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15話 草那辺蘭

 彼女たちはアイドルグループの仲間として、これまで友情を育んできた。しかし、譲れない戦いもある。このカラオケボックスの休憩室がこんなにもピリピリした緊張感に満たされたのは、彼女たちが来てから初めてのことかもしれない。

「むむむ……うむむむむーぅ……」

 人数マイナスふたり分で計十二本。うち、アタリは七本、ハズレは五本。分のある勝負で始まったはずだ。が、“まこを除いて”次々とアタリくじを引いてゆき、(あゆむ)に番が巡ってきたときには、すでに一本を残すのみ。

 それでも、一本は残っている。ハズレは四本。確率にして二〇%。どんなに唸ったところで、この現実は変わらない。

「ほれほれ歩はん、後ろがつかえとるでー」

 糸織(しおり)が握るティッシュのこよりのうち、一本は端に色が付けられている。が、それがどれかは握っている本人にもわからない。彼女自身は業務の都合で辞退しているため、完全に他人事として成り行きを楽しんでいる。

 最近、プロデューサーは劇場の方で寝泊まりするようになり、地味に距離が離れてしまった。ゆえに、今回の旅行はそれを取り戻す千載一遇の好機かもしれない。そんな期待を密かに込めて、歩は――

「……ちょっと、服、脱いでいい?」

 これには一堂脱力する。裸の歩の歌唱力、ダンス力は誰もが認めている。だからといって、透視能力が身につくわけではない。単なるゲン担ぎである。

 メンバーたちに見守られる中、歩はパンツの一枚まで脱ぎきった。そういえば、お風呂や舞台では慣れたものだけど、このような場所ではあまりない。だからか、少し照れながら――歩は自然体になれた気がする。

 これでダメなら仕方ない――

 軽い気持ちで、歩は残されたうちの一本を小さく摘まみ取った。


       ***


 目的の島に空港はない。船で本土から丸一日――太平洋の只中にインターネットは届かず、暇を持て余したメンバーたちによってプロデューサーは絶えず貞操を狙われ続けていた。が、航路も残すところ一時間となったあたりで、春奈(はるな)がアンテナ圏内に入ったことに気づく。

「ほ、ほらっ、皆さん! 電波入りましたよっ」

 みんなでプロデューサーの客室に遊びに行こう、と決まったところまでは良かった。しかし、生真面目な彼女はその後の展開についていけない。私服だと落ち着かないから、と夏休み中にも関わらず学生服姿。肩にかかるくらいの短めな後ろ髪。その風貌は優良学生であり、中身もおとなしめで極めて優良。だからこそ、みんなの暴挙を何とかして止めようとしていた。それがようやく叶ったのである。

「やったっ! いまのうちにログボもらっとこーっと」

 それまで服も着ずにプロデューサーの股間を狙っていた紫希(しき)は、おもちゃから興味を失った子供のように、パっと自分のスマホに飛びついた。その様子は、傍から見ると寝起きのズボラOLが目覚まし時計に手をかけているようでもある。それは、フンワリと広がった髪はそう長くないもののところどころ跳ねているのと、ぼんやりした目蓋の所為かもしれない。だが、その内にある瞳は爛々と輝いている。仕草や雰囲気だけは子供のようだが、胸のサイズはGカップあり、巨乳が揃っているメンバーの中でも一回り大きい。

 そんな塊を後ろからムニムニと抱きしめていた朱美(あけみ)だったが、抱擁から逃れられてしまったことで残念そうにじっと手を見る。

「む、むぅ……シーちゃん……ちぇーっ、なのー」

 朱美もまた髪はミディアムくらいだが、紫希と異なり跳ねてはいない。実家では四人姉弟の長女だった。ゆえに、自分を『おねーちゃん』と呼び、比較的しっかりしたところはある。だが、長年みんなで入浴していたことから全裸で賑やかなスキンシップを好み、誰かが脱げばハメを外し気味だ。このユニットでは大抵誰かが全裸なので、常時ハメを外しっぱなしといえなくもない。

 紫希のゲームの邪魔になっては良くないな、と朱美は乗り上がっていたベッドから下りた。ここはプロデューサーひとりの客室だが、部屋はすべてふたり用であるため、寝台もふたつある。朱美はもう片方のベッドで暇そうにゴロゴロしていたもうひとりにターゲットを変えた。

「シロちゃんー、ぎゅー、なのーっ」

「あーはいはい、今回も誘惑失敗だね」

 シロちゃん――雪見(ゆきみ)夜白(やしろ)は積極的なアプローチを面倒くさがる。が、プロデューサーとの行為に興味がないこともない。なので、直接は参加せず、彼が籠絡されるのを横になって全裸で傍観していたようだ。が、首謀者たる紫希がネットゲームに夢中になっているので、作戦は強制終了してしまったのだと察する。が、改めて動くのも面倒くさいので、そのまま彼の客室のベッドでくたりと脱力した。その頭髪は紫希より短く刈られているが、やはり整えるのが面倒らしく、側頭部については同じように跳ねている。しかし、襟首だけは長く伸ばした髪をひとつに束ねていた。曰く、後ろ髪は邪魔にならないから切るのも面倒くさい、とのこと。大らかというより、きっと何事を考えることも好きではないのだろう。

 だからこそ、裸の同性からくっつかれてどう思っているかはわからない。だが、朱美は嬉しそうに枕のごとく抱きしめている。その隣で(ゆう)は淡々と服をまとい始めていた。

「やれやれ、シないのなら帰るわよ。時間の無駄だから」

 キッチリと整えられたショートボブ。目つきは凛々しく、余計な口を叩くことはない。やや小ぶりな胸をブラに収めると、ベッドに座ったままお尻を浮かせてパンツを穿いた。そして、上着に頭を通すため、掛けていたメガネをそっと外す。だが、その僅かな間に。

「あーれーっ!? ミッション失敗!? ちょっとー、これじゃ素材足んないんだけどー!」

 何やらゲームでうまくいかなかったらしく、紫希はテンションのままに対面のベッド――優たちがいる方に勢いよく飛び込んだ。寝台全体が脈動し、優の傍から眼鏡がぴょんと逃げていく。

「ちょ、ちょっと……あれ?」

 優の裸眼で細いフレームを探すことは難しい。シーツの上を撫で回していたが、見かねたしとれが床から探しものを拾い上げた。

「優さま、眼鏡はこちらに」

 しとれは、いつものメイド服を脱ぐことなく着用している。これは、彼女が春奈と同じく止める側の立場にあるという意思表示かもしれない。彼の貞操は、このような形で奪うものではない、と。

 優は眼鏡を受け取ると、軽く礼を述べる。

「ああ、ありがと」

 ようやく視力を取り戻した優だったが、今度は服が紫希の下敷きになっているようだ。

「どきなさい。というか、服を着なさい。そろそろ着くわよ」

「えー? 今度のお仕事って裸の撮影じゃなかったっけ」

「撮影までは裸じゃないのだから」

「最初から裸じゃダメ?」

「ダメよ」

「うー、めんどくさいー……」

 とぼやきながらも、寝転がった紫希は天井に向けたスマホをスリスリと操作しており、一向に服を着る様子はない。どうせ脱ぐなら着る必要はない、というのが彼女の主義であり、これまで裸を生業としていた彼女ならではの考え方だった。

 ようやくメンバーたちが落ち着いたところで――やっぱりこうなったか、とプロデューサーはため息をつく。期待はしていなかった。が、船の中で少しでも仕事を進めておきたかった。しかし、ネットにはつながらないし――リゾートロケに気分が盛り上がった彼女たちから迫られるのは予想の範疇だったといえる。

 とはいえ、ようやく女のコたちが思い思いに楽しみ始めているので、彼はひとり静かに部屋を後にした。到着前に、忘れ物がないかもう一度戻ってきてみればいい。

 デッキに出てみると、外はどこまでも澄み渡っていた。遥か彼方に小さく島々が見える気がする。一体目の前にどれだけの距離が広がっているのか。あらゆるものを凝縮した新歌舞伎町という雑踏に育てられた彼とって、これはまさに未知との遭遇である。知識としては知っていたものの、初めての実物に触れているような心持ちだ。

 やはり、本物は違う――この中で、彼女たちを最大限に輝かせるには改めて別角度から再検討してみるべきかもしれない。水平線の果てをじっと見据えて、彼は撮影のことに思いを馳せる。

 そこに、スッと彼女は寄り添った。半袖とミニスカート――他の客たちの中にいても目立つことのない没個性。だから、景色に夢中になっている彼に、彼女は声をかける。隣に自分がいることに気づいてもらうために。

「お疲れ様、“オーナー”」

 彼女と彼の出会いは、カラオケショップの客とオーナーとして――本当はそれよりもっと前に、同じ高校を卒業していたはずだ。が、彼女の中にその頃の思い出はあまりない。ゆえに、アイドルとしてプロデュースしてもらうようになったいまでも、彼をそう呼んでいる。

 一方、彼にはもう少し記憶があるようだ。

蒼泉(あおずみ)……さん」

 思わず学生のように呼び捨てそうになって、すぐさまプロデューサーとしての顔を取り戻す。

「あははー、いまはいいよ、同級生スタイルで」

 せっかく観光地に来たのに、少しは気を楽にしたら、と歩は言う。主だったメンバーはプロデューサーの部屋をごろごろと占拠しているだろうから。

「……悪い。さすがに、今朝は疲れたよ」

 昨日の昼間はまだマシだった。メンバーも珍しい船旅をそれなりに楽しんでいたということもあって。だが、さすがに一晩明けると飽きも出てきたらしい。今日は朝から、裸の女のコたちにずっともみくちゃにされていた。

「うんうん、大変だったねー」

 しかし、歩はその輪に加わっていない。もちろん、興味がないこともなかったが――彼女が望んでいたのはそのような場ではなく、むしろこうした穏やかな時間だった。

 歩には、伝えなくてはならないことがある。それは、彼だけに告げればいいということではない。が、彼にだけは必ず告げなくてはならない。それができるのではないか、と歩はこの撮影に名乗り出た。もっとも、観光を兼ねたビーチリゾートでの(ミュージック)(ビデオ)となれば、好んで辞退する者など先ずいない。ただ――カラオケボックス副店長を務める糸織だけは、残された者の管理のために自らも残らざるをえなかったのだが。

 公正なるくじ引きを経て、歩はここにいる。そして、奇しくも彼女が望む状況となった。いまこそ伝えないと――けれど――不覚にも、気持ちの整理がついていない。実のところ、船の往路では諦めて、宿泊中に目標を定めていた。せめて、裸になれれば変わるかもしれない。あのくじ引きで、五本のうちの一本を引き当てられたように。だが、ここで突然脱ぎ始めるのはあまりに不自然だ。何より、遠からぬ場所にはこの景色を楽しんでいる他の乗客もいる。

 まごまごと迷っているうちに、歩の時間は終わりを告げた。

「お疲れさまです、プロデューサーさま」

 海風にふわりとなびく長い髪。白いワンピースはまさに海模様にうってつけ。飾り気がないだけに、大きな胸が一際目を引く。その瞳はどこかおっとりとしており、物腰も丁寧。目上の者に対する礼儀もわきまえている。だが、低い背丈の下から見上げられているにも関わらず、どうしても上司のような雰囲気は拭いきれない。何故なら彼女は、新歌舞伎町の三大勢力・ライブネットの社長・萩名(はぎな)兵哉(ひょうや)の一人娘――里美(さとみ)だからである。

