深遠の森のダンジョン守
突発的に書いたものなので、結構駆け足です。
何か他の小説書いていたら、急に降って湧きました。他にも書きたいところはあったけど、縮めに縮めました。
深遠の森という場所があった。
その広大な森は5つの国と3つの山を跨ぎ、2つの川を内包し、人の手でどうこうしようというのは天を掴もうとするくらい余りにも途方もないものだった。
更には魔物と呼ばれる狂暴な獣たちが跋扈し、木々は人の標を惑わせ、人々はその外縁で自然の恵みを受けるのみ。
そんな場所に分け入るのは冒険者と呼ばれる武装した者たちか、移動に限られた範囲の道を行く者たちだけ。
そんな森の中頃、山裾にあたる岩に寄り添うようにぽかりと拓けた場所がある。そこには何故か、こじんまりとした木製の小屋が建っていた。
今、その小屋の前で空を見上げる人影が1つ。
淡い白金色の長い髪は弛く編まれ、体型を隠すような衣装と共に風に煽られている。限り無く黒に近いラピスラズリの瞳は、大空すら閉じ込めてしまいそうだった。
眉目秀麗、という言葉さえも烏滸がましい、目鼻口どれをとっても素晴らしいバランスで配置されている顔の横には長く尖った耳。
エルフという種族であろう事は、すぐに察せられるであろう。
そんな時、その人物の形のいい唇から囁くような言葉が滑り落ちる。
「雨、降るかな?」
その至って普通の言葉に、誰も返さないはずの返事を返す低い声。
「降るな。濡れるぞ」
いつの間にかそこには、もう1人立っていた。
紋様の入った褐色の肌を見せつけるかのように上着は羽織っただけ、といった風貌の男だった。
彼のブラックオニキスのような目にラピスラズリの視線が絡む。
「いつも思うんだけど、何で判るの?」
「体が湿気る感じがする」
「それは大変だ」
クスリとその人は笑った。
▲▼▲
ダンジョンとは、いつの間にかそこにあって、挑戦者を待っているもの。
多種多様な内容を持ち、内部にはモンスターと呼ばれる人に襲いかかってくるものが蔓延り、罠、仕掛け、そして何かが隠された宝箱が数多待ち受けているという。
それは人を惹き付けるためか、はたまた世界の隠された真理なのか。
人は好奇心と欲望と名声を満たすためにそこに挑む。
その者たちを『冒険者』といった。
雨が上がった後、薬草を小屋の前に干していたその人に、また声がかかった。
「ユオ」
急に気配が湧いて出たと思ったら、ふわりと後ろから抱き締められ、耳元に言葉が落ちる。
「アイツが来るぞ」
「アイツって、ギルドマスター?」
首を傾げて後ろを振り返り無表情を見上げ、そしてそのまま空を仰ぐ。
そこには小さいながらポツリとインクを落としたかのような黒い点が見えた。
「アイツは嫌いだ。お前を連れていこうとする」
「クレスタ」
視線を外した褐色の美丈夫に苦笑を漏らす。
「しばらく戻っている。何かあったらすぐに行く」
そうとだけ伝えると、彼は再び消えた。
「過保護がすぎるんじゃないかなぁ」
いつもそう思う言葉を何処に投げ掛けるともなしに呟くと、残りの薬草も干してしまおうとユオは作業に戻った。
その訪問者は薬草が干し終わり、お茶を入れるための湯を沸かしていた頃にやってきた。
トトンと独特のノック。
「ユオ、いるか」
そしていつもの声。
エルフの青年は火にかけたケトルをそのままに自宅の扉を開けた。
「いらっしゃいませ、ギルドマスター様」
ニッコリ笑って出迎えると、苦虫を噛み潰したような顔をした初老の男が立っていた。
その後ろには空き地を歩くグリフォン(顔と脚は鷲、胴は獅子という魔獣)が見受けられ、それに乗ってきたのだろうという事が判る。
「貴方にそう呼ばれると、違和感しかない。今まで通りで」
「ふふっ、1回呼んでみたかったんです」
そう言うと、「さあ、どうぞ」と彼を小屋の中に招き入れた。
丁度沸いた湯でお茶を入れ、雨の間に作って置いたクッキーと共に、部屋の中にある重量のありそうなダイニングテーブルに置く。
そして椅子に座りながら、相手が熱いお茶を飲むのを見る。彼は猫舌なので冷まさなければならない。
「ローガン、態々貴方が物資を届けに来てくれなくてもいいんだよ?」
頬杖をついてエルフの青年は訪問者を見る。
「ちょっとした休憩、気分転換だ。それにここの茶は旨い。お茶請けも」
「ただの地産地消のお茶とクッキーだよ」
相手の取ろうとしたクッキーを横から掠めるようにして取る。一瞬ピクリと動いた指先はやがて別のクッキーを取っていった。
「『冒険者ギルド 深遠の森ダンジョン出張所』の補給物資搬送なんだから、業務内だ。それに」
木の実の入ったそれを1口齧る。
「若造に貴方の相手が務まるか」
そう、この小屋は深遠の森にあるダンジョンの入り口横に建っている。
