビーは押し黙っていて、いつもと様子が違った。


 山を下り切ったところにある集落で休憩をとった。子供たちの多くは旅に出るのが初めてらしく、はしゃいでいた。


「モニカはもういないのか」


 ラーマはスラビーに訊いた。


「自分の時代に戻ったようだ。魔奈の効力が尽きたんだな」


 陽気なモニカとはまるで雰囲気が違うが、それでも以前モニカが抜けたときのバロン・スラビーとは少し違う気がした。意識や魂というものは混ざり合うものなのかもしれない。


「ラーマ、崑崙城に行くまでは協力する。それから先は敵に戻る」


「わかってるよ。俺はあんたの息子と戦うことになるだろうからな」


 それについてスラビーは答えず、また無言がつづいた。集落で食事をとったあと、また歩きだした。荷をかついだ牛の糞が道に落ちると、肥料になるといって集落の住人たちが桶に入れて持ち去った。


 空は曇っていて、一雨きそうだった。振り返ると、来た道の先にある火山頂の上からうっすらと煙が上がっていた。


「噴火?」


「ラーマ、鈍いおまえにひとつ忠告してやる。グプタの狙いはおそらく――」




 集会所にヴィシュヌとグプタの姿はなく、倒れているスパルナたち護衛隊だけがいた。気を失っているが、争った形跡はなかった。あたりには異臭が立ち込めていて、火山の毒ガスにやられたようにも見えた。


 ラーマは残った体力を振り絞って走り、岩場の祠まで行くと、異様な空気に体がびくついた。地鳴りがしていて、本格的な噴火が近いのがわかった。


 祠の中で倒れているヴィシュヌと祠の前の石舞台でラーマを待ち受けていたように立ちはだかるグプタがいた。そばには、村の巫女たちが倒れていた。


「こんなに早く戻って来るとは、魔奈を使ったか」


「グプタ、いや、クンビーラ。やっぱりおまえは殺しておくべきだった」


 グプタは噴火が起きるのを知っていた。ヴィシュヌが自ら山の精霊への生贄になって伝説となり、より多くの信徒がボロブドゥールに集まる。グルルの一件で失った信用を取り戻すための策だった。夜中に祠で彼がしていたのは、地脈の要石である祠の石に魔奈を送り込んで噴火を早めさせようとしていたのだ。


「すべてはレオを倒すためだ」


「おまえも助からないぞ」


「グプタは死ぬが、俺は上手くいけばガルバダートへ行ける。おまえがボロブドゥールで封印を解けば、そこからガネーシャを阻止しに行ける。ヴィシュヌの工事計画に入れ知恵することで印はたっぷり残したから、転生はできるかもしれない」


