102:冴内ファミリー、世界を繋ぐ
帰りも時速300キロでぶっ飛ばしたので2日目の夕方前に日本側ベースキャンプに到着した。ベースキャンプにいた現場シーカーの携帯端末を借りて冴内にしばらく冒険の旅に出ると伝えた。実際の所はあちこちのうまいものを食べたくなっただけである。
可愛い我が子には旅をさせよとは昔のことわざだが生後1ヶ月足らずの娘に一人旅というのもどうかと思う。しかしなんとも早い親離れであろうか。さすが宇宙最強の【ンーンンーンンンン】人。さておき美衣は次にペルー側に向かうことにした。ペルー側でも美衣は当然大歓迎を受けた。
ちなみにペルーは美食の国として知られており、「ワールド・トラベル・アワード」の「世界で最も美食を楽しめる国」部門で7年連続で最優秀賞を受賞している。地域によって異なるが主食は米やジャガイモ、トウモロコシなどである。作者も是非食べてみたい料理として「ロモ・サルタード」という牛ヒレ肉の野菜炒めがあり、白米と一緒に出てくるので日本人にも美味しく食べれるそうだ。そしてもう一つが「アンティクーチョ」というペルーの国民食ともいえる料理で、牛の心臓を串に刺して焼き鳥のような味付けで炭火焼きにする料理だ。ちなみに作者はプロの無職なので海外旅行に行ける程裕福ではないのでペルーに行ったことも無ければこの料理を食べたこともなく、全部ネットで調べて得た悲しいうわべだけの情報である。
そういった料理を腹一杯またしても妊婦のような腹になるまでたらふく食べて満足しきりの美衣であった。もちろん全て無銭飲食である。
せっかくなので美衣はゲートを出てナスカの地上絵もいくつか見た。美衣もチョップで何か書こうかと思ったが、さすがに世界の重要文化遺産だと現地の案内人に説明されたのでやめておいた。この辺りは冴内の遺伝子がしっかり入ったことできちんと心にブレーキがかかってくれたようだ。もしも優だけの遺伝子だったら盛大に新しい地上絵を描いていたことだろう。いや、最悪の場合手加減を誤って地球をチョップで真っ二つにしていたかもしれない。
ところが現地にいる大勢の人達に加えて機関本部とペルー政府からも、ここと離れた別の何もない場所に是非とも何か描いてくれと強く頼まれたので、縦横1キロ程のサイズで冴内の「げぇっ!」の顔を描いた。その絵はまさに写真そのものでレーザーか何かで地面を削ったかのような精密さだった。飛行機はおろか人工衛星からでもかなりはっきりと冴内の「げぇっ!」を見ることが出来るようになった。ペルーのこの地域は世界的にも有数な乾燥砂漠地帯なのでナスカの地上絵同様この絵も恐らくこの先数千年後もしっかりこのまま残る事だろう。
一方、日本から遠く離れた南米の大地でそんな恐ろしいことが行われていることなどまるで知らず存ぜず我関せずの冴内はというと美衣に触発されたのか、優と共に冒険の旅に出ることにした。
結婚後すぐに美衣が産まれたので二人だけの新婚旅行に行っていなかったこともあり、さらに今はアリオンで空を駆けることが出来るので、今回世界が繋がったことの証明となった日本、英国、ペルーだけでなく他の国のゲート世界も繋げる発見が出来るかもしれないと思ったのだ。
そうした理由で冴内達も冒険の旅に出たのだが、美衣がゲートの北側に言ったので冴内達は南側に行くことにした。米一俵に味噌、醤油、砂糖などの調味料、そしてその他の生活必需品をまとめて冴内は優とアリオンと一緒に大空を駆け抜けた。残されたアリオンの家族は淋しくないだろうかと心配したが最近3頭目が産まれたようなので、まぁ当面は寂しくはないだろう多分。他のユニコーン達も満足して暮らしているようで少しづつ数を増やしていた。
冴内がゲートを起点に南の方角へ高度10メートル以下で低空移動していると、眼下に植生調査をしている良野・木下コンビが見えた。草原エリアCの調査を終えて今は草原エリアDを調査しているようだ。護衛任務と思われる男女のシーカー達もいた。冴内の旅の目的はシーカーネットで公開しているので全員既に知っており、冴内達を見ると手を振って見送ってくれた。その日の夜に携帯を確認すると美衣がペルーにいる現地の人達と楽しそうに写っている写真を見て安心したが、その背景に新たな地上絵として冴内の「げぇっ!」が描かれているのを見てそっと画面と閉じ、全て見なかったことにした。
その後ミイはマチュピチュのゲートを発見した。地球上ではナスカの地上絵もマチュピチュ遺跡も同じペルー国内で距離もそれほど離れておらず700キロもない程の距離である。しかしながらゲート内世界では80年間ずっと繋がっていない状態だった。その理由はマチュピチュ遺跡が存在する場所にある。マチュピチュ遺跡はアンデス山中ウルバンバ川の近く標高2千400メートルの位置にあるのだが、そもそもこの場所にいくまでが大変なのである。富士山麓ゲートやストーンヘンジ・ゲートと違って都市部から離れており、山間部であることとその地形から交通網についても日本や英国のように利便性は良いとは言えない。当然近くにバスや電車で行けるような場所に大型ショッピングモールがあるわけでもない。ナスカ・ゲートはまだマシだが、それでもナスカ・ゲートだって、大都市が近くにあるわけではない。要するにマチュピチュ・ゲートに訪れるシーカーが極端に少ないのである。そのため80年経ってもほとんど開拓されていなかったのだ。
さらにマチュピチュ・ゲート内の世界は地球上のマチュピチュ遺跡がある場所に似て標高が高い場所にあり、今回美衣の上空観察で分かったのだが、その地形は半径100キロ程度の円筒形の高地になっており、その外縁はおよそ標高2千メートル級の断崖絶壁になっていた。その様相はまさに天空の孤島ともいえる場所だったのだ。位置的にはナスカ・ゲートの北東に千キロ程の位置にあり、およそ300キロ程まで近づけばその高地を肉眼で見ることが出来る。しかしそもそもナスカ・ゲート内ですらシーカー数は多くないためそこまで開拓されておらず、遠くに高地があるというのは幾人かに認識されていたが、まさかそれがマチュピチュ・ゲートと繋がっているとは誰も考えることすらしていなかったのである。
一方、冴内達も世界を繋げた。冴内達はエジプトのシーカー達と合流したのだ。日本の南だと地球上ではパプアニューギニアかオーストラリアに辿り着くのだが、ゲート世界では何故かエジプトのゲート世界に到着したのである。一応せっかく来たのだからということで冴内達はゲートの外に出てピラミッドを見たりなど観光を楽しんだが、その後さらに進んでヨルダンのペトラ遺跡のゲートも発見した。
こうして冴内ファミリーはこれまで人類が80年感果たせなかった大遠征を、わずか数日間で次々と果たしていったのであった・・・