そして冒険者ギルドの出張所として、一部業務とダンジョンの説明を行っている。当然、ユオはギルド職員という扱いになっている、が。
「就任歴200年のベテランでこのダンジョンの守人な貴方の」
ダンジョンの守人。
それはダンジョンに存在するダンジョンマスターの要望を聞き実行するのを第一とし、幾多のモンスターを内包するダンジョンの機嫌を損ねないようにする、ある意味ご機嫌伺いのような役割である。
ユオはこの『深遠の森ダンジョン』と呼ばれる岩山にポッカリ開いたダンジョンの守人でもあるのだ。
「至って普通にお茶は出来ると思うけど?君だってそうじゃない」
少し頬を膨らませてようやくお茶に口を付けるユオ。
「冒険者になりたての頃に師匠に連れられてきて、すっごくダンジョンをキラッキラした目で見てたの思い出すよ」
「そんな昔の事……。忘れて下さい」
「ムリ。あの後、クレスタにメッタメタにやられたのまでセットで覚えている」
「……そんな貴方の相方はどうしているんですか?」
はぁ、と溜め息をついて話題変換を図るローガンに、敢えてその話題に乗ってやろうとユオ。
「あの人、君に会いたくないから出てこないよ。声は聞いているだろうけどね」
「まだ根に持ってるんですか……。20年程前の話なのに」
「仕方がないよ。彼の感覚だと『まだ20年』だから」
以前、ローガンはギルド職員にスカウトされた際、冒険者を辞める事になった。
その時に彼は今日のようにここへ来て、ユオを最寄りの冒険者ギルドの重役に誘ったのだった。
結果はご覧の通り。
クレスタは静かに不機嫌になり、ユオが宥め、しばらく小屋から離れられない事件が発生した。
「本当だと、ギルドのグランドマスターになっていてもおかしくないのに」
「ダンジョンの守人はそんなに軽い仕事じゃないから」
判るでしょ、と少し悔しそうなローガンにユオは微笑む。
自分を評価してくれて有難い、とは思う。
けれど、ダンジョンの守人も重要な役割だ。それにユオ自身も離れたいとは思っていない。
「判っている。だからこそ、そんなダンジョンの守人を軽んじるのは、やはり許せないな……」
ギルドマスターが苛ついたような空気を出したため、エルフの青年は興味を示した。
「どうしたの?君が苛ついている、いや呆れている?ともかくそんな表情をするのは珍しい」
「ある冒険者パーティの事で」
最初から話すつもりだったのか、ギルドマスターは口を開いた。
「最近、ギルド内でダンジョンの守人を軽視している輩がいて、空気を乱している。『所詮ダンジョンのいいなりになっている弱者』とか言っているのを確認しています」
「あー、クレスタが荒れそうだねぇ。それで、襲撃とかしちゃうわけだ」
「恐らく、近い内に。エデンの奴にも伝えて3日後ここで待ち合わせしています」
エデンはローガンと同世代の腕利き現役冒険者だ。勿論、このダンジョンにも立ち寄った事があり、ユオも何度も顔を合わせている。
「エデンは久し振りだね。弟子を取ったって聞いたけど」
昔、ダンジョンで泣きべそをかいていた事を思い出しつつ、成長したなぁとユオはしみじみ思う。
「もともと弟子を見せにくる予定だったらしい。後、ダンジョンの体験にも」
ローガンがそう付け加えると、守人は綺麗に笑った。
「へぇ、楽しみだな」
その言葉がどれに対しての『楽しみ』なのかローガンは敢えて聞かなかった。
そしてその後も雑談をして、充分にお茶と休憩を堪能してからギルドマスターは自らの街へと帰っていった。
▲▼▲
雨が降っていた。
鉛色の空から地面を打ち据えるように。
森は白く煙り、地面はひどくぬかるんでいた。
そこを這いずるように進んでいたそれは、大きな岩の前でとうとう力尽きた。
濡れているにも拘わらず血と汚れで元の色が判らない毛髪、身には何とか身体を隠すだけのボロボロの布、靴は履いておらず、大きな火傷があり絶えず出血をしていた。
体温の低下も起こっているのだろう、倒れても小刻みに震えていた。
このまま眠って、目覚めなくなるのだろうか。
地面に溜まった水に自分の血がジワリと滲んでいくのを掠れた視界でぼんやりと見ながら、それは思った。
ああ、ああ……、 なぜ、 こんなにも。
「おい」
その声は雨の音に遮られずにそれの耳に届いた。低い、大地の唸るような声。
少し目線を上げると、岩にポッカリと開いた穴から褐色の肌の男がこちらを見下ろしていた。
「お前、生きたいか?」
それは酷な質問だった。
以前の生活に戻りたくはないし、この状態で生きるのなら「はい」と答えたくはない。
ぼんやりとした頭で考える。
だけど、だけれども。
視線をそちらに向けると、濡れたように輝く漆黒。
「い、きた……い……」
その言葉が口に出た。
声が出る器官が傷付いているのか、嗄れ、声という程音にならなかったが、確かにそう言った。
