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あの日あの教室でアカネサス  作者: ムラサキ
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分からない自分

待ち続けた画面にやっとのこと表示されたその一言の簡単な一文が僕には理解できない。いや、最初から分かっていたのかもしれない。

「あれ?僕は何を言っているんだ?」

時々、変な思考が頭を過る。

おかしな感情を切り捨ててもう一度状況を整理する。携帯の中からあるべきデータが消えている。これはどうやら事実のようだ。故障か?いや、そんなはずはない。スマホは去年買い換えたばかりで故障するようなことをした覚えはない。うっかり水の中に落としたことも無いし、強力な磁気に近づけた覚えもない。なんの理由もなく、データだけが抜け落ちている。そして何より僕は昨夜、誰かと電話越しに話した覚えがあるのだ。

「いや、話してなかったかな。あれ?あの人の名前、、、誰だっけ━━━━。」

何故だ。名前も顔も思い出せない。だけど誰か大切な決して忘れてはならない人だった気がするんだ。

「あれ?なんで、、また、、僕は、泣いているんだ。」

まただ。理由も分からない涙が頬を伝っている。理由も分からないのに心が締め付けられる。そして、誰かが僕に言うんだ。

「忘れるな。思い出せ。絶対に何があっても。」と。

「忘れるな。」とはその人の事だろうか。分からない。これは、誰の記憶だ。

まぁいい。今の僕にすべき最優先事項はこの僕の「今」の事実を否定することだ。なにも「その人」である必要はひとつも無い。誰でもいいのだ。僕を受け入れてくれる人ならば。昨日から以前の全ての記憶を遡って知人を探って、それに相応しい人格と信頼を持った人を思い出そうとする。誰かいるはずだ。誰か一人くらい。僕は必死になって思い出す。記憶の深淵へと潜り込む。まるで底の見えない果てしない深海に沈みつづているかのようだ。もっと深く、もっと深く潜って、潜って潜って、さらにその先へ——。

しかし、一向に深海は深淵のままで、僕に必要な情報を僕に与えてはくれない。一時して僕は極めて残酷な事実に徐々に気づいてくる。いや突きつけられたと言った方が正解かもしれない。いや、この表現も違うな、やはり、最初から分かっていたのかもしれない。

「誰の名前も、思い出せない、、。」


クラスメイトや先生の名はおろか、両親の名前さえも。今現在分かることとすれば僕は16歳、高校二年生。ただ普通に日常を送っていた、どこにでもいる高校生だった、これぐらいだ。今僕が置かれた状況を把握するにはあまりにも少なすぎる。一体どんな因果応報でこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。僕はこれからどうすればいいのだろう。一生このままなのだろうか。誰にも知られることはなく1人で孤独に死んでいくのだろうか。いっその事銀行強盗でもやってみようか。この姿ならば誰にも見つからずに銀行の金庫に忍び込んで大金を得ることは容易い。でも、やっぱり思い直せば、それは馬鹿げたことだと気づく。だいたいそんな大金を手に入れたところでその金を一体どこで使えと言うんだ。この姿で。

それと言ってすることもない僕はいつも通り学校へ行くという選択をした。学校に行くことでなにか思い出すかもしれない。そんな淡い願望を胸に朝食を摂りに食卓に向かう。ひとり親の母が作り置きしてくれた朝食を一人で食べるのが毎日の日課だったのだが、今日の食卓にそれはなかった。代わりにあるものと言えば飲み干された空のコーヒーカップくらいだ。母が仕事前に毎日飲んでいく物だ。いつも以上の静寂に包まれたこの空間が一層僕の孤独感を駆り立てる。この孤独を感じることがなければこの世界はあとどれくらい明るくなるだろうか。いや、孤独を感じない人なんて果たしてこの世に一人でもいるのだろうか。誰もが何かしらの孤独を抱えているのでないだろうか。ふとそんなこと思いながらも、僕は何を考えているんだと苦笑して朝食を探しに台所へ向かう。

「確かまだ食パンが残っていたはずだ。」

そう昨日までの記憶を思い出して、ブレッドケースを開く。そこには市販の5枚にカットされた食パン1斤が1枚減った状態のものとピーナッツバターとブルーベリージャムが入っていた。食パン1枚とピーナッツバターを取って、冷蔵庫から牛乳も取り出して、食卓の僕のいつもの席に座る。食パンにバターナイフを使ってピーナッツバターを全体に塗り広げる。それが終わるとそのままパンを無造作に口に運ぶ。とても静かな食卓で自分の咀嚼音だけが響き渡る。一人で食べる食事というのはどうしてこんなにも冷たいのだろうか。まるで温度を感じない。こういうひとりになった時、僕はたまに思うことがある。

「どうして僕は生きているのだろうか。」と。

僕がいなくたって世界はそこにあり続けるだろうし、多分何も変わらない。ただ何かの過程が経過していくだけ。そう、つまり、僕達が産まれてくる理由も生きる理由も死にゆく理由もおそらくは「無い」。僕一人のことだけでも無い。この世界からたとえ人類がいなくなったとして、その事象は世界に一体どれだけの影響を与えられるだろうか。いや、多分何も変わらない。確かに一時的には何か変わるかもしれない。しかしそれは水面に落ちる一粒の雨雫が起こす波紋の如く、それは全体に広がって、薄まり、やがて消える。世界から見れば僕も僕ら人類もほんの小さな事象に過ぎなくて、いつかは消えてしまう物なんだと思う。無常という言葉があるが、僕はその通りだと思う。変わらないものなんてこの世に一つともありやしないし、全てのものは衰え、死に行く。だとしたらこの人類という種族もいつかは滅びさり、そして、長い年月が去り、ぼくら人類が何千年にも渡って築き上げてきたものは風と共に飛んでいき跡形もなく、「元」に戻ってしまうのだろう。そうならば、そうなってしまうのならば、今を生きる僕達はそれでもなぜこの「積み木」を重ね続けるのだろうか。いつかは無情という名の不条理に蹴散らされてしまうというのに。僕は分からない。この人生を生きていく意味が。僕らのしたことなんて跡形もなくなかったことにされるのかもしれないのに。でも僕は知っている。こんなことを考えたってこの人生を生きるには意味が無いって、ただ弾けては消えてしまうシャボン玉のように、そんなもんだって。いや、そう思いたいだけなのかな。いつかわかる日が来るのだろうか。僕の本当の意味を。


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