437:幻の一手
冴内と優は昨日見た居合の達人の技を思い描きながら、呼吸と動作を完全に一致させる動きをイメージする練習をしつつ探知機を設置していったのだが、いつもよりも半分程度しか設置してないところでお昼休みの時間になった。
美衣達も真面目に練習に取り組んでいるようで、冴内は感心した。皆子供で初や正子に至っては幼児といってもいい見た目なのに、単調な練習に飽きもせずしっかりと練習に打ち込んでいるのだ。
冴内に気付いた美衣達は「もうお昼か、どおりでお腹が空いたと思った」などと言ってトレーニング空間から出てきた。
ログハウスに戻ると既に花子が昼食の用意をしてくれていたので、冴内達は早速食事にありつけた。今日はチャーハンと何かの肉のから揚げだった。美味しくて全員ガツガツモリモリ食べたので、その姿を見た花子はとてもご機嫌だった。
食後のフルーツを食べながら冴内は美衣達に「良く飽きずに地味な練習をしっかりやっているね、皆すごく偉いと思うよ」と言って褒めた。
「ホントは結構飽きて辛いんだけど、たまにうまくいく時があって、その時はやった!って思うからなかなかやめられないのだ、さすが父ちゃんの指導法だ」
「ボクもそう!」
「私も!お父さんの指導はすごいね!」
冴内は自分は特に指導らしい指導はしていないような気がして内心ではかなり恐縮した。若干その後ろめたさがあって次のセリフが口から出た。
「ずっと練習し続けるっていうのもあまり効率が良くないと思うよ、いったん練習を休んで全く別のことをして遊んだりすると、また練習を再開したときにうまくいくということがあるから、上手にメリハリをつけるといいんじゃないかな」
「なるほど!さすが父ちゃん!」
「ボクそうする!」
「私もお父さんの言った通りにしてみる!」
冴内はホッとした、実際美衣達は子供とは思えない程に毎日頑張っているのだ。少しは子供なりに自由に遊んでもらったほうが親としても安心するというものだった。何より子供がそんなに頑張っているとなると、親である自分はもっと頑張らないといけないので、それは結構しんどいから適度に手を抜いてもらった方が冴内としても都合が良かったというなかなかに情けない理由だった。
そういうわけで、午後からは美衣達は自由に遊ぶということになった。
美衣はミャアちゃんに連絡して、遊びに行きたいと言ったが、一応獣人惑星のプリンセスでもあるミャアちゃんは公人として多忙な身なので、そんな突然遊びましょと言ってハーイという訳にはいかないはずなのだが、普通にハーイという返事が返ってきて美衣はミャアちゃんの所に遊びに行った。
初と良子は行かないの?と冴内が聞いたところ、初はボク久しぶりにグドゥルお姉ちゃんに会いたいから惑星グドゥルに行ってくる!といって初はグドゥルへと向かっていった。
良子は良い機会だから矢吹に教わった名作ボクシングマンガの「明後日のジョー」と「はじめの一手」を読んでくると行って、奈良ゲート研修センターにある矢吹の部屋へと向かっていった。
力堂達は奈良ゲートにある試練の門にずっと挑み続けているので、奈良ゲート研修センターのシーカー用宿泊エリアに長期滞在用個人部屋を確保しており、矢吹の部屋には矢吹のバイブルでもあり魂でもある名作ボクシングマンガが揃っていた。
着替えなど最低限の生活必需品以外で趣味的な物はといえば、これらの名作ボクシングマンガがあるだけというある意味なかなかに矢吹らしいストイックな私生活が分かる部屋だった。
良子は矢吹から興味があればいつでも勝手に入って是非読んでみてくれと言っており、奈良ゲート研修センターの受付でも良子が矢吹の部屋に入って、矢吹の私物のマンガを読書したいと言うと、すぐに鍵を渡してくれた。
残るは正子のみになったが、正子は花子達と一緒に動物達の世話をしてみたいと言った。大人しいモフモフの乳絞りや巨大ニワトリのえさやりなど、花子達に教わりながら庭で飼ってる動物達と触れ合ってみたいとのことだった。
花子達が見ていてくれるならば安全安心で、そもそもモフモフの大きな生き物はとても優しく温厚なので全く心配はなかった。
