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精霊と踊る君と  作者: 此島
二章
7/33

「…えっと、それでここが書庫です。歴史書とか精霊に関する書物が豊富で、後は開国の巫王様や歴代の精霊の巫女について記されている書物なども置いてあります。古い昔語りや、街の方でも読まれているような一般的な物語の本もある程度揃っているそうです」

 整然と並べられた書架に埋め尽くされた室内を見渡してレンディットが簡単な説明を述べる。書架の無い室内の中央部分には読書用と思しき幾つかの長机と椅子が並べられているが、その何処にも読書に励んでいる者はいない。

「あ…その、ここの本は借りて部屋で読む事も出来ますから…。ネルが言うには、女官達の間では寧ろそちらの方が主流だそうです。皆仕事で忙しいので、書庫でのんびり読書なんかしている暇は無いんだ…って」

 無人とも言える室内を見回すユーリの視線に気付いたようにそう付け加えるレンディット。彼女は二つある出入口の間に設けられた台の向こうに佇む女官に目を遣って続ける。

「なので、ユーリも本を借りるのでしたら、あそこにいるシエルにそう言って下さい。彼女はこの書庫の司書ですから」

 レンディットからの紹介に女官がユーリへと会釈をする。巫女に名指しにしてもらった感動の為か、女官の頬は微かに紅潮していた。

 司書役の女官に辞去の挨拶めいて微笑みレンディットは書庫を出て行く。ユーリは巫女に付き従う影のようにその後に付いて行く。

「ええと、これで巫女殿は全部回ったかな?」

 独り言のようなレンディットの呟きを聞きながらユーリは頭の中に描き記した巫女殿の地図を見直してみる。

 切っ掛けは、朝食も終わる頃のネルの言葉だった。

「なあ、ユーリ。当然だけどあんた、精霊宮の造りとかよく知らねえだろ?折角だからこの後レンにでも案内してもらえよ。これからここで暮らすんだし、巫女守としても知っておいた方がいいだろ」

 極自然な調子でなされたこの提案に困惑したのは他でもないユーリ自身だった。

 確かに巫女殿の内部や精霊宮の構造を把握しておくのは役目の面からも大切な事だろう。だが巫女その人に案内をさせるのは気が引ける。大体ただ見て回るだけならば一人でも充分なのではないか。そう思ってその旨を告げたがネルは一蹴した。

「巫女守が巫女をほったらかして出歩いてどうするんだよ?」

 実際正論なので返す言葉も無かった。巫女守の仕事は巫女の護衛なのだ。常時傍に控えていなければならないわけではなく巫女が私室にいる間は行動の自由が許されているが、だからといって余り長時間近くを離れるのは好ましくないと先代のファルガにも忠告されている。

 しかし仮令精霊宮の中だといっても、自分の都合で巫女を連れ回していいものなのだろうか。常識的に考えて渋るユーリだったが、当のレンディット自身がネルの意見に賛同した。

「あの…。嫌でなければ、私に案内させて頂けませんか?その…さっきお掛けしたご迷惑のお詫びもしたいので……」

 謝意を込めて見上げてくる大きな瞳を見返して、ユーリは溜め息をついたものだ。断る気なら断る事は出来たが、円滑な関係を築こうと気を遣ってくる主に向かって態々楯突くような事を言うのも如何なものか。そうして仕方無しに了承の頷きを返す羽目になった。

 廊下の真ん中に佇むレンディットは考え事をするように首を少しだけ傾けている。巫女殿内に案内し忘れた場所が無いかを確認しているらしい。少しして納得した風に頷いた彼女はユーリを振り返ると微笑んで言った。

「えっと、では、外の他の場所に行きましょうか?」

「その前に一つ構いませんか?」

「え?あ、はい」

 巫女の許可を得て、ユーリは既に通り過ぎた扉のある辺りを指差して尋ねる。

「あの扉の奥にあるのは何ですか?」

 巫女殿には出入口となる場所が幾つかあった。女官等が使う炊事場や洗濯場の勝手口のようなものに、祭殿の方へと続く正面入口の扉。そして祈りの間と書庫に挟まれた今現在ユーリ達のいる廊下の端にある、巫女の禊ぎ場へと通じる廊下を仕切る扉。レンディットはそれ等については教えてくれたが、一カ所だけ説明の無い扉があった。