 初めて会ったときには、まともに会話も成立しなかった。プロデューサーの答えひとつでプロジェクトの命運が決まってしまう――その覚悟で臨んでいたのだから。しかし、萩名社長にTRKプロジェクトをどうこうするつもりはないらしい。むしろ、里美嬢が参加してくれたことにより、業界の人間からは天然カラーズ、ファンムードに続く第四勢力として捉えられているフシさえある。実際のところ、力を失いつつある天然カラーズに代わり、TRKに新歌舞伎町の均衡を担ってほしいと里美は願っていた。それに応えられるかはわからないが――プロジェクト存亡の危機を乗り切った彼は、里美ともメンバーのひとりとして向き合うことができる。

「お疲れさまです、萩名嬢」

 だが、すべてのメンバーが馴染めているわけではない。それは、令嬢が令嬢として育てられた過程で身につけてきたものなのか。隙のない佇まいに、歩は一歩後ずさってしまう。

「あ……あははー……」

 とはいえ、ここであからさまに踵を返してはあまりに失礼か。何より、里美はムッとして眉をひそめている。とはいえ、これは歩の態度に対してではない。

「プロデューサーさま、わたくし、そのような呼ばれ方は好みません」

 すでに父親とは決別した身であり、彼女もまた他のメンバーと同様にカラオケボックスの一室に住み込んでいる。だからこそ、お嬢様扱いなどされたくはないのだが。

「とはいえ、萩名様は重要取引先のひとつでありまして」

 兵哉社長のことを思うと、他のメンバーと同じようにさん付けで呼ぶことはどうしても憚られる。

「では、名前の方で――」

 と言いかけて、歩の視線に気がついた。彼女を含め、メンバーの多くが下の名前で呼ばれたがっている中、家庭の事情でひとりだけ特別扱いしては、グループとしてのバランスが崩れてしまう。

 里美が言葉を止めたことで、歩は自分が無意識に良くない顔をしていたことに気がついた。そして、それは当然プロデューサーも。しかし、これを機とばかりに、彼は唐突に話を変えた。

「ところで……そろそろ“本当の目的”を聞かせていただけませんか」

「?」

 と首を傾げるのは歩。今回の撮影は、里美のコネで決定したことは聞いている。ゆえに、その本人だけはくじ引きの対象外として参加が決定していた。しかし、メンバーの多くは、お金持ちだから、くらいでしか捉えていない。

 だが、プロデューサーにはただの撮影とは思えないことがあった。

「今回の参加人数……丘薙(おかなぎ)さんと事前に打ち合わせておりますね」

「えっ? 糸織ちゃんと?」

 歩は、自分の知らないところで難しいやり取りがあったことをここで知る。だが、里美としても隠すつもりはないらしい。

「それはもちろん、劇場の運営に支障を来たしては困りますでしょう?」

 離島への船旅は楽ではない。船中泊も含めて四泊五日――短くもない期間を回せる最少人数は、彼の見積もりでも六人は必要となる。ちょうど、残された数だ。参加を望むメンバーたちの期待に最大限に応えるため――でなければ、“この撮影にはできるだけ多くの人数が必要”ということ。

「も、もしかして……私、席を外した方がいい……?」

 まったく話についていけない歩はおずおずとプロデューサーの顔色を窺う。

「いえ、蒼泉さんも、センターとして」

 歩と里美は『お風呂会談』にて語り合った仲だ。話しにくい機密(こと)などないだろう。だからこそ、里美に他意はない。

「ふふふ、それはまだ知るべきときではありません」

 不敵に笑うと、令嬢はふわりと踵を返す。

「それではわたくし、下船の支度がありますので」

 彼女の背中は引き止めて問い質せる雰囲気ではない。きっと、また何か大きなことを企んでいるのだろう――それは間違いなく、あの街の勢力争いに関わることで。

 それを彷彿とさせるように。

「今回の旅程はわたくしが精一杯ご案内させていただきますので、何のご心配もなく南の島をご堪能くださいませ」

 背中越しにチラリと不敵な笑みを覗かせて、里美は自室へと戻っていった。

「『秘書役』、ずっと里美さんなの?」

 歩は素朴な調子でプロデューサーに尋ねる。

『秘書役』とは――先週の里美嬢の襲来を機に設立されたメンバー内の役割のことだ。ここの責任者は何かにつけて女性に弱く、悪い女から悪い条件を飲まされかねない。そのため、メンバーの誰かが交代で秘書役として補佐するようにしている。

 面会相手の性別はさておき――事業規模も当初と比べると急拡大していた。それは、ライブネット社長・萩名(はぎな)兵哉(ひょうや)に認められたからかもしれない。TRK事務所から辛うじてアポイントメントを拾いつないでいくどころか、一日中何らかの打ち合わせが入っている。それをひとりで捌くのは難しくなってきていたため、その提案をプロデューサーも了承した。

 そして、今回の旅程については、話を持ち込んできた里美自身がその役目を買って出ている。おかげでプロデューサーは撮影内容の検討だけに集中することができた。メイクやカメラマンは現地の専門家にお願いするよう手配してもらっている。だが、ロケーション選びは責任者次第だ。

 しかし、旅程の根本的な事情くらいは押さえておくべきだったのかもしれない。

 ホテルくさなべ――港から離れた島の反対側に位置するその旅館は、立地こそ不便だがオーシャンビューは壮大であり、プライベートビーチも備えている。もちろん、撮影許可も取得済み。だが、交渉次第ではもう少し踏み込んだ撮影ができるだろう。何故ならば――

「はっ、萩名様のご紹介と聞いており……あっ、ワタクシ、この旅館の支配人を務めておりますクサナベと申します……っ!」

 南国だけに年中日差しが強く、袖から覗く日焼けの跡は男らしく見える。が、身体の線は細く、ズレた眼鏡がやや頼りない。もう少し落ち着いてくれれば、礼儀正しいホテルマン、といった雰囲気にもなりそうなものだが。

 ともあれ、ここは里美の家の影響下にあるらしい。恐縮した様子で名刺を差し出されたので、プロデューサーとして一応交換しておいた。自分はむしろ、萩名勢とは相対している身ということは伏せて。彼女たちの輝きのためならば、ある程度のズルさも許してほしいと願いながら。

 しかし。

「萩名様御一行“九名様”は、最上階の大部屋となります……っ」

「やった! 最上階!」

 プロデューサーに差し出された鍵を、紫希は横から奪い取る。そしてそのまま、たーっとエレベーターの方へと向かっていった。なお、さすがに上陸前に服は着ている。が、大きなTシャツをワンピースのように羽織っているのみ。裾の長さも心許なく、慣れない現地民や宿泊者たちには刺激が強すぎるようだ。そんな彼女をガードするように囲みながら続いてくメンバーたち。しかし、プロデューサーはその数に疑問を呈す。

「九名……?」

 粗相がないかと緊張に満ちた支配人ゆえに、その呟きに対してすぐさま反応した。

「ま、まさか手違いが……? すいません! ですがこちら、十二人までお泊りいただけますので……っ」

「いえ、メンバーは“八人”のはずなのですが……」

 だが――ひとり手続きの違和感に気づいて引き返してきていた里美は、それを聞いて背後からくすりと笑みを投げかける。

「ふふっ、プロデューサーさま、ご自身をお忘れですよ」

 ちょっとした数え間違いを指摘したつもりだったが、世間体としては重大な問題である。

「まさか……男女で相部屋……?」

 船の部屋は狭く、ふたり部屋が五つ充てがわれていた。ゆえに、プロデューサーが当然のようにひとりで。彼はこれを、女性の中の男性ゆえの配慮だと思っていた。しかし、実際のところは違ったらしい。

「皆さん一緒でしたら揉めませんでしょう?」

 どうやら、“誰がプロデューサーと相部屋になるか”で譲ろうとしなかったため、平等に彼だけがひとりとなったようだ。

「い、いえっ、そうではなく……男女の相部屋というのはマズイのでは……」

「それはつまり、夜這い先がなくなる、ということ……?」

 少なくとも、うちの作品は同室でしたが、との里美の言を聞いて――

「それは、アダルト作品の話ですから!」

「……はて?」

 これまで令嬢として事務手続きはすべて使用人に任せていたところがある。実家から離れたこともあり、このくらい自分でも――と挑戦してみたが、ここぞというところで配慮が抜けていた。

 これに、支配人は解釈を誤る。

「しっ、失礼しました! 里美お嬢様のお部屋をすぐに用意いたしますので……っ!」

 令嬢用の個室の予約がなかったことの方に、支配人自身は不思議に感じていた。しかし、問い返すだけの度胸がなければ言われたとおり鵜呑みにするしかない。自身の判断の甘さに狼狽する支配人だったが、里美はむしろがっかりした様子を見せる。

「わたくし……皆様と一緒の大部屋に憧れていたのですけれど……」

 むしろ、これまでの重役対応の方に疎外感があったらしい。それを聞いて、支配人もほっと胸を撫で下ろす。

「それでしたら、こちらのお部屋でご一緒にお寛ぎいただければと」

「はい、ありがとうございます」

 里美はニコリと微笑み、話は決着してしまった。プロデューサーとしても、これ以上事態を掻き回すことは憚られる。一先ず――今夜は、レンタカーでの車中泊しかないか、と腹を括っていた。


 フロントにてそのようなやり取りがあったことは、他のメンバーたちは知る由もない。到着した当日は自由行動ということもあり、各々早速プライベートビーチに繰り出していた。

「……紫希さん、せっかくのビーチリゾートなのに、スマホなんですね」

 しっかり水着を着込み、浮き輪を引っ下げ遊ぶ気満々の春奈は、パラソルの下のデッキチェアで寛いでいる紫希と優に向けて残念そうに声をかける。

「んっふふ~♪ 日頃引きこもってるからねぇ。何より……ここ、服着なくていいんでしょ?」

 プライベートビーチであるため、咎める者はいない。ここに来るまでも乳首を浮かせたTシャツ一枚で道行く男たちの心を騒がせてきたが、強い日差しを浴びて汗ばんでしまった。どうせ着替えてもまた汗ばむのだから新たに着る必要はない、というのが紫希の弁である。

「優さんは……泳ぎませんか?」

「いい。疲れるし」

 水着も着ているのだから泳がないともったいない、と春奈は思う。だが、優はこの空気を満喫していた。締めて何万もするような旅行にタダで来ている――それを実感することで、優は何にも勝る充実感を得られるのだった。

「……おや、夜白さまは……?」

 しとれのワンピース水着の肩フリルと白いパレオはメイド服をイメージしているらしい。なお、頭上のヘッドドレスも健在で、これも防水仕様とのことだ。

「……あー……シロちゃん、浮き輪に乗ったままあんな遠くにいるのー……」

 朱美が指差した先で、夜白は点になりかけている。

「ちょっとアレ、流されてるんじゃない?」

「わー、早く助けに行ってあげなきゃー」

 と口にしながら、優と紫希に助けに行こうとする様子は微塵もない。

「ひぇ~、大変です。春奈、行ってきます!」

 浮き輪片手にザブザブと立ち向かっていく春奈だったが――結局、本人も流されてゆき、しとれと朱美によって浜へと引き戻されたのだった。


       ***


 それなりに遊び疲れたのか、翌日の撮影に備えてか、食事を終えたところでメンバーたちは早々に床に就いている。だが、プロデューサーの仕事は終わらない。寝静まってくれたからこそできることも多く――ようやく一服つけたと思えば、すでに日付が変わっている。

