19話 乙比野杏佳
元・人気アイドルの古竹未兎の電撃ストリッパーデビュー――劇場の盗撮動画は間違いなく松塚陣営に渡っている。ならば、もう隠すことに意味はない。
だが――
「……なんか、ゴメン。後から入ってきて、こんな」
「いンやいや、未兎ちゃん大人気だすからねぇ」
花子の褒め言葉に悪意はないが、未兎としては心苦しい。自身が社会的に注目されていることは未兎も認識している。が、せめてチームの中では特別扱いしてほしくない。それを察して何気なく接してくれているメンバーも増えている。が、アイドルや芸能界に対して憧れを持っていた者にとっては、やはり古竹未兎は、古竹未兎なのである。彼女としては、あまり人気について触れてほしくはない。とはいえ実際のところ、このTRKプロジェクト内でも絶大な数の観客を動員していることは事実なので、それは甘んじて受け止める。
しかし、こちらはもう少しどうにかならないものか。
「未兎…………がカバーしていただけ……くれるのならッ! あたし……もう……ッ!」
同じユニットの仲間なのだから、と未兎から『さん』付け“しない”よう、敬語を“使わない”よう、特に堅苦しいまこは直接“厳命”されている。まことしても頑張って抑えてはいるのだが――幼少の頃よりアイドルに憧れ、目指してきた世界の最前線に立っていた人物に対する敬意は他の者たちとは比べ物にならない。憧れどころか雲の上だと眺めていた相手が自分に対して親しげどころか頭を下げようとしているのである。光栄すぎて、直視できない。もっとも、直視できないのは未兎の姿がラフ過ぎるということもあるのだが。ラフというか、素っ裸のまま首からヘッドフォンだけを下げている。どうやら、デビューの際のカーテンコール――みんな生まれたままで、みんな一緒――それが気に入ったらしい。加えて、控室では趣味や怠慢などで少なからぬ女子たちが全裸でうろついている。ならば、自分も全裸の方が溶け込めるのではないか、と考えてのこともあるようだ。しかし、そんな未兎の前で、自分だけが服を着るわけには――とまこもまた自縄自縛の全裸を強いられていることに気づいている者はあまりいない。なお、花子はカラオケボックスの制服のレディスーツである。彼女の私服はベージュやブラウンが多く、本人は気にしていないがあまり映えない。ゆえに、周囲からこの服装を勧められているようだ。
未兎のヘッドフォンから漏れ流れているのは、彼女がアイドル時代に唯一作詞作曲した自分の著作物。そのタイトルが『裸になりたい』なのだから、因果なものであり、そして――ここへ流れ着いたことは運命なのかも、と感じていた。この劇場での初ライブ――特別出演の際は版権曲を披露してしまったが、ここから先はそうもいかない。唯一残された自作曲と、TRKメンバーのために作成された楽曲のカバー、そして、新曲の準備にも取り掛かっているものの――
「あっ、プロデューサーっ」
彼が秘書の霞と共に打ち合わせから戻ってきたことで、待ちわびていた未兎はふたりのもとへと駆け寄る。しかし、彼らの表情は芳しいものではない。それを見て、未兎も表情を曇らせる。
「……ごめんなさい、アタシの所為で、また……」
「いえ、古竹さんには何ら落ち度はありません」
『萩名の乱』にて名を馳せてからは一日中何かしらの営業が入っていたというのに、いまでは腫れ物扱いの門前払い。この塩対応は、まるで設立当時に戻ってしまったかのようだ。さらには、松塚芸能からの報復を恐れて、作詞作曲さえ受け付けてもらえない。CDやブロマイド等はきっと桁外れに売れることだろう。だが、残念ながら量産体制の目処が立たない。
そんな営業面での閉塞感とは裏腹に、劇場は連日大賑わいである。ただし、誰もの目当ては古竹未兎ただひとり。予想していた事態ではあるのだが。予想した上で――未兎は、他のメンバーと等しく扱ってもらえることを望んでいる。ゆえに、あえて通常通りのローテーションに加えたい、とプロデューサーは提案した。が、霞によって、秒速で却下された。むしろ、未兎からもあまり無理をするなと窘められたほどである。
未兎を加えると決めた時点から、霞はすでに手を打っていた。これまでの経験上、必要になるサーバーのスペックも把握しており、そちらは松塚芸能の手が及ばない海外に。そして、未兎と他のメンバーの出演日をきっちり分けること。これならば、未兎に群がる一見客によってこれまでのファンが煽りを受けることもない。しかし、メンバーの公演スケジュールは大幅に乱れてしまった。未兎は、まこたちの出番を実質奪ってしまったような形になってしまったことを申し訳なく感じている。
とはいえ、未兎が仲間たちの持ち歌をカバーすることで――どちらかというと、劇場ロビーで販売されているブロマイドの訴求力の方が大きいのかもしれないが――他のメンバーたちに会うために未兎の出演していない公演日の申込者数も増えてきた。
ゆえに、少しずつでも。
「ところで、蒼泉さん」
プロデューサーは、先日打診していた件を歩に問う。
「あ、うん。大丈夫だよ。……ね、未兎ちゃん」
控室ゆえに、歩は全裸――全裸であれば、相手が里美であろうと、未兎であろうと物怖じしない。そして、そんな歩に未兎は微笑み返す。少しずつでも、このユニットに馴染めてきていることを実感して。
「曲は、歩のをふたりで分ける形になりそうだけど」
もし未兎と共に舞台に上がれるとしたら、やはり歩しかいない、と彼だけでなく、誰もが考えていた。
「では、高林さん。最短だと……」
公演スケジュールの調整は秘書に一任している。そして、霞の方でも抜かりはない。
「一週間後ですね。システムもすぐに対応できます」
こうやって少しずつ、未兎公演日に他のメンバーも絡ませていく――そしていつかは、みんなと同じように。ただ、未兎自身もわかっていた。この熱気はあくまで瞬間的な話題性。一度は自分の裸を見ておきたいだけなのだろう、と。なので。
「早速おふたりのユニット名を告知したいのですが」
霞からの確認は何気ないものだった。しかし、未兎はそこから目をそらす。いまはこうして、劇場に貢献できているから良い。けれど、人々も飽きて集客できず――松塚からの圧力で劇場運営にも迷惑を掛け――そうなったら、アタシは――この先を思うと、不安が押し寄せてくる。
自分たちに名前をつけることが。
名前をつけたものを手放さなければならない日が来ることが。
それでも。
「うんっ、もちろんだよ」
陰を落とす未兎を励ますべく、歩は隣から彼女をぎゅっと抱く。全裸で、全裸を。未兎はアイドル時代、男っ気のないキャラを演じていたため、必然的に女子との絡みが多かった。けれど――さすがに裸はない。これには若干引いてしまうが――歩に悪意はないようだし、このユニットはそういう要素も多いので、慣れていった方がいいのかな、と苦笑いで応えている。だが実際、多少の元気はもらえたらしい。
「|Undresstart……ってゆーんだけど、どーかな」
「え? え? どういう意味?」
と、話に入ってくるのはまこ。彼女にとって、憧れの(元)スターの新ユニットである。他の誰よりも楽しみにして聞き耳を立てていたが、その字面がイメージできない。
「フフっ、造語だよっ。略称はドレスタ、でいっかな」
歩からの解説を受けても、まこは未だ正解を求めて思案している。だが、プロデューサーはその単語の意味をすぐに理解した。
「それは、つまり……」
UndressとStartを合わせたのだろう。ストリップとは、徐々に脱いでいくショーではあるが、歩は裸になるまで本当の実力を発揮することができない。
だからこそ――
「……わかりました。それでは、来週より古竹さんの枠は一部ドレスタにて……如何です?」
「はい、問題ありません。あとはユニット名を登録するだけです」
唄いながら脱いでいく――霞にとって、それはあくまでプロデューサーからの要件のひとつだ。ゆえに依頼主が許容するのであれば、UndressでStartすることに、彼女自身が思うことは特にない。むしろ、ストリップ仕様の新規振り付けの用意できない未兎と、『全裸限定天才アイドル』と呼ばれる歩――ふたりにとって、最良の選択のように思えた。そして、それはプロデューサーにも。あのふたつの強烈な<スポットライト>をかけ合わせたら一体どうなってしまうのか――きっとそれは、想像を絶するステージとなるだろう。そして、その輝きを人々に届けることこそ、自分の務めなのだろう、と確信していた。
