第1話 便意と転移
俺の名は茂等士郎、25歳会社員。
この苗字のせいで幼少時代は良く「糞もらしろう」と虐められたものだ・・。
漏らしてはいないのに・・。
だがそんな事は今は昔。俺はせっせと勉学に励み、某巨大便所メーカーに就職するに至った。
就活の面接で初めて、この苗字と名前のお陰で、話が弾み自信が持てたものだ。
毎日の勤務も順調で、最近は後輩からも慕われている。(お漏らしさん!と懐かれている)今まさに俺は人生を謳歌していた。
そんな俺が、朝の通勤電車内で人生最大の苦境に直面するとは・・・。
―――心臓が早鐘のように脈打つ。脂汗も止まらない。
時刻は午前7時15分。いつものように、会社へと向かう満員電車内。
俺は今まで感じたことのない悪寒に襲われていた。
下腹部が熱い。尻の穴、すなわち肛門、またの名を菊門がまるで意思を持つかのように脈動している。
―――便意である。それは明確な悪意を持って、俺の神経を蝕んでいた。
糞を一刻も早くひり出さなければならない。それ以外考えられなくなっていた。
いかん。一つの思考(糞)に囚われては奴の(糞の)思う壺だ。
俺は頭を振り、別の事を考え始める。
仕事の事や、糞漏らしろうと虐められた幼少時代。
そうだ!俺はただの一度も糞を漏らした事などないではないか!
そうだ!あと数分で次の駅に着くではないか!ここは都会だ!
何を糞に囚われる必要がある!便所が俺を待っているではないか!
「只今人身事故が発生しました。車両確認のためしばらくお待ちください」
―――絶望。それは今まさにこの事を言うのだ。
俺は項垂れた。乾いた笑いが口から洩れる。
肛門は、今まさにこの世の全ての悪を世界に放たんと脈動を始める。
車内に悪が生まれようとしている。糞という名の悪が。
限界が近い。絶望に身をゆだねようとしたその時。
世界が光に包まれた。
眩しい。目を開けると見渡す限り、何処までも白い空間にいた。
この異常な事態にか便意が治まっている。
背後から透き通るような女性の声が響いた。
「おめでとうございます。私は女神メ・デルー。あなたは選ばれました」
俺が振り向くと、そこには金髪で少し癖っ毛、ショートヘアの美少女がいた。
大きな杖を持っている。目が多少つり目なのがチャームポイントか。
便意が治まったせいか、思考に余裕が戻る。
しかし、言葉の意味が分からず、俺が戸惑っていると。
「えーっとですね。遍く世界を統べる神。大神フンバルト様が、鼻くそを飛ばして選んだ世界。つまりこの世界ですね。そこで誰でもいいからたまには神の威光で、願いを叶えて来いと言われまして。私も別に誰でもよかったので、適当に杖を放り投げて指し示されたのがあなたです。ぶっちゃけめんどくさいんで早く願いを言ってみてください。もう早く帰りたいんで。休日なんで。あの糞パワハラ野郎、いつか滅するんで。」
後半ただの悪口だったが・・。これは俺の妄想なのだろうが。
もしや糞を漏らす寸前に見た走馬燈なのだろうか・・。
そんな俺の訝しむような表情をみて、自称女神が続ける。
「早く願いを言ってくださいよ。もう現実の時間の流れに戻しますよ。時間を止めるの結構しんどいんで」
なっ!?それはまずい。
このまま戻されては、この世の全ての悪(糞)が車内にまき散らされてしまう。
俺の願いは当然決まっていた。
「俺の便意を取り除いてくれ!」
嘘偽りない心からの想いを俺は口にした。これで世界(俺)は救われる。
誰も不幸になる事はない。
だが自称女神から信じられない一言が飛び出した。
「ダメです」
―――絶望。それは今まさにこの事を言うのだ。終わった。
世界は永遠に暗黒に満ち、悪は今まさに生れ落ちる。俺の肛門から。
俺が、絶命する寸前の金魚のように口をパクつかせていると、自称女神はそれを憐れんでか、こんな言葉を口にした。
「あのー、もう少し周りに影響を及ぼす事でお願いします。あまりにスケールが小さすぎて萎えちゃって・・今までの皆さん結構大きなこと言いましたよ。異世界最強!とか超チートスキル!とか不老不死!とか」
いるよなこういう奴。
早くしろ、何でもいいとか言っておきながら、いざ答えると注文つける奴。
俺は大きなため息をつきながら答えた。
「なら、もう何処でもいいから静かな便所で糞をさせてくれ。どうせ満員電車で糞を漏らしたら終わりなんだ」
最大限譲歩した。もう便意を抑えろとは言わない。瞬間移動でも何でもさせてくれ。
何処かの便所で糞をした後、会社には有給所得の電話でも入れよう。
自称女神は何事か考えているようだ。頼むもうネタは無い、これを叶えてくれ。
すると、自称女神は杖で地面を突いた。
何かを考え付いたようだ。不敵な笑みを浮かべている。
「わかりました!では、便所に案内しましょう!存分に糞をしてくださいね!」
やっぱこいつ女神じゃねぇな?金髪美少女は糞とか言わないんだよ!
まぁいい、やっとこの空間から解放されるのだ。
金髪美少女は杖を構えると俺の足元に光の渦が現れた。
俺は吸い込まれるように光の渦に飲みこまれ、意識は光の中へと消えた。