 なお、メンバーたちが海ではしゃいでいた間、彼は島を散策していた。この島は、素晴らしい。海際の街道を歩けば、木々の隙間から覗く海の蒼さは東京湾のそれとはまったく異なる。予定していたプライベートビーチだけでなく、街中使って撮影に望みたいくらいだ。許可を取れる範囲で。

 彼はそんなことを、深夜の大浴場に浸かりながら考えていた。結局、夕食時を除いて彼は部屋に戻っていない。男が同室していては落ち着かないだろう、と気を使って。実際、落ち着かなかったと思われる。今朝の再来、という意味でも。ゆえに、宿ではもっぱらロビーで仕事をしていた。日々の業務と、そして、明日に向けての最終確認を。そこは何かと人通りがあるので、メンバーたちに襲われることもない。

 撮影に備えて一〇人乗りのバンは借りている。今夜はそこで眠ることになるだろう。ついでに、夜の島の様子を見て回ってもいいかもしれない。明日は、一日撮影に使えるのだから。

 このような時間ということもあり、彼の他に入湯者はいない。男湯ということでメンバーたちが入ってくることもない。彼はこの旅程で、初めてゆったりと羽根を伸ばしていた。

 しかし。

 カラカラ、と扉が開いたのでそちらを見やると、予想外の事態に彼は我が目を疑う。

「あっ、蒼泉……っ!?」

 あまりのことに、思わず学生のように呼び捨ててしまった。ハッとして湯船を見回すが、先に浸かっていたのは彼ひとり。少なくとも、すぐに騒ぎになることはなさそうだが、他の誰かが来れば即座に大問題だ。

 一方歩は、少しはにかみながら――小さなタオルでは、胸も股間も隠せていない。むしろ、隠す気もないのだろう。何故なら、いつも見せている身体なのだから。胸の谷間からおへその下辺りまで、申し訳無さそうに生地を垂らしている。

「あははー……ちょっと、ご一緒させてもらっていいかな?」

 持参したタオルは、長い後ろ髪をまとめるためのもの。頭に巻いてしまえば、わずかでも身体を隠せるものはなくなった。その全身は普段見慣れたもののはず。だが――入浴という私生活の一部を魅せつけられているようで、彼はいつもと異なる艶めかしさを感じていた。

 歩はさっとかけ湯を済ますと、静かにつま先を湯船へと沈める。そして、湯気を掻き分けて彼の隣に腰を下ろした。柔らかな下腹部がふわりと触れそうなほど近くに。

「お疲れ様。けど、みんな心配してたよ。オーナーがなかなか帰ってこない、って」

 彼は少し考えて――やや疲れていたのかもしれない。

「俺が女のコと同室するわけにもいかないだろ。何か間違いがあったらどうするんだ」

 それは、プロデューサーとしてではなく、同級生の顔で。だから歩もまた、当時の顔に戻っている。

「間違いって……誰と?」

「誰って……いや、そういうことじゃなく」

 質問をはぐらかそうとする彼を、歩の視線は逃さない。その瞳には普段らしからぬ圧が含まれていた。

「積極的な紫希ちゃん? くっつくのが大好きな朱美ちゃん? 間違いって言うなら……春奈ちゃんがそれっぽいかも」

「蒼泉……?」

 歩の様子は普段と違う。それは、彼が見てきた――それこそ、学生時代とも。

 それを自覚したからこそ、ふいに歩は微笑んだ。自分は自分――いつもの私だよ、と言いたげに。

 海の上で、それを告げることはできなかった。けれども、いまならできる。むしろ、いましかできない。だからこそ。

「私ね、ずっと謝りたかったんだ」

「謝るって、何を」

「前に、黙って何日も空けちゃったこと」

 かつての歩は迷っていた。裸にならねば唄えない自分の未来を悲観して。だが――短所は長所――まこからの激励を受けて、歩は開き直った。自分で言うのもナンだが、人前で裸になれる女のコはそう多くはない――はず。このユニットはそんな女のコばかりだが。それは例外として。例外的な女のコによる集団のひとりとして。

「あのときは、その……イベント直前で、すぐにでも何とかしなきゃだったからバタバタしてたけど……」

 イベント――次の日曜日に、共に出演するパートナーが壇上で全裸に剥かれてしまうかもしれない――忽然と姿を消した歩は、そんな情報を持って駆け込んできた。皆の待つカラオケボックスに。全裸で。

 そのときも謝ったつもりではあった。が、自分がしでかしたことに対して、ちゃんと叱ってもらえた気がしていない。

 だから。

 歩はプカプカと漂うように流れて彼と向き合う。

「本当に、ごめんなさい」

 鼻先がお湯につきそうなほど、歩は深々と頭を下げた。

「まあ、心配したし、代役探すのも大変だったけど――」

 同級生に戻っているからこそ、少しだけ漏れた本音。

「――無事に戻ってきてくれて、本当に良かった」

 これもまた、本心だ。

 しかし。

「でも、何だか私の気が済まなくて……」

「蒼泉?」

 メンバーの中で唯ひとり、歩を責めるのは歩自身。

「だって、あんなムチャクチャしたのに、何もなく無罪放免、なんだもの」

「罰が欲しかったのか?」

 執拗に自罰的な歩に、彼は思わず笑みをこぼす。本人も至極反省しているし、何より、センターたる歩に何らかの処分を下すことなどできようもない。

 そんな事情を、彼女自身何となく理解している。だが、はっきりとはわかっていない。

 だから。

「踏ん切りをつけるためにはね」

 このユニットにとって、そして、彼にとって――自分は一体何なのか。

 彼はプロデューサーとして、みんな平等に接している。

 だが、その一方で――

 歩は自分が特別な存在であるとは思っていない。

 けれども、特別な存在になりたいとは思っている。

 あの件では、本当に迷惑をかけてしまった。

 それは、申し訳なく思っている。

 だからこそ。

 自分が許されるだけの理由がほしい。

 最初のひとりだからとか、センターだからとか、そういうことではなく。

 オーナーから見て、自分自身が特別である証を。

 それを求めて、歩は彼を抱きしめた。

 男の胸に自分の胸を預け、男の足の上にふわりと自分の重さを乗せる。

 ――柔らかい男のコ。さっきまで――湯面が波立っていてもちゃんと見えていた。漂うことなく硬く、力強く流れに逆らっていたところが。けれど――おそらく、こうして寄り添う直前に――彼は、平静を取り戻したのだろう。自分の立場――TRKのプロデューサーであることを思い出して。

 けれど。

 それでも、できることはある。

「だから、もし、オーナーが“ソレ”を私に悪いことだと思っているのなら――」

 きっと次に彼が言葉を発するときは、プロデューサーとしての言葉遣いに戻っていることだろう。

 だから、それは聞きたくない。

 それ以上何も言わせないため――歩は静かに目を閉じた。そして息を止め、鼻を交差させるように距離を詰める。

 このとき――彼は、迷っていた。

 歩は、前に進むキッカケを欲している。

 ここで彼女を拒むことは、彼女の歩みを止めてしまうのではなかろうか。

 だからこそ、歩は止まらない。

 私は、オーナーと――


 ガラリッ!

「歩さまッ!!」


 その物音に彼が振り向いたので、歩の唇は男の頬に着地した。そして、観念したように、ゆっくりと男の身柄を開放する。

 扉を開いたのは、しとれだった。服は着ていない。これから入浴しようというのだから何ら不自然なことはない。ここが男湯であるということを除けば。あと、頭のヘッドドレスを除けば。おそらく、海で着けていたのと同じ防水仕様のものなのだろう。

「あ……あははー……しとれちゃん……こんなところで、どしたの?」

 ここまで、綿密に計画を立ててきた。海では遊んでいるフリをしながら軽く流してあまり疲れないように。部屋が寝静まってからも、時々彼の様子はこっそり確認していた。布団の中で横になっていても――裸であれば、強い意志を持ち続けられる。そして、仕事をしていたオーナーの姿が消えたのを見計らって、決行に移した。ロビーにおらず、部屋にも戻っていないのであれば、行き先は極めて限られている――表の廊下には勝手に清掃中の看板も立てさせてもらって。彼と、ふたりきりになるために。

 しかし、それがよくなかった。

「おかしいと思ったのです。“小浴場と同時に清掃”なんて」

「……あ」

 複数の浴場があるのなら、清掃時間はずらした方が宿泊客も入浴しやすい。実際、パンフレットによればそのようにスケジュールは組まれている。メイド気質のしとれは、それを自然と記憶していた。ゆえに――夜、ふと目が覚めたとき、いまならふたりきりになれるのでは、とロビーに赴いてみたものの無人。そこで歩と同じく、開いているはずの大浴場に向かったのだった。なのに、予定にない清掃中。訝しんで中に入ってみれば――!

 かけ湯も疎かに、ジャバジャバと歩の方へと詰め寄るしとれ。すーっと逃げていく歩には見向きもせずに、しとれはプロデューサーの元へ真っ直ぐ詰め寄る。どうして良いのかわからず、彼はその場から動けない。じっと顔を突き合わせたその刹那――

「んぐっ!?」

 それは、思わぬところで。水面下に向けてにゅっと伸ばされたしとれの手は真っ直ぐに彼の股間を鷲掴みにしていた。このまま握り潰されるのか――? 彼は恐れおののき身動きひとつできない。その様子で、しとれがナニをしているのか歩にもわかった。

「しとれちゃんだって……ナニしてるの!」

 一度は逃げてみた歩だったが、すぐさま引き返して問い詰める。これに、しとれは端的に答えた。

「睾丸の張り具合を確認しておこうかと」

「え……?」

 これには彼も、男として呆気にとられるしかない。

「どうやら、射精後ではなさそうですね」

「そっ、そうだよ、未遂未遂!」

 しかし、射精を伴わない事後もある。ゆえに、しとれには看過できない。

「未遂だとしてもっ!」

 せっかくこれまでプロデューサーが抑えてきたことを、台無しにしようとするのか、としとれは叱りたい。だが、自身も裸で入室してきたため、どうしても勢いと説得力に欠ける。どう言葉にして良いものかとしとれ本人も迷っていたところ――

「あらあら、こちらは男湯で良かったかしら?」

 男湯でありながら、すでに女子の人数の方が多い。そこへさらに里美まで加わってしまった。これではもはやまったく男湯としての体を成していない。なお、彼女もまた全裸である。歩のようにタオルさえ持参していない。

「男湯とわかっていながら入ってきたのですか……」

 さすがに三人目ともなると、プロデューサーも驚きはしない。だからか、里美の方もごく自然体で。

「女子は男湯に入っても良いのでしょう?」

「それはまた、御社のビデオによる通例ですか?」

「あら」

 また自社の企画モノを真に受けていたらしい。そして、この後の展開も企画モノと同じであれば――

「里美さまも、店長の貞操を狙って……!」

「いえいえ、わたくしはプロデューサーさまとお話があっただけで」

「私もオーナーとお話してただけだよー」

 ここぞとばかりに自らを正当化してみる歩。

「なら一緒じゃないですか!」

 それは建前である、と悪い方向で里美も統合されてしまった。

 しかし。

「ですから、わたくしはお話をしに来たと。ですが――」

 テステスと洗い場を歩く里美は湯船に入る様子はない。

「歩さまもいらしたのでしたら、都合が良いかもしれません」

 里美が歩に声をかけるとき――それは必ず、TRK全体に関わる。しとれは自分が蚊帳の外であることに異存はないが――店長の貞操は私が守らなくては、と自分のことを棚に上げて構えていた。

 そんな覚悟とは裏腹に、里美はひとり部屋の隅へ。そこで、ふいっと彼の方へと振り向く。

「プロデューサーさま、ちょっとこちらへいらしていただけますか?」

 呼ばれてはいないが、他のふたりも同伴する。

 里美がやってきていたのは閉ざされた扉の前。そのガラス戸の向こう側は露天風呂になっている。昼間ならば広々とした水平線が一望できたかもしれないが、この時間は真っ暗で何も見えない。その上、この浴槽にお湯が張られておらず空のまま――使用されていない理由は時間帯ではなく他にありそうだ。

「これは、この旅館の構造の欠陥なのですけれど……」

 その扉には『調整中につき使用できません』と張り紙だけは貼ってある。だが、施錠などはされていない。ガチャリとドアノブを回すと、里美は静かに外へ出た。続いて、プロデューサーたちも。室内の明かりを窓が通してくれているため足元に不安はない。だが、辺り一面闇夜である。月が出ているため薄ぼんやりと地形くらいは感じられるが、まるで黒地に刷られた黒い版画だ。

 しかし、そんな暗闇の中だからこそ、人工的な光はよく見える。

 どうやらそこは、下階の個室風呂のようだ。景色を優先するあまり囲いが甘く、上から丸見えになっている。空き室ならば良かったが、現在まさに使用中。だが、こんな景色も楽しめないこの時間に――?