そこに。
「プロデューサーさん、お電話ですよ」
霞は戻ってきたばかりだったため、代わりに春奈が応対してくれたようだ。きちんと学生服をまとってくれる彼女に、彼は少しだけほっとする。ただ――この情勢に、自らからコンタクトを取ってくるとは珍しい。ゆえに、相手の名も聞かずに応対しようとする責任者を秘書が先んじて制する。
「誰からかしら?」
プロデューサーには、プロデューサーとしての本分を成してもらわなくてはならない。周辺の雑務は自分の領分である――というのが霞の意図だったが――
「あ、男の人ですよ」
春奈の方は、例によって、プロデューサーは女性に弱いから、と解釈していた。
「えーと……テレビホープの蛯川……って人みたいですけど」
プロデューサーのことも君付けで呼んでいたし、知り合いなのかな、と春奈は素朴に捉えていた。
しかし。
「テレビホープの……蛯川……局長……ッ!?」
大手のイベント運営会社に務めていた霞は、その名を重々承知している。そのような人物が事務所の電話に直接つないできたことに、彼女は驚きを隠せない。
そして、プロデューサーもまた。ただし、別の理由で。
「エビ……さん……っ!?」
珍しい名字なので忘れることはなかった。前に会ったのは、もう一〇年近く前だというのに。
***
テレビホープとは、二十一世紀末現在残されている三つのキー局のひとつである。
「プロデューサーが、蛯川社長とお知り合いとは……何故早くお話していただけなかったのですか」
それを知っていれば、もっと手の打ちようがあったはずなのに――しっかりした高層階行きエレベーターで運ばれながら、霞は上長の迂闊さに苦言を呈する。
「……まさか、エビさんがテレビ局の局長になっていたとは思わず……すいません」
架電にて指定されたのは翌日の早朝七時――当然、営業時間外である。そんな頃合いに面会をねじ込んでくるところからも、ふたりが単なる仕事上の関係ではないことは疑いようもない。しかし霞は、局ビルに入っても、最上階のフロアに足を踏み入れても、まだ半信半疑の様子だった。
それでも、本人と対面しては、もはや疑いようもない。ふたりは親と子ほど年齢が離れている。そんな彼らがどのような経緯で出会ったのか――霞はとても気になるが、プライベートのことなので自分から聞き出すようなことはしない。
「お久しぶりです、蛯川局長」
と、プロデューサーは一応の礼儀は示してみるも。
「いや、今日は局長としての面会ではないからな。エビさんでいい」
と、局長自身は言うが、髪の毛はしっかり固めているし、スーツにネクタイまで締めている。どう見ても業務の装いではないか、と霞は警戒していた。直接話したことはないものの――恰幅も良く堂々としており――時折、仕事中に現場で見かけた彼の姿と何ら変わらない。
ただ、局長ともなれば秘書が付き添うものだが、今日は警備員に案内された後は、扉を開けるところからすべて本人が応対している。応接机の緑茶まで。それに恐縮するような霞ではないが、非公式な雰囲気だけは感じていた。
各々がソファに座ると、早速プロデューサーは用件を尋ねる。
「ではエビさん、今日はどうしたのです?」
「確認してもらいたい動画があってな」
蛯川局長は、応接机の上に置いてあったリモコンでテレビモニタを操作する。すると――
「こっ、これは……ッ!」
映し出された映像に、プロデューサーも少し驚いた。古竹未兎が裸の胸を放り出してステージで踊り尽くしている――のは、もはや見慣れた光景。だが、これがいつ撮られたのかはっきりとわかる。何故ならば。
「これは、キミだね?」
画面が突然真っ暗になったと思えばグラグラと大きく揺れ、睨みつけるように男が覗き込んでくる。それは、まさにここにいる本人だった。
「はい、紛れもなく」
彼がエビさんと前に顔を合わせたのは小学生の頃だったが、迷うことなく正解に行き着いたらしい。一切の後ろめたさを感じさせない返答に、局長はふーーーーーぅ…………と極めて長い溜息をつく。
「キミが自ら、この業界に関わっていくとは思っていなかったよ」
「軽蔑、しますか?」
「個人的心情としてはな」
その率直さは、親しき仲ゆえのものか。
「とはいえ、法に則っている以上、私が止める筋合いもなかろうよ」
「恐縮です」
だからこそ、逆に。
「現在は、著作権的に問題ない楽曲にて運営しております。この当日は“イレギュラーな乱入”であったため、ご容赦いただけないでしょうか」
「予告しながら、イレギュラーか」
「不確定要素があまりにも多すぎましたので」
未兎がストリップ劇場で全裸になろうが、それは本人の意志である。だが、楽曲まではそうもいかない。写真どころか、音声付きの動画を撮影されたのは想定外だった。
この動画は、松塚芸能筋からテレビ局に流れてきたもの。だが、あまりにもスクープとして大きすぎたため、社長預かりとなっていた。
蛯川は規律に厳しい男はあるが、法の番人でも、奴隷でもない。
「……一先ずは、キミを信じよう」
仮に著作権料を請求したところで、この劇場の規模では大した金額にはならないし、常習化して開き直っているわけでもない。むしろ、この映像を暴露することに対する各所に対する損失と混乱の方が懸念される。これは、プロデューサーも想定していたこと。
ゆえに。
「ありがとうございます」
と社交辞令で頭を下げたところで。
「ですが……そのようなことを咎めるためにお呼びしたわけではないのでしょう?」
テレビ局の局長ともあろう者が、一支払事務のためにわざわざ問い合わせてくることなどありえない。
「無論だ」
この動画は、あくまで確認。かつて少年だった彼が、あの街に深く関わっているという。
「ときに……PAST……という音楽グループを存じているかな」
「! 何故エビさんがその名を……ッ!?」
「やはり、な。新歌舞伎町発のユニットだけに界隈も狭いか」
そして再び、ふーーーーーーぅ…………と長いため息をつく。その間に、プロデューサーは状況を整理していた。
「PASTは地上波進出を目指しておりましたし……もしや、エビさんのところにも挨拶に?」
彼女たちが番組出演への足がかりとするために局長と接触していても不思議ではない。天然カラーズ自体はブラウンキャップの傘下のひとつだが、親会社はメディア関連でも有数の大手である。それゆえの、コネクションか。
蛯川氏はふっと微笑む。どうやらこれが今日の会談の目的らしい。
「その様子だと、それなりに詳しいようだな」
「一応、同業種ですので」
「それは呼んで良かった。実は知りたいことがあったのだよ」
蛯川氏は、少し目を閉じて考える。
「男の社長の方はともかく……一緒にいた女プロデューサー……えーと、何といったか……」
「憐夜希氏、ですね」
彼女に関する情報はできるだけほしい。そう期待していたのだが、話題は唐突に他所へ飛ぶ。
「キミの知る限りで構わんが……あの界隈で、未成年の子供が働かされている、という事案は聞いたことがあるかね?」
「いいえ、それはないと断言できます」
歌舞伎町クライシスを経てようやく勝ち取った自由である。その一線だけはファンムードさえ超えていない。
「やはり……ふむ、そうだろうな。なるほど」
本場の関係者からのはっきりした回答に、蛯川氏は何か納得したようだ。しかし、プロデューサーとしてはそれで話を終えられるわけにはいかない。
「憐夜さんから、何かご相談を受けたのですか?」
「実はな、あー……何といったか。どこぞのアダルトメーカーが……」
「ファンムード、でしょうか」
「おお、そうだった」
この様子からも、あまり真剣に応じていたようには思えない。結局のところ、テレビ業界と新歌舞伎町は原則として交わるものではないのだから。
だからこそ、裏界隈の問題は、裏界隈の人間で解決しなくてはならない。
「そのファンムードとやらが、“とある女の子”を執拗に狙っている、とのことらしい」
「ッ!?」