ああ、自分は生きたいのか。
喉からせり上がる何かを吐き出しながら、ようやく自分の望みを知る。
でもきっと、それは、叶わない。
あれらと同じように地面で動かなくなる。
目を閉じる。
温度が失くなっていく。
ただ、大地に溶けていくのかもしれないと思うと、口が引き吊るように少しだけ上がった。
その時、ふわりと浮いた気がした。
そして何かを押し付けられる。
「だったら生きろ。私を楽しませるために」
目を開けた先は見慣れた本棚だった。
暗闇に沈む室内。しかし自分の部屋だという事は見えなくても判る。
「ユオ」
そこに掛けられるあの時よりも少しだけ感情の乗った声。
本棚から目を離すと、すぐ傍にあの時見上げたブラックオニキスの瞳。
カーテン越しの外はまだ暗い。
「魘されていた」
「……あの時の夢を。師匠の話を、聞いたからかな……」
闇の中でも輝いて見える白金色の髪を気怠げに掻き上げ、天井を見る。
ユオはあの時、クレスタに助けられた。
言葉にすればそれだけだったが、2人にとっては何もかもが変わった瞬間だった。
「あの時、クレスタに会えてよかった」
「……まだ日の出は遠い。寝ていろ」
そっと壊れ物を扱うかのような手付きで、その白金色の髪を撫でた。そしてベッドに投げ出された白い手を取り、上掛けの中へと戻す。
夜明け前のような星の散らされた瞳を手で覆えば、少しだけ笑った気配がした。
「好きだよ、クレスタ」
眠気を纏った言葉が吐息のように告げられる。
「いま、とても……」
クレスタと呼ばれるものは、自らの愛し子の胸が規則正しく上下する様をじっと見ていた。
この姿はこの子のためのもの。
この名前もこの子が付けたもの。
そう思い出す度、無いはずの心が沸き立つ。
彼は気がついた時にはダンジョンの核と共にあった。
何時からいたのかなんて、考えた事がなかった。それがダンジョンマスターという存在なのだと世界の知識で知っていたから。
ずっとずっとそうしていた。
ダンジョンに来る人物たちを観察しながら、世界の知識を辿り、時にダンジョンを整える事をぼんやりと続けていた。
それに何の感慨も覚えなかった。
あの日、朝から雨だった。
コアまでは当然届かないが、ダンジョン入り口付近が湿気るようで彼は雨が好きではない。
来客もなく、する事もなかった彼はダンジョンの入り口から空を見上げていた。
針のように見える雨が次から次へと地面に刺さっていく。実際には刺さらず、パシャリと跳ねて消えていく。
それをただ見ていた。
気がついた時、それは酷い血臭と大火の気配を伴ってそこにいた。
汚れた髪から見える耳は尖っており、エルフか、と事実だけの感想を浮かべた。
確か森の離れた所にはエルフの里があったはずだ。世界の知識を引っ張り出す。
相手に合わせて身体がエルフのように変化する。色は大地の眷属を示す暗い色のままだったが、間違いなく耳は尖っていた。
動けないはずのそれが動こうと手をゆっくりと伸ばす。少しだけ動いて水の浮いた地面にまた落ちた。
何故、そこまでするのか。
彼は少しだけ興味を持った。
ダンジョンの中でもこういう場面に出くわす時がある。
自分より強いモンスターに襲われた時、死を感じさせる罠が迫り来る時、彼らは必死に何かにすがろうとする。
理由を聞いてみよう、と彼は戯れに思った。
ダンジョン内では聞く時間なんて無いから。
そして一言、口に出した。
「おい」
それの目が彼を探して上を向く。
「お前、生きたいか?」
それは一瞬躊躇ったように感じた。
視線が彼の目と合う。
それの目は極上の宝石だった。
死の淵に立たされてもなお、星を散らした夜明け前の空は何かを渇望していた。
もっと見ていたい。
彼は存在を持ってから、初めて何かを欲した。
「いきたい」
雨音に遮られるはずの声なのに、その答えは容易く彼の耳に入ってきた。
そして体力の限界か瞳が閉じられた。
あれが見られなくなるのか。
その思考に嫌だと思ってしまった。
自分の領域ギリギリにあるそれを包み込むように抱き上げる。腕とは便利なものだ。
そして転送してきたダンジョンの核の欠片をそれの首元に押し付けた。
「だったら生きろ。私を楽しませるために」
ずぶりと少しの抵抗と共に入っていく己の半身。
消えそうな命の灯火を繋ぎ止めるにはこの方法しかなかった。自らの力を分け与える事しか。
そのまま身動ぎもしないそれを抱いてダンジョンに入る。
近くに泉を出現させ、魔力を含むその水を人肌くらいに温める。
人は体温が下がると死んでしまうと識っていた。
戸惑いもなくそこに浸かっていく。
回復の泉、と人間たちが呼んでいる水は体の組織を修復する。彼はそれを支えたまま水に浮かべた。
傷は良くなるだろう。でもこの先は?