 此処からではもう視界に入らないが、正面入口の真向かい、応接室とユーリに与えられた私室との間にある短かめの廊下の奥の扉がそれだ。自室の窓から見えるのだが巫女殿の裏手には一棟、別の建物がある。位置的に見てあの扉は其処へと続いているように思うのだが、あの建物は何なのだろう。後でその辺りにいる女官にでも尋ねてみようと思っていたのだが、よい機会だ。此処の主である巫女ならばあれが何の建物なのか知っているだろう。

 ユーリの質問に笑顔をきょとんとした表情へ変えたレンディットは、指差された方向を向いて小首を傾げた。一拍置いて、彼女は思い出したように両手をぽん、と軽く叩き合わせた。

「…あ、そうか。ごめんなさい、忘れてました…。あれは離れに続く扉です」

「離れ?」

「はい。えっと…次の巫女になる子が、あそこで育てられるのだそうです。なので、基本的には当代の巫女の産んだ娘が暮らす場所になりますね。使う者がいない場合は離れもそこへ続く扉も施錠してあります。ごめんなさい。私は一月もいなかったので馴染みがなくて、すっかり忘れていました」

 そう説明してレンディットは申し訳無さそうに苦笑した。

「そういえば、巫女様は外から精霊宮に入られたのでしたか」

「……はい。先代のノワール=アルメリア様は……未婚のまま、亡くなられてしまったので…」

 亡き先代を偲んでいるのか。レンディットは長い睫を伏せ、段々と消えてゆくような小さな声で言う。

 国を統べる王家の者と等しく、開国の祖である巫王の血を引く精霊の巫女。それ故に精霊の巫女は〝巫女〟という立場でありながら婚姻を許されていた。次代の者に巫女位と共に巫王の血を代々継いでゆく為だ。

 しかし、長い歴史の中では何らかの事情で巫女に跡を継ぐべき娘がいない事もあり得る。そういう場合には未婚の王女や、跡継ぎにはなり得ない為に精霊宮の外に出された巫女の産んだ男児の家系から次代の巫女が選ばれるのだそうだ。レンディットの場合が正にそれだった。

 レンディットが巫女に決まった当時、城下街中がその話で持ち切りだったのをユーリは覚えている。何でも先代の巫女が跡継ぎの無いまま病に倒れ、次の精霊の巫女が当時の国王の第二王女に決まり掛けた時に突如として名が挙がったのが、十二代目の巫女の息子の血を引くというレンディットだった筈だ。

 その時は精霊宮内のみならず、城の者や一部城下の人間からも何故そんな遠縁から跡継ぎを選ぶのだと激しい反発があったという噂も聞いた。だがそれが事実であったとしても、そんな反発は初のお披露目となったあの大精霊祀の際に全て吹き飛んでしまった事だろう。今やレンディットの巫女のとしての資質を疑う者など誰一人としていないに違いないと、然程信心深い方ではないユーリでさえ思っているくらいだ。

「―――…ええと、それじゃあ…行きましょうか?」

 深く息を吐き出すみたいにレンディットは言い、ユーリの返答を待たずに小走りに先へ行ってしまった。機嫌を損ねたわけではなさそうだが、その話題には余り触れられたくないという想いが一人駆け出すその態度から多少透けて見えた。反対する意見が本当にあったのだとすれば、周囲の者は幼いレンディット本人へさえ厳しく否定的な眼を向けたのだろう。その風当たりの強さが嫌な記憶として刻まれていても不思議ではないが。

 今の質問の所為で嫌な事を思い出させてしまったのかも知れない。だとしたら悪いことをした、と少々反省してユーリは書庫の角を曲がる。しかし扉の前に立つレンディットは意外にもにこりと微笑んでユーリを待っていた。

 手ずから扉を開けようとするレンディットの前に進み出てユーリはその役を引き受ける。横目でちらりとレンディットの様子を窺ってみたが、たった今まであった筈の暗い声や物憂げな表情の名残は見掛けられなかった。

 思ったよりも気にしていないのだろうか。巫女が変わらぬ態度を見せるのでユーリも気に掛けるのを止めた。巫女守だからといって巫女の個人的な心情にまで一々注意を払うのもおかしいだろう。

