160:出港準備完了
辺境惑星にて出航準備を開始してから既に2週間が過ぎた。ここまで大きな遅延もなく順調に出港準備は進んでいた。
美衣の工作技術水準はドムゲルグフ人も舌をまく程にまで達しており、しかも素手のチョップで基本工作をやってしまうので、さすが冴内一族はモノが違うと大いに感心した。当然大闘技大会の試合はほぼ全宇宙人が観戦していたので、冴内達が尋常じゃない存在であることは皆知っていた。
良子は既に基本の操舵技術は習得済みで、続けて航路ナビゲーションに関するスキルを習得していた。この後は様々なエマージェンシートラブルの対応訓練を実施するとのことだった。
優は毎日凄まじい量の料理を作っていた。この地に住んでいるドムゲルグフ人の料理人は優に様々な料理を学んでいた。
そして冴内は今日も宇宙空間で戦闘訓練を行っていた。
「最低でも10日間は生命維持装置なしで宇宙空間で生存可能になるようになるのが理想だ」
「10日間も!食事や睡眠は?」
「もちろん宇宙空間で食事をとり、宇宙空間で睡眠出来なければならない」
「それって食事や寝ている間も常に身体の内にある太陽を制御して燃やし続けなければならないっていうことですか?」
「そうだ、さらに理想を言えば燃焼と食事の摂取量を調整して等しくすることで、排泄行為も不要になるのが望ましい。だが、あくまでもそれは一時的なものにしないと君達の消化器官が退化して弱ってしまうので多用はお勧めしない」
「多用以前にまずそもそもそんなこと出来るかどうかが心配なんだけど・・・」
「弱音を吐くな、君なら出来る!」
「ではまず宇宙空間での食事から始めよう。コッペパンを取り出して食べてみたまえ」
冴内は美衣から借りてきた宇宙ポケットからコッペパンを取り出した。口の中に入れる時にうまく太陽膜を調節して真空を解かなければならない。
「ムガァツ!ゲホッ!ゲェホォッ!!」
冴内は盛大にむせた。恐らく常人ならば一気に肺が破壊され、血液が沸騰してとても見ていられない無残な姿で即死したことだろう。それはもうしばらく肉料理は食べられなくなるほどに。
「コツとしては徐々にパンと膜を一体化させるようにイメージするんだ、パンを食べる時に膜のシャッターを開けようとするとそうなる」
「わ・・・分かった・・・」心の中で、そういうことは先に言ってくれよと、つい悪態をついた冴内であった。
さらに冴内は、こうした宇宙空間での過ごし方などやっている場合でいいのだろうか?とも思った。いまだに一切宇宙イナゴへの対処法や攻撃訓練などを行っていないのでいささか不安になっていた。
なんとか数時間かけてコッペパン1個を食べることに成功した冴内に、さいごのひとは追い打ちをかけて次に睡眠訓練を実施するよう促した。
「では冴内 洋、食事もすんだことだし、優雅にお昼寝といこうじゃないか、まぁそうは言っても緊張して眠れないだろうから、導眠作用のある音を聴かせよう、最初は浅い眠りを誘う音を流すが慣れてきたら深い眠りを誘う音にしていく」
「・・・分かった」
・・・
・・・・
・・・・・
「グハァツ!ガハァツ!ゲハァッ!!」
意識がなくなり浅い睡眠に入った瞬間、太陽膜がほんの一瞬、本当に一瞬だけ喪失しただけで、冴内は盛大にむせかえり、身体全身が針で刺されたような痛みに包まれた。常人ならば膨張爆発して木っ端微塵になる程で、恐らくそのシーンを一瞬でも見てしまった人はしばらくハンバーグやミートボールを見ただけでも吐き気を催したことだろう。
「何事も慣れだ、呼吸と同じように太陽膜を燃焼調整出来るようになるしかない。さ、続けるぞ」
鬼だ・・・と、冴内は無重力空間に涙を漂わせながら思った。感情に乏しい沈着冷静な相手だけに血も涙もない鬼のようだった。
恐怖で睡眠など出来やしないのだが、さいごのひとは情け容赦なく導眠作用レベルを強くして強制的に冴内を寝かしつけた。
こうして最初にさいごのひとが言った通りの過酷な訓練は有言実行されたのであった・・・