流れた血は戻らない。
自分は存在出来るこの空間は生物が住むには適していない。
モンスターもいる。
服は?食料は?
人などダンジョンに挑みにきた者たちしか知らない。況してやこのように小さいものは初めてだ。考える事が多い。
その時、ふとそれが目を開けた。
視点の定まらないそれは彼を見つけて安堵するように細められた。
そしてまた見えなくなった。
とりあえず休ませなければ。
彼は世界の知識を引き出しながら、それの汚れた顔を撫でた。
その奇跡的な来客があったのは、それから5日後のようやく地面が乾いてきた頃だった。
滅多に人のこない深遠の森のさらにダンジョンの前を通りかかるなど、よっぽどの事がない限り無い。
会話を盗み聞くに、エルフの里の火災現場の救援を行っていたらしい。このまま街まで帰る予定と話している。
そこへ彼は姿を見せた。
急に現れたダークエルフのような出で立ちの彼に、そのパーティは武器を一瞬で構えた。レベルの高いパーティらしい。
逆に何の構えも無しに、彼はそのパーティへと声をかけた。
「頼みがある」
魔力が篭ったその声は、大地の唸るような音となる。
その声にハッとなったのはパーティにいたエルフの女だった。
彼が奇跡的、と思ったのはその女がいたからだ。同族の方がいろいろ都合がいいはず。
「ダンジョンマスターだ」
小声で彼女が仲間に武器を下ろすように言うのを見ながら、あれの事を思う。
あれが同族を拒否をするなら追い出せばいい。
「付いて来い」
それだけ言うと彼は彼らに背を向けた。斬りかかってこようと逃げられようと彼にはどうとでも出来るのだから。
黙って付いてくるのを肌で感じる。
入り口から歩いてすぐ。
そこは緑豊かな広場になっていた。
回復の泉をそのままに、まるで春の林の中ようなフロア。
季節に関係なくたわわに果実の実る樹木、そのまま食べられる葉物野菜やさまざまなランクの薬草、甘い蜜の出る花。
モンスターは締め出されているのか出てこず、まるでこの世の楽園かくもやという光景が広がっていた。
ただ、流石に普通の生物は管轄外なのか全く動くものはなかった。
そのフロアの入り口で驚愕に足を取られる冒険者一行を気にするでもなく、彼は一際大きな木に近付く。
そこには人が寝そべるには少し小さなうろが口を開けていた。その中には沢山の枯れ葉が敷かれており、何かが住んでいるような気配がある。
「おいで」
そこに手を差し入れると、彼はそれを抱き上げた。
ようやく追い付いたパーティが見たものは、ダンジョンマスターに抱かれた小さな子供だった。
髪は元の色が何となく判る程度に汚れていたし、着ているものもボロボロ。怪我はない様だが熱が出ているようで顔が赤く、苦しそうな息をしていた。
そして目につくエルフ特有の尖った耳。
「この子は?」
意を決したパーティのリーダーらしき男が褐色の男に聞いた。
「拾った」
彼は簡潔に答えた。
エルフの里で火事があった事は知っている。犯人も動機も判っている。だけど、これとは何の関係も無い事だ。
「人ではない私には限界がある。これの世話を頼みたい」
うっすらと開けられた目をじっと見ながら、彼は初めて人にものを頼んだ。
一方、頼まれた冒険者たちは驚いていた。
ダンジョンマスターはダンジョンの中において法である。
何でも出来るし、意のままにダンジョンを変えられる。
こうして言葉を交わすのも稀な体験ならば、頼み事をされるのはもっと有り得ない事。
それ専用に『ダンジョンの守人』なる役割はあるが、無理難題を言われたり人を見下したような命令が多いらしい。
例が少なすぎて、それくらいしか判らない、というのもあるが。
それにダンジョンマスターが生まれる程のダンジョンだ。かなりの年月が経っているに違いなかった。
そんな存在が頼み事。
しかも大事そうに抱えた子供の世話。
「ほ、報酬は?」
リーダーは何とか衝撃を飲み込み、冒険者らしく聞いた。
「ふむ、冒険者への依頼は対価が必要だったな」
それの顔にかかる髪を避けながら、彼は考えた。
「では知識を。エルフの里で起こった大火についてなら何でも答えよう」
報酬なんて何を言い出すのか、という仲間たちの非難の視線がリーダーの男に刺さる中、彼は平然と答えた。