それを聞いて、プロデューサーの隣で霞は、また悪いクセが出そうだ、と案ずる。後で、あまり深入りしないよう釘を差しておかなくてはなるまい。
一方で、話している本人はあまり深刻に捉えていないようだ。
「今度、PASTでダンスメンバーを募集するそうだな」
「ええ」
その話は、先日“萩名社長”から伺っている。
「何やら、その企画を立ち上げたのは、その子を事務所の下で保護するための名目だったらしい」
「えっ……?」
それは、TRKサイドも初耳だった。あとで、萩名社長からの情報と合わせて整理しなくてはならないだろう。
「そして、その子とは……」
「訳ありなのか、そういう戦略なのか、教えてもらえなかったよ」
戦略、というのは、“偽りの正当性”でテレビ局に取り入る算段を指すのか――ともかく、蛯川氏は、最初からこの話を信用していなかったのだろう。
「しかし、まあ……その様子だと、キミたちも未成年を雇うつもりはないのだな」
「はい、それは法に誓って」
「ならば良い」
局長は短く断ずる。彼にとっての善悪の基準は、あくまで法だった。
「もし、あのプロデューサーの子供であれば十中八九未成年……我々もそれなりに遇するべきだと思っていたが……戯言の類なのかもしれん」
局長という立場ともなれば、何だかんだと言い寄ってくる輩は多い。
「いえ、憐夜氏に限って、そのようなことは……」
「随分信頼しているようだな。競合他社ではないのか?」
と口にしながら、局長にもまたその気持ちがわからないこともない。同業他社――他局の局長――重役クラスともなれば、単純に敵以上の感情はある。きっとそのような関係なのだろうと蛯川氏も察した。
だが、それより、プロデューサーにとっては何よりも。
「それでも、もし困っている女のコがいるのなら、放ってはおけません」
プロデューサーにとっては、それが何よりも重要なことだった。しかし、このふたりの面識は深い。
「やれやれ、そういうところは変わらないな」
昔を思い出しながら、蛯川氏は当時から抱えていた疑念を問いかける。
「だがしかし……それが、男児だったら放っておくのかね?」
「そっ、それは……」
若者は思わず返答に詰まる。そのようなことは考えたこともなかった。
しかし、この場で彼はひとりではない。
「ご心配なく。弊社は常に社会的良心に基いて経営に臨んでおりますので」
正直すぎるのが彼の弱点――それを承知の上で、即座に割り込んできた隣の女性を蛯川氏は高く評価する。
「フッ、本当に優秀な秘書を持ったな」
「面目次第もございません」
頭を掻きながらはにかむその顔は、少し童心に戻っているようにも見えた。そんな横顔を霞は、少しだけ可愛いと感じてしまい――呼吸を整え、正気を取り戻す。ただ、そんな幼気な様子は、蛯川氏を少しだけ安心させた。きっと、この子はまだ昔のままなのだろう、と。
「……彼女たちが訪ねてきた際には一旦断ったのだが……」
闇の街の住人としてではなく、あくまで、旧知の仲として。
「もし、法に触れる子供を働かせようとしているとわかったら連絡をもらえないか? そのような行いは看過できん」
それは、PASTがアイドルとして就労させることも含む。ゆえに、その事態に直面したとき、自分はどう取り合うだろうか――プロデューサーは、それを想像することができない。不覚にも再び言葉を詰まらせてしまった彼に代わり、ここは霞が応じる。
「了解いたしました。その際に、こちらからもお願いがございます」
「秘書からか。何かね」
きっと、プロデューサーは遠慮して口にしない。ならば、秘書として自分から。
「現在弊社は、松塚芸能からの執拗な圧力のため、営業に支障を来たしております」
「ああ、知っとるよ、当然な。しかし……」
この件については、動画を入手した際に部下から併せて報告を受けている。とはいえ、松塚芸能も愚かではない。
「松塚の社員が直接脅しているわけではないからな。あくまで間接的に、ならば合法の範囲内だ」
霞も過度の期待は抱いていない。ゆえに、すぐさま引き下がる。
「すまんが、適法である限り、私からどうすることもできん。何か尻尾を掴んだら、持ってきなさい。今回の調査の礼だ。できる限りのことはやらせてもらうよ」
「ありがとうございます」
ゆるりと頭を下げる秘書を見て、彼もまた慌てて続く。そんな様子を蛯川氏は微笑ましく見守っていた。
***
TRK事務所であるストリップ劇場に戻る前に、霞はカラオケボックスの方にて打ち合わせをしたいと申し出た。
「“萩名社長の件”は機密事項ですので」
五・六人の小規模だった頃ならともかく、二十人近い大所帯ともなれば、情報統制も必要になる。そのようなときは、カラオケボックス九階――そのフロアは住み込みを希望したメンバーの私室として充てがわれているが、その中の一部屋は会議室として空けられていた。残念なことに、何かあれば聞き耳を立てたいメンバーは後を絶たない。だが、扉にはガラスも張られているため、外に誰かいればすぐにわかる。それに、よほどの大声さえ出さなければ、外に内容が漏れることはない。
四人部屋ゆえに、椅子はこぢんまりとしたL字のソファがひとつだけ。その各辺にお互い座ると、霞はすぐに鞄からノート端末を取り出す。
「もう一度確認させてください。古竹未兎の“突発ライブ”の後のことを」
「はい」
ちょうどカーテンコールの頃、萩名氏からロビーへと連れ出され、そこでプロデューサーは重大な情報を授けられたのである。
氏曰く――現在、PASTでバックダンサーのオーディションが進行している――当然、それはTRKでも業界情報として掴んでいた。その行方については注視していたが、実は企画自体が訳ありだったらしい。
ファンムードは常に自作品のハードプレイに応じられる女優を探している。その中でも“彼女”は――周防原社長曰く、百年に一人の逸材――そんな“彼女”が、こともあろうに今回のオーディションに参加しているという。
すでに事務所に所属していれば腕力にて解決できるのかもしれないが、どうやらスカウト交渉中だったらしい。ファンムードの社風を考えれば、むしろ、危険を察知した女性側に逃げられた、という見方が順当だろう。
そもそも、今回のオーディション自体が急だった。人数が集まり次第一次審査を行い、順次採用していく――女性がPASTに保護を求めてのことであれば、ターゲットが自然に落選することは考えられない。ならば、オーディション自体を潰すまで――もしくは、PASTごと――
ま、ライバルユニットを潰してもらうのを待っててもいいけどよ――萩名氏はそのような軽口をこぼしていた。そして、霞もあわよくば、と狙っているようにも感じられる。だが、プロデューサーにとっての選択肢はひとつだけだった。何故なら彼は、困っている女のコがいると知って、放っておくことなどできないのだから。
これに、今日の蛯川氏からの情報が結びつく。どうやら、その逸材というのは憐夜希の関係者らしい。となると、最初からそのコを救うために天然カラーズ・相馬社長からの提案に乗った、という可能性もある。
天然カラーズの芸能界進出のためか――
それとも、TRKを表舞台に立たせるためか――
それとも、ひとりの女のコを救うためか――
それとも、そのすべてか。
PAST――希がプロデュースする理由は一筋縄ではいかないらしい。
「……やはり、本人に確認するのが手っ取り早いのでしょうけれど」
それができれば苦労はない、と霞はため息をつく。プロデューサーは希との決別以来、自分から先方へ連絡を取っていない。だが、事情が事情である。もしかしたら共闘の余地はあるかもしれない。だが。
『お客様の都合で、通話ができません――』
プロデューサーから電話を入れてみるも、自動音声が相手からの答えだった。どうやら、完全に謝絶されてしまったらしい。とはいえ。
「憐夜氏はメンバーとも個人的な付き合いがあったと聞いております」
霞からの指摘はプロデューサーにも心当たりがあった。プライベートを利用するようで気は進まないが、ひとりの女のコの命運が懸かっている。そして、最もつながる可能性が高いのは、当然――
「……では、蒼泉さんにお願いしてみましょう」