冴内は子供達が思い思いに楽しく過ごしてくれそうなので満足した。朝から晩までひたすら攻撃技に磨きをかけるための修練を行う児童たちというのではあまりにも殺伐とし過ぎている。一体冴内家というのはどういう教育方針でどんな武闘家一族なんだと思われるのは何とも避けたいところだった。
ともあれ、冴内は一安心してお茶でも飲もうかと思ったところ、背後に熱くて強い視線を感じて振り返ってみればニコニコした優が立っていて、冴内の腕をとって2階の寝室へと向かっていった。
ひとしきりハッスルした後で、例の元気回復ついでに精力も回復してくれるサクランボを一粒食べることにした。美衣が宇宙ポケットを付けたままミャアちゃんのところに遊びに行ってるので、キッチンに行って試練の門から勝手に持ってきた食料格納箱からストックしてあるのを取り出して食べた。
窓から外を眺めてみると、遠くで正子がモフモフの背中に乗っているのが見えた。モフモフは気にせず草をムシャムシャと食べており、とても癒されていつまでも見ていられる幸せな風景だった。
冴内は自然と目じりが下がり、とても温かな気持ちになりこの平穏な生活がとても愛おしく感じた。
そして何を思ったのか、スゥッと立ちあがると目を閉じて、音もたてずとても静かに鼻から息を吸いそして鼻から息を吐いた。
右手はいつの間にか斜め下にあり、自分でも何をしたのか分からなかった。
それで特にログハウスが真っ二つになるわけでもなく、さいしょのほしが真っ二つになってその星に住む冴内一族以外の生物が全て死滅することもなく、全く何も起きずに平穏そのものだった。
冴内は自分でも今何をしたのか全く気付いておらず「おや?」とも思うことすらなく「えっと、今僕は何をしたんだろう・・・まぁいいか・・・」と、若干認知力が心配になるようなことを口には出さずに頭で考えて、モフモフのミルクを温めて飲もうとキッチンに向かった。
ちなみに今冴内がやってみせたのがレインボースーツすら一刀両断する程の究極のチョップだったのだが全く本人にはその自覚がなく、そもそもチョップをしたことにすら気付いていないという有様で、この後も冴内は時間があるときにずっと究極のチョップを練習し続けるのだが、しばらくの間再現することはなかった。まさに幻の一手だった。
優も降りてきたので、優の分も温めたミルクを注いだ。ハチミツの瓶があったので、たっぷり入れてかき混ぜた。
ダイニングテーブルに持っていくと、優は大喜びで冴内に抱き着いてキスをした。このまま第2回戦が始まるのかと少し心配したが、そうはならないようでホッとした。
夕方近くになり美衣から連絡があって、今日はミャアちゃんのところに泊っていくとのことだった。
同じく初もグドゥルお姉ちゃん達の手伝いをするから泊っていくとの連絡が入った。
良子の方はまだ全巻読み終わっていないので、どうしようかと思っていたら、矢吹から全巻お前にやるから続きは家で読めと言ってくれた。
良子が遠慮しようとするのを制して、またオレが全巻買うことでこの素晴らしい作品を描いてくれた作者への恩返しが出来る、それはオレにとっても、作者にとっても、そしてお前にとっても良い事で、全員得をすることだから是非もらってくれと実に男らしい男気を披露した。
矢吹は全部読み終わったら今度は名作ボクシング映画を見に来てくれと言って良子と別れた。
そうして夕方になり良子が戻ってきて、正子も花子達と一緒に戻ってきた。
いつもより少し静かな食卓となったが、食後はさらに静かになった。
その理由は全員が良子が矢吹からもらってきた名作ボクシングマンガにハマって読みふけっていたからで、ついついいつもよりも夜更かししてしまった。ちなみに正子も夢中になって読んでいて「あついはなちでしゅ!もえてくるでしゅ!」と小さな手を握りしめて興奮した様子だった。
そうして静かではあるがハートは熱くたぎる一夜を過ごしたのであった。
ちなみに後日美衣と初も夢中になって読んだことは言うまでもない。