 巫女殿の外に出れば、巫女のお出ましに番役の守護士等が滑稽な程に畏まった。レンディットが笑顔で挨拶に応じると彼等は感極まったように再度の最敬礼をする。

 扉の両脇に陣取る年若い守護士二名は緊張と恍惚の綯い交ぜになった顔で、回廊を進むレンディットを見送っている。両側からの溜め息を聞き流して、ユーリは数歩先を行くレンディットを追って足を速めた。

「此処は祭殿ですから、もう案内は不要ですね」

 祭殿の回廊に足を踏み入れたレンディットは大きく辺りを見渡している。きょろきょろと首を左右に振るように動かす仕草はまるで小さな子供のようだ。

「じゃあ、次は…」

 レンディットは言いながら本殿の鎮座する方向を見つめ、何故か少し困った風に両の眉尻を下げた。思い悩むような雰囲気で巫女は肩越しにユーリを見上げてくる。

 ――一点の曇りも無い真っ白な肌。大粒の宝石の如き瞳。華奢に整った輪郭と鼻筋に、淡い花びらで作られたかのような薄桃色の唇。近くで見れば見る程、実に美しい少女である。

 良く出来た人形の造形美を楽しむのに近い感覚でレンディットの顔を眺め、ユーリは遅ればせながらやっと理解した。女官長の心配は尤もな話なのだろう。先程の守護士等の有様だけを思っても、悪い虫が付かないよう注意するのは当然の用心といっても過言ではないのだ。新しい巫女守を選ぶのに態々外から自分のような者を呼び付けた事にも、こうして実物を前にすれば成る程とすんなり頷けた。

「……あの」

 まじまじとその花の(かんばせ)を見つめるユーリに、レンディットがか細い声で言う。遠慮無く凝視し過ぎただろうか。別に深い意味は無いのだが、もし巫女が気分を害したのであれば謝るに吝かではなかった。己の顔を不躾に凝視されれば不愉快に思うのは当然だろう。

 しかしレンディットが言おうとしたのはユーリへの抗議ではなかった。

「…ごめんなさい。あの…私、余り本殿の方へは行かないように言われていて、この先はご案内出来ないのです」

 謝罪から始まったレンディットの言葉はユーリにしてみれば疑問以外の何ものでもないような内容である。巫女が本殿へ行ってはいけないとは奇妙な話だ。公用でなければ外には出られぬが精霊宮の中なら巫女は自由に出歩く事が可能だと、引き継ぎに際し必要な知識としてファルガから聞いた覚えがあるのだが。

 自分の覚え違いとは思えず、ユーリはレンディットにその事を問うた。するとレンディットは小さく頷いてユーリの言を肯定する。

「はい。…それはそうなのですが、セレナ女官長に巫女が余り表に出向くと無用な騒ぎが起こるから、用事が無い限りは祭殿より先へは行かないようにと言われているので…」

 何故、とは訊かなかった。女官長の言い付けにも一理ある。一般人が立ち入りを許可されている本殿に巫女が赴けば騒ぎになる事は必定だろう。ただでさえレンディットの巫女としての人気は凄まじいものがあるのだから、祈りの間が解放されている時間帯に不用意に本殿の方へ足を運んでは思わぬ騒動を引き起こし兼ねない。

「…ごめんなさい。本当は、ご案内出来ればいいのですが…」

 俯いて目を伏せたレンディットは心底残念そうだ。自分が悪いわけでもないだろうに、どうしてそんな済まなそうな、哀しげな表情をするのだろうか。

「――なら、案内は結構です」

 目と鼻の先にある本殿の白壁を見遣りながらユーリは静かに言い切った。「ごめんなさい」とレンディットがまたもや謝罪の言葉を繰り返そうとするが、被せるように言葉を継いでユーリはそれを遮る。

「巫女様が本殿へ行かれないのなら、私も其方へ行く必要が無い事になります。ならば詳しい情報は然程いらないでしょう。どの辺りにどのような場所があるのか。この場から大体の位置を教えて頂けますか?」

 うろうろする事までは許されないとはいえ、本殿は精霊宮の中で一般人が最も馴染み深い場所なのだ。ユーリとて幼い頃からこれまでに何度もその中央に当たる祈りの間を訪れた事がある。大まかな位置関係さえ把握しておけば、後はどうとでもなるだろう。