希は歩と唄い重ねたことで意気投合し、それがきっかけでTRKとの縁ができた。もし連絡がつくとしたら、彼女をおいて他にいない。
「はい、それではすぐさま連絡を。ちょうど、カラオケの方のシフトが入っているはずですので」
霞も最初から同意見だったようで、歩のスケジュールも復路の間に確認していたようだ。スッと立ち上がると、内線でフロントへ呼びかける。
「もしもし、TRK・高林よ。蒼泉さんを917号室まで呼んでもらえるかしら」
歩でも通じなければ、ダメ元で天然カラーズに直接掛け合うか、それとも、独自にファンムードの動きを牽制するか――蛯川氏については、一度協力を断っている以上、頼むことは難しいだろう。
ともかく、できる限りの手を尽くすしかない――歩の到着を待ちながら、プロデューサーはファンムードの陰に怯える女のコの無事を祈っていた。
***
実のところ、歩と希はそこまで親密な仲ではない。歌に関しては相性が良かったが、そもそも希は単独行動を好む。おそらく、TRKのメンバーの中でも、一緒にご飯を食べに行くような間柄の人はいない――だからこそ、良かったのだろう。希も、プロデューサーは真っ先にブロックしても、そのメンバーまでは気が回らなかったようだ。
『希ちゃんが、大切な女のコのためにPASTを立ち上げたって聞いた。私たちで力になれることがあったら何でも相談して』
既読がついたらすぐに報告しよう――そう考えていた歩だったが、相手から同時に返信があったことで、それは憚られた。
『このメッセージを受け取ったことは、誰にも話さないこと』
どうやら、すぐに確認してくれたらしい。しかし、他言無用といわれている。これはどうしたものかと答えの出ないままシフトは終了時刻を迎え――その間に追加のメッセージを着信しており、この時点で歩は様々な選択肢を失った。
『今夜二時に、この地図の場所へひとりで来なさい。全裸で』
全裸で、といわれても、どこから脱いでおけば良いのかわからない。一応、時間帯が遅いこともあり、車を使えば目撃されることもないだろう。いずれにせよ、徒歩で向かえる距離ではない。終電後の時間帯だし、社用車を使用することになるだろう。
あとは、みんなに見つからずに抜け出すだけだが――それは、何とかなるような気がしていた。何故から、全裸で来るように言われているので。
店は翌日の始発まで稼働している。ゆえに、深夜であっても賑やかではあるが――歩はこっそり裏口から外へ出た。車両のキーも、事務室が無人だった隙に確保してある。あとは、徒歩数分の駐車場に向かうだけだが――そういえば、新歌舞伎町では全裸でも咎められないが、ここはその特別区画の中ではない。直接見つからなくとも、防犯カメラとかに映ってたら後で問題になるかも――とはいえ、もし怒られたら、そういう命令だった、と後で弁明すれば――許してもらえる――? そのあたりのことはあまり考えていなかったが、もう迷ったり、後戻りしている時間はないので、歩は一気に駆け抜けることにした。
車に乗った後は――車内は暗いし、多分覗かれていない、と歩は思う。脇見運転をしない日本のドライバーたちに感心しつつ、二十分くらいで指定された地点付近に到着した。そこは、広い河川敷であり、野球のグラウンドがふたつも並んでいる。流れている川も岸辺の面積に見合った立派なものだ。まだ暑い季節であるため、昼間なら泳ぎにやってくる家族連れでこの駐車場もいっぱいになるだろう。けれども、この時間帯ゆえに停めているのは歩のみ。土手の上はサイクリングコースになっているが――周囲に灯りもないため、あの球場を突っ切っても、自分が服を着ていないと判別はできないはずだ。
しかし、車を出たところで――何となく、歩は視線を感じる。が、その方向はまさに相手から指定されたポイント。もしかすると希が与えた条件――全裸であることを確認したのかもしれない。
いざ到着したら、男の人たちに囲まれていて――そんな恐ろしい想像が頭をよぎる。けれど、それをすぐさま振り払った。何故ならば――歩は希を信じたい。それに、もし自分を酷い目に遭わせるのであれば、こんな回りくどいことはしないだろう。
こうして広く見通しの良い場所を歩いている以上は――周囲は暗いとはいえ、遠くの草むらから誰かが這い出してくる様子はない。そのまま真っ直ぐ、歩はそこへと向かっていく。希の指定は橋の根本を指していた。が、全裸でそんなところに呼び出されても困る。ゆえに、常識的に考えて――歩は橋桁の下を目指していた。そもそも、全裸で呼び出すこと自体非常識であることには目をつむるとして。
その橋は複数車線であり、この時間でも走行車が絶えることはない。普通にその下へ潜り込むのも緊張する。まるでにわか雨から逃れるように、歩は小走りで希のもとへと向かっていた。そこへ近づくにつれて、ようやく相手の姿も見えてくる。しかし――
希ちゃんじゃ――ない――ッ!?
相手に動きはないが、はっきりとわかった。それでも歩は、足を止めることも引き返すこともない。その相手に向けて、真っ直ぐに、裸のまま。
相手もまた、歩に向けて真っ直ぐ向き合っている。やはり、車両を停めた時点で動向は把握されていたらしい。
そして、高くもないコンクリートの屋根の下に辿り着いたところで。
「お疲れ様です。どちらから脱いできました?」
見知らぬ女性が歩を労う。
「え、えーと……事務所……から」
「なるほど、“あの人”があたしに託すだけのことはありますねー」
どうやら危害を加えるつもりはないようだ。両手は真っ直ぐに腰に沿って下ろされており、凶器の類を隠している様子もない。隠す余地もない。それは、誠意の表明だろうか――相手の女性もまた、歩と同じ姿で待ち構えていた。
柔らかそうな髪の毛は両耳の下あたりで束ねられており、二本の尻尾が鎖骨にふわりと掛けられている。胸は控えめ――しかし、お腹もすっきりしているし、下の毛も綺麗に整えられているようだ。見られることを意識した身体作り――もしかしたら、同業者――? と歩は察する。それほどまでに、目の前の女性は裸のまま堂々としていた。
「裸で来いと言ったのはこちらですけれど……こちらまで裸でも驚かないんですね」
「まー……私の周りも、似たようなものだし」
新歌舞伎町の外でこのような相手出会ったことにはほんの少し驚いていたが。
「そうですか……ふむん、世の中まだまだ捨てたものではないようですね」
歩は全裸になると勘が冴える。ゆえに感じた。この人は、この状況を――楽しんでいる――? だから、歩も少しだけ安心した。
「ところで、貴女は希ちゃんの知り合い……ですよね」
「……ふむん」
と、おさげ女性は少し考える。その仕草はおとなしいプロポーションもあり、歩より年下にも見える。が、これまで色んな女のコの裸と接してきた経験から感じ取るに、自分と同年代か、少し歳上くらいかもしれない。
そして、謎の女性は答えを出した。
「ここで余計なことをゆっちゃったら、わざわざあたしが来た意味がないですし」
歩も妙に納得する。何も言わずに代理人を寄越したということは、色々と複雑な理由があるに違いない。ということで。
「うーん、そーですねー、ひとまずあたしのことは、『パラノイアのきの子』……とでもお呼びください」
「え、えぇ……?」
「おっ、その反応は、“元ネタ”の方をご存知ですね」
パラノイアとは、精神病の一種である。詳しいことは歩にもわからないが、それを『元ネタ』と称したのだから、彼女自身がその症状にかかっているということではないのだろう。いや、こんなところに全裸で来ている時点で正気ではないのだが。
きの子としても、元ネタを知る相手には色々と言いたいこともあるのだろう。だがしかし。
「ただ、あんまり話しちゃうと……」
「ですね」
と、歩も相手につられて敬語で返答する。
ここで、少しの間が空いて。
「では、伝言についてですが――」
ようやくきの子は本題に入ってくれた。とはいえ、長い話にはならないのだろう。お互い、危うい姿なのだから。
しかし。
「――脱いでも救えない裸もある――とのことです」
「え……っ!?」
それは――ストリップアイドルであるTRKでは、希が救おうとしている女のコを救うことはできない――ということ――?
