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精霊と踊る君と  作者: 此島
一章
5/33

 祭殿内の儀式の間は肩が凝るような厳粛さに満ちていた。

 部屋の中央に道を作るようにして敷かれた青い天鵞絨の絨毯の上をユーリはファルガと並んで歩く。身に纏うのは隣を行く老巫女守と同じ騎士服と純白のマントだ。

 青い道の両端には左側に白の法衣の祭司官、右側に青の制服を着た守護士がずらりと列を成している。ユーリ達が前を通ると、彼等は皆一様に儀礼的に角度の深い礼をする。

 祭壇へと続く階段の手前には仏頂面の祭司長ラグナー・ソルヴンと、眉間に皺を刻んだ守護士長バルテス・クーガが絨毯の左右で向かい合って控えている。どう好意的に解釈しても歓迎されていないのが判る二人の礼を視界の端で捉えながら、ユーリはファルガと一緒に階段を上って行った。

 凡そ中二階のような高さまで続く階段を上がり切れば盛大に飾り立てられた祭壇が目前に待ち受けている。正面の壁に大きく掲げられた精霊宮の紋章を織った壁掛け。風も無いのに揺れる無数の銀燭が配された祭壇と紋章を背にして、正装姿の巫女レンディットが立っている。

 ユーリがレンディットと対面するのはファルガと手合わせをしたあの日以来だ。間近で見ると遠目より更に小作りな感じのするレンディットは衣装の布地に埋もれるようにして佇んでいた。夢のように美しく儚げなその姿は、見る者に恰も彼女こそがこの祭壇に祀られる精霊の化身かと錯覚させる。

 周囲で揺れる無数の灯火を反射して、前髪を軽く押さえるように渡された巫女の証の額飾りが幽かに煌めく。巫女はにこりと微笑んでファルガとユーリを見遣った。

「ファルガ・ロランジュ」

「はっ」

 鈴を転がすような声がファルガの名を呼ぶ。ファルガは一歩前へと進み出ると、片膝を突いて頭を垂れた。

「今この時を以て、あなたの務めを解きましょう。さあ、守の証たるその剣を我が手に返しなさい。………長い間のお勤め、お疲れ様でした」

 囁くように付け足された言葉の後半は下にいる者達には聞き取れないだろう。其処には先代、当代と二代に渡って仕え続けた守の騎士への労いと並々ならぬ感謝の念が込められている。

「勿体無きお言葉、有難うございます」

 同じく小声で温かく返してファルガは手にしていた剣を両手で捧げ持ち、巫女へと差し出した。巫女が剣を受け取り、老巫女守は立ち上がってユーリの隣へと戻る。

「ユーリ・ヴィッセ」

「はい」

 先程ファルガがそうしたように巫女の足下で跪き、礼を取る。

「第二十七代精霊の巫女レンディット=ノワールの名において、あなたを新たな巫女守に任命します。あなたに騎士位とこの剣を授けましょう」

「謹んで拝命致します」

 答えてユーリは顔を上げる。レンディットの宝石のような翡翠色の瞳と目線が交わった。微笑む彼女から手渡されたのは、初代の時代に六精霊の加護を受けて作られたといわれる代々の巫女守に与えられる一振りの剣。精霊を象ったと思われる細かな意匠が随所に鏤められてはいるが、極めて実用的な作りをした宝剣だ。

 手にした剣の重みは守るべき命の重みだと、昔、剣の師に言われた事がある。その言葉に則るなら、これを授けられたという事はレンディットからその命を預けられたという事になるのか。立ち上がりながらユーリは己の主となった少女を改めて見つめた。

 レンディットは引退した巫女守と新しい巫女守に向かって柔らかく笑んでいる。その様は正に可憐と呼べる風情で、巫女の清雅な立ち姿にユーリはふと、守の大任を男冥利に尽きると評していた衛士長が自分を送り出す際に呟いた言葉を思い出した。

 ――ユーリ君は堅苦しいの苦手ですからね。何だか少し心配になってきました。

 衛士長が「いいから行け!」と命令した癖に、その懸念は今更過ぎやしないか。この儀式や精霊宮の厳格に過ぎる雰囲気に早くも気が滅入ってきているユーリであった。


 巫女守の退任、任命式も恙無く終わり、ユーリは正式にファルガの後を継いで巫女守の騎士となった。さてその初仕事はといえば、ファルガを見送るレンディットの傍らに佇んでいる事である。

 中庭の風景を夕暮れの橙光が染め、斜陽に回廊が草地に影を落としていた。地平へと燃え落ちる最後の一瞬まで照輝する茜色の光は眩く、その強さが却って日差しの中に一抹の哀愁を醸し出す。