その後、それが離れるのを嫌がったり、それの首元のダンジョンコアに大騒ぎしたりしたが、彼らはちゃんと面倒を見てくれた。
それがようやく元気になった頃、彼とそれはお互いに名前を贈りあった。
エルフの里でそれは名前も付けられずに育ったらしい。
目が、彼のお気に入りの目が『魔眼』だったがために。
エルフの目は精霊を目視するための『精霊視』なのだ。それがなく、色も暗く見知らぬ力の目を持っている。
それだけで閉鎖的なエルフの里では畏怖されたのだ。
それを聞いて彼は、里が滅んで当然だったのではないかと少しの嫌悪と共に思った。
彼はそれに『クレスタ』という名前をもらった。
それ、改め通称『ユオ』だけが呼べる『ユオ』だけの名前。
今でもクレスタはユオ以外には呼ばせた事はない。
そして名前を付け合ったユオは冒険者について街まで行く事になっていた。
エルフとしての知識と戦闘能力を身に付けるためだ。
彼ら曰く「ダンジョンマスターの愛し子だというだけで狙われる」との事。
エルフも人攫いに遭う程には希少種族なので、重要性は極めて高かった。
エルフの知識はこのパーティのエルフ――後にユオに『師匠』と呼ばれる現在の冒険者ギルドのグランドマスター――に教わる事になっているので、それなりに信用している。
でも、その子と離れるというのは別だった。
何かあれば、ダンジョンコアを通して判るが、自分の手の届かない何も出来ないというのは未経験だった。
これが恐ろしい、という感情なのか、と納得する。
なるほど、嫌な感情だ。
「いってくるよ、クレスタ。ボクがあなたのそばにいられるように」
そう言って抱きつかれたのが、昨日のように思い出せる。
そう言ってくれて、多分嬉しかったのだと思う。
帰って来ないかもしれない、とよぎった事もあったが、その子はちゃんと帰ってきた。
薄汚れた姿ではなく、首元を隠すようなゆったりとした服に白金色の髪を靡かせて。
▲▼▲
ユオは森から機嫌良く帰ってきた。
籠にはいっぱいの薬草やキノコ、木の実が入っている。
クレスタに頼むのもいいけれど、ダンジョンを使うと反動でモンスターが生まれたりするからだ。ダンジョンの守人がダンジョンのバランスを崩すのは本末転倒である。
あれから3日。
来客は特になく、いつも通りの日常を送っていた。
今日もエルフに伝わる薬を作ろうと材料になる自然の恵みとちょっとのおやつを集めてきたところだ。
そろそろエデンたちも来る頃だし、とユオはウキウキしていた。
木苺があったし、ケーキでも焼こうかな。
そう小屋のある広場に足を踏み入れた時だった。
「何かご用かな」
ユオは反対側の森から現れた一団に声をかけた。
そこから現れたのは2パーティ12人。
身形は冒険者だけれども、ダンジョンに挑みにきた気配も素材の換金に訪れたわけでもなさそうだ。
これは確実に黒だな、とユオは手にした籠を下に置いた。
「クレスタ、回収お願い」
そう呟くと、反対の手に持っていた木の枝を模した杖を持ち直す。
そして一歩踏み出す。
「ここは冒険者ギルド 深遠の森ダンジョン出張所です」
一応ギルド職員としての職務を遂行してみる。スマイルはタダである。
「何かご用でしょうか」
重ねて伺いの言葉を口にする。
ただでさえ芸術品のような美人が微笑みかける、そんな事実は性別を越えて彼らを魅了した。
はたり、と止まった時間をユオはのんびりと待つ。いつもの事だ。
「ダンジョンについて聞きたいんだけど」
しばらくしてニヤニヤしだした彼らの中で中堅どころだろう男が要望を出した。
「ダンジョンの説明でございますね。当ダンジョンは初、中級となっております」
彼らが頭の中で何を考えているのか想像がつくユオは内心溜め息をつく。
どうせ、弱いから力で屈服させた後、輪淫そうとか考えているんでしょ。クレスタがまた機嫌悪くなりそう。
形のいい眉が少しだけ下がる。
「アンタ、『ダンジョンの守人』だろう?」
その言葉に周りの者たちが歯を見せて嗤う。
まだダンジョンの説明していないんだけど、と思いつつユオは彼らを見つめた。
『魔法が2、弓が3、斧、大剣、盾2、短剣2、剣士。該当あり』
レベル大した事ないなぁ。
一応、森に入ってこられる実力はあるんだろうけど。
ユオは別の事を考えながら、彼に応じる。
「そうですが、何か問題が?」