 何故ならば、その者たちの目的は景色ではなかった。一応女性の方は海の方を向いているが、岩を模した湯船の縁にもたれかかっている。そして、その後ろからしがみついている男性は――

「も、もしかして……」

「あまり覗いて良いものでは……」

 里美が見せたかったものはこれらしい。だが、事前情報なしにこのシーンはあまりに衝撃的すぎた。三人は各々、まぐわうふたりから目をそらす。その先に――

「……あれ?」

 歩は暗闇の中で何かを見つけた。

 それとは別に、プロデューサーは個室風呂での不自然さに気づく。

「あれは……カメラ、ですかね……?」

 向こうの浴室にいたのは三人。裸の男と、裸の女と――カメラを担いだ着衣の男。明らかにカタギに見えないのはその髪型ゆえか――側頭部を剃り落とし、残りの中央部をエビのように編み込んでいる。むしろ、渋谷のストリートでラジカセを担いでダンスに興じていそうな――そこまでのステレオタイプはすでに絶滅危惧種ではあるが――しかし、彼が担いでいるのはラジカセではなくビデオカメラである。しかも、個人で所有するようなものではない。言われて、しとれもまた確信した。

「もしかしてAV撮影……?」

複雑そうな面持ちで呟く。だが、プロデューサーはある種の楽観を期待していた。

「とはいえ、ここはライブネット系列の旅館とのことですし……」

 当然、そのスタッフにも里美の顔が利く――そうあってほしかったのだが。

「ふふふ、まだあまりこの業界にお詳しくありませんのね」

 だからこそ、自分がここにいるのだ、と里美は誇らしげに微笑む。

 そこに――

「はっ、萩名お嬢様……ッ! そちらは危険ですので、お立ち入りはご遠慮いただきたく……ッ!」

 支配人には里美が男湯どころか、勝手に禁止区域に入ったことを咎めることなどできない。彼が来たのはただ、夜の見回り中に時間外の清掃中札が出ていたことを不審に思っただけだった。もちろん、危険なのは露天風呂自体ではない。ここからの視界によって発生しうる客同士のトラブルの方だ。

 ゆえに。

「支配人、お尋ねしたいのですが――」

 実直なプロデューサーのことなので、単刀直入にAV撮影について切り出しかねない。なので、里美はさり気なく手を差し出して彼を制する。

 歩もその様子を感じ取ったのか、それとも、本当に気になっていたのか。

「しっ、支配人さん! 大変なの! そのー……事故が……っ」

「事故?」

 それについては他の誰も見ていないが、ここは歩に任せておく。

「あっちの崖の上から誰かが飛び込んだように見えて……」

 撮影現場から視線をそらした際に、それは偶然目に入った。いや、入ったような気がしただけかもしれない。何やら、少し離れた崖の上を海に向かって何かが滑り、そのまま中空に放り出されたような。もしそれが本当なら――この時間帯ということもあり、一大事である。しかし、支配人はのんびりとした様子で。

「あー……それはうちの子かもしれません」

「お子さん?」

「ええ、何と言いますか……うーん……」

 と一頻り悩んだ後。

「……ああ、旅館の裏方で働いとるんですが、あまり人前に出たがらないところがありまして」

 そんな性格だからこそ、裏方なのかもしれない。

「こういう、ひと気のない深夜に出歩いているようなのです」

「出歩くというか、海に飛び込んでたんですけど……」

 この闇の中では海面がどうなっているかすら見えようもないというのに。それでも、支配人はさらりと答える。

「夜目が利くようでして」

 それは、夜目でどうにかなるレベルなのだろうか。さすがに誰にも納得できないが、支配人は強引に話を閉じる。

「ということで、外で不審者を見かけても……そっとしておいてやってください」

「……は、はぁ……」

 プロデューサーは気の抜けた返事をすることしかできないが――これで決まったようなものかもしれない。この支配人も“不審な行為の黙認者”である、と。


 とはいえ。

 男湯に乱入した女子三名――彼女たちもまた、不審者に他ならない。支配人によって清掃中が解除されてしまったいま、じきに他の客が湯浴みに来るかもしれない。そろそろ出ておいた方がいいだろう。

 そう思って、プロデューサーは脱衣所に来ていた。歩としとれも同様に。しかし、里美からの話は終わっていなかった。浴衣に袖を通したプロデューサーのところに、里美は着衣もせずに“それ”を手にしてやってくる。

「プロデューサーさま」

「先ずは服を着られてはいかがでしょうか」

 すでに劇場にも出演してもらっているので、いまさら全裸であっても動揺することはない。が、あまり健全な状況でもない。

 そんなプロデューサーの意向を無視して、里美はスッと一枚の名刺を差し出す。

「こちらに見覚えは?」

 当然あった。

「それはもちろん、こちらに到着した際に交換しました支配人の――」

 と言いかけて、彼は思わず目を見張る。一見だけだったので姓名まではっきりと覚えているわけではない。だが、肩書きは確実に間違っている。

『南国企画 監督』――

「この手口、プロデューサーさまもご存知では?」

「ええ」

 リアリティを出すための肩書きだけ差し替えた偽名刺――数ヶ月前、彼もやられたことがある。それによって、あらぬところからのクレームを彼らが受けることとなったのだ。そして、女のコたちを騙し、悪質な撮影を強要していたのは――

「ファンムード……ですね」

 ようやく彼は、里美の思惑を理解した

「これが、今回の撮影旅行を企画した意図です」

 もう、里美が事情を隠す必要はない。

 それを見計らったかのように――


「話は聞かせてもらったっ!」


 ちょうど、支配人によって清掃中の札が取り除かれた直後だったのだろう。ドカドカと乱入してきたのは紫希だった。しかし――?

「……あのー……、脱衣所はここなのですが」

 なのに、外から全裸で入ってくるのはどうしたことか。

「え、だってこれからお風呂入るんでしょ?」

 平常運転である。

「だったら、部屋で脱いできた方がいーじゃん」

 一緒にやってきた夜白もまた全裸だった。

「その方が効率的なのだから当然よね」

渋長(しぶなが)さん!?」

 普段、こういうことをやらかさない優までも全裸でやってきたことに、プロデューサーは少なからず驚かされた。優にとって、効率的であれば入浴時の姿で旅館の廊下を出歩くことくらい造作もない。

「ほらほらー、やっぱりそうなのー。だ・か・ら、ルナちゃんも脱ぐのー」

 そう言ってベタベタと春奈にくっついている朱美。みんな揃って裸の付き合いをしたいようだ。

「ぬ、脱ぎますけれど……脱衣所で」

 このユニットの良心というべき春奈だけが、ここまで服を着てやってきている。だが、惜しい。こちらは男湯である。

 彼女たちの目的も、基本は前のふたりと変わらない。寝るのが早かったため、ふと目を覚ました紫希はスマホでゲームを始めていた。そこで、ふと何人かメンバーが足りないことに気づく。夜這いに行ったのかなー、と男湯を目指し、それに気づいた夜白が続き、ふたりがゴソゴソと動き始めたことで次々と起き出してきたようだ。

「奇しくも皆さま揃いましたので……お話しましょう」

 里美が仕切り始めてしまったので、紫希もこの場での誘惑は諦めねばならない。それでも、朱美には充分だった。

「一緒にお風呂入りながら、なのーっ」

 これが、ファンの間で語り継がれている『男湯制圧事件』の発端である。すでに部屋の外の清掃中の立て札は取り除かれていたが――中から女のコたちの華やかな声が響く風呂場へと踏み込んでいける男はなかなかいない。


 あまり良いことではないと承知の上で――こうして、そのまま男湯大浴場で作戦会議となった。何故なら、ここはある意味盗撮や盗聴の危険性が最も低い。先程の支配人の様子――男湯に若い女子が三人も入っていたのに、それに対しては驚いている様子がなかった。それは、この旅館内では珍しいことではなく――この建物自体が、内通者の手が入っていると疑ってかかった方がいい。

 そんなわけで、広い湯船に男ひとりと女子が八人。淑女協定によりプロデューサーに対して一定距離を確保したため、あたかも男子が女子集団に包囲されているようにも見える。

 弧を描くその中心――プロデューサーの正面に座するのはやはり里美だった。

「今回、プロデューサーさまに撮影旅行を持ちかけたのは、先程お見せしました名刺を入手したためです」

 このあたりから聞き耳を立てていたようなので、事情については紫希たちも何となく把握している。だが、その前に別件を確認しておかなくてはならない。

「先程の、私がこの業界に詳しくない、というのは……」

 彼も不勉強であることは自認している。それによって状況を見誤るわけにはいかない。

 ゆえに里美は、先ずプロデューサーの認識違いを正す。

「新歌舞伎町の内部勢力は概ね三つに分かれておりますが……その外で、いずれかの勢力に属している、というケースはあまりありません」

「……それは……ああ、はい、そうですね」

 街の勢力図は頻繁に上書きされる。その度に誰がどこの陣営で、などと、外の人間が逐一対応していくことは難しい。ゆえに、基本的には業界全体に対して平等に協力的な姿勢を取ることとなる。『AVにてよく見かける風景』というものは、そのような事情によって生じているということだ。逆に、本当に萩名家と経営的なつながりがあれば、その関係性は明確に切り離すだろう。AV会社が運営する旅館、という肩書きは、一般客には敷居が高い。

 ゆえに、ここの支配人も同じこと。ライブネットだろうがファンムードだろうが、平等に腰が低いのだ。

 なので――

「……オーナー、明日の撮影、もっと色々できるんじゃ、って考えてる?」

「あ、いえ、そのようなことは」

 と誤魔化しつつも、(全裸の)歩にウソは通じない。

 ということで、彼は改めて本題に向けて真摯に向き合う。

「萩名嬢、あの名刺の入手の経緯についてお話しいただけますか」

 自分たちと同じように心当たりのないクレームを受けた、ということであれば、支配人を協力者に組み込めるかもしれない。だが、業界御用達の名刺をコピーする図太さには理由がある。