しかし、きの子がそのあたりの事情に深入りしてくることはない。淡々とメッセンジャーとしての役割に徹する。
「あと、もうひとつ――」
きの子がくるりと振り向くと、そこには――
「話では聞いてます。歩さん、貴女は……裸になると、“スゴイ”んだとか」
「え、え、え、まさか……」
そこは暗いので、街灯の当たる橋の外まできの子は出ていく。それで歩にもはっきりと“読めた”。
朝霞ミミ 080-xxxx-....
相沢ナツカ 080-xxxx-....
――……
その筋の人のように彫ってあるようには見えない。どうやら、ペンか何かで書き記されているようだ。名前と連絡先が――三十行近く。
「では、これを覚えて帰ってください」
「そ、そんな無茶な……」
弱音を吐く歩を、きの子は背中越しにぐいっと覗き込む。
「まー、あれでも人を見る目は確かですからねぇ。ですから、きっと信頼されてるんですよ」
そして、夜空を見上げた。ここは灯りの真下なので、誰かが通りがかっては見つかってしまう。
「ですから、急いでください。そして、期待に応えてあげてください」
「……う、うん……」
もうやるしかない――歩は覚悟を決めた。元々暗記は不得手である自覚はあったが――何故か、すんなりと脳裏に焼き付いていく。もし、全裸で試験を受けられるのなら何の苦労もないだろうな、と瑣末事を考える余裕があるほどに。
三度読み直したところで、歩は瞳を閉じて頭の中で反芻する。全二十八人――ひとりとして欠員はいない。
「ありがとう……多分、大丈夫」
「はい、お疲れ様でした」
振り向いたきの子はニッコリと笑顔で労う。しかし、お互いここでのんびりしている余裕はない。
「それでは、これであたしは失礼しますね」
「えっ」
すぐに立ち去らねばならないのは間違いないが――きの子が向かっていく先は、まさかの川の方。
「これ、水性ですんで。ま、向こう岸に着くまでにはあらかた流しときますよ」
証拠隠滅――どこまでも徹底している。
パラノイアのキノコ――結局何者なのか最後までわからなかった。けれども、あの背中に記したのは希本人だと確信できる。
何故ならば――
――何だかんだで、希ちゃんって優しいな、と歩は思った。大切な人が誰なのか――背中のリストを見ただけで、それが伝わってくるほどに。
***
そのまま夜は明け、カラオケボックス917号室にて――
「ごめんなさい、誰にも話すな、って言われてたから……」
「だからって馬鹿正直に応じることないでしょう! 貴女はこのユニットのセンターであり、来週からは古竹さんと――」
プロデューサーなら一言二言で許してもらえただろう。だが霞相手では、それでは済まされないらしい。
「た、高林さん……今回はそのくらいで……」
「そもそもですね、社長は甘すぎるのです! だから、警察からも再三の注意を――」
見かねたプロデューサーが宥めようとするも、むしろ飛び火してしまった。今後、軽率な行動は本当に控えよう――そう反省しつつ、とにかくいまは彼を霞さんのお説教から救い出さなくてはならない。
「そ、それでですね……肝心のリストなのですが……」
霞さんから叱責を受けてまで入手してきたPASTバックダンサー応募者リスト――メモを取ってはいけない、と指示されていなかったので、服を着る前にすべて書き写しておいた。霞も一先ずお説教を切り上げ、そのデータに改めて目を通す。その内容はさておき――本人は現れず、回りくどい伝達方法で、伝え終わったら即座に物理削除――ただの応募者の一覧の取り扱いにしては厳重すぎるのが気になっていた。
「もしかしたら、憐夜氏は業界の闇を垣間見てしまったのかも……」
「業界の闇?」
プロデューサーは、新歌舞伎町に関してはそれなりに通じているが、テレビ業界については詳しくない。
だが、霞も当事者ではないため、言えることは一般論だけ。
「彼女はテレビホープの局長と会っておりますので」
「エビさんに何か黒い噂でも……?」
プロデューサーは子供の頃に、彼から色々と親切にしてもらっている。ゆえに、そのようなことは信じられない。だが。
「あの業界に、黒い噂のない上役などおりません」
と、霞は言い切る。未兎でさえ、囁かれた裏商売とのつながりや枕営業の疑いは数え切れない。けれど結局、真実だったのは松塚・吉坂との熱愛だけだったのだが。
「それで、PASTから足を洗いたくなったのかもしれません」
「……ありえますね。元々フリーのライブアイドルだったわけですから」
闇だの噂だのはさておき、やはり芸能界ともなれば制限が多く――それこそ、彼女が抱えている本業の方に影響が出るとすれば、速やかに手を引こうとするだろう。だが、その制限ゆえに抜け出すことも難しく、さらには大切な誰かを救わねばならない。そんなところで情報流出の疑いまでかけられては、本来の目的さえ遠のいてしまう。ゆえに、痕跡をできる限り残すことなく、そのすべてをTRKに託すため――
ただ。
歩はまだ話していない。きの子が最初に伝えてくれた希からの警告――脱ぐことでは救われない裸もある――いや、普通は救われないと思うけど――脱がすことでこれまで女のコたちを救ってきた彼には話しづらく、これだけはひとりで抱え込んでいた。
それでも、状況は予想通りに進んでいく。
「だからこそ、こんな“わかりやすい”情報を蒼泉さんに託したというわけね」
この二十八人のうち誰が本命か――それを検討する手間さえ必要なかった。天然カラーズ・相馬社長との打ち合わせの日に顔を合わせた御堂カナや、『メスブタ・ハンター・ハンター』の際に助け出した坂下ミナミ等、見知った名前も混在していたため――何故、“彼女たちが応募しているのか”、という疑問はさておき――あからさまな正解者がいなければ、あらぬ方向へと議論は流れていたかもしれない。
その心配がないのは、すなわち――天然カラーズのキャストたちは『漢字の苗字』と『カタカナの名前』にて統一されている。傘下のハニートラップと兼業している操も、そちらでの芸名は河合ミサだ。そんな中で、ひとりだけ漢字の姓名が混在している。つまりは――彼女だけが、どこの事務所にも所属していないフリーの女子、ということに他ならない。
***
これでようやく、ひとつの懸念は解消されるはず――プロデューサーは、そう考えていたのだが。
「はぁ? 私が憐夜希の……何ですって?」
「何なのでしょうか……?」
PASTのバックダンサーの件で重大な連絡がある――そう言って、霞は彼女を呼び出したらしい。まだ学生は夏休み中だからか、即座に応じてもらえた。暑い季節だけに、爽やかな白地のTシャツで。しかし、生地は薄いらしく、中の下着が透けてしまっている。もしかしたら、急いで出てきたのかもしれない。長い髪を左側で軽く止めているが、まこのようにしっかりと束ねているわけではなく、襟首にも短い部分が残ってしまっている。ただ、凛とした瞳のおかげか、ワイルドな雰囲気でまとまっているようだ。
ここは、新歌舞伎町よりずっと駅に近い喫茶店。渡した名刺にPASTのPの字もなかったため、その時点ですでにプロデューサーたちは疑念の目を向けられていた。
「いや、それ、こっちが訊いてるんですけど」
質問に質問で返すプロデューサーと、彼女は正面から向かい合う。乙比野杏佳――今回のリストの中で、唯一名前がカタカナではなかった応募者だ。ならば、間違いなく希の関係者だと踏んでいたものの、杏佳は希のことを何も知らない。
「あの人、オーディション会場にすら現れなかったんですよ? まー、まだ一次だけど……次は出てくるんでしょうね?」
そう言って、杏佳は胸の下で腕を組む。すると、その上に挟み込まれた大きな二房がのしかかった。大きいといっても歩やしとれと同じくらいであり、Fカップの霞と比べればむしろ小さい。そんな胸部を跨ぐように、杏佳はチラリと卓上に置いた名刺を再確認する。TRKプロジェクト――やっぱり、PASTじゃない――じゃあ、この人たちは何者――? すぐにでも正体を問い詰めたいが、それで心象を悪くしてダンサーデビューを逃したくはない。文字数は違うけど、アルファベットの羅列ってところは一緒だし――と根拠のない共通点を拠り所にして、杏佳は食い込む機会を窺っている。
情報の推測に誤りがあった――これは、霞も認めざるを得ない。
「社長……もしや、蒼泉さんの記憶違い、ということは……」
キョウカをつい漢字で書いてしまった、等。
「いえ、当時彼女は服を着ていなかったと聞いています。ですから、最大限信用して良いかと」
そもそも、珍しい名字に珍しい名前であるため、カタカナから漢字を連想するのは無理がある。
「何の話してるんですか」
人のことを呼び出しておきながら、その本人の目の前で内輪話をされても、杏佳としては気分が悪い。
「とにかく私は、ダンサー急募ってのを見かけて応募したんです。今日は結果に関する話じゃなかったんですか?」
もし、まったくの別人による別件だったら――そんな圧力を孕んでいる。このままではいけない、と霞は直感した。自分は構わない。こんな小娘の威嚇などそよ風のようなものだ。しかし、隣の男が――偶然の手違いで接触しただけの部外者のために、デビュー先が見つかるまで付き合い始めるかもしれない。やはり、ここは早急に話を打ち切るべきだ。