「守人って名ばかりで、ダンジョンの使いっぱしりって聞いたんだけどさぁ、オレたちの用事も聞いちゃくれないか?」
「当出張所はクエストの斡旋は行っておりません」
あくまでもギルド職員を続けるユオ。少し面白がっているが顔には出さない。
「ダンジョンのお宝をちょいと分けてほしいのよ」
「高級な素材も貯め込んでいるんだろう?」
「それでしたらダンジョンに挑んでは如何でしょうか。素材の買い取りはしておりますが、売却は行っておりません。支部の方へお願いします」
にこやかにかわすエルフに冒険者たちが苛立ちを隠せなくなってきた。
もともとチンピラに近い者たちだ。沸点は低い。
「有り金とアイテム全部寄越せって言ってんだよ!」
「ダンジョンに行くよりうまそうだよ、アンタ」
「痛い目みたいのか、テメー!」
「冒険者舐めてんじゃねーぞ、オラァ」
恫喝に近い言葉が次々とかけられるが、見かけによらずそんなものには慣れているユオは微笑みを崩さない。
彼らがいる斜め後ろの茂みをちらりと見てから、手を1つ打った。
声が途切れたところでユオは聞き分けのない子供に言い聞かせるように彼らに聞いた。
「結局何がしたいのです、貴方たちは」
「宝を寄越せ!ダンジョンなんかに使われているお前が悪い!!」
「お断りします」
「こんな所に1人でいるんだ、襲われても文句ねぇよなぁ!」
平行線を辿りそうな言葉に、頭悪いなぁと思いながらユオはやれやれと言うように頭を振った。
「じゃあ、冒険者の流儀に乗っ取って言っちゃおうかな。『つべこべ言わずにかかってこいよ、この××野郎』ってね」
穏やかなまま告げられた言葉は、その奇跡のような美貌から出るとは思えない煽り言葉だった。
数秒の沈黙。
その隙にユオは指でちょいちょいと挑発も入れておいた。その動作はやたら手慣れている。
何を言われ何をされたのか、ようやく理解した冒険者一団は口々に罵倒を叫びながらそれぞれ武器を構え、飛び掛かってきた。
「反応が遅いよ、まったく」
ユオは彼らに酷評を下しながら、手にした杖を前に突き出した。
杖にある木の実のようにあしらわれた赤い宝石が光を放つ。
それに応じるように地面から盛り上がった木の根が飛んできた矢、続けて魔法、そして接近武器の男たちを凪払う。
ユオは精霊を視る事が出来る『精霊視』は持っていない。しかし、精霊は視えなくとも魔法は使えるのだ。
木の根は更に彼らの背後からも地を割って現れ、後衛の魔法使いたちと弓使いたちの足下を払った。そして蔓が木から伸びて拘束する。
「後衛から狙うのって定石だよね。何で守らないかなぁ」
飛んできたナイフを杖で払う。
「ダメダメだから、こんな事しているんだね、きっと」
剣士の素早い突きを逆に杖から出した魔弾で押し返す。
その隙に接近していた斧持ちの戦士の大振りを避け、頭上を飛び越える。そして背後を蹴り付けて着地。
「だったらボクが」
ユオの前に立ち塞がるように立つ盾持ちと大剣持ちの戦士に妖艶に笑う。
「教えてあげる、……差っていうものを」
杖のヘッドに手をかけた次の瞬間、全ての動作が終わっていた。
何があったのか判らないまま目を見開いて倒れる冒険者2人。
「ああ、お礼はいいよ。これもギルド職員の務めってヤツだから」
杖のヘッドを握ったまま、残った短剣2人とそれを隠すように立つ盾持ち冒険者に向き直る。倒れた3人を木の根で拘束するのも忘れない。
「話が違うじゃねーか!」
盾持ちが短剣の片方に怒鳴る。
「オレに言うなよ!誰だよ、弱いって言ったの!!」
「言っておくけどね」
ユオが踏み出す。
「ダンジョンなんかにって言うけど、ダンジョンに恐れてボクに襲いかかってくる人にそれをいう資格なんてないよね。
特に、そこのダンジョンから逃げ出したクレーベルくん?」
「な!?」
突然、名前を呼ばれた事で短剣使いの片方が驚きの声を上げる。
「覚えてるよ、昔、仲のいい5人組でここに来た時の事。「ダンジョンでオレたちの伝説が始まるんだ!」とか言っちゃって意気揚々と入っていった割に3時間で帰ってきちゃうんだもの。他の4人が困惑していたよ。「あいつが一番自信満々だったのに」って」
それは約15年ほど前のエピソードであった。
ちなみに残った4人は未だにパーティを組んでいる、名の知れた冒険者だ。