 順を追って説明するために、里美はふいに視線を逸した。その先に座するのは――

「店長、“湊”……という女のコを覚えておられるでしょうか」

 里美から唐突に説明役を委任されたが、しとれは動じることなく話を切り出す。

「それは……はい。メイド喫茶で働いておられたという……」

 先月開催されたメイドフェス――そこでのしとれの訴求力は絶大だった。だがそれゆえに――ステージには上がれどもメイド喫茶には戻らなかったことに落胆し――店を辞めていったのならまだしも、しとれの後を追いかけてきたひとりの後輩がいた。

 とはいえ――やはり裸になることには馴染めなかったらしい。ストリップ動画を添付しての応募だったが、<スポットライト>は感じられず、その表情はむしろツラそうであり――残念ながら採用見送りとなった。そこまでは、しとれの耳にも入っている。しかし、この話には続きがあった。

「実はあのコ……あの後、『花丸動画』というところに所属することになりまして……」

 そこは天然カラーズ傘下の事務所である。そこで経験を積んで、またTRKに挑戦したい、と言っていたそうだ。しかし。

「一本目の収録が終わったところで、彼女から相談を受けたのです」

『南国企画』と称する別事務所からの撮影依頼――自分たちは南の島でのミュージックビデオを専門に扱っていて、同じ天然カラーズ傘下だから問題ない――一線で活躍中の先輩方も一緒だから――それがむしろ、新人たる湊を疑わせた。確かに、他の参加者の中には、名前を聞いたことのある人もいる。そんな先輩たちと、まだ初心者同然の自分が肩を並べて――?

 よほどの大手でなければ、事務所の名前が検索サイトにヒットすることはない。そんな折に、里美がTRKに加わった。そこで、この事務所を知っているか、と尋ねてみたのである。その結果――

「大変申し訳ありません、店長。まさか、ここまで大事になるとは思いもよらず……」

 しとれはメイドとして世話を焼くことには慣れていても、焼かれることには慣れていない。里美どころか上司にまで迷惑をかけてしまった、としとれは慎重さを欠いた行動を悔いていた。

 ゆえに、里美は議論のバトンを奪い取る。メンバーの誰が悪いものではないとして。

「確かに、この島にはかつて撮影事務所はありました。ただし……ライブネットの」

 その時点で天然カラーズ傘下と名乗る者たちの真偽は怪しくなってくる。そこで、萩名家のネットワークを駆使して調べた結果、とんでもない事実が発覚した。

「名前は頻繁に変えているようですが、現・南国企画と称する事務所は、ファンムード傘下の中でも最も悪質な……引き抜きを目的としている事務所です」

「ひぇっ!?」

 引き抜き騒動で危険な状況に陥ったことのある春奈は、その単語だけで身を竦ませる。

 一方、騒動にならずに引き抜かれた優は冷静にそれを受け止めていた。

「悪質ってことは、同意をもって、じゃなさそうね」

「はい。天然カラーズの事務所は原則として『本番禁止』となっております」

 天然カラーズは元々グラビア等を扱っていた事務所の一部門だ。ゆえに、アダルト方面への深入りは禁じているところがある。

 だが。

「つまり、天然カラーズの女のコを騙して本番撮影を強行、それをネタに移籍させる、という手口なのです」

 ゆえに、一旦規約違反の証拠を押さえられてしまえば、女のコたちは強く出られない。それが、堂々と世話になる旅館の名刺を偽造できる所以である。最初に説得力さえ持たせてしまえば、事後にトラブルがあっても問い合わせなどできようもない。なお、その調査報告を受けて湊は撮影を辞退したとのこと。他の参加者たちのことは心配だが、新人女優に先輩を止められるだけの力はない。

 それで、里美がこの件を引き取ったわけだが。

「でもそれ、さすがにヤバイんじゃないのー?」

 夜白も一応風俗店に所属している身である。そのようなことをしたら血で血を洗う抗争に発展しかねない。

「それだけ、天然カラーズの力が弱まっている、ということです」

 だからこそ。

「なので、近年増長しつつあるファンムードに一撃を加えた上で、落ち目の天然カラーズを立て直します」

「立て直す? 恩を売る、の間違いじゃ?」

 紫希は里美の表現に違和感を呈する。もしこれが三国志のようなゲームだったら、小国が弱っているところに肩入れするなど自殺行為だ。クリア目的は中国――ではなく、新歌舞伎町の統一、と紫希は捉えている。その上で、あえて天然カラーズの側に立つ理由は――

「内部から懐柔するつもりでしょ、天然カラーズ勢力を」

「……女のコたちを助けることには変わりません」

 否定なき肯定によって、里美の意図は明らかとなった。最終目的としては、天然カラーズの地盤を我々TRKが引き継ぎ、ファンムード・ライブネットと共に三者による街の統治――里美はちらりとプロデューサーの顔色を窺う。少なくとも、明るい色は見えない。だから、里美はここまで秘匿してきた。後戻りできないところへと彼の背中を押していくまで。

「当然、撮影内容は聞いております。だからこそ、ピンと来ました。先程、こっそり旅館内でスタッフと思われる方のお顔を拝見させていただいたので、間違いないでしょう。今回敢行されるタイトルは『メスブタ・ハンター』です」

「…………ッ」

 その単語を聞いただけで、プロデューサーは眉をひそめる。彼は、女のコを貶めるようなテーマを好まない。

「よく知んないけど、『ハンター』ってゲームっぽいねー」

 メスブタという修飾語を聞いてなお、紫希は興味津々だ。

「ゲームっぽい、というのは正鵠を射ております」

 それは、ゲーム形式の企画である。しかし、そのような題材はむしろライブネットの方が強いはずだ。それがファンムードから出ている、ということは、ゲームよりもその先――罰ゲームの方に重きが置かれている、ということを意味する。

「ルールは簡単で、一定時間女のコが逃げ切れれば女のコの勝ち、ハンターに捕まれば負け、ということです」

 この場合、負ければどうなるのか、想像に難くない。そして、参加するのは『本番禁止』の天然カラーズの女のコである。その意味は、ただの陵辱だけに留まらない。

「もちろん、販売中の作品も拝見させていただいております。迫真の表情だとは思っておりましたが……それは、ただの演技ではなかったようです」

 負ければ本来の事務所から追放されるだけでなく、イメージを毀損したとして多額の賠償金を請求されてしまう。そして、それをファンムードが肩代わりすることで撮影を拒めなくなり――すでに、何人もの女のコたちが苦しんでいる。

 そんなことを、プロデューサーには見逃すことはできない。しかし。

「ですが、どうやって……」

 司法権力の力を借りて撮影を阻止することは、新歌舞伎町の流儀に反する。出演している女のコに対して事前に接触しては、即事務所同士の問題になりかねない。萩名社長から一目置かれ、里美嬢を擁立しているとはいえ、ここで無様な醜態を見せれば、即座に見限られ、劇場ごと潰されてしまうことだろう。

 だからこそ、里美は最も危険な手段を選んだ。

「それは当然、天然カラーズに“所属していない”女のコがすり替わる、ということですよ」

「……ッ!」

 これもまた、プロデューサーには許容できない。女のコたちを危険に晒すことなど。

 だが。

「おもしろそーっ! 紫希やるーっ!」

 逃げ切れる自信があるのか、捕まっても平気なのか、紫希の瞳に曇りはない。

「やるかどうかはギャラ次第ね」

「今回は、わたくしからの提案ですので、予算はこちらで担保いたします」

「なら問題ないわ」

 金さえ積めば、優はいつでも即断である。そして、朱美もまた。

「楽しくないイチャイチャなんて、許せないのーっ」

 彼女を含め、メンバーたちからは何やら熱に浮かされている雰囲気を感じる。だが、プロデューサーとして、今度ばかりは容認できない。

「皆さん、今回の件は自衛を超えています。ですから――」

 以前は、自分たちが直接名誉毀損の被害に遭っていた。しかし、今度は別事務所同士のトラブルである。天然カラーズの女のコたちが心配ではない――ということはない。だが、彼はTRKプロジェクトのプロデューサーである。なのに、最も近しい人を危険に晒して、部外者を救うというのも本末転倒ではなかろうか。

 それでも。

「ほっとくの? そんなこと、できないよね?」

「蒼泉さん……」

 歩は、彼の気質を最もよく理解している。

「やろう、オーナー。多分、ここで女のコたちを見捨てちゃったら、きっと、すごく後悔すると思うよ」

 中でも、最も強い意志を持っていたのは、意外なことに春奈だった。

「プロデューサーさん、もし、私に舞台に上がるだけの素質がなければ、助けてもらえなかったのでしょうか」

「そんなことは、絶対にありません……ッ!」

 これだけは断言できる。だからこそ。

「だよね」

 と、歩は続ける。

「後ろめたい気持ちを抱えたまま前に進むのって、きっと何かと苦しいから」

 どうやら歩は彼よりもっと長い未来を見据えていたようだ。目の前の平穏よりも、ずっと一緒に、胸を張って進んでいける道を目指して。

 そのために、どんなに汚れようとも。しとれは、店長に向けて微笑みかける。

「私たちには、帰る場所があるのですから」

 かつて、メイド☆スターとしての地位を失った自分を迎え入れてくれたのは、彼なのだから。

「……わかり……ました」

 何があっても、受け止めてくれる人がいる――それがプロデューサーとして彼女たちの期待に応える最大限の役目なのだと、彼もまた覚悟を決めることにした。


 なお、夜白は終始どっちでも良かったが、やる方向でまとまったので流れに従うことにした。


       ***


 最終確認として、件の動画を部屋で鑑賞するメンバーたち。最初はのどかな旅行のシーンから始まる。だが、出演者のひとりが部屋で男たちに言い寄られ――

「え? え? これに出てるのって、天然カラーズのコたちのはずじゃあ……?」

 まだハンティングが始まったわけでもないのに禁止事項に手を染めている。予想外の展開に、春奈は真っ赤になってしまった。一方、他のコたちはこの程度で狼狽えたりしない。当然、歩も。

「つまり、女のコの中にも裏切り者がいるってことだねー」

 何よりも、女のコの喘ぎが演技っぽい。このあたりの事情は制作側の里美がよく知っている。

「はい。スタッフさんたちとの間に立ち、信頼させる役割ですね」

 ハンティングのシーンは正味三〇分程度しかない。ビデオ作品としては尺が足りず、ヤラセのようなシーンも必要になる。それが、昨晩個室風呂で行われていた撮影なのだろう。

 そんな裏の事情も知らずに、女のコたちの旅程は穏やかに進んでいく。そして、森の中のヌード撮影の最中に――空気は一転した。

『え、え……ちょっとっ!』

『私たちの荷物!』

 それは、突然のこと。山奥での撮影中に起きた。全裸で撮影していた女優たちを残して、衣類を含めて私物を載せていた車両が現場を立ち去ってしまったのである。

 何が起きているのかと混乱する全裸の女優たち。回答の代わりに渡されたものは、ひとり一本ずつの腕時計だった。

 そして、監督と思われる男が高らかに宣言する。

『いまから、お前たちはメスブタだ』

 あまりの暴言に、女優たちも唖然とするしかない。だが、男は慣れているのだろう。女たちの反応を顧みず、一方的に説明を続けていく。

『あの車は一時間後、駅に到着する予定だ。人に戻りたければ、辿り着け』

 今回のロケ地はどこかの地方村で、車を使わないのであれば電車を待つしかない。一日に数本しか来ない過疎路線を。きっと、帰りはその電車を使う予定になっているのだろう。そこに最短距離で辿り着いたところで肝心の服も電車もない。むしろ、むしろ袋のネズミとなってしまう。

『はぁ? こちとら全裸なんだけど』

 女優のひとりが男に向けて牙を剥いた。当然だ。一時間も全裸で放り出された上、駅前で服を受け取る際も全裸である。誰にも見つからずにやり過ごせるはずがない。だが、男はそれも承知している。

『ブタが人間みたいなこと言ってんじゃねェよ』

 ここで、監督のわきにいたふたりの男たちも下半身を曝け出す。『本番禁止』の女のコたちに向けて。

『人に戻る前に捕まったブタは……』

 下半裸の男たちが、ひとりの女性めがけて襲いかかる……!