「確認となりますが、現在の所属は……」
「え? してませんけど。だからこそ、デビューしたいわけですし」
これには、霞も首を傾げる。あとは事務所同士の話し合いに持っていきたかったのだが。
もしかして、この人たちはPASTとは無関係――? 杏佳からの視線はなお厳しいものとなってきた。
「未経験でも可、って書いてましたよね?」
「それは、ダンスの経験のことでは」
「え? そうなんです?」
霞からの指摘を受けて、杏佳は何故か腑に落ちた表情を見せる。
「どーりであのオーディション、グダグダだと思った。経験って、プロ経験のことかと」
言い終わって、今度はハッとする。“あんな連中”と一緒にされては心外だ。
「あっ、私、プロ経験はないですけど、ダンスは長いですから! もう、一〇年近くっ!」
ここは譲れないところらしい。だが、大人たちふたりにとってはどうでも良かった。その心情が素っ気ない反応として現れたことで、杏佳はバカにしているのかと憤る。
「じゃあ、見ててください!」
そう怒鳴ると、勢いよく席から立ち上がった。
「私、音楽さえあれば何でも即興で合わせられますからッ! 何なら、この店内BGMでも――ッ」
すぅ、と杏佳の呼吸が整っていく。集中力が高まっていくのが、プロデューサーたちにも伝わってきた。ゆえに、マズイ。このままでは、本当に狭い通路で踊り出しそうだ。幸いなこと、落ち着いたピアノ曲であるため、激しく暴れまわることはないだろう。だが、迷惑なことには違いない。しかし、プロデューサーは相手が女のコだからか何と声をかければ良いのか迷っている。こんなときに、本当に頼りない、と霞は苛立ちながら小娘を制することにした。
「わかったから、座りなさい」
霞はため息をつきながら眼鏡のツルを正す。
「つまり、プロ経験はないけれど、プロとして通用する実力は備えている……そう言いたいのね?」
心境を解してもらえたことで、杏佳のわだかまりはすっきりと削ぎ落とされた。一先ず落ち着いてくれたようなので、霞は杏佳に着席を促す。
「ならば、その前提で話を続けましょう。PASTのバックダンサー募集について」
本題に戻ってくれたようなので、杏佳はおとなしく戻ってきた。しかし、霞の表情は硬い。
「けれど貴女は、募集要項を一部読み落としているわ」
「え?」
おそらく、隣の優男が説明しようとしても、回りくどさゆえに誤解を与えてしまうことだろう。なので、同性の口から単刀直入に。
「PASTはね、カメラの前で脱いできた女性のためのユニットなのよ」
「へ?」
「もう少し言えば、元ヌードモデルや元AV女優のための」
「…………ッ!?」
相手はまだ子供なのだから手心を――とプロデューサーは思うが、この時代、義務教育を卒業していれば法的にも成人として扱われる。ゆえに、大人の付き合いとして、霞は言葉を選ばない。
「だから、所属を尋ねたの。それとも、個撮の経験が?」
「ないないないないッ! あるわけないですッ! そんなの……ッ!」
募集要項には『その他、PASTの規定に準ずる』と明記されていた。ただのアイドルかと思っていたので、杏佳はそちらについて確認していない。確かに、応募フォームに出演作品URLという記入欄はあった。が、必須項目ではなかったので、何も入力していない。それが必須条件だったら何故必須項目にしてくれなかったのか――杏佳は悔しさに頭を抱える。一方、霞たちは杜撰な事情を何となく察していた。最初から出来レースであるため、名前と連絡先と――オーディションを行った、という実績が必要なだけだったのだろう。
あまりの不憫さに、プロデューサーとしては放っておけない。
「き……きっと、他のオーディションなら必ず――」
「……ダメなの」
杏佳は絞り出すようにポツリと零す。そして、上げた顔は真っ赤に染まっていた。最初のワイルドなイメージやこれまでの豪快な言動に反して、この手の話題は苦手らしい。
「一次のあまりのレベルの低さに、落とされるなんて絶対考えられなくて……それで、私……」
あまりの屈辱に、涙が滲み始めてくる。
「もし一次で落ちたら……みんなの前で全裸ブレイクダンス踊ってやるって……」
実にどうでも良い個人的な事情だった。
「い、いえ……周囲も本気にはしていないでしょうし……」
「でもッ、誤魔化したら私の負けじゃないですかッ!」
霞もプロデューサーの言うとおりだと思うが、肝心の杏佳本人が認めていない。なので、霞は素っ気なく。
「じゃあ、踊ればいいんじゃない?」
「無理ですよ! 全裸でなんてッ!」
ブレイクダンス自体には嗜みがあるらしい。
ここで杏佳は、様々な代案に頭を巡らせる。この人たち、一応芸能関係者なんじゃないの? だったら、間違えて違うオーディションを受けてしまって、そこでは一次通ったから、ということにすれば――
「……あ」
TRKプロジェクト プロデューサー――
「貴方、プロデューサーなんですよね!? 別のアイドルグループの!」
杏佳は希望の眼差しを向ける。しかし彼は、同情で受け入れるようなプロデューサーではない。その基準は<スポットライト>ただひとつ。それを感じられなければ、どんな有名なアイドルでも、AV女優でも、彼が採用することはない。だからこそ、霞は懸念していた。間違いなく、面倒を見てくれそうな他の事務所を個人的に当たってみるつもりなのだろう。いまは松塚関連でただでさえ業界からの風当たりが強いというのに。
「それについては――」
「社長、この話は後ほどに」
ここは、彼に口を挟ませず、自分ひとりで話を畳むべきだと霞は判断した。気になったとしても、いま抱えている事案の数々を解消してからにしてもらうとして。
「乙比野さん」
「はいっ!」
呼びかけられた霞に向けて、杏佳は機敏に返答する。初対面であっても、杏佳はふたりの力関係を何となく察していた。ゆえに、こちらが本命、とばかりに気合いも入る。
プロデューサーが余計なことを言わないように睨みを効かせながら、霞は淡々と事実を伝えることにした。
「TRKプロジェクトというのはね、ストリップアイドルなの」
「……すとり……?」
その単語は知っているのだろう。杏佳は呆然として、それ以上言葉を続けられない。そこに、霞は次々と畳み掛けていく。
「ステージ上で男の人たちに見られながら裸になれるようなら、検討してあげてもいいけれど」
プロデューサーは、高圧的な霞と萎縮している杏佳を心配して交互に見やるが、ふたりは彼を見ていない。
「裸って……どこまで……?」
下着くらいまでなら何とか……と杏佳は悲しい算段を立てている。
「もちろん、乳首も性器も見えるまで。そのうえで、両足を客席に向けて見えるように大きく開いてもらうわ。ダンスの嗜みがあるのなら、股関節も柔軟なのでしょう?」
やっぱりか――それを聞かされて、杏佳の思考は停止した。
その結果、異なる方向に再始動する。
「は……ははぁ……なるほど……」
杏佳は笑みを浮かべているが、霞には嫌な予感しかしない。
「これは、体の良い断り文句ですね!?」
小娘の想像は絶対見当違いなものだと思っていたのに、半分当ててきたので、霞は素直に感心した。なので、黙って主張に聞き入る。
「ストリップ劇場なんて、もう何十年も前になくなったって聞きましたもん!」
どうやら、その単語を耳にした文脈はそれだったらしい。正確には、新歌舞伎町の外の話であり、彼の劇場は休業したまま取り壊しとなる寸前で何とか耐えきったものだ。
「もし本当にストリップアイドルなんてやってるんだったら、楽屋まで連れてってもらえます? そしたら、信用しますから」
何やら、妙な雲行きになってきた。劇場ならば、ここから近い。おそらく、いまなら夕方の部も始まっている頃だろう。反対意見さえなければ、実物を見せるのが手っ取り早い。だが、そのようなことをこの弱腰な男が承諾するだろうか。
いや、承諾させなければなるまい。
「そうね、いいでしょう」
端的に返事をして、霞は即座に席を立つ。
「行きましょう、社長」
有無を許さず霞はプロデューサーにも同行を強要した。しかし。
「そうですね、はい」
プロデューサーのこの対応に、霞には違和感しかない。ここまで性的なものを過敏に拒絶する小娘を、ストリップ劇場に連れていくことに異論はないのだろうか。あっても連れて行くけれど。ただ、少なくとも、自分を欺くような計略を企むような男ではないはず――霞は、それだけは信じていた。
駅前から新歌舞伎町までの道のりは短い。そこから先は危険領域――子供たちは大人たちから何度もそう聞かされている。そこに平然と入っていく大人たちのうしろで、杏佳は――平静を装いながらも、“あからさま”な看板を目に入れないよう、ふたつの大きな背中をじっと見ながらついていっていた。しかし、街並みが街並みだけに――ミニスカートの裾さえ不安になってしまう。こんなことならパンツで来るんだった、と杏佳はひしひしと後悔していた。
そして、一行はその建物へと入っていく。エントランスにはフラワースタンドが飾られており、『祝・ご出演』の朱文字が。ならば、少なくとも劇場には違いない。ゆえに、杏佳の中でも真実味が増してくる。もしかして、このご時世で、本当にストリップショーなんてものを……?