そう、在任期間200年程のユオは、ダンジョンに訪れた人たちのエピソード(主に恥ずかしい過去)をいつまでも覚えている。
そして暴露する。
「薄情者にはピッタリの末路だね」
「黙れ!この野郎!!」
走り出そうとして転ける。足を見ると何時の間にか木の根が絡み付いていた。
「喋っている間も油断しない事。話を待ってくれるなんて絵本の中だけだよ」
杖を水平に振ると衝撃波が生まれ、3人を吹き飛ばす。
そしてその杖の勢いそのままに1回転をする。
背後には魔弾を受けた剣士。その脇腹を打ち据える。
「君はまあまあかな」
クレーベルくん他3人を飛ばした方向に蹴り入れる。その方向はダンジョンが口を開けて待っていた。
拘束した他のメンバーもおざなりにその中に投げ入れる。
そして、
「反省したらいいよ。入り口封鎖」
ユオが口に出した瞬間だった。
ガキンッと金属同士を打ち鳴らした音が静かになった広場に響いた。
「エデン」
瞬時に振り向いたユオの正面には、体格のいい壮年の冒険者。
彼との間には襲撃者の剣と、ユオの杖から少し覗いた刀身。
「何?君も一太刀受けたいの?」
「是非とも」
カラカラ笑って剣を引くのは、待ち人であるエデンだった。
ボサボサのブロンズの髪には白髪が混じり、無精髭が生えているが、まだまだ現役と示すように活力に溢れていた。
「暴風のエデン!?」
いつの間にか鍾乳洞のような形の岩が上から下から出現し、鉄格子のようになった入り口でダンジョンに落とした誰かが叫んだ。
ユオはさっと杖を元に戻す。
「さっきも言ったけど、気付くのが遅い。結構前からいたのに」
ローガンから話を聞いたのなら、尾行くらいする。そういう人物だ、エデンは。
つまり、彼等はずっと見張られていた事になる。
守人は入り口から少し離れ、二つ名持ちの壮年の冒険者と相対する。
「君も懲りないね」
「実力を計るのに丁度いいもので」
「ステータス鑑定するよ?有料だけど」
「オレには実戦が合ってるんで」
「はあ、判った。心配させちゃうから1合だけだよ」
腰を落とし、すっと杖のヘッドに白い手を滑らせる。それにエデンは嬉々として剣を構えた。
ヒュッと音がしたのとほぼ同時にキィンと剣が打ち合わさった音も聞こえ、また静かになった。
「まだ少し反応が遅いね」
ユオがポツリと言うと、エデンが「だよなー」と脱力した。受けた本人が一番判っていると事なのだろう。
「ユオの『抜刀術』に勝てる日が来んのかね」
「君次第じゃない?ボクも怠るつもりないけど」
ユオの木の枝を模した杖は仕込み杖である。師匠のパーティ仕込みのユオの剣の腕は長年の経験もあり、かなりのものだ。
実はエルフにも関わらず、魔法よりも剣を得意としている。
エルフが弓と魔法しか使えないとか偏見だ、とユオは常々思っている。
「それより、呼んであげたら?弟子なんでしょう」
冒険者たちのいた斜め後ろの茂みを視界の隅に収めながら、剣を納めているエデンに言った。
忘れていた、と慌てて同行者を呼びに行く彼を放って、ユオは再びダンジョンの入り口に目を向ける。
「って事で、ボクはそれなりに強いよ。一応、冒険者登録もしてる」
微笑んでみせると、彼らは目を逸らした。
目が合うと攻撃を仕掛けられるとでも思っているのだろうか。野良猫か。
そんな冒険者が床に沈み始めた。急にそこが底無し沼になったかのように。
そのあり得ない現象に彼らは叫ぶ。
「彼らには、前に言っていた罰が相応しいと思うのだが」
今まで黙って見ていた様子のクレスタの声だけがした。
「ふふっ、そうだね。お願い出来る?」
その声に笑ってGOサインを出す守人。
どうやら彼も少しばかり怒ってくれたらしい。
泣きわめいていた冒険者たちがいなくなると、ダンジョンマスターは姿を現した。
そして肩や腕をペタペタと触り始める。
「怪我はないか」
「大丈夫。こう見えても貴方の守人なんだから」
ユオはそんなクレスタの手にそっと自分の手を添える。
そしてじっと見てくる彼に視線を合わせる。
「だからね、ちゃんと守らせて」
「我が守人は仕事熱心だな」
「あー!人が増えてる!?」
そこに響く元気の良い声。
そちらを見ると、苦笑したエデンを従えやってくる腕白小僧を絵に描いたような少年。
見るからに初心者に毛が生えた程度の冒険者だ。