『ちょ、ちょっと、マジで!? やっ、やめ……ッ!!』

 本気で抵抗しているようにも見える。が、彼女はすでに昨日のシーンで致しているコだ。つまり、仕込みである。捕まったこうなる、というデモンストレーションのための。

 すぐ傍で本当に襲われ、冗談ではないと知った女のコたちは一目散に逃げ出した。しかし、全裸のまま警察沙汰になれば所属事務所にも迷惑がかかるし、何より、捕まらなければ禁止事項にも抵触しない。そう信じて、女のコたちは散り散りに逃げていく。

 ここからしばらく、グルだった女子の陵辱シーンが続いていた。その間、他の女のコたちの様子はわからない。きっと、時計を凝視しながらどこかに身を潜めているのだろう。街に人はいるが、素っ裸であるため助けを呼ぶこともできない。

 男たちはひとしきり満足したところで、別のターゲットを狩りにゆく。当然、狩られる方もそう簡単に捕まったりしない。だが、健闘むなしく、ひとり、またひとりと――

 ここまでノリノリで食いついていた紫希だったが、このあたりで急につまらなそうな顔に変わった。

「ねぇ、これ、メスブタチームが助かったこと、ある?」

「いえ、これまでの作品では必ず全員犯されております」

「だよねー。多分、腕時計にGPSでも仕込まれてるんじゃない?」

 実際のところ、捕まらないと絵にならない。ゆえに、出来レースということだ。

「つまんないっ!」

 紫希はごろんと背中から後ろに倒れ込む。

「下りますか?」

 今回の作戦は危険を伴う。里美としても強要はできない。だが、むしろ紫希は闘志を漲らせているようだ。

「そんなにヤりたいなら、全力でヤってあげよーか。あーいうちんぽは好みじゃないけど」

 そう言って、勢いよく起き上がる。

「Pちん、ウチであんなゲームやるときは、ズルはなしだからね」

「やりませんよ……」

 ともかく最後まで流れは確認したので、里美は前もって用意していた作戦を皆に伝えることにした。

「スタッフたちは同じ建物に宿泊しております。足取りを追うことは容易でしょう」

 どうやら、すでに相手の車両に取り付けるための発信機も用意しているらしい。

「女のコたちが逃げた後はずっと男性カメラでした。つまり、女のコ側に監視はない、ということです」

 もし、男たちが追い始めるまでの裸の女のコを撮影していたのなら、それを作品に収録しない理由はない。

「ですから、我々は逃走中の女のコが捕まる前にアクセスして、ウィッグとメイクで変装して、入れ替わります」

「ば、バレませんかね……?」

 春奈は少し及び腰だ。

「問題ないでしょう。相手は女のコを位置情報として識別しておりますし、人違いを疑うほど、街中で全裸になっている女性は多くありません」

 テレビによる鑑賞はここまでだ。続きは、里美のスマホの中に。

「参加している女優さんたちの情報はすでに取得済みです。この中で、最も体型が似通っている方にお願いしたいと思います」

 画面は小さいが、メンバーたちは寄り添って覗き込む。

「私の見立てでは、『シホ』……こちらの小さな方は春奈さま」

「ひぇっ!?」

 覚悟はしていたが、いざ白羽の矢が立つと緊張の色は隠せない。

「ねぇ、このおっきーコ、紫希がやろーか?」

 と指を差すのは『ミナミ』という女優。

「いえ、彼女についてはわたくしが……」

 発起人として、自ら前線に立つべきだと里美は思う。だが。

「んー、オッパイは似てるけど、背が足りなくない?」

 紫希と里美の間には一〇センチ以上の差がある。どちらに近いか、と問われれば、やはり紫希に軍配が上がりそうだ。

「……わかりました。お願いいたします」

 そして、最後のひとり『ナビキ』の代役は――

「歩さま、お願いできますでしょうか」

「……うん」

 神妙な面持ちで承る。これで当日のメンバーは決まった。あとは、綿密に作戦を詰めていくだけである。


       ***


 とはいえ、先ずはTRKとしての撮影である。プライベートビーチだけに留まらず、島の様々な場所で裸での撮影を許可してもらうことができた。南の島だけに大らかなのか、観光資源として切実なのか――それが、今回の『メスブタ・ハンター』のロケ地として選ばれた一因なのだろう。

 ただし、撮影許可がもらえるのはあくまで私有地のみ。公道まで巻き込んだあの撮影が警察に知られることとなれば――スタッフについては自業自得なので構わない。が、知らずに巻き込まれた女のコたちにとっては災難だった――で済まされない事情がある。いまは二十一世紀末、自己責任の時代。おそらく、誰にも助けてはもらえないだろう。

 だからこそ、自分たちが助けなくては――そんな大義名分など彼にはない。ただ、女のコを悲しませたくないだけだった。

 そして。

 滞在三日目――本来の旅程ならば、荷物をまとめて帰りの船に乗り込むだけのはず。だが、誰もがここからが本番、といった面持ちだ。

「撮影現場の位置も確認しております。あとは異変があり次第、女のコの身柄を保護すればよろしいかと」

 最も重要な役割――情報管制と天然カラーズたちの保護を担うバンには、プロデューサーと里美、代行役である歩・紫希・春奈の三人が同乗している。『メスブタ・ハンター』の前哨となるイメージビデオの撮影現場はここから数百メートル先の山中だ。発信機によって場所も確認している。とはいえ、プロデューサーたちには女のコの動向を探知することはできない。ゆえに、そこからゴールである船着き場に向かう際に通りそうな地点にはしとれ・優・夜白がそれぞれ控えていた。そして、肝心の船着き場には朱美が控えている。

 各所に配置したメンバーからの情報を待ちつつ、プロデューサーは緊張と不安の面持ちで待ち構えていた。しかし、最初からこれでは身が持たない。

 里美は軽く腕時計を見る。短針も長身も真上を差していた。

「……まだしばらく始まらないと思いますので、あまり気負いすぎませんよう」

「何故始まらない、と?」

 里美から穏やかに窘められるも、彼には根拠なく気を緩めることはできない。

「おそらく、船の出港時刻に合わせると思いますので」

 先の撮影でもそうだった。電車の到着に合わせて車がやってくるので、服を受け取ってすぐに電車に乗り込め、というルールである。実際は、全員陵辱された後、その場に放置されることとなったのだが。

「出港時刻が午後三時、ということは……」

「おそらく、女のコたちが逃げ出すのはその一時間前でしょう」

 そして、冒頭一〇分少々は仕込みの女のコとのプレイを存分に撮影し、残り時間で速やかに捕まえて犯す、という段取りか。あまり長時間全裸の女のコにうろつかせるわけにはいかない事情もあるが、何しろ、男側は女のコの位置が丸わかりなのである。手早くヤることを終えて、そのまま帰りの船でトンズラをキメるつもりなのだろう。

 そして、その予想通りに。

 午前二時が過ぎると、双眼鏡を構えていたプロデューサーの指にも力が入る。

 そこへ。

「……まさか……本当に……ッ!」

 兎一匹見逃さない勢いで凝視する中、その女性たちは現れた。様々なルートは考慮しつつ、被害者女性たちが通りうる中で最も可能性が高いのは、当然一直線に結んだ最短距離――本陣たるバンを停めていたのは、まさにそこを視認できる車道。そこに三人固まってやってきていた。

 しかし、アスファルトで行く手を遮られて、彼女たちは立ち止まる。ここまでは人のいない森だった。しかし、ここから先は舗装された公道であり、いつ車がやってくるかもわからない。大抵、このような場所で意見が別れてバラバラになり、後にひとりずつ捕らえられていく。

 せっかくまとまっているのだから、はぐれる前に接触しておくべきか。とはいえ、車で近づいては警戒されるし、スーツ姿の男が声をかけるなどもっての外である。

 ゆえに、女のコたちにとってはここからが戦いの始まりだ。

 彼女たちは、腕に抱えたコートを自分で羽織ることはない。それは、これから救出する人たちのためにある。

「そんじゃ、行ってくるねん」

 紫希の口調は軽いが、目が笑っていない。一糸まとわぬ女のコとは思えぬ、まさに狩人の瞳である。

「わわわ……私……頑張りますから……っ!」

 だから、無事に戻ってきたらいっぱい褒めてください……っ! 涙目になりながらも、確かに感じられる<スポットライト>――だからこそ、プロデューサーに彼女を止めることはできない。

「オーナー……絶対、無事に帰ってくるから」

 あの夜、未遂で終わってしまった続きの前に、他の男に犯されたくはない。ゆえに、強い決意をもって。

 三人はバンから降り立ち、駆け足で女のコたちの方へと向かっていく。全裸同士であれば、話を聞いてもらえるだろう。その間、里美は各地に連絡を入れていた。

 それから数分して。

「プロデューサー、女のコを保護したって聞いたけど」

 真っ先に戻ってきたのは、バンから最も近いところに配置されていた優だった。彼女たちの足はレンタサイクルである。帰りは船着き場に放置することになるので、バンと共に現地スタッフに返却してもらうよう依頼済みだ。ただし、そこまでは運ぶ必要があるので、女子三人分の空いたスペースに自転車一台を担ぎ込む。そして、状況の説明を。

「保護はこれからですが、渋長さんは沖道さんとの共同戦線をお願いします」

 基本的には少し離れて二人一組(ツーマンセル)で行動する。囮役が襲われた時点で、撮影中の男をさらに撮影すれば、完全に強姦現場の実行犯である。彼らが安心して襲えるのは契約上の縛りがあると信じているからだ。今回は、そこを逆手に取る。優はこれから春奈と行動し、襲われている決定的瞬間を捕らえたところで優が悲鳴を上げ、その隙に春奈が離脱する、という段取りだ。ウィッグを取れば、別人――契約による脅しが利かない相手だということはすぐに理解するだろう。

 一方、別の場所で構えていたしとれには港の方へと向かってもらった。そこで、朱美と合流する。そこは名目上の集合地点であり、帰りの船が出る場所だ。ファンムードの関係者が控えている可能性が高い。ここまでは天然カラーズを取りこぼさないよう広域に網を張っていたが、確保したのなら朱美にこれ以上単独行動させる必要もない。もし、何かトラブルが起きても、いずれかが助けを呼ぶこともできる。

 あとは、現在こちらに向かっているであろう夜白を待つだけ。彼女は紫希と共に、里美は歩と共に行動することになっている。歩は三人から腕時計を受け取ってその場で待機。三人固まったまま行く先を決めかねている、と男たちに錯覚させるためだ。演出として、逃げた三人をそのままセットで、では絵にならない。こうしているうちは、男たちもやすやすとは動かないだろう。

 そして、紫希に牽引されて天然カラーズたちがバンまでやってくるはずだったのだが、しかし――?