チケット売り場ではなく、スタッフオンリーの扉に平然と入っていったことで、杏佳の不安は膨らんでくる。きっと、普通の演劇か何かだ。そうに違いない――しかし、その期待を舞台袖の女性たちが打ち砕く。
「あっ、プロデューサー、お疲れ様ー」
「なんや、また新しいおにゃのこ見つけてきたんかい」
挨拶しようと寄ってきたまこと糸織に、杏佳は思わず後ずさる。しかし、どこを見て良いのかわからない。みんな、綺麗に着飾っているのに、それは腕や襟首ばかり。胸も、アソコも、全部見せながら平然と談笑している。丸裸でない分、逆に恥ずかしい。
しきりに目を泳がせながら、せめて首から下は視界に入れないよう杏佳は各々の顔を凝視する。だからこそ、自分の隣に立っている女性が只者ではないことに気がついた。
「古竹未兎ッ!?」
芸能人ゆえに呼び捨てで。
「……さん」
すでに叫んでしまっているが、本人を目の前にしているので、後付けで『さん』を。
そういう反応は慣れているので未兎も気にしていないが、むしろ、このコが何者かが気になっている。
「プロデューサー、こちら、新人さんです?」
杏佳の件は自分が進めますので、と言わんばかりに霞は彼に口を開かせない。
「応募者よ。バックダンサー希望の」
そう紹介されて、杏佳は思わず霞の方を杏佳は見やる。確かに、これまでの流れからすればそうなのだろうけれども――!
そして、ネットの噂を思い出す。そういえば、古竹未兎がストリッパーデビューしていた、というゴシップは聞いていた。そのときは、すでに滅亡しているのだから嘘に決まっている、と流していたが、まさか、本当に――? そりゃあ、ただ遊びに来ているだけで、こうして素っ裸で混ざることはないだろうけれど――!
とはいえ、今日は未兎の公演日ではない。ただ、ここでの雰囲気に馴染むため、全裸で舞台袖に出演者たちを労いに来ていただけだった。
ここで、杏佳の中に邪な野望が芽生えてくる。もし、この劇場にデビューすれば、古竹未兎のバックダンサーに――?
期待と羞恥心で混乱しきっている杏佳に、霞はさらなる追い打ちをかける。
「ダンス歴一〇年。プロ経験はないけれど、プロ並の実力はある、と自称していたわ」
本物の芸能人の前で何てことを――! 杏佳は即座に恐縮するが、未兎は霞に怪訝な目を向ける。
「けど……大丈夫なの?」
その言葉で――杏佳が纏う空気が変わった。
「……それ、どういう意味です?」
ここまで慌てっぱなしだった新人が急に強気に応じてくる。それは、担がれ続けてきた“外の世界”では味わえなかったもの。ゆえに、未兎はむしろ興味が湧いてきた。
「レッスンとステージは別世界ってことよ」
「……ッ!!」
「練習のときはうまくできたのに、本番になると声が出なくなっちゃうコ、いっぱい見てきたわ」
六年に亘り芸能界を渡り歩いてきただけに説得力がある。
だが、しかし――
「私が……本番に弱い、と……?」
例え相手がトップアイドルであっても、杏佳のダンスに対する自負は揺るがない。コンクールの類であれば、これまで何度も出演してきている。
「何なら、いまから証明してみせましょうか? ちょうど、本番のステージがそこにありますし!」
しまった――未兎は自分の行き過ぎた軽口を反省する。このままでは本当に本番に乱入しそうな勢いだ。ごめんなさい、とプロデューサーに向けて助けを求める視線を送るが――
「……!?」
彼が、深く頷いている……? これには、横で見ていた霞も驚いていた。この男は、女のコに対しては極めて遠慮がちであり、無茶をやらせるような性格ではない。つまり――先程の面接の中で、<スポットライト>を感じていた――?
ともあれ、責任者が止めないのであれば霞から言うこともないし、未兎が止めることもない。むしろ、少しだけ意地悪く。
「けど……いいの? ステージ、あんなよ?」
光の先を指差すと、そこでは――
「ひっ!?」
杏佳は真っ赤になったまま、つい小さく悲鳴を上げる。メインステージに立っているのは春奈と桃、慧による三人組。ちょうど大サビに向けてのCメロだったため――揃ってパンツ一枚の上半裸だった。桃のJカップは、同性から見ても迫力がある。とんでもないものを見てしまった――杏佳は目から星が飛び出しそうだった。
「どうやら、理解できたようね」
これは、あくまで未兎からの挑発。ただ、これでいいのかは不安なので、随時責任者の顔色を窺いながら。いまのところ、問題はないらしい。
だが、男のそんな余裕めいた表情が目に入ってしまったため――アイツまで自分を馬鹿にしている――杏佳は自分に対する挑戦だと受けとった。そして、周囲の女のコたちも、誰もができっこないと考えているのだろう。
だからこそ、退けない。
「あのコたちの出番、あと何分あります?」
曲自体はすでにこの後は大サビを残すのみだ。しかし、ここはストリップ劇場である。
「時間なら問題ないわよ。これからパンツ脱いで、そこから“ダンスパート”だから」
「えっ!?」
パンツ脱いで――さらりと打ち出されたパワーワードに、杏佳は思わずステージに向けて首を捻る。おっぱい丸出しで並んでる時点ですごい光景だったけど――そこからさらに三人は、腰のショーツを指に掛けて、そのまま、する、する、する――と。お尻どころか、アソコまで――! 杏佳は驚愕しているが、ストリップとはそういうものである。
TRKのステージは、楽曲の進行と共に少しずつ脱いでいく振り付けになっていた。しかし、観客が最も欲しているのは全裸になってからのダンスである。それが大サビからの最後だけ、で納得できるはずがない。ゆえに、一曲終わった後で、同じくらいの長さのダンスパートが用意されている。そこはダンスというより、いわゆる“御開帳”と呼ばれるポーズがメインになるが。
「そんなに難しくもないだろうし、メンバーに合わせながら即興で――」
これもまた、未兎からの挑戦のつもりだったが、杏佳はそれをキッパリと“断る”。
「合わせる必要はありません」
ここから見ても、ステージのダンスは――残念ながら、PASTの一次オーディションに毛が生えた程度のレベルだ。そんなものに合わせるなど、自分のダンスの沽券に関わる。
「言ったはずです。私は、曲さえあれば合わせられると」
なお、言った相手はプロデューサーと霞であって、未兎には言っていない。しかし、有無を言わせない気迫で――杏佳は豪快にシャツの裾を持ち上げた。それは、これまで赤くなって恥じらっていた女のコの脱ぎっぷりとは思えないほど。――いや、まだ顔は真っ赤なままだが。それでも、勢いのままに頭から抜くと、それを床へと叩きつける。ふわりと。そして、背中に両手を回し――少し躊躇したが、他の面々の姿を見てカップを外す。そして、それも先程のシャツと同様に。スカートも中の下着ごとズルリと足元まで下ろしてしまった。残っているのは、紺のハイソックスとローファだけ。ステージの学生たちは衣装としてセーラー服のカーラーとリボンだけは残しているが、杏佳にとってそれはどうでもいい違いに見えた。
そして、ステージの様子を窺う。確かに曲が終わり三人はポーズを決めているが、そのまま終わりそうな気配はない。まるで、アンコールを待っているような拍手が渦巻いている。乱入するなら、いまをおいて他にない――!