「………」

「…巫女様?」

 月に一度は本殿の祈りの間で祭司官等との合同朝課があると聞いているし、まさかその構造を知らない訳は無いだろう。返らぬ返答に痺れを切らしてユーリが不審の眼を向けると、おかしな事にレンディットはぼんやりとユーリの事を見つめていた。

「巫女様」

 訝ってもう一度、今度はもっと大きく呼び掛けてみる。

「……え?…あ、はい!」

 我に返ったらしいレンディットは、小さく飛び上がりながら遅い返事をした。

「…あの、ごめんなさい。ちょっと、ぼうっとしてて…」

 それは見れば判った。判らないのは先程の会話の中の何処に呆ける要素があったのかだが、それはこの際どうでもいい。今訊きたいのは本殿内部の構造であって、レンディットのよく判らない精神構造ではないのだ。

 無礼を承知でユーリは巫女を無言で見つめる事により案内を促す。ユーリの視線にレンディットは本殿の方へと向き直り、手で位置を示しながら内部の造りについて語り出した。

「ええと…まず向かって正面が祈りの間がある所で、その両隣の辺りが祭祀に用いる品々の保管庫とか、とにかく祭祀に関連した場所だったと思います。…ごめんなさい。他にも色々あったと思うけど、私は朝課の時以外はほとんど入った事がないので、詳しくは知らなくて」

 レンディットは本殿の向かって右手側奥の角、外門方向へ延びているであろう先を指して続ける。

「…あちらの奥は主に祭司官達の生活空間だったと思います。そちら側から外に出ると祭司官や守護士の利用する大食堂の建物があります。それから――」

 次に反対側へ目を遣ってレンディットは思案する。説明の最中、彼女がすうっ、と腕を伸ばす度にずるずるとした巫女の略装が衣擦れの音を立てる。さながら其方へ注目するようにと指示する合図のようだ。

「こちらの奥は守護士達の宿舎…だったかな。そちらの外側にあるのが守護士の訓練場ですね。…後、訓練場と巫女殿の丁度真ん中辺りにあるあの建物は、他の場所で働いている女官達の暮らす宿舎です。巫女殿で寝起きしている女官は、巫女殿で働いている者だけですから」

 其処までを言い終えて、レンディットが建物を指していた腕を下ろす。粗方の説明は終わりのようだ。

 ユーリは教えられた構造を一先ず頭の中で確認してみる。思い浮かべた地図に大きな齟齬などの疑問点は特に無いようだ。ではこの辺りはもう問題無いだろう。

 つと目を向ければ、身長差の為に上目遣いに此方を見ているレンディットの瞳が今の説明で大丈夫だろうかと心配するように幾らか不安げに揺れている。尋ねるようなその瞳に頷きを返すと、レンディットはほっとしたように少しだけ口許を綻ばせた。

「あの……では、次の場所へ行きましょうか?」

 控えめになされた提案にユーリが同意しようとする。と。

「おお、これは巫女様に新たな巫女守殿ではござらんか。朝からこのような所で何をなさっておいでですか?」

 本殿裏手の扉が開く音が聞こえ、高圧的な男の声が中庭に響く。声の主は数人の守護士を背後に従えた長身の、四十搦みの男だ。自信過剰気味に反り返ったサーコートの胸には、巫女の他には各長と守のみが身に付ける事が許される精霊宮の紋章が縫い取られている。

「バルテス守護士長」

 回廊を歩いて来る男を認めて、レンディットが微笑する。

 守護士長はレンディットの許まで来ると慇懃に膝を折って礼の姿勢を取った。以前顔合わせをした際にも思ったが、この男は口調の端々に横柄な態度が滲んでいる。ユーリは一目見た時から彼とは反りが合わないだろうと直感していた。

「ユーリに精霊宮を案内しているところです」

「ほう。巫女様御自らのご案内とは、それはさぞや身に余る光栄でしょう」

 勝手にそれを光栄だと決め付けた守護士長はきつく吊り上がった薄茶色の眼でユーリを見、明らかな侮蔑の感情を込めて口を開く。

「しかしユーリ殿。そなた、巫女様のご厚意に甘えて過ぎてはいかんぞ。巫女様は本来ならばそなたのような者が側近くに仕える事など許されぬような真に尊いお方なのだ。精霊憑きだが何だかは知らんが、その事を重々胸に刻んで誠心誠意お仕えするようにな」