「ありがとうございます! けど……もうひとりいるんです!」

 歩たちが届けたコートを羽織り、バンへと駆け込んでくる女のコは予定通りの三人組。彼女たちが叫んでいるもうひとりとは、おそらく最初に捕まった仕込み役のことだろう。

「言い難いことですが、あの方は……」

 歩たちが届けたコートのおかげで、被害者たちは肌の露出を抑えることができている。しかし、危うい格好であることには違いない。男であるプロデューサーは運転席から動くことなく、里美が彼女たちに対応している。だが、里美はそこでようやく違和感に気がついた。

「……はて、もうひとりこちらから使者をお送りしたはずなのですけれど」

 ここから女のコ対応は里美から紫希に交代し、里美自身は歩の現場を撮影に行く――それが事前に決められていた手順だったはずだ。しかし――それが紫希だけに、プロデューサーにも悪い予感しかしない。必要になるであろう連絡先をスマホに表示し、あとはワンタップで発信できる。

「ミ……ミナミの時計を受け取った方なら、自分から合流した方が早い、と森の中へ……」

「またあの人はッ!!」

 即座に発信。走行中のはずだが、夜白にもすぐに繋がった。

「すいません! 姫方(ひめかた)さんが独断でそちらに向かってしまい――」

 だが、夜白は紫希のことをよく知っている。

『あーはいはい。でも、紫希のことだからまっすぐ来ると思うんだよねー』

 まさに、その見立てのとおりだ。森林地帯を突っ切ってくるのであれば、レンタサイクルでは逆に走りづらい。

『てことで、あたしの自転車は合流地点に置いとくから、回収はお願いねー』

「……了解しました。もし、車道沿いで発見しましたら、こちらで補足しますので」

 体格が似ていたからといって、やはり紫希には荷が重かったかもしれない。ひとりのときに、何事もないことをプロデューサーは祈っていた。


 しかし、夜白が着いたときにはすでに時遅く――


「あちゃー……困るよー。そんな勢いよく抜かれたら」

 ふにゃふにゃになったところを懸命にしごいているが、男は精根尽き果てて指一本動かすことができない。頭にはカメラ付きのヘッドギアが付けられており、これによってまるで視聴者本人が襲っているかのような臨場感ある絵が撮れるのだろう。だが、いまのそれは頭上の木々を映すばかり。

「だって、このちんぽビンカンすぎんだもん。乳首もアヘアヘだったし。女子みたく」

「紫希の手にかかったらどんな男でも女子みたくなっちゃうんだから、もっと自重してくれなきゃ」

「えへへ、それほどでも~♪」

「褒めてないよ。今回についてはね」

 夜白が撮らなくてはならないのは強姦の現場だ。しかし、このままでは逆になりかねない。

「んー……しゃーないね。とりあえず、紫希が下になって、男かぶせたところ撮っとこか」

「ぐえー、この“ちんぽ”、結構重いよ?」

 紫希は男のことを『ちんぽ』と呼ぶ。ゆえに、そこに巨根という意味はなく、単純に身体が重いというだけのことだ。

「文句言わないの。そもそも、紫希が勝手に突っ走ったのが悪いんだから」

 こんな感じではあったが、一応それっぽいシーンを撮ることはできた。

「やっ、ダメッ! いやああああああッ!! ……こんな感じでいい?」

 下からモゴモゴと突き上げるように動くことで、抵抗しているように振る舞いつつ、男も腰を振っているように見えなくもない。

「ホント、そういう演技だけは得意だよね」

 これには夜白も脱帽する。紫希にとって、男を悦ばせるための技術については得意分野だ。しかも、いずれも高次元で習得している。

「えへへ、それほどでも~♪」

「今回は……うん、褒め言葉として受け取っていいよ」

 とはいえ、これが強姦現場の証拠動画として成立するだろうか。それ以上のことは、プロデューサーに丸投げするつもりの夜白であった。


 一方その頃――

「ひっ、ひぇっ、ひえぇぇぇ……っ!」

 春奈のそれは迫真の演技ではない。本気で嫌がっている。襲っている男の方も、どこか本人と違う気がしていたが、まさかこんなところに別の女が全裸でウロウロしているとは知る由もない。男に抱かれるとキャラが変わるのだろうと納得して、細い足首を強引に掴み、股を開かせようとしている。

 その様子は、少し離れたところから優によってしっかりと撮影させてもらった。もう充分だろう。

 あとは、悲鳴を上げて注意を引きつけるだけ。だがしかし。

「あああ――ああ」

 思いの外、期待するような声が出ない。

「……そういえば、そんな悲鳴なんて上げたことなかったわね」

 元々優は演技が苦手だ。女なら誰もが普通にできることと高を括っていたが、いざやってみると案外難しいらしい。だが、このままでは春奈が本当に犯されてしまう。

 ならば、自分なりにやってみるしかない。カメラはカバンにしまい込み、男の背中の前まで歩み寄る。そして、堂々と一言。

「ちょっと貴方、女のコが嫌がってるじゃない」

 これには男の方も、少しは驚いたらしい。こんな森の中で誰かに声をかけられるなど思わなかった。しかし、このような状況も想定の範囲内である。

「いえいえ、これがこのコの趣味ですから」

 男は足首を掴んだまま振り向き答える。段取りにない展開なので、春奈はどうして良いのかわからない。助けてくださいと叫んでいいのか悪いのか。しかし、自分が逃げ出して優と男が一対一になってしまったら、今度は優が犯されてしまうかもしれない。

 そして肝心の優も、これ以上のことは考えていなかった。とはいえ、ここで『ハイそうですか』と踵を返すのは格好が悪すぎる。男も、睨まれたままでは続行できない。

 こうして、三者の動きが止まったとき――ガサガサ……と頭上の木々がざわめいた。

 そして。


 ドスン!


 突然のことに、春奈も優も目を丸くした。しかし、男だけは目を回していた。まさか、頭上から人が落ちてくるとは思いも寄らない。しかも、それは――

「お、女のコ……?」

 全身日焼けで黒く、頭髪が短いため一瞬男のコかとも思ったが、胸は春奈並に――優よりも大きく膨らんでおり――何より、その股間には男のモノが生えていない。それが、はっきりと視認できる。

「って……素っ裸……?」

 相方たる春奈も全裸なので、優にも人のことは言えない。だが、顔見知りではない。ターゲットでもない。まったく見知らぬ裸の第三者たる女のコが突然現れたのだ。そして、彼女は雄叫びを上げる。

「捕まえたゾーーーッ!」

 満足そうに男の上でガッツポーズをキメるとひょいと立ち上がった。

「よーし、次捕まえるゾッ!」

 そのまま、たーっと走っていく。その後姿を、優と春奈には見守ることしかできなかった。


 そして、歩は――

「いやっ、いや! やめ……てぇ……っ!」

 一先ず、犯されているところを撮らせないといけないため、地面に押し倒される形とはなった。だが、しかし……こんな男にこれ以上は……ッ! 丸出しにした男根を突きつけてくるが、歩は腰を捻ってそれを拒否。だが、これもよくある展開であるため、男側にも遠慮はない。

「大人しくしてろよ、このメスブタが……ッ!」

 女は二・三発殴れば大人しくなる――経験上、男はそれをよく知っている。ただし、その拳を当てることができれば。


 ガスンッ

「ぐあっ!?」


 真っ直ぐに振り下ろされた男の拳はそのまま地面に突き立てられた。右手で殴るには、左手一本で相手を拘束しなくてはならない。右手首だけは押さえつけられているが、そこ以外は比較的自由に動く。軌道さえ読めれば――歩自身にも不思議だったが、それをはっきりと認識できた。ならば、それを躱すことはそう難しくもない。

 だが、それが男の逆鱗に触れる。

「こ……いつ……ッ!」

 マウントを取っていることは変わらない。ならば、首を絞めて失神させて――

「ご、ぉ……ぅ……」

 今度は男の股間に歩の膝がめり込んでいる。襲うことばかりに気を取られ、襲われることに警戒が薄くなっていたらしい。

 身体を回して男の下から歩は脱出する。撮るものも撮ったし、あとは逃げるだけ。そのはずだったのだが――

「里美さん……?」

 彼女は逃げない。悲鳴も上げない。ただ、ズンズンと歩たちの方へと歩み寄ってくる。

 そして。

「ガ……ッ!?」

 男の側頭部にめり込む鋭いつま先。痛みに悶え苦しんでいた男は、今度こそ完全に気を失った。

「そ、そこまでしなくても……」

 全裸の歩は多少のことでは動じない。それでも、里美が孕む怒気は尋常ではなかった。

「なるほど、これがお芝居ではなく、本当のレイプ現場、というものなのですね」

 里美は現場視察という形で、このようなシーンを何度も見てきている。しかし、当然本物は初めてだった。その感想は――

「申し訳ありません。何とも……非常に胸糞が悪かったもので」

 やはり、強姦ネタは創作に限る。それが里美の出した結論だった。

 そこでふと、男の腰に巻かれていたポーチが開いていることに気づく。その中できらめいているものを、里美は目ざとく発見した。

「あらあら、手錠ですね。わざわざこんなものまで……おや、縄まで用意されているとは」

 よほどのサディストであり、徹底的に陵辱するつもりだったのだろう。しかし、里美の“性質”はこの男に匹敵する。

「ついでですから、殿方も撮影しておきましょうか。二度と、このようなことができないように」

「あ……あははー……」

 こんなことをしている場合ではないことはわかっている。だが、しなければ里美の怒りは収まりそうにない。だから、手短に済ますために歩も手伝う。男を全裸にひん剥き亀甲縛りに。他に如何わしい形のシリコン棒も入っていたので、ついでにそれも尻穴に突っ込んでおいた。

「……やはり、男ではどうも締まりませんわね。ああ、誰かわたくしを美しく縛り上げてくださいませんでしょうか……❤」

「それは……どうでしょう……?」

 歩には、里美がサドなのかマゾなのかわからない。だが、いまの顔を見てしまったら、どんな男も縄の手を緩めてしまうことだろう。


 少し手間取ってしまったが、里美からプロデューサーへ任務の完了が報告された。春奈と優もすでに乗車している。里美たちの位置情報を基にふたりを回収し、あとは紫希たちを残すだけなのだが――連絡がなければ、どのような状況になっているのかわからない。

「思いの外、苦戦しているのでしょうか……?」

 紫希と夜白が合流したところまでは確認している。その後、停滞と移動を繰り返し――すでに市街地は目の前だ。これ以上踏み込めば、警察に通報されるリスクが高くなる。だからといって、司令塔の方から連絡を試みれば、状況によっては紫希たちが窮地に陥ってしまう。せめて、郊外に向かってくれれば、車で迎えに行きやすいのだが――ここでようやく、夜白から連絡が入れられた。しかし、その内容にプロデューサーは焦りを禁じえない。