訓練終了後、優が作ってくれた美味しい夕食を食べ、心地よい温泉で疲れを癒し、コッペパン号(正式名になってしまいました)で親子4人で寝始めていたときに、ふと冴内は質問した。
「皆は宇宙空間で生活って出来るの?」
「以前の私ならひと月くらいまでが限界だったと思うけど、今は洋からもらった指輪の魔術のおかげでずっと大丈夫だと思う」
「たぶんアタイもだいじょうぶだ!」
「うん、私も大丈夫、仮死状態になれば恒星やブラックホールに吸い込まれない限り半永久的に大丈夫だと思う」
「そ・・・そうなんだ・・・」
「どうしたの洋?」
「どうした父ちゃん?」
「お父さん?」
「いや、それが宇宙空間でなんとか食事まではクリア出来たんだけど、寝るのが難しくて・・・」
「そんなの私のバリアの中にいればいいじゃない」
「そうだ!母ちゃんのバリアの中にいればだいじょうぶだ!」
「えっ?そうなの?」
「・・・すまない、冴内 洋、それは盲点だった」
しばらく固まった冴内だったが、良子から万が一不測の事態が起きて冴内が宇宙に放り出されてしまった場合でも生命維持が出来た方が良いと言われ、優や美衣も激しく同意したので過酷な訓練は引き続き続行されることが決定した。
みんな冴内のことを思ってのことだということを重々承知しているだけに、冴内はなんとも複雑な心境であった。
そうしてさらに2週間が経ち、冴内達がこの地に来てからそろそろひと月になろうとしていた。
げんしょのひとの知識とマシーンプラネットの機械技術とドムゲルグフ人の工作技術を結集した宇宙一の最新鋭高性能小型航宙艦コッペパン号の改修は完全に完了した。
良子は操舵技術や航路ナビゲーション、さらにあらゆる非常事態に対するトレーニングを完璧に習得したが、コッペパン号は基本的に全て全自動で航行する。航路についてもげんしょのひとのデータベースとリンクして最も適したルートを自ら決定することが出来た。
そのフェールセーフ機能は異常ともいえるほどに備えられており、通常の最新鋭高性能艦が4重のフェールセーフ機能を備えているのに対し、コッペパン号は32重ものフェールセーフ機能が備わっていた。
また、全部で千か所近くに及ぶ小型重力制御装置が取り付けられ、メインの推進力には宇宙粒子展開放出スラスターベーンが設けられ、惑星等に降り立って粒子を補充する以外でも、宇宙空間やアステロイドベルト宙域でも粒子を得ることが出来れば半永久的に航行可能であった。
さらにその外壁部は自己修復修繕機能をもつ分子レベルの大きさのナノマシンが封入された鉱石と金属のハイブリッド素材で覆われた。色は茶色だったためますます見た目がコッペパンのようになった。
また、この艦の特徴として武装が全く搭載されていなかった。これは航宙艦としては異例である。例え民間の客船や輸送船であっても小型隕石やスペースデブリの除去や宇宙海賊への対応として、何らかの武装を持つのが必須なのだが、この船にはそれがなかった。
当然その理由は宇宙を破壊することが出来る程の究極兵器といっても良い存在が4人も搭載されているからである。
しかも仮にこの4人が乗船していない場合でも、コッペパン号は戦わずして勝つための機能が十分備わっていた。敵や障害物から逃げたり躱したりするための航行性能、敵を欺くための高性能欺瞞装置の数々など、船員がいなくとも32重に張り巡らされたフェールセーフ機能を持つ自立思考で行動する。
それでも最後の最後に万が一、いや億が一に緊急事態が発生したときに備えて、最後のセーフ機能として良子が手動で操舵するという念の入りようだった。一言で言えば可愛げがないを通り越して異常な程のやり過ぎだった。それこそ冴内と優が夫婦喧嘩でもして船内で宇宙破壊でもしない限り完全無欠の船だった。
また、冴内の宇宙空間でのサバイバル訓練もほぼ完璧に仕上がった。美衣の宇宙ポケットを借りればそこから必要な物質を補給して永久に燃え続けて眠り続ける冴内太陽が出来上がった。こうなると生命体なのか星そのものなのか微妙な存在になってしまった。
かくして出港準備は完全に完璧に完了した。