 圧倒的なまでの上からの物言いに、この男は何様のつもりなのだろうかとユーリは怒りを覚えるよりも先に呆れ返ってしまった。守護士長という地位に在るだけあって相応に腕は立つのだろうが、中身がこれでは到底敬意など抱けそうにはない。

 この分では配下の守護士等の信などあって無いようなものではないのか。そうして客観的に見てみれば、守護士長の周りに控える守護士等はどれも似たような顔をしていた。利を得る為に上に媚び諂う、要するに典型的な取り巻きの顔である。

 気分が悪かった。確かにユーリは若輩者であり、これと挙げられるような実績などは持たないが、どうしていきなりそんな風に莫迦にされなければならないのか。此方が新参とはいえ、巫女守と守護士長はその立場からすれば身分は同等だ。礼を尽くせと言う気は無いが、当然のように見下され、頭ごなしに威張り散らされるのは不愉快である。

「言葉を返すようだがバルテス殿。貴殿の配下に相応しい者がいなかったからこそ、私のような者が巫女守を任されたのではないのか?人の事をとやかく言う前にまず他に考えるべき事があるのでは?」

 飽くまでも此方は同位であると示し、官位ではなく敢えて名前で呼ぶ。臆しもせずに真っ向から言い返したユーリに守護士長はあっさりと腹を立てた。表面上は上手く取り繕っているつもりらしいが、眉間に刻んだ皺を深くしたその顔は何処からどう見ても怒っているようにしか見えない。

「…ふん。精霊憑きという以外に能も無い女が。余り大きな口を叩くと寿命を縮めるぞ」

「他に思い付く悪態は無いのか?そういった台詞はもう聞き飽きているんだがな」

 守護士長のように精霊憑きである事だけがユーリの価値であるかのように言う連中は、悔しいが少なくないのが現実だ。他の点には一切目を向けず、其処ばかり取り上げては人を好き放題罵るのだから堪ったものではない。そんな風に連呼する程羨ましいのなら、精霊などいっそくれてやりたいところだ。

 ユーリは冷ややかに守護士長を嘲弄してやった。守護士長とは然程背丈が変わらないのでより近距離での睨み合いの応酬となるが、先に引き下がってやる気などこれっぽっちも無かった。

 まさか相手が反抗するとは思ってもみなかったのだろう。骨張った顔を怒りで朱に染めた守護士長はきつく拳を握り締め、自制と激情の狭間で葛藤しているようだった。怒りに任せてすぐに手を出さないのは理性的というわけではなく、高過ぎる矜持故の事だろう。こういう人間程、無意味に誇り高いものだ。

「――……あの」

 守護士長がぎりりと歯噛みをしてユーリを睨み据え、何事か言おうとした瞬間。それまでユーリと守護士長の口論めいた遣り取りに当惑していたレンディットが険悪な空気の満ちる場にそぐわない透明な声で二人の間に割って入った。

「バルテス守護士長。ユーリには私の方から無理を言って巫女守を引き受けてもらったのです。ですから、そんな言い方は止めて下さい」

「その女を巫女守に据えたのは巫女様ではなく女官長でしょう。巫女様は外から精霊宮(こちら)へいらしたお方故そういった事柄に疎いのは知っておりますが、それは明らかに越権行為です。全く、女官長の役割は巫女様の教育であって己の都合の良いように飼い慣らす事ではないというに……」

 仲裁に入ったのが巫女であった為に多少は毒気を抜かれたらしい守護士長は、ふん、と鼻を鳴らした。普通ならレンディット本人の目の前では言わないような事までを堂々と言い放つ守護士長だが、レンディットを軽んじているわけではないらしい。守護士長の口調にはまだ分別の付かない幼い子供の保護者を気取るような、そんな雰囲気がある。

「よいですか、巫女様。常々申し上げている事ですが、貴女様は女官長などの言いなりにはなってはならないのですぞ。貴女様はこの精霊宮の主たるお方なのです。それをどうか、よくよくご理解頂きたい」

 教え諭すような言葉からは守護士長が女官長に対して良い感情を抱いていないのがありありと伝わってきた。加えて守護士長はレンディットを女官長の操り人形のような存在だと思っているようだ。その真偽の程はユーリにはまだ判らないが、少なくとも守護士長の言動からは自分がそれを正していかなければならないと思い込んでいる節があるように思える。