『あー、紫希がねー、このまま港に向かった方が早いからー、って』

「ですが、服は……ッ」

『あたしは着てるよー』

「姫方さんがです!」

 きっと、珍しいプレイの連続で、気持ちが昂ぶっているのだろう。紫希は全裸のまま現地集合と言い出した。電話口は、紫希の歌声も拾っている。夜白の撮影によっては、ビデオのワンシーンとして組み込めるかもしれない。

『うんうん、いいよいいよー。はい、そこでポーズー』

 夜白も悪ノリを始めてしまったのか、街中で堂々と紫希の撮影を始めているようだ。音声だけでは<スポットライト>を感じることはできない。だが、きっといい笑顔をしていることだろう。

 それに、何よりも。

「オーナー……ここから迎えに行くより先に着きそう……」

「……そのようですね」

 あまり遠回りをしていては港で待機している朱美たちとの合流が送れてしまう。

「わかりましたけれど……くれぐれも周囲に迷惑はかけませんように」

 この街は新歌舞伎町とは異なるものの、比較的大らかな雰囲気ではあった。あとは、彼女たちの無事を祈るしかない。

 そこに、再び連絡が飛んでくる。それが夜白ではないとすると――

『Pさん、緊急事態なのーっ!“四人目”の女のコが……っ!』

 その緊急事態は、まったく想定外のものだった。


       ***


 島から本土に向かう船は一日に一本しかない。それが出港態勢に入っているのだから、さぞ港は混雑しているだろう――と思ったが、目立つ人影はあまりない。それもそのはず、外でたむろするくらいならば船内で待機していた方が良い。そしてそれは、彼らが保護した女のコたちにとっても。狭く密集した場所の方が助けを呼びやすいし、襲う方も逃げ場がなく危害を加えにくい。

 ゆえに、天然カラーズとTRKメンバーには先に乗船を済ませてもらうこととなった。プロデューサーは単身、問題の現場へと早足で向かっている。報告によると、どうやら駐車場に裸の女のコが到着していたらしい。この時間ともなると続々と車は集まってくる。そのため、身を隠せる死角も多い。おそらく、人目の隙を窺いつつ、ゴール地点を目指しているのだろう。制限時間は近い。出港間近となれば、きっと無理を押して飛び出してくるはず。彼はその道を拓いてあげるだけでいい。間違いなく、そこで関係者の誰かが妨害してくるだろうから。

 しかし――

「こ……れは……ッ!?」

 まさか、女のコではなく成人男性を発見することになろうとは。“それ”は、うつ伏せのまま車両と車両の間で昏倒している。おそらく、頭を強く打ったのだろう。だが、この特殊な髪型――ツーブロックの残りをエビのように編み込んだこの後頭部は見間違えようもない。初日の晩、個室風呂でカメラを担当していた男である。それが――何故――?

 そのとき――ギクリ、とプロデューサー自身にも悪寒が走る。まるで、獣に狙われているかのような鋭い視線。一瞬でも気を緩めれば、取って食われてしまいそうだ。

 報告にあった四人目の女のコのことは気になるが、先ずはこの場を離れた方がいい。ゆっくりと、周囲を窺いながらプロデューサーは少しずつ立ち位置を移していく。

 だが、そうのんびりもしていられなくなった。

「わーっ、わーっ、Pちんちーーーーーん!」

「ごめーん、やりすぎたー」

 駐車場を真っ直ぐに横断してくるのは紫希と夜白。それだけで、何に追われているのかわかる気がする。さっきの男については警察に任せればいい。それ以上は先方の責任だ。しかし、女のコだけはこちらで保護したい。

 ゆえに、プロデューサーは賭けに出た。その報告は、春奈と優から受けている。ばっと両腕を広げて、前方を威嚇するように。その分、背後への対応はしづらくなる。それを待っていたかのように――


 ――ボンッ!


 ボンネットの上で何かが跳ねる音。何が起きているのかはわからないが――背後の太陽に一瞬影が差したように感じた。

 来る――ッ!

 両足のスタンスは大きく前後に。前足を強く踏み込んだところで――


「捕まえたゾーーーーーッ!」


 無警戒であれば、そのまま地面に組み伏せられていたことだろう。先程倒れていた男のように。そして、彼は肩にまとわりつく柔らかさをよく知っている。船の中で、旅館の客室で、事あるごとに寄せられてきたものなのだから。まさか、これが四人目――? 状況はよくわからない。だが、船が発つまで時間がなく、紫希たちにもまた危機が迫っている。ゆえに、彼はただ走り出した。

「オ、オ、オッ、オオオオオッ!?」

 しがみつかれた耳元に、女のコの楽しげな声が木霊する。しかしいまは、この状況から離脱する他ない。


       ***


 こうして、四人の天然カラーズの女のコたちを救出することができた――と思っていたのだが――

「え……? メンバーではない……?」

 プロデューサーから問われたカラーズの女のコたちも顔を見合わせて首をかしげるばかり。

 帰りの船もまた、プロデューサーはひとり用の個室である。が、そこにメンバー全員に加えて天然カラーズを含む新規の四名まで押し込まれているため、とんでもない人口密度になってしまった。しかも、最後に確保したひとりは、まったくの無関係らしい。

 改めて謎の四人目に、プロデューサーは問いかける。

「あのー……貴女は、ヌード撮影に参加した方では……?」

「ン? ン?」

 謎の女のコはまるで野生の動物のようだ。軽くあぐらを組んで、キョロキョロと周囲を見回している。どうやら、この土地の人間らしい。強い日差しの中で、支配人と同じように肌は褐色に焼けている。髪はさっぱりとして短め。だが、櫛を通すという概念がないようで、バサバサと跳ね回っている。そんな野生児のような風貌ではあるのだが――意外といっては失礼かもしれないが、きちんと胸もあり、スタイルも良い。だからこそ、当初は天然カラーズの女のコだと疑わなかったほどだ。

 そして、春奈たちからの情報通りの全裸である。どうやら、服は陸地に置いてきてしまったらしい。

「誰か、このコにも服を――」

 とメンバーたちに声をかけたが――

「ヤだゾ! こっちのコも着てないゾ!」

 それはまるで猫のように。ぱっとプロデューサーの傍から飛び退き、ベッドに座っていた紫希の後ろにボスンと着地した。確かに、紫希は服を着ていない。だが、着なくて良い理由はない。

「では、姫方さんも……」

「ヤだゾ♪ こっちのコも着てないゾ♪」

 真似をして――謎の少女のように飛び跳ねることはできないが、椅子の方に座っていた歩に、回り込んで後ろからぎゅーっと抱きつく。

「あ……あははー……すいません」

 歩は服を着ていない方が何かと頼りになることが多い。この不測の事態に対して、全裸待機してもらっている。

 ということで、歩の方から確認を。

「えーと……春奈ちゃんたちを助けてくれた……んだよね?」

 車内で事の経緯は聞いている。襲われそうになったところを、謎の女のコが助けてくれた、と。

「オゥッ! 捕まえたゾッ!」

 両腕でグッと勝利のポーズを見せてくれる。

「うちに泊まってたお客さんが、裸で鬼ごっこしてたからナ。ランも混ぜさせてもらったゾ」

「うち……もしかして、ホテルくさなぎの……」

「オゥッ!」

 ここで、歩は気がついた。

「オーナー、もしかしたら私たち、思い違いをしてたのかも……」

「と、言いますと……?」

「支配人さんがゆってた『人前に出たがらない』って本当は『人前に出せない』ってことなんじゃ」

「……確かに、服を着ていないのであれば人前には出られないでしょうけれども」

 決して不審者を容認する、ということではなく、自分の娘に対して言葉を選んだだけだったのかもしれない。

 プロデューサーはまだ信じられないようだが、歩は決定的な根拠に気づいている。

「それにほら、このコ……“日焼けの境がない”……」

「……あー……」

 これには、プロデューサーも納得するしかない。この島の日差しで肌が焼けたのなら、服なり水着なりの部分が白く残るはずだ。にも関わらず、この少女は上から下まで万遍なくこんがりしている。日頃から全裸で生活しているのなら――人前になど出せるはずがない。

 ここで、女のコのお腹がクゥと鳴った。もしかすると、昼も食べずに飛び回っていたのかもしれない。

「ともかく、服を着てもらえないと食事にも行けないわけでして……」

 ここでようやく、裸の女のコも聞く耳を持つ。

「どうしても着なきゃダメカ?」

「少しだけお願いします。せめて、食堂に向かう間くらいは」

「……ションボリ」

 空腹の前に、彼女は折れた。渡したコートは、天然カラーズたちのために用意していたもの。いまではメンバーに服を借りているため、上着の方をこんがり少女に羽織らせてみた。これで、目のやり場に困ることはない。だが、しかし――

「……ッ」

 女のコは、ションボリしている。とてもとても、ションボリしている。それは、プロデューサーが直視できずに目を背けてしまうほどに。

「プロデューサー?」

 彼の様子は、優が心配して思わず声をかける。決して、コートが似合わないわけではない。だが――なんと悲しい目をするのだろう。そんなにも服を着たくないのか。どれだけ嫌かは、境目のない日焼け肌からも明らかなこと。ただ、コートを羽織ってもらっただけなのに――彼は、途方も無い罪悪感に苛まれていた。

 ゆえに、つい。

「……脱いでくださって結構です」

「オゥッ!」

 嬉しそうに女のコは脱皮するようにポンと脱ぐ。だが、決して<スポットライト>を感じているわけではない。むしろこれは、<逆スポットライト>――とでも呼ぶべきか。服を着せると、彼女の悲しみがひしひしと伝わってくる。

「貴女は……いつも裸なのですか?」

「オゥ! ラン、服キライ」

 そろそろ彼女の名前にも心当たりが出てきた。

「お名前は、クサナベ・ラン……でよろしいでしょうか」

「オゥ!」

 決して、人前に出せない少女――ゆえに、ずっと陽の当たらない裏方で。しかし、それでいいのだろうか。決して彼女は日陰を望んでいない。だからこそ、こうして表に出てきたのだから。

 このコを――開放してあげたい。彼には、その可能性を示すことができる。

「わかりました。が――」

 すくっと立ち上がったプロデューサーは、ランの方を見下ろす。

「クサナベさん、歌と踊りを練習に励んでいただけますか?」

 身体能力はこの目で見ている。少なくとも、振り付けの方はすぐに対応してもらえるだろう。

「店長……まさか……」

「ナンでだゾ?」

 しとれは察しがついたが、肝心のランが理解していない。

「裸で生活するためには必要なことです」

 決してステージの外で裸になって良いわけではない。が、裸になるのが仕事である。あの環境であれば、いまよりは暮らしやすくなるはずだ。

 ゆえに。

「オゥッ! 服着なくて済むなら、ラン、頑張るゾ!」

 とてもいい笑顔である。この笑顔を曇らせないためならば――

「では、交渉に行ってまいります」

「……ん、そだね。その方がいいかもしれない」

 歩も何となく感じていた。このコには、このコに相応しいステージがあるのではないか、と。


 電話越しにはなるが、これからが大変になるだろう。娘さんのことは自分に任せてほしいとお願いするのだから。

 これも、ある種の<スポットライト>と呼べるのかもしれない。女のコの魅力には色々あるのだな、とプロデューサーは認識を新たにしていた。

 しかし――

 ただ眩いだけではない光――彼はそれをどこかで見たことがあるような気がする。それはまるで、周囲の空間を歪めるような、吸い込むような、そんな不思議な感覚を――


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