「此処まで構いませんぞ。レンディット様が余り表の方へ近付かれると皆が大騒ぎしますからな。就任したばかりの後輩にいきなり苦労は掛けられません」

 そう言って朗らかに笑うファルガは既に平服に着替えている。引き継ぎの件で何度か顔を合わせる機会があったが、これまでユーリは守の騎士服姿のファルガしか見た事が無かった。その印象が強い所為なのだろうがこうして平服を着込んだファルガは思いの外その老齢を思わせる。

「爺様、今まで本当に有難うございました」

 レンディットは優雅な微笑を湛えてファルガに礼の言葉を掛けた。見送りに立つ巫女は今にも泣き出しそうだった過日とは異なり平静を保っていて、あの時に見せていた堪え難いような悲しみの情は窺えない。

 レンディットの言葉を受けてファルガも笑みを濃くする。年を取って刻まれた皺と笑い皺とでくしゃくしゃになった顔で、彼は自分が守り続けてきた小さな巫女を覗き込んだ。若かりし頃の鋭さを残した紫の瞳が愛おしげに、優しく細められる。

「なんのなんの。礼を言うのは儂の方です。レンディット様やネルと過ごした日々は儂にとって宝物ですからな。本当に、楽しい毎日でした」

 ファルガは大きな手でレンディットの頭を撫でる。名残惜しげに離されたファルガの手が今度はネルの方に伸ばされ、深紅の髪をばさばさと掻き混ぜた。

「ネル。お主のことだから心配は要らぬと思うが、儂がいなくなってもしっかりな」

 ネルは大人しくされるがままになっていたが、ファルガが手を引くと手櫛で丁寧に髪を梳き直しながら言った。

「ご安心を。このネル、ファルガ様の分まできちんと巫女様のお世話を致しますわ」

「こらこら、儂の分は其処のユーリの役目だろう。儂が言っているのはだな……」

「それこそご安心を、ですわ。私も、もう昔のような子供ではありませんもの」

 女官衣の裾を持ち上げてたおやかに、ネルは堂に入った挨拶の形を取る。その仕草に二人の間だけで通じる符丁でもあるのか、ファルガは一拍置いて豪快な笑い声を上げた。

 閑かな中庭に響くようなファルガの笑い声。共に笑うように、もしくは彼が精霊宮から去るのを悲しみ惜しむかのように、風が一陣、高く声を上げて吹き抜けた。

「ユーリ」

 風が立ち去るのに合わせたように笑いを収めたファルガが酷く真剣な声音でユーリの名前を呼ぶ。ファルガはユーリの目を真正面からひたと見据えて口を開いた。

「――レンディット様を、頼んだぞ」

「それが今日からの務めですから」

 淡々と応じるユーリに返ってきたのは微かな苦笑だった。ファルガは一同を見渡して辞去を告げる立礼をする。

「それではそろそろお暇を頂きましょう。どうか、息災であられますよう」

「…爺様も、お元気で」

 零れ落ちるようなレンディットの囁きを拾い上げて、ファルガがまた小さく笑う。もう一度会釈をし、彼は少ない手荷物を背負い直して歩き出した。

 決して振り返らぬ事を自らに課しているかのようにファルガの背中がどんどん遠くなり、本殿へと通じる扉の向こうへ消えて行く。閉まる扉の向こうから幽かに、口々に彼の名を呼ぶ声が聞こえた。恐らくは見送りに集まったファルガを慕う守護士達のものだろう。

「……さあ、巫女様。もうお戻りになられませんと。夕べの祈りの時刻を過ぎてしまいますわ」

 閉ざされた扉を見つめ続けるレンディットに、ネルが気遣わしげに申し出る。途端、それまでずっと微笑んでいた巫女から笑みの表情が消え失せ、寂しげな憂い顔へと変わった。

「………うん」

 心此処に在らずといった体でぽつりと呟いて、レンディットは緩慢な歩みで巫女殿へと引き返す。回廊の石床を打つ靴音に交じり、巫女の衣が立てる泣くような衣擦れの音がやけに大きく聞こえる気がした。

 歩き出したレンディットの後を追うようにユーリも本殿に背を向ける。今の遣り取りを見れば尚更、自分などにファルガの代わりが務まるとは思えなかった。だがそれでも巫女守として常に巫女の傍らに在り、彼女を守るのがユーリの新たな仕事だ。

 経緯はどうであれ、一度自分で引き受けたものを途中で放り出すのはユーリの性分ではない。であれば精々務める事としよう。

 巫女殿の祈りの間で滔々と祈りを捧げるレンディットの傍に控えながら、ユーリは独り静かに責任感染みた決心を抱くのだった。

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