305:たつのすけ
久しぶりに訪れた奈良ゲート研修センターの小会議室にて冴内と良子と道明寺と日本の古文書調査に秀でた研究職員数名が島根の祖父の家にある蔵から持ってきた巻物や書簡などを調べていた。
冴内には何が書いてあるのかさっぱり分からなかったが、道明寺や研究職員には分かるようでスラスラ読み上げていた。
横で見ていた良子は凄い集中力で彼らが読み上げた結果と文字を解析学習していた。
記載内容のほとんどが土地の権利書であったり、何かの契約書であったり、出生記録だった。
やがて、巻物の中から家系図が出てきた。名前と思しき単語と棒線が引いてあるので冴内にも家系図だとすぐに分かった。
その家系図の一番最初に書かれていた人物の名は「冴内 一之進」だということが分かった。
研究職員は持参してきたタブレットに入力して冴内に見せてくれた。
いつ頃の人物なのかと尋ねたところ、なんと千年以上前の平安時代頃ではないかという答えが返ってきた。
そもそも冴内という苗字自体とても珍しい上に、初代冴内が平安時代の人物だったらしいということで一同は大いに期待した。
その後も様々な巻物を広げていったが、数が多いので、まだ冴内 一之進にまつわることが書かれているものは出てこなかった。
最初のうちは何が書かれているのか研究職員の方が説明してくれたが、なにせ数が多いのとそのうち職員達が集中モードに入ったらしくひたすら黙って解析していたので、何が書いてあるのかさっぱり分からない冴内は退屈になってきて段々眠くなってきた。
研究職員と道明寺に加え今や良子もこの短時間で有力な戦力となっており、冴内をほったらかしで巻物の解析に集中していたところ、突然ゴトン!という大きな音がして小会議室のテーブルが揺れた。
何事が起きたのかと全員音がした方を見ると冴内が寝オチして頭を机にぶつけたのだということが分かった。
すぐに良子が上体を起こして冴内の額を見たが、特にコブもなく痛がっている様子もなくスゥスゥと寝息を立てていたので、冴内の背中を背もたれにもたれかけて、結構良質なオフィスチェアをリクライニングさせてかなり緩い斜めの角度にした。
小会議室内は古い巻物を解析している作業を行っており、皆それぞれ黙って作業に集中しているためとても静かだった。
そんな静かな中、冴内は夢を見ていた。
穏やかに凪いだ海と砂浜が見えた。辺りを見渡すと簡素で小さな小屋と小舟が砂浜に置かれていた。
どちらも一目で現代に作られたものではないことが分かった。昔学校で歴史展示資料館に行ったときに見たようなものだった。
すると小屋の中からとても日に焼けた少年が出てきた。ふんどし一丁で出てきた少年は線は細いがとても引き締まった身体をしていて健康そのものといった印象だった。
少年はそのまま小舟を押して凪いだ海へと向かっていった。やがて小舟が着水すると最初は押して泳いでいきその後船に乗り込んで櫂を取り出してこいでいった。
それほど沖の方に行かないところで船を止めて、何度も海の中を覗き込み、やがて小舟の中から小さな網と銛を取り出して海の中へと潜っていった。
数分間も潜っている程にその少年は肺活量が優れており、やがて海から出てくると銛の先には大きな魚と網の中にも大きな貝やエビが入っていた。
少年は満足した顔で砂浜へと戻っていき、小舟を小屋の近くに置いて小屋の中に入ると、上半身だけ着物を着て軽く帯をしめて出てきた。
魚を器用にエラから口にかけて縄でしばってぶら下げて、エビや貝をおがくずが入った木箱に入れてわきに抱えて海と反対方向へと走り出した。
少年は休むことなく走り続け、途中沢からチョロチョロと流れる湧き水を手ですくって飲んでまた走り出した。
やがてポツポツと人家や小さな畑が現われたが、少年はそのまま通り越して走り続けた。