「こら、先に挨拶」
エデンが師匠風を吹かせて注意する。
いきなり斬りかかって来た人に言われても、とユオは形の良い眉を下げた。
「はじめまして、美人さん。オレ、強くなるんでパーティ組んでくれませんか」
「こら」
やっぱり師匠も師匠なら弟子も弟子だったようだ。
「業務があるから無理だけど、そうだなぁ……」
ユオは考える素振りをしてから微笑んだ。
「ここのダンジョンをソロでクリア出来るようになったら考えるよ」
「ダリオ」
突然の難易度の高い要求に、硬直した少年の肩に師匠は手を置く。
「この人はな、ダンジョンの守人であると同時に『幻閃』とも呼ばれていてな」
「恥ずかしい呼び名を出してきたね」
少し視線を逸らし、赤くなる美貌のエルフ。杖をキュッと握る様は庇護欲をそそられる。
「1日でダンジョン周回出来る方だぞ。ソロで」
暴風と冠された壮年の冒険者は肩を竦めた。庇護欲どころの話ではなかった。
「ダンジョンの守人なんだから、最下層まで自力で行けないと仕事にならないよ」
それははにかみながら言う事ではない。
「げ、『幻閃』って!うわ、噂を、聞いた事はあったけど!?」
思わずダリオ少年もどもる。
「グランドマスター アンゼリカのパーティに鍛えられているから、さっきみたいな阿呆には勝ち目ないぞ」
アンゼリカはあの時、クレスタが頼ったエルフの女傑である。
数々の依頼をこなし、数多のダンジョンを攻略したそのメンバーは、今では伝説的なパーティと言われている。
そのメンバーと行動を共にし、いろいろ教わったユオは彼らの後継者とも言える存在。
あれから200年経とうが伝説は生きたままなのである。
「それにそこのダンジョンマスターが容赦しねぇ。ローガンがよくボロボロにされた……」
「ローガンって、コーネンスの町の最強ギルマスじゃないっすか」
と言ったダリオは、ん?と思った。
あれ?今、ダンジョンマスターって言った?
「通常に少しレベルの高いものを混ぜただけだ」
「そんな事していたんだ。伸び代って見ていて楽しいよね」
無表情の褐色の青年と朗らかに笑うエルフの穏やかな会話に、彼らは戦慄した。
エデンは当時のアレコレを知っている。
ダリオは彼らの『少し』が少しどころじゃない事を察した。
「……まあ、ともかく、ここにいるといろいろ強くなれるのは間違いない」
壮年の冒険者は言いたい事を凝縮してその一言にした。
それに思い出したかのようにユオが手を叩いた。
「そうだ。ダンジョンの体験に来たんだったよね?今はあの人たちお仕置き中で入れないから、ダンジョンの説明をするよ」
そう言って、小屋へと歩き出す。
「木苺あるから摘まみながら話そう」
「お仕置き中って何してんだ?」
エデンが至ってペースを崩さないユオに聞いた。
「最下層体験ツアーだよ。最下層の格子の中からダンジョンの様子とモンスターが見られるの。攻撃は当たらないようになっているから安全!」
いい笑顔で告げるユオに「ブレスは通るかもな」とボソッと呟くダンジョンマスター。
何の準備も無しに連れていかれる最下層。シャレにならない。
「やだなぁ、ローガンが来たらちゃんと引き渡すよ」
正直ドン引きしている師弟に苦笑を漏らす。しかしそれはすぐに引っ込められた。
「でも、まあ、ボクの守るダンジョンを甘く見られたくはない、よね」
ふわりと白金色の髪が揺れ、深いラピスラズリの魔眼が細められる。
「ほら、お茶を淹れるから、入って入って」
気持ちを切り換えて、扉を開け2人を小屋に招き入れる。
こういう時、エデンは遠慮しないのをよく知っているから、気が楽だ。
そうして2人が小屋に入り、自分も入ろうとした時、後ろからクレスタがユオの手を引き胸に閉じ込め、その目を隠す。
そして、幼子に言うようにゆっくりと言葉を口にする。
「それは私も同じ事だ。私の守人ユフェルティオ」
それにユオはくすぐったそうに笑った。
結局、冒険者パーティは後でやってきたローガンに連行されました。
ブレスは吐かれなかったそうですが、チビったようです。
クレスタが嫌がるよ。
ユオは師匠がいるから比較対象がおかしい事になっています。
活動報告におまけを掲載しました。
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