ローファとハイソックスは履いたまま、杏佳はステージへと飛び出していく。演者に対して合図もなしに。
「……ひぇっ!?」
唄い終わって少し気の緩んでいた春奈は、思わず驚きの声を上げる。何しろ、見知らぬ女のコが裸で躍り出て――事もあろうに、ステージ前方中央に陣取ったのだから。足を肩幅に開き、両の握り拳をまっすぐ下ろして。その様子は楽曲が始まるタイミングを測っているようだ――と、後ろからお尻しか見えない桃たちは思った。しかし、杏佳の顔は真っ赤に染まり、閉ざされた目尻には涙さえ浮かび――彼女はただただ待っている。自分の踊るべき楽曲が鳴るのを。
慧も少し迷って、袖にいるプロデューサーの方をチラ見している。だが、桃が――サムズアップとウインクを送ったことで――状況は何となくわかったから、あとはこっちで何とかしとく――杏佳のためのダンスパートは開始された。
桃もまた未兎と同じ発想であり、先ずは自分の振り付けを見せるつもりで正面の杏佳に向けて構えている。だが――飛び入りのセンターは背後に振り向くことはない。だが、自由勝手に――とも言い切れない。先程袖から覗いた雰囲気と曲調――そこから、まるで上位互換のような振り付けを即興で舞い踊っている。
これには正直恐れ入った桃は――協調することを諦めた。
「~~~~♪」
その高速ステップの前では、初心者が並んだところでお目汚しにしかならない。ならば、自分たちは別の角度で。元々インストをバックに裸体を披露するのがダンスパートだが、桃は開き直って唄い始めた。両手を振って、左右の慧と春奈にも続くよう促しつつ。
そして、杏佳の横からさり気なく近づき――杏佳も気づいて桃の姿を横目で確認する。桃は杏佳に向けてハンドサインを送っていた。それは、あちらへ進め、ということ。その先は――花道――そして、盆――客席中央の円形舞台――前後左右、あらゆる方向から視線が降り注ぐ場所――! 羞恥の極みではあるけれど、会場内で最も誉れ高い晴れ舞台であることも否めない。それを、飛び入りの自分に“譲ってくれている”――ここで尻込みするのは――士道不覚悟――!
全身でリズムを刻みながら歩く花道――目下の男たちはできるだけ気にしないようにしているつもりなのに、視線だけはしっかりと突き刺さってくるようだ。けど、最初から踊ってたコたちはずっとだったし、古竹未兎だって――
だったら――!
幸いなことに、伴奏はとてもノリが良く、音に身を任せているだけで気分がいい。気分がいいのは、楽曲だけのおかげ――? 杏佳は、この異常な状況に少しずつ馴染みつつあった。熱いライトが直接肌に焼き付けられ、腕や足だけでなく、胸やアソコにまで風が通っていく。これは、開放感――とでもいうのだろうか。広々とした景色を眺めながら寛ぐ露天風呂とも似ている。
ここは、“そういう場所”なのだから――!
さすがに、男たちから恥部を凝視されていることは割り切れそうにない。けれども、この姿であることは割り切れそうだ。ここは、裸で踊る場所――何も後ろめたいことはない――!
吹っ切れた杏佳に、観客たちも思わず感嘆を漏らす。それまでの振り付けが霞んでしまうような高速のダンスは最高にキレていた。そして、Cメロのラップが始まると、床に背中からひっくり返り、足を開いて高々と掲げ――それだけで、ふたつの胸の塊が顔に向けて飛び込んでくるようだ。自分の格好は忘れていない。けれど、曲のリズムが、私にこうしろ言っている――! 盆は広くないので、さすがにあまり激しくは回せない。けれど、むしろ男性客にとってはその方が良かったのだろう。床に突いた両腕で身体を支え、パッカリと裸の股間を開かすその姿勢は、これまで見た誰よりも美しかった。
桃たち三人の生歌をバックコーラスにひとりダンスショー――恥ずかしいけれど――段取りも振り付けもなく、音の渦の中で身を任せるままに――やっぱり、恥ずかしいけれど――これは、これまでのダンス人生の中で、これは最高の舞台かもしれない。
そして、ここにいれば、そんな舞台が続いていく――杏佳には、そう信じられた。
高校生による三人組ユニット『Schooling High!』――に、急遽杏佳を加えた『Schooling High!!』――脱ぐ前はセーラー服であり、偶然ハイソックスとローファが残っていたため、杏佳の姿も馴染むことができた。
袖のモニタを通じて盆の盛り上がりを眺めながら、未兎は正直な感想を呟く。
「あとで、謝っておかなきゃね。侮ってしまってごめんなさい、って」
確かにプロとしても通用するスキルは持っていた。おそらく、普通にどのステージでも通用するだろう。だからこそ、このような裏舞台を選んでくれるだろうか――選んでくれる、と彼は信じている。
「はい、そうしてあげてください。きっと、彼女も誇りに思うことでしょう」
今回ばかりは、自分が気を回しすぎたらしい――ステージの成功を確信し、霞はプロデューサーに問いかける。
「社長、どこで気づいたのですか?」
霞には、この素質にまったく気づけないどころか、完全に不向きだとして追い出すつもりでいたのに。
「ブレイクダンスの件のあたり……でしょうか」
「例の……<スポットライト>……を?」
「はい」
正確には、席を立って踊りだそうとしていたときにも少し。だからこそ、一際強く輝いたとき、その動機まではっきりと見えた。
もし約束を守れなければ、きっと杏佳は本当にそれを披露しただろう。ダンス部員たちを集めて。しかし、それは彼女にとって敗北ではない。誰もができないと思っていたことをやりきった――その達成感に満足していたはずだ。紅潮し、涙目になったとしても――それを上回る<スポットライト>があれば、女のコは輝ける。だからこそ、あの場で彼はスカウトすることを決めていた。
しかし――
少なくとも彼女は希の目的の人物ではない。ファンムードから狙われているという女性は結局不明のままだ。しかし、歩を通じてヒントだけは残してくれている。託してくれている。ならば、応えたい。それが、女のコを救い、そして、新歌舞伎町の未来へとつながっていくのだから。
そして、すべてが解決した頃には再び出会えることもあるだろう。そのときは、きっと――
だが、彼らはまだ知らない。
この直後、彼らの想いをあざ笑うかのようなニュースが飛び込んでくることを。
ライブアイドルとして人気を絶大な誇り、最近は自らもアイドルのプロデュースを始めた憐夜希が――
――ライブ中、突然ステージ上で全裸となり、会場は騒然――