 何やら強烈な使命感に燃えている守護士長を見上げ、レンディットはにこりと微笑んだ。守護士長の言を聞き入れたとも理解していないとも取れるような笑顔だが、守護士長はそれを良いように解釈したらしく一人満足げだ。

 レンディットの笑顔に気を良くし、守護士長は説教を続けようとする。

「―――守護士長様。こちらにいらっしゃったのですか」

 が、守護士長が話し出すのをさり気無く遮って巫女殿の方から第三者の声が滑り込む。ネルだった。ユーリ達から少し離れた場所で守護士長へと声を掛けたネルはしずしずと歩み寄りながらたおやかな笑みを浮かべ、恭しく上体を屈める。

「先刻より巫女殿にて女官長様がお待ちです」

「む?うむ、そうだったな。すぐに行こう。では巫女様、私めはこれにて失礼致します」

 再び莫迦丁寧に膝を折り、守護士長は取り巻きを引き連れて回廊を巫女殿の方へ闊歩していく。己に間違いなどはあり得ないと誇るように颯爽と歩く守護士長の後頭部では、束ねられたくすんだ銀髪が気位の高い馬の尾のように揺れていた。

「……髪の毛まで偉そうなんだよな、あいつ。いつかばっさり切ってやりてえ」

 守護士長が充分に離れたのを見計らってネルは唾棄するよう呟いた。感想としては正直なところユーリもほぼ同意見である。よくもまあ彼処まで絶対の自信を持てるものだ。悲しいかな、自信と引き替えに物事を見る視野はかなり狭まっているようには思うが。

「…ネルは行かなくていいの?」

 回廊の先へと消えて行く守護士長等の一行を苦々しく見送るネルにふとレンディットが首を傾げた。この場に残った三人の中で唯一守護士長に苛立ちを覚えていないらしい巫女は至って平静に己の侍女に問う。

「ああ?何で私があんなのぞろぞろ引き連れて歩かなきゃならねえんだよ。一段落ついてお前らの事探しに行こうと思って出て来たら、遠目にも何か嫌な野郎に絡まれてるみたいだったからさ。それで声掛けただけだよ」

 答えるネルは口調こそ地のものだが立ち居振る舞いは侍女のそれのままだ。近くに他者がいないとはいえ、念の為に人目を気にしているのだろう。楚々とした仕草と表情はそのままに口調だけを器用に変えるその様は見事の一言に尽きる。

「そうなんだ。てっきり守護士長の事、迎えに来たのかと思った。…あれ?じゃあ、セレナ女官長が待っているっていうのは?」

 ネルの答えを聞いたレンディットは不思議そうにぱちぱちと目を瞬かせた。即座にその意を汲んでネルが侍女らしく優美に笑う。

「別に嘘じゃないぜ?出て来る時に叔母さんに言われたんだよ。途中で守護士長を見掛けたら早く来いって伝えておけってさ。守護士長の野郎、自分から叔母さんに話があるって約束取り付けておいた癖に、こんな所で道草食ってんじゃどうしようもねえな」

「そう。何の話かな?」

「どうせまたいつもの下らねえ文句だろ?今に始まった事じゃねえよ」

 ネルの口振りから察するに守護士長がああやって口喧しいのはいつもの事のようだ。淑やかな侍女の笑みを作りながらもネルの瞳は「災難だったな」と労う風に細められている。

 守護士長の言葉と態度にそれなりに腹が立ったのは事実ではあるが、去って行った嵐についていつまでも憤っていても仕方が無い。彼に関しては今後、ああいう人間であるとの認識の下に接すればいいだけだ。今はそれよりも少し気になる事柄がある。

