第2話 便意と決着
俺は、気が付くと、黄金の悪趣味な便器の前に立っていた。その上の窓から見える空は、厚い黒雲に覆われ青空が見える事はない。
はて、車外はこんな天気だっただろうが?疑問に思うのもつかの間、急激な便意が俺の肛門をノックしている。いかん!人生で最速の速度でズボンを降ろす。そして、俺はついに便座に腰を下ろした。あとは、肛門からこの邪悪の塊を追い出すだけである。それで世界は救われる。
だが、まさに肛門から邪悪(糞)を追い出さそうとしたその時!目の前の、これもまた悪趣味な黄金の扉を、全力で打ち付ける音が便所内に響いた。
その衝撃で、俺の、今まさに生み出さんとした絶望の落し子は、肛門の奥に引っ込んでしまった。俺の腸は、突然の便の逆流に事態を呑み込めていない。震えている。
外から大声が響く。
「誰だ!便所内にいるのは!!こっ・・ここは余の専用の便所!大魔王ゲーリングと知っての狼藉か!!!早く出ろ!勇者が迫っておるのだぞ!!!」
話は全く呑み込めない。だが、よほど切羽詰まっているのだろう。ノックの音とは思えない衝撃が便所内に響き渡っている。
外からあきらかに、爆発音と思われるものが聞こえる。
「こっこんなところで・・最早、余の究極破壊呪文を使って、この扉をこじ開けるしか策は・・」
何だか知らんが、嫌な予感がする。さっさと出さなければと考えていると。
俺の下腹部から、およそこの世のものとは思えない、獣の唸り声のような音がこだまする。思えば、色々なことが起こったがついに体が限界に達したようだ。
ついに俺の肛門から『それ』は放たれた。そう、『糞』である。長かった戦いが、終わった。無事、この世の全ての悪は、清浄なる水によって流されて清められのだ。
俺は勝利した。完全に。目の前には幻覚であろうか、花畑が広がり美しい天使たちが祝福してくれている。恐らく、世界で最も気持ちの良い排便を終えた俺は、ここで重大な事に気づく。この便所にはウォシュレットが無いではないか!馬鹿な・・こんな金のかかってそうな便所にないなどと・・。ここから出たら、この企業?には営業をかけなければと静かに闘志を燃やす。絶対に許せない。
紙で尻を拭こうとする。
―――なっ!?紙が無い!?
代わりに置いてあったのは粗末な木の棒。馬鹿な!トイレットペーパーが普及していないのか!?地球上に未だにそのような国が存在するとは・・。
だが、確かに紙で尻を拭く習慣というのは歴史が浅い。
しかし、これでは痔になってしまう。痔は恐ろしい病気である。万病の元だ。こんな木の棒で毎日肛門を弄っていると思うと背筋が凍った。
今すぐにこの企業の人間と話さねば。痛みを我慢し肛門をかき終える。
瞬間、轟音が響いた。土煙があがる。俺は驚いて咄嗟に頭を両手で覆い、しゃがみ込む。ズボンをあげる暇はなく下半身は全裸だ。
目を開くと、扉が、周りの壁も粉々に破壊されていた。肩で息をした、顔色の悪い男?が立っている。
「便所など丈夫に作るのではなかったわ・・よもや、究極破壊呪文を使う羽目になるとは・・」
頭には二本の角。筋骨隆々、上半身裸の巨漢。地の底から響くような声。一目で変態だと分かる。こいつは危険だ。
なんたって男子便所の扉を破壊して入ってくるような男だ。
「そこをどけ!」
その男が俺に向かって右手を突き出す。どうやら握手・・というわけでもないないらしい。
生まれてから25年。殺意など感じた事のない俺にでも分かる。それほどまでの力が男の右手に集まっている。
一瞬が極限にまで凝縮されたような時間が流れる。
あぁ・・そんなに糞をしたいのならすぐに便所からどくのだが・・。というかあの自称女神、全然静かな便所じゃないだろこれ。
走馬燈が俺の頭の中を駆け巡っている。まさか便所争いで死ぬことになるとは・・・。最低な人生だった。
その刹那。男の背後から力強い声が響いた。
「―――――大魔王ゲーリング!決着の時だ!!」
「なっ!?」
大魔王と呼ばれた男が振り返る。助かった・・。明らかに俺に向けられていた殺気が消える。
というか、この大魔王とかいう男の体が大きすぎて、誰が来たのか分からない。命の恩人なのでお礼は言いたいが・・。
「なにやら消耗しているようだが。卑怯とは言うまい!お前のやってきた事と比べればなぁ!!」
雷鳴のような轟音が轟いた。大魔王が横っ飛びに避けると、元居た場所の地面が陥没し床が隆起している。
そこには、一瞬、鎧を纏い、剣を構えた人影があったが、瞬時に大魔王に追いすがった。
「排便さえ!排便さえしていれば!こんな男に!!」
「―――俺を舐めるな!大魔王!!!」
男が裂帛の気合を放つと、一瞬にして加速し大魔王に袈裟懸けに切りかかった。尻から加速したように見えたのは気のせいか?
その勢いのまま、大魔王は空中で両断されていた。
「・・・便所を・・丈夫に作るべきでは・・なかった・・。」
光の中に消えていく大魔王。
それが最後の言葉でいいのか?と俺は疑問に思ったが。こちらに向き直った男は、目に涙を浮かべていた。
俺の背後の便所の窓から陽光が差し込む。厚い雲に覆われていた空が裂け太陽の暖かな光が降り注いでいた。