さらに少年が走り続けると人で賑わっている集落のような場所に着いた。そこではあちこちで露店販売を行っていた。
新鮮な魚介類に野菜や果物、布や生活雑貨と思われるものなどが並べられ、人々は物々交換やお金のようなもので品物を手に入れていた。
少年はそれらには目もくれず、最初から行先を決めていたように迷うことなく一つの露店商の元へと到着した。
「お米をおくれ!」
「おう来たか!どれ、今日の魚はなんだい?」
「今日はアカミズ(キジハタ:高級魚)のいいのが獲れたよ!あとエビと貝もいいのがあるよ!」
「そらぁいいな!どれどれ・・・ホウ!デカイな!こりゃいいや!エビも貝もうまそうだ!よし!そんじゃ交換だ!」
「たくさんおくれよ!」
「おう分かった!今日はおまけしてやるぞ!」
たっぷり米が入った麻袋に、干し芋をおまけでもらった少年は上機嫌で米の露店商を後にした。
少年は元来た道を引き返し、来る途中湧き水を飲んだ沢の近くで横道にそれて先を進み、程なくして小さなあばら家に到着した。
「帰ったよ!」
「おう、たつのすけ、帰ってきたか!今日の漁はどんな塩梅だった?」
少年の名をたつのすけと呼んで出てきたのは日に焼けた肌に深い皺が刻み込まれた老人だった。
「アカのいいのが獲れた、あとエビもいいのが獲れた、米と交換しておまけに干し芋もくれたよ!」
「そらぁいいのう!干し芋が手に入ったんはじつにいいのう!」
「おう!早速干し芋食べよう!」
「有難ぇ有難ぇ」
老人はたつのすけという少年から干し芋を受け取ると、小さくて粗末なあばら家の中に入っていき、部屋の奥にある何かの棚の前の皿に干し芋を3っつ置いた。
「有難ぇなぁ、たつのすけが海でいいの獲ってきたから干し芋をもらってきたよ」
老人は棚の前で片手で拝んで話しかけた。
棚に置いてあったのは少年の父と母そして老人の妻の位牌だった。位牌といっても本当に簡素な木札で、そこに彫られた文字もそれほど見事な文字ではなかった。
少年も一緒に棚の前で手を合わせて一言二言話しかけてから老人と一緒に干し芋を食べた。
「あぁうめぇなぁ、柔らかくて甘くてうんめぇ」老人が嬉しそうに干し芋を食べる姿を見て、少年もとても嬉しそうだった。
「こらぁうめぇぞ、たつも食え」
「うん!」
たつのすけは老人と二人暮らしだった。老人は左腕の肘から先がなく、顔の左側には深い傷跡があった。
老人は村一番の腕の立つ漁師だった。一時期はそこそこの大きな家に使用人も雇っていた程だった。結婚して子供が出来てその子供も腕の良い漁師になった。その子供も結婚して男の子が生まれた。それがたつのすけだった。
たつのすけが3っつになる頃、たつのすけの母は流行り病にかかって亡くなった。
それから数年後、漁場に大きなワニ(サメのこと)が出て何人かの漁師が食われたという騒ぎが起こった。
たつのすけの父と祖父はワニ退治に向かった。血が流れ出る動物の肉でワニをおびき寄せ、祖父の銛が大きなワニの背に見事突き刺さったが、大きくて力の強いワニに祖父は海に引き込まれてしまった。
たつのすけの父がすぐに祖父を助けようとしたが祖父は左腕を噛まれており、祖父は大声で「今だ!今のうちにとどめを刺せ!」と叫び、その通りに大きく飛び上がってワニの脳天に銛を突き刺した。
しかしその一撃で大きなワニは即死せず、めったやたらに暴れ泳ぎ回った。祖父は吹き飛ばされたが父は銛を離さずグイグイと脳天深く突き刺していった。ワニは頭に刺さった銛を抜こうと何度も岩にぶつかり暴れまわったが父はその手を離さずいっそう力を込めてズブズブと突き刺していった。
やがてワニは力尽きてグッタリとし、ひっくり返って腹を海面に浮かばせた。
最後まで銛を手放さなかった父は身体中血だらけで、ワニと共に絶命していた。