「…叔母さん?」

 ユーリの洩らした疑問にネルが「あれ?」と目を丸くする。

「言ってなかったっけ?女官長は死んだ母さんの妹なんだよ。だから叔母さんってわけ」

「聞いてないな」

 道理で瞳の色がそっくりな筈だ。まあ、知ったところで自分には無関係の情報だが。

「そっか。悪ぃ、言い忘れてたな。――ところで、レン。もうここの案内は終わったのかよ?」

 ネルは適当に謝って話題を切り上げ、今度はレンディットに話し掛ける。

「…あ、まだ」

 首を小さく左右に振ったレンディットがユーリの方へ忍び見るような視線を向けると、ネルはあからさまな溜め息をついた。

「まだあ?お前、ほんっととろいなあ。後は何処だよ?」

「後は……いつもの場所だけかな」

「んじゃ、さっさと行こうぜ」

 ネルが目で祭殿の向こうを差す。レンディットは頷き、付いて来てくれと言うようにユーリの事を見てから回廊を其方へと歩き出した。

 舞殿をぐるりと囲む祭殿周辺の回廊を西側へ進むと、巫女殿へと続く回廊の反対側にまた別の回廊が続いていた。歴代の巫女の墓所へ続いている回廊です、と歩きながらレンディットが言った。墓所と呼ばれてはいるが本当に亡骸が納められているわけではなく、代々の巫女の御霊を祀っている場所であるらしい。

 レンディットの言う『いつもの場所』とはその墓所の事なのだろうか。だがレンディットは少し進んだ所で回廊を北へと外れ、ユーリの予想に反して青草の茂る草地に歩を進めて行く。

 墓所へと続く回廊を後目にユーリは先導するレンディットの背中を見つめた。何処へ案内する気なのかは不明だが、巫女にははっきりとした目的地があるようだ。

 墓所と思しき建物を覆う白薔薇の花が絡んだ青々とした玉垣の側をレンディットは脇目も振らずに通り過ぎた。部屋の窓からの眺めを思い出してみれば、巫女殿より奥は精霊宮を取り囲む白く高い石壁と、他には泉しかない筈である。ではこの奥にはもう何も無いのではないだろうか。

 レンディットは東西に広い面積を持つ泉を左に折れて墓所の真裏に辿り着くと其処で足を止めた。周囲には取り取りの花を咲かせる灌木の茂みが点在し、淡い芳香を漂わせている。見渡せば、一面の草地の彼方此方に塊の如く群生する白詰草達が涼やかな風に来客を迎えるようにそよいでいた。

「奥庭さ。レンの一番のお気に入りの場所だ」

 付近に他の人影が無くなり、がらりと態度を変えたネルが頭の後ろで両手を組んだ。

 明るく降り注ぐ太陽と、緑の香りがする空間。抜けるような青空や石壁の白い背景を彩る緑の濃淡の中に、此方を振り返ったレンディットが緑銀の髪を風に靡かせて佇む。さながら一幅の絵画のような光景だった。見惚れこそまでしなかったがユーリは思わず感嘆の吐息を洩らす。

 其処へ、つと鮮烈な赤の色が加わった。さながら先程の絵画に後から深紅の薔薇を描き加えたかのようだ。レンディットの隣へと歩み寄ったネルは顔を覗き込むようにレンディットを見つめ、にっ、と笑ってユーリを振り返った。

「ユーリ様、レンがあんたに言いたい事があるそうですよ」

「……あの、その…」

 何が言いたいのか、レンディットは戸惑うように口籠もって俯いてしまう。そんな巫女の脇腹を肘で小突いてネルが言葉の続きを急かす。

「ほら、とっとと言えって。別におかしな事じゃねえだろ?叔母さんだってそのくらい怒りゃしねえよ」

「……うん。…あの、ユーリ」

 恐る恐るに呼ばれ、ユーリはレンディットを見る。目が合うと翡翠の瞳が一瞬だけ躊躇うかのように脇に逸らされ、思い直したようにまた戻って来る。

「―――色々ご迷惑をお掛けすると思いますが、これからどうぞ、よろしくお願いします」

 レンディットがユーリへと深々と頭を下げる。それからゆっくりと顔を上げたレンディットにユーリは一言だけを返した。

「…此方こそ」

 適当に社交辞令を返したのではない。かといって、その気が無いので短い返答をしたわけでもなかった。呆気に取られ、他に言葉が思い付かなかったのだ。

 何事かと思えばつくづく珍奇な少女である。人と碌に話も出来ない程内気な性格だというのならまだしも、どうしてその程度の挨拶がなかなか言い出せないのか。先刻のユーリと守護士長の諍いで仲裁に割り込めるのなら、このくらい簡単な事だろうに。

 ユーリは呆れ混じりにレンディットを見つめた。視線に持たせた意味に彼女は気が付いているのだろうか。

 恐らく気付いてはいないのだろうレンディットはユーリを見つめ返し、おっとりと微笑んでいた。

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