「なぜそこまでして……ほかに方法があるはずだろ」


「レオの糞野郎を確実に倒したいだけさ。ネオバロンの名にかけて!」


 ラーマは隙を見てヴィシュヌに近づこうとしたが、グプタが剣でそれを阻んだ。


 ラーマの棍棒の一振りをかわすと、身軽に身をひるがえしながら、グプタは呪文を呟く。


 グプタのまわりの霧が形をなして、いくつもの頭を持つ細長い龍の形になる。


「グプタは式神使いでね。さらに、千里眼が開いたことで能力が覚醒した」


 幾筋もの灰色の龍の首がぐいんと伸び、大口を開けてラーマに襲い掛かってきた。


 棍棒で薙ぎ払うが、毒霧の龍は実態がなく、攻撃が効かない。一瞬形が崩れても、すぐに元に戻って、鎌首を上げて襲ってくる。


「そらそらどうした、スパルナたちのように気を失うぞ」


 ラーマは岩場の上を転げるように龍から逃げた。魔奈を込めて攻撃すれば倒せるだろうが、ここまで走って来るのに体力も魔奈も尽きかけていた。


「おまえはゲート開錠のために生かしていたが、グルマウコウは代わりにチャクラを開放したスラビーがやるだろう。寺院さえ完成すればそれでいい」


 龍の首筋を狙ったラーマの渾身の一撃はまたも手ごたえがなく、ぶわりと浮き上がった龍たちが頭上からラーマを狙う。


 ラーマは赤いレインナスタの札を取り出し、息を吹きかけるように呪文を唱える。そして、腰を低くし、棍棒の先をグプタに狙いを定め、一か八か前進する。


「馬林!」


 ぶつかって来る龍たちの攻撃をもろに食らいながらもラーマは突進を止めなかった。白い霧の中で、棍棒を持った手を前に突き出す。


 白い霧に視界を阻まれたグプタの胸に棍棒が命中し、背後に吹っ飛ぶ。


 術者の集中力が途絶えたために、式神が霧散する。

 ラーマは攻撃を放ったまま前のめりに倒れ、そのまま動けなくなった。龍の毒霧が身体に入り込んで麻痺していた。


 グプタは血を吐きながら起き上がり、持っていた短刀を抜いた。


「惜しかったな」


「おまえもな」


 背後から剣でグプタの胸を貫いたのはスパルナだった。


 その場に崩れ、地面に前のめりに倒れるグプタ。


「これのおかげで助かったよ、ラーマ。返すぞ」


 スパルナはソウケンバイカの呪符をラーマの背に乗せると、祠の前で倒れているヴィシュヌに駆け寄った。


 地鳴りが大きく響き、噴火がはじまる。


 スパルナの問いかけにようやく目を覚ましたヴィシュヌは、ふらふらと立ち上がると、倒れているラーマとグプタ、そして噴火の始まった山頂を見た。


 グプタはヴィシュヌを見上げ、皮肉な笑みを浮かべたままこと切れた。


「姫、はやく逃げますよ!」


「大丈夫じゃ。もう送った」


 轟音とともに噴火がはじまり、津波のように斜面を下る火砕流が押し寄せてくる。



 ――。


   ――。


     ――。



   ※



 ヴァルナは丘の上で目を覚ました。見渡す限りの草原があり、その先の地平線は雲にかすんでいる。空は青いが、やけに色が濃く、不自然な印象だ。


 そこがガルバダートだということはわかっていた。魔奈で作られた不死の術で生存可能性が一時避難させられる場所だ。


 ヴァルナは身体をさわり、崑崙王にやられた傷を確かめた。あちこち打撲しており、衣服と鎧はあちこちが破損していて、背中がはだけている。しかし、不思議と血は出ていない。


 ヴァルナは崑崙王に負けた。相手は小柄な老人で、しかも素手だったが、異様な俊敏さで、こちらの攻撃は当たらなかった。


「こっぴどくやられたな」


 いつのまにか、そばに唐風の衣服を着た男がいて、ヴァルナのそばに座った。


「君もロケラオクークを使ってここへ来たのかい?」


 魔奈の呪文を知る男は人懐こそうに微笑んでいる。柔和な雰囲気だが、体つきや仕草は武人のそれだった。腰に下げた白い鞘の唐剣からかすかな魔力が立ち昇っている。


「わからない。……私を操っていた魂が使ったのか」


「ところで、君のその背中の刺青は、魔奈の刻印か」


 ヴァルナは背中がぼんやりと熱くなっているのを感じた。


「自分では見えないが、そうらしいな」


「蜥蜴、蝙蝠、鰐……バロンの魂だな」


「バロンを知っているのか」


「まあね。知り合いに何人もいる」


 仲間のバロンが死ぬと、ヴァルナの背中にあらかじめ入れた動物の刺青が浮かび上がる。死んだ仲間の魔奈を受け継ぐができるが、同時に精神が蝕まれていく。


「牛と兎はあるか」


「どちらもないな。これは、かなり古い呪術だな」


「私の子孫が……バロン・ナーガにやらせたものだ」


 ヴァルナとスラビーをバロンに育てた先代のバロン・ナーガは、ヴァルナに魔奈の器としてさまざまな実験を施した。そのひとつが、この刻印だ。


「いや、そのナーガに憑依していたのはソヴァカという術者だ」


 男が言った。


「レオの魂を君の体に結び付けた魔奈使いで、いまもその黒魔奈は断片的にバロンの心を支配している。さらにそこから過去にさかのぼって、バロンの祖をつくりだした張本人だ」


「何者だ、あなたは」


 ソヴァカ……ヴァルナはその名に覚えがあった。レオの思考を読んだときに聞いたことがある。


「わが子孫たちの言葉では、オーパーツというらしい。バロンの血を引くソヴァカがバロンの祖になったわけだよ」


 ヴァルナは男の風貌や言葉から、その正体がわかりかけてきた。


「バロンに対抗できるのはランダ……。ラーマという名は、響きが似ているのは偶然か」


「青い王子の父親だな」


「そういう君は白い王子の息子だな」


 座ったまま男を睨みつけるヴァルナ。

 

 平群広成は息子の宿敵をまるで試すように微笑んでいる。


「手合わせ願えないかね」


 そう言いながら、平群広成は片手で白い柄の刀を抜いて振り上げていた。


 間一髪、振り下ろされた剣をかわし、飛び退いて間合いを取るヴァルナ。


 広成の二の剣が繰り出されると同時に、ヴァジュラを振るった。


 交差する剣撃が火花を散らす。


 ヴァルナは剣の重さで相手がただ者でないことはわかった。並のバロンより力も魔奈も上だ。本気を出さねば。


「三仏逝」


 ヴァジュラを縦に構え、魔奈を込める。


「その呪いはやめたほうがいい。君の命を削るぞ」


 高速の広成の剣をかわし、一瞬の間隙を抜いて放ったヴァジュラの一閃が彼の胸を斬り裂いた――と思ったが、広成の姿が消え、なにかがヴァルナの胸の真ん中をすり抜けていった。


 振り返ると、膝間付いた広成がいて、血が噴き出す胸を押さえていた。


 そのそばに立つ黒い影。


 今、広成の攻撃が契機となって自分の体から抜け出していったなにかだと直感した。


 影は女の形をしており、手には黒いヴァジュラを持っている。


「そいつがソヴァカだ、斬れ!」


 広成の声に反応し、ヴァルナは向かってきたソヴァカの影を迎撃する。



 

「君は呪いから解放された、しかしまだ完全ではない。運命の道すじは残っている」


 広成は倒れたまま、息も絶え絶えに話す。


 ヴァルナは自分の体が軽くなったことでソヴァカによるバロンの呪いが消えたことを理解した。背中の刺青はただの模様と化している。


「なぜ私の呪いを解いた」


「ソヴァカの呪いが消えても、千年以上存在したウルラガの歴史という巨大な呪いは、その存在を賭けてラーマと君を戦わせる」


「そうだろうな。私が負ければバロンは終わりだ。レオやウルラガなどどうでもいいが」


 一門のために負けるわけにいかない、と言いかけてやめた。


「それでいい。どうせ戦うなら、自分の意思で